32話 予測できないことばかり
突如として現れた超人ウォルター。その圧倒的な力を前に、何の準備もできていなかったラフィット達の勝ち目は皆無と言っても過言では無かった。
だが、そんな絶望的な状況の中にありながら、ラフィットは自らの幸運を喜んでいた。その幸運とは、ウォルターが最初の一撃を手加減したこと。そして、その一撃が右拳による攻撃であったことだ。これらは、限りなくゼロに近い勝機を1にするために、絶対に必要な条件だった。
ラフィットの描いた逆転のシナリオはこうだ。
ウォルターは武人であり、自らの強さに絶対の自信を持っている。故に、勝ち方には拘りがあるはず。こちらが相手を上回ると宣言すれば、それを覆さずにはいられないはずだ、と。
だからこその挑発。
『先ほどの一撃でわかったぞ。お前になら、俺は勝てる!』
これはつまり、最初の一撃であれば上回ることができるという宣言だ。こう言われて、誇り高い武人であるウォルターが黙っていられるはずがない。
案の定、ウォルターは挑発に乗ってきた。初撃と同じ構えで、初撃を上回るために身体強化魔術を使用して。
ここまではラフィットの思惑通り。あとはカウンターで虚ろな略奪者を発動するのみだ。ウォルターの肉体は並の武具では傷ひとつつけられないと言われているが、強化したウォルター自身の拳で打たれればタダでは済まないはず。その予測も、おそらく外れてはいなかっただろう。
だが、ラフィットの描いたシナリオには一つ重大な見落としがあった。それは、ウォルターのもうひとつの特性、「全ての毒や呪いを受け付けない天性の肉体」である。
(虚ろな略奪者!)
ラフィットは確かに自らの瞳力を発動した。タイミングも完璧で、まさしく逆転の一手となるはずだった。
だが、ウォルターの天性の肉体は、ラフィットの瞳力を受け付けなかった。唯一の勝機となるはずの切り札が効かなかったのだ。
ウォルターの拳が迫る刹那、ラフィットはそのことを悟り、そして絶望した。迫りくる拳はまさしく「死」そのもの。極限まで高まった集中力のおかげで、全てがスローモーションに見えていた。
(あぁ、ここで終わるのか。まだ何も成し遂げていないのに。でも、これでようやく……)
だが次の瞬間、死を覚悟したそのスローな視界に、ありえないはずの物が映り込んだ。
ユリスだ。
最初の一撃に巻き込まれて気を失っていたはずのユリスが、ウォルターとラフィットの間に両手を広げて立ち塞がっていた。
いつの間に、どうやって。そんなことを考える暇もなく、繰り出されたウォルターの拳は、ユリスの顔面を撃ち抜かんと迫ってくる。
「―――――――ッ!!」
声を出そうとしても、それよりも先にウォルターの拳が届く。もう、止める手段が無い。
ラフィットの頭の中で、一瞬の間に無数のイメージが湧いて消える。そのどれもが同じ結末を映し出していた。
ユリスが死ぬ。死んでしまう。殺されてしまう。
先ほどよりも深く重い絶望に、瞼を閉じたわけでもないのに視界が暗くなっていく。そしてラフィットの耳に、爆発音が届いた。体が吹き飛びそうなほどの衝撃を伴ったそれは、これまでに聞いたどの爆薬よりも強烈な轟音。
(これが誉れ高い超人ウォルターの本気の拳か……こんなものを食らっては、ユリスはとても……)
そう絶望に身を委ねて瞼を閉じようとしたラフィットの耳に、今度は巨獣同士がぶつかり合ったような鈍い音と、男のうめき声が届いた。
「ぐはッ!!」
「!?」
驚いて顔を上げると、そこに広がっていたのはまたしても信じられない光景。
目の前にはまだユリスが立っていて、道の向こうにはウォルターが腹を押さえながら転がっているではないか。
「な、何が起きたんだ……?」
呆けた声を出したラフィットに対し、振り返ったユリスは慈しむような優しい笑顔を見せていた。だが、
「ガフッ」
突如として大量の血を吐き出し、そのままラフィットに向かって倒れ込んだ。何が起きたのか、今何が起きているのか、頭の整理がつかないまま、ラフィットはユリスを抱きとめる。
「お、おい。ユリス……ユリス!」
ラフィットの呼びかけに、ユリスは何の反応も示さない。抱きとめたその体は、とても人間の体温とは思えぬほどに熱かった。だが、そんなことを気にしている余裕はない。
「ユリス! ユリス!」
喉が潰れるほどに声を張り上げて名前を呼んだ。それでも、ユリスの体はピクリとも動かない。段々と、炎のように熱かった体温も下がっていく。
意識は完全に失われ、呼吸も浅い。ラフィットは彼女がウォルターの攻撃を受けたのかとも考えたが、それらしき外傷はどこにもなかった。
(今は原因なんてどうでもいい!)
ラフィットはユリスを抱きかかえて立ち上がった。今ここで悩んでいても事態は何も改善しない。それよりも、他にできることがあるはずだと。
(ユリスはまだ生きている……治療師を探さなければ……この街の治療師はどこだ!?)
そう思い立って駆けだそうとしたとき、ラフィットの前にウォルターが立ちはだかる。何があったのかはわからないが、どうやらかなりのダメージを負っている様子だった。
「ぐ……待て、青年よ」
「そこをどけ! すぐにユリスの治療を……」
「いいから聞け! その娘の症状、ワシに心当たりがある。普通の治療師の手に負えるものではない。かと言って、マリナに頼るわけにもいかんだろう」
「お前、何を言って……」
「その娘に死なれるわけにはいかんのだろう。それはワシも同じだ。まさかこんなことになるとは思わなんだが……説明はあとだ。とにかくワシについて来い!」
「どうしてお前を信じられる! いいからそこをどけ!」
「その娘を救うためだ! その娘はワシの……いや、人類の希望なのだから!」
「ッ!!」
ウォルターの言葉に耳を疑った。
(今、ユリスの事を希望だと言ったか? なんでこいつが……)
「ワシを信じられんということはわかる。起きてしまったことには謝罪もしよう。だが、今はそれどころではないだろう! その娘の容体、一刻を争うぞ!」
抱きかかえたユリスは、すでにほとんど息をしていない。体温も先ほどの異常な高温から真逆に、今度は氷のように冷たくなっていた。
ラフィットにとって、この状況を作り出した張本人であるウォルターの言葉を鵜呑みにすることはできなかった。だが、他に手段がないこともまた事実であった。
「……わかった。今はお前を信じよう」
「うむ。では急ぐぞ! その娘はワシが背負おう。そなたが抱えて走るよりずっと速い」
釈然としない気持ちを抑えながら、ラフィットはユリスの体をウォルターに預けた。
「遅れるなよ。そなたを待っている余裕は無いからな」
「わかっている。いいから早く案内するんだ!」
ウォルターは頷くと一気に駆け出した。先ほどはダメージを受けている素振りを見せていたが、そんなことを微塵も感じさせない力強さで。
ラフィットは先ほどの戦闘で取り外した鋼鉄の義手を拾い上げると、必死にその後ろを追いかけた。




