2話 不可能命令
勇者の手で罪人の首が落とされる一月ほど前、ラフィットはジェンベールの国王に呼び出され、城の謁見の間を訪れていた。
「ラフィット・シモンズ、参りました。拝謁の礼に感謝いたします。此度は何用でしょうか、陛下」
そう言って赤い絨毯の上で跪く。口ひげを蓄え、癖毛の長髪を後ろで縛ったその姿は、王の側近たる大臣や貴族ばかりが並ぶその場において完全に浮いた存在であった。そのことは、その場にいる者たちのラフィットに向けられた蔑みの視線からも見て取れる。
「なぜあのような似非者がこの場に……」
「あの右腕を見てみろ。おぉ、なんとおぞましい」
王命の招集であるにもかかわらず、貴族たちは不快感を隠そうともしない。
ラフィットはこの国、ジェンベール王国の騎士であり、そして死刑執行人だ。年齢は24歳、身長は174センチ。王国騎士団の訓練は受けているが、城を守る屈強な兵士たちと比べるとやや線の細い体型をしている。
なぜ彼が大臣たちから蔑みの目を向けられているかと言えば、それは死刑執行人という職業が主な原因だ。その性質上最底辺と呼ばれる職種でありながら、貴族と同等の待遇を受け、尚且つ王の信頼を得ているラフィットは、彼らからすれば面白くない存在なのである。
しかもラフィットは元々平民の出で、右腕は鋼鉄の義手。おまけに天涯孤独の身とくれば蔑みの目に拍車がかかるのも無理はなく、ラフィット自身もそのことは理解していた。納得はしていなかったが。
「面を上げよ。ラフィット、そなたを呼び出したのは他でもない。その能力を見込んで仕事を依頼したいのだ」
「陛下自らご指名いただけるとは……光栄の至りに存じます。しかし、一介の処刑人である私にいかような仕事をいただけるのでしょうか。汚れ仕事であれば喜んでお受けいたしますが」
「あまり自らを卑下するものではない。その謙遜は余の信頼まで愚弄する行為であるぞ」
「も、申し訳ございません。決してそのようなつもりは……」
ラフィットは言葉ではそう言いながらも、下げた頭の中で舌打ちを鳴らしていた。王のそのような態度が、城内での自らの立場をさらに悪くするのだと。
「まあよい。実は昨晩、ローランがまた神託を受けたのだ」
「予言者ローラン様……まさか、また魔王が蘇ったのですか!?」
「そうではない。だが、場合によっては魔王以上の脅威となるやも知れぬ」
「魔王以上の……脅威?」
この世界は、魔王によって蹂躙された過去を持つ。
今からわずか5年前、堕落した召喚士によって古の魔王が復活し、その圧倒的な力を以って破壊の限りを尽くしたのだ。
魔王は人類に対して明確な敵意を持って、築き上げられてきた文明のことごとくを破壊して回った。「アンベルスの6人」と呼ばれる勇者と仲間たちに倒されるまでの間、魔王の軍勢による破壊活動によって全世界の人口は6億人から100万人にまで激減。世界は壊滅的な被害を受けた。
ジェンベール王国はそんな過酷な環境を潜り抜けた唯一の国。つまり、人類にとって最後の国家である。
そんな魔王を上回る脅威など、ラフィットには安易に想像すらできなかった。
「それで、ローラン様はいったい何と」
「アンベルスの6人が世界を恐怖で支配するであろう。ローランは神よりそう言葉を賜ったそうだ」
王の発言に誰もが耳を疑う。
「アンベルスの6人が……世界を? あの魔王を打ち滅ぼし世界を救った、勇者ドーリスとその仲間たちが、ですか?」
「左様」
謁見の間が俄かにざわめき始めた。世界を救った聖人たる勇者たちが、世界を恐怖で支配するとはどういうことなのかと。
普通であれば妄言だと一笑に付されるであろうその言葉も、預言者ローランが語ったというのであれば意味合いが異なる。なにせローランが神託として語った予言は百発百中、これまでに一度たりとも外れたことが無いからだ。
魔王の復活も、アンベルスの街に住む6人の戦士が世界を救うことも、ピタリと言い当てていた。
「さすがに何かの間違いでは……」
「余もそう問うた。だが、ローランが首を横に振ることは決してなかった」
その場にいる誰もが動揺を隠せない様子だ。
「そんな馬鹿な」
「ありえない!」
「だがローラン様の言葉であれば……」
そんな言葉が飛び交っていた。
「陛下、何か策はおありでしょうか。魔王を勇者が滅ぼした時の様に、此度も抑止力となる者が生まれるのですか? ローラン様は何とおっしゃっていましたか」
「……」
王の沈黙に、広間のざわめきは一層大きくなっていく。
「陛下! それでは我々は、支配されることを受け入れる他ないということでしょうか!?」
やがて一人の貴族が王に問いを投げた。今は王とラフィットの会話中であり、本来であれば大臣以外の人間が許可なく王に言葉を投げかけることは許されていない。だが、それすら気にかけていられないほど、彼らは混乱していたのだ。
