39話 安らぎの狭間
ジェーンの家で働き始めて3日目。ラフィットに任された仕事は、主に散らかった部屋の掃除だ。アンベルスの6人を否定した以上、彼らの信奉者が多く集まっている今、街に出るのは危険だと判断したのだ。
掃除とは言え、先のウォルターとの戦闘で義手が破損してしまったため、片腕だけでの作業となり最初は何かと難儀した。だが、2日目にはそれにも慣れてきた。と言うより、思い出したと言った方が適切だろう。
(久しぶりだな。この感覚は)
ラフィットが右腕を失ったのは5年前。2年前に義手を手に入れるまでは私掠命人でもなく、隻腕の死刑執行人として業務に取り組んでいた。そのため、片腕での日常生活も経験が無いわけではなかったのだ。
(それにしても、ここは一体どのくらいの間まともに掃除されていなかったんだ?)
2日間かけて不要な物の整理をした後、その下から出てきたのは汚れきった床や壁。ユリスの改造が行われた錬金工房や茶の間はそれほどでもなかったが、キッチン回りは特に酷い有様だ。いたるところにカビが生え、虫が這い、悪臭が漂っていた。
(あのお茶もここで淹れられたんだろうか……)
怪しげな薬云々ではなく、単純に衛生面での不安を覚えるラフィット。口にしてから2日経っても体に異常が無いことは幸いだったと言えるかもしれない。
そんなキッチンの汚れを、ラフィットはブラシで丁寧に擦り落としていく。慣れてきたとはいえ、左腕一本で行うのはなかなかに骨が折れる。だが、ひとりで考えていてもわからない状況の中で、無心になれるこの単純作業は彼にとって都合がよかった。
「精が出るじゃないか。悪くない仕事ぶりだ。お前さん、このままアタイの助手として仕える気はないかい? 若い男を侍らすってのも悪くないしねぇ」
そこへ、街へ買い出しに出ていたジェーンが戻ってくる。
「俺が仕えるのはジェンベール王だけだ。冗談はよしてくれ。それより、何を調達してきたんだ?」
「ひっひっひ。アタイは冗談のつもりはなかったんだけどね。なに、買って来たのは食糧だよ。そろそろあの娘が目覚めるだろうからね」
その言葉通り、ジェーンは荷車に大量の肉や野菜を乗せていた。
「……あんた、普通に良いお婆ちゃんだよな」
「アタイが良い奴だって? なかなか面白いことを言うじゃないか。あの娘、意識が戻っても全快ってわけじゃないんだよ。せっかく助けてやったのに、栄養不足で感染症にでもなられたらつまらないからねぇ」
この2日間、ラフィットは暇を見つけては工房のある部屋へユリスの様子を見に行った。高熱にうなされていれば、額のタオルを替えてあげたりもした。苦しんでいるユリスを見るのはもちろん良い気分はしなかったが、それはつまり生きているという証であり、ラフィットに安心感を与えていたのだ。
「今夜はウォルターも来るだろうから、久しぶりに料理の腕前を披露するのも悪くないと思ってね」
「キッチンをあんな状態にしておいて、料理なんてまともにできるのか? 今までの食事だって固いパンばかりだったが」
「ひっひっひ。こちとら伊達に80年以上生きてないよ。ま、騙されたと思って任せてみな。それとも、お前さんがやってくれるのかい?」
「いや、そこまで言うなら任せよう」
ラフィットに料理の心得などない。騎士となってからというもの、普段の食事は外食ばかりだ。
(ユリスは……あいつが料理なんてできるわけないか)
快気祝いに精のつく料理を食べさせようというジェーンの心遣いに反対する理由は無い。ラフィットは一抹の不安を感じながらも、食事の用意を託すことにした。
「それじゃあ早速取り掛かるとしよう。お前さんは芋の皮を剥いといとくれ」
籠一杯のジャガイモを指さし、ジェーンは小さなナイフをラフィットに差し出した。
「……すまんが、皮剥きは手伝えない」
ラフィットは失われた右腕に視線を落とす。
「ほれ。お前さんの義手、使える程度には修理しておいたよ。これで問題ないだろう」
乱暴に義手を投げつけるジェーン。それを受け取ったラフィットは、驚きながらも肘や手首などの可動領域を確認していく。ウォルターの一撃で歪んだ跡は完全には直っていないが、芋の皮剥き程度になら問題無く使えそうだ。
「どこで手に入れたのか知らないが、なかなか出来の良い逸品じゃないか。同じものを練成しようとすれば、アタイでも骨が折れそうだよ」
「これはユリスが作ったもの……と聞いている」
「ほぅ、あの娘がねぇ……」
ニヤリと笑いながら、ジェーンは調達してきた食材を整理したばかりのキッチンに置いた。ラフィットは義手を装着し、改めて使用感を確かめていた。
(よし、芋を押さえておくくらいなら問題無いな)
「ほれ、何をボサっとしているんだい。それ全部剥くんだからね。さっさと終わらせないと晩飯に間に合わなくなるよ」
「これを全部って、一体何日分の料理を作るつもりだ?」
「文句言わずにさっさとやりな。働かざる者食うべからずだよ」
労働ならすでに掃除をしている。と反論するわけにもいかず、ラフィットは椅子に腰かけてショリショリと芋の皮を剥き始めた。たださえ慣れない作業であることに加え、義手も本調子でなかったため、剥かれた皮は随分と分厚くなってしまった。
だが、それを見てもジェーンは文句を言わなかった。ただニヤニヤとしながら、別の食材の下処理に取り掛かっていく。
(見た目以外はとても80歳を超えているとは思えないな)
鼻歌混じりに肉を叩き、華麗な包丁裁きで野菜を刻んでいくジェーン。バイタリティ溢れるその後ろ姿に、ラフィットは遠い日に見た面影を重ねていた。




