178話 囚われのふたり
「くそッ、一体どうなってるんだ!」
「急に静かになったね。決着が着いたってこと? それにしては……」
囚われのふたり、ステラとガリアーノは困惑していた。先ほどまで扉の向こうから響いていた激しい戦闘の音が突然途絶えたからだ。
「戦っていたのは、マリナ様だよな」
「そうだね。声も聞こえたし、召喚獣の唸り声も。でも他に声はしなかった。どうしてひとりで……」
静かになったということは、戦闘が終了したということ。いくらラフィットが優れた戦士であろうと、奇天烈な錬金術師が仲間にいようと、アンベルスの6人が破れることなどありえない。ふたりはそう信じていた。
だが戦闘は終わったと思われるというのに、誰も彼女たちを救出には来なかった。
(まさかマリナ様が……いや、そんなことは絶対にありえない! いくら相手がラフィットだからって……)
「あ、あ……あぁぁああ゛ぁあぁああぁぁあぁッ!!!」
ふと頭に浮かんだ不吉なイメージをステラが振り払うとほぼ同時に、獣のような絶叫が響き渡る。
「い、今の声は……!」
「マリナ様!」
尋常ではないその叫びを耳にして、ふたりの心は俄かに騒めきだす。
「くそ! あいつら、マリナ様に何をしやがった! ぐ……ぉぉおおぉおおッ!」
ガリアーノは自らを拘束する鋼鉄製のワイヤーを引きちぎろうと全身に力を込めた。だが、ワイヤーはその強靭な肉体に食い込んでいくばかりで、一向にちぎれる気配がない。
「落ち着けガリアーノ! あんたの身体がバラバラになっちまうよ!」
「うるせえ! あんな声を聞いて、黙っていられるか!」
肉に食い込んだワイヤーに血が滴る。明らかに無謀ではあるが、ステラにはそれ以上彼を止められなかった。
「ラフィット! そこにいるんだろう、ラフィット! あんた、マリナ様に何をしたんだ! 答えろ、ラフィット!」
できるのは声を張り上げることだけ。
(アタシはまた……何もできないのか……)
この時彼女の脳裏に浮かんだのは、デススパイダーとの戦いで失った部下の笑顔だった。取るに足らない木製の扉を挟んだ向こう側、手を伸ばせば届きそうな距離であるにもかかわらず、彼女はまた大切な仲間を失うのかと絶望しかけていた。
だが、その絶望には意外にも歯止めがかけられた。彼らが鬼のような形相で視線を送っていた扉が、ギィっと音を立てて突如開かれたのだ。
「マリ……」
歓喜の表情を浮かべたガリアーノの眉間に、瞬く間に皺が寄った。目は血走り、食いしばった奥歯から唇の端を伝って一筋の血が流れる。
「てめぇ! マリナ様を放しやがれ!」
扉を開けて入ってきたのは、彼らが期待したマリナではなく、マリナを背負ったラフィットだった。
忌々しい男の背で目を伏せた聖女に意識は無く、だらりと力なく垂れた細腕は拘束されたふたりの怒りの炎に油を注いだ。
「ラフィット! あんたは……あんたって奴はッ!」
「クソったれ! どうしててめぇらみたいな野郎に……!」
「……」
興奮し、拘束した鋼鉄のワイヤーで自らの体を傷つけるふたりを見下ろしながら、ラフィットは彼らの眼前に何かを落とした。
「ワイヤーを解く鍵だ。じきにお前たちの仲間が助けに来るだろう。そうしたら解放してもらえ」
「なん……だと……?」
予想外のラフィットの行動に困惑するステラとガリアーノ。
「……ラフィット、これはどういう風の吹き回しだい」
「言ったはずだ。用が済んだら解放するとな。それに、勘違いしているようだが、こいつはまだ生きている。気を失っているだけだ」
その言葉を受けてステラたちが背負われたマリナを注意深く観察すると、確かに呼吸によって僅かに体が上下しているのが確認できた。だが、それ故に意味が分からなかった。
「もうお前たちに用は無い。無駄に暴れて自分を傷つけるのはやめておけ」
「ちょっと待ちな!」
踵を返したラフィットをステラが呼び止めた。
「あんた、マリナ様を殺すつもりだったんじゃないのか」
裁定の剣を敵に回し、人質を捕ってまで戦いを挑んだラフィットが、憎悪の対象であるアンベルスの6人を生かしておく理由が彼女にはわからなかった。今のマリナは完全に無防備だ。ラフィットでなくても命を奪うことは容易い。
それに気を失っているとはいえ、マリナには何の拘束も施されていない。大きな傷を負っている様子もない。連れ去るにしても途中で目覚めたらどうなるのか、ラフィットに限ってそこに考えが至らないはずがないと思えた。
「どんな手を使ったのかは知らないが、あんたは勝ったんだろう。ならどうして……」
「……こいつを殺せない理由ができた。それだけだ」
ラフィットは振り返らずに告げる。
「殺せない理由? 殺すつもりで誘き出した相手を、戦いの最中に殺せなくなるなんて……一体どんな理由があるって言うんだよ! それに、さっきの叫び声は何だ? 気を失っているだけって、マリナ様に一体何をした!」
「……」
ステラの問いにラフィットがそれ以上答えることはなかった。彼がそのまま部屋を出ると、簡素な木製の扉は再び閉められた。
「おい待て! 質問に答えやがれ!」
ガリアーノの叫びが虚しく響き渡る。
「どうなんてんだ、チクショウめ!」
最後まで意味がわからないまま、ステラたちはこの翌日に駆けつけた裁定の剣によって救出された。
マリナの無事を確認し安堵する気持ちもあったが、それ以上にラフィットの不可解な言動にステラは大きな不安を抱いていた。計り知れない、不吉な何かが起きているのではないかと。