「……勇者たちが世界を治めるというのなら、その権利はあるのかもしれぬ。彼らが正しく世界を導くというのであれば、ローランの予言を甘んじて受け入れるという道もあったであろう。だが、恐怖で支配するというのであれば、我々はそれに立ち向かわねばならん」
「それは、アンベルスの6人と争うという意味でしょうか……?」
「そういうことになろう。だからこそ、ラフィットをここに呼んだのだから」
「……ッ!」
冗談ではない。ラフィットはそう叫びたい気分だった。
平たく言えば、世界を滅ぼす力を持った魔王を、更に上回る化け物集団と矛を交えろということなのだから。しかも当然、その戦いには勝利しなければならない。それがいかに無謀な王命であるかは、幼子でも容易く理解できる。
だが理不尽極まりないと感じる一方、ラフィットは体の中から湧き上がる熱情を抑えることが出来なかった。彼は内心、この瞬間を心待ちにしてもいたのだ。
ラフィットは死刑執行人と言う仕事の傍ら、国内に潜む犯罪者の取り締まりを命じられることが多々あった。魔王によって壊滅的な被害を受けたジェンベール王国内は治安が悪化しており、治安を維持する憲兵も裁判官も人手不足のため、今まで通りの拿捕・裁判を経ての粛清では追いつかない状況だったのだ。
そのため、ジェンベール王国では一部の騎士に「私掠命人」の称号を与えた。これは、騎士が自らの判断で凶悪な犯罪者を処刑できる権利である。
私掠命人の中でも、ラフィットの成果は彼の特殊な能力のおかげで抜きん出ていた。だからこそ王からの信頼も厚かったのだ。
とは言え、これまでラフィットが相手にしてきたのはただの犯罪者だ。普通の人間であれば戦いになっても負けはしないという自負があったが、相手がアンベルスの6人となればそうはいかない。
世界を滅ぼさんとする魔王を打ち倒した勇者一行など、まともに敵対して勝てるわけがない。暗殺を試みようにも、それを容易に許してくれるとも思えない。誰もがそう考えるだろう。凄腕のラフィットとて例外ではない。
「いくらローランの予言とはいえ、現時点では勇者たちは何もしていない。だが預言の通りに彼らが動くというのであれば、それは何としてでも止めなければならん。彼らが話し合いに応じてくれれば良いのだが……聞く耳を持たない様であれば、その時はそなたにアンベルスの6人の暗殺を依頼する」
玉座から発せられる王の声は威厳に満ちている。
「引き受けて、くれるな?」
世界を救った伝説の勇者の暗殺。それはどれだけ困難で、後ろ暗い仕事であろうか。
「……謹んでお受けいたします。我が王よ」
絶対に敵う相手ではないと想像することは難しくない。だがそう理解しているにも関わらず、ラフィットは王命を受け入れた。
それは王という絶対的な権力者に命じられたから、という消極的理由ではない。彼の確固たる信念に基づいての決断であった。
「アンベルスの6人に対して闇雲に人数をけしかけたところで意味が無い。此度の作戦は少数精鋭で行ってもらいたい」
「少数精鋭……私ひとりではないということですか?」
「うむ。そなたのパートナーとなり得る優秀な人材を確保した。ユリスよ、ここに参れ」
王が呼んだ「ユリス」という女性名は、ラフィットにとって覚えのあるものではなかった。果たしてその人物は戦闘に特化した傭兵か、凄腕の魔術師か、それとも情報通の商人か。
「……ユリス? おい、ユリス」
王の呼びかけにもかかわらず、その声が向けられた扉からは誰も出てこない。
「ユリス!!」
「……れ……かない……えいっ」
たまらず王が声を荒げたところで、ドンドンと扉を叩くような音がしたかと思うと、巨大な鉄球でもぶつけたかのような轟音と共に扉が開かれた。いや、破壊された。蝶番が吹っ飛び、ラフィットの頬をかすめる。城に設置された重く頑丈な扉であるにも関わらず、だ。一体どれほどの力を込めればそうなるのか、ラフィットは頬を伝う血を拭いながら、期待を込めて破壊された扉の方へと視線を送った。
「何もしてないのに壊れた!?」
間の抜けた声で謁見の間に現れたのは、自身の身体よりも大きな鞄を背負い、眼鏡をかけた拍子抜けするほど貧弱そうな女であった。自らが破壊したであろう扉を振り返りながら、驚きの表情を浮かべている。
(あれが信頼できるパートナーだって?)
ラフィットは喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込んだ。
「陛下、こやつは何者なのですか!?」
それにもかかわらず、堪え性の無い貴族の一人が王を問い詰める。だが、ラフィットは心の中でよく言ってくれたと喝采を送っていた。
女は頭を抱えた王を尻目に、横向きのピースサインを口元に当て、腰を突き出したポーズを取って名乗りを上げる。
「ごめんなさいね。まだその名前に慣れてなくって。私はユリス! 多分17歳の美少女天才錬金術師だよ!」
ラフィットには、この自称美少女天才錬金術師が伝説の勇者を打ち倒すための役に立つとは、少しも、全く、芥子粒ほどにも思えなかった。