17話 虚ろな略奪者
「あぁ食べた食べた。お腹いっぱい」
「それで、お前はどうして俺の部屋でくつろいでいるんだ」
「だって私の部屋、ドア壊れちゃったんだもん。仕方ないでしょ。それに、まだ話は終わって無いわけだし」
城の宿舎に到着するなり、ユリスはベッドに体を投げ出してゴロゴロと転がっていた。そしてそのベッド本来の持ち主は、抗議の目を向けているラフィットである。
「さっきの件なら明日いくらでも続きを話してやる。それに明日は朝が早いんだ。陛下が手配してくれた馬車の時間に遅れでもしたら、2日間歩き続けなきゃならないんだぞ。お前も早く自分の部屋に戻って寝ろ」
「だから、ドア壊れてるんだって。変質者が侵入してきたらどうするつもり? 私、か弱いんですけど」
「扉を壊したのはユリスだろ。自業自得だ。第一……」
「何?」
「いや、何でもない」
男である自分と同じ部屋で何とも思わないのか。ラフィットは喉まで出かかったその言葉を引っ込めた。ユリスが図に乗ってからかってくるのが目に見えていたし、何より、それは自分自身への裏切りに他ならない台詞だったからだ。
「ねぇ、今夜はここで寝かせてよ。いいでしょ?」
「……どうせ駄目だと言っても居座るつもりなんだろう」
「わかってるじゃん」
「わかった。部屋にいるのはかまわない。だが、お前が寝るのはあっちのソファの上だ」
「えー! 何でよ!」
「ここは俺の部屋だ。ベッドを使用する権利は俺にある。ソファが嫌なら床で寝ても構わんが」
「いやそうじゃなくて! 普通そこは女子に譲るとこでしょ?」
「いいからそこをどけ。蹴り落とすぞ」
ラフィットはベッドに飛び乗り、脚を振り上げた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! わかった、わかったから!」
たまらず逃げ出すユリス。
「ラフィットってば優しくない!」
「だからそう言ってるだろ」
渋々ソファに腰を下ろしたユリスは、辺りをぐるりと見渡した。王国の死刑執行人の部屋には、少しばかりの本と必要最低限の家具以外に何もない。生活感が薄れるほどの殺風景な光景だった。
「何か、寂しい部屋だね」
「勝手に押しかけてきて文句言うな」
「ねぇ、昔の写真とか無いの?」
「そんなものは無い。いいから、明日に備えて早く寝るんだ」
「嫌だよ。まだ子供だって起きてる時間なのに。ラフィットのことを知るいい機会だしね」
ユリスは邪険に扱われることを気にも留めず、ラフィットに人懐っこい笑顔を向ける。その笑顔を見たラフィットは、それ以上ユリスを冷遇することができなくなってしまった。
「……そうだな。俺たちはまだ、お互いのことを知らなすぎる」
だがラフィットが態度を軟化させたのも束の間。
「その言い方、何かいやらしいね」
ユリスはソファごと部屋の外へと蹴り飛ばされた。
「ごめんってば! 冗談だよ冗談! も~頭固いんだから……あ、鍵かけてる! コンニャロ! 開けてよねぇ開けて~!」
ドンドンとけたたましく扉を叩く音に業を煮やし、ラフィットは鬼の形相でユリスを部屋へと引き込んだ。
「ご、ごめんなさ~い……」
「次にふざけたこと言ったら、そこの窓から叩き落す」
ラフィットの部屋は3階にある。
「もう、ごめんってば!」
一緒に叩き出されたソファを引き摺りながら、ユリスは半泣きの状態になっていた。
「まったく……お前は何でそんなに呑気でいられるんだ。俺たちが戦おうとしている相手がどれだけ化け物じみているか、さっき話したばかりだろう。はっきり言っておくが、命を落とす可能性の方がはるかに高い王命なんだぞ」
「だって、後ろ向きに考えたって意味ないじゃない。私たちがやらなきゃ世界は恐怖で支配されちゃうんでしょ?」
いつも通りの軽い口調であったが、その言葉はなぜかラフィットに重みを感じさせた。
「だから自分の命を懸けてもかまわないって? 随分と殊勝な心がけじゃないか。誰かがやってくれれば、とは思わないのか?」
ラフィットの問いに、ユリスはしばし下を向いて黙り込んだ。
「まぁ、誰かがやってくれれば楽だとは思うけど。でもいいの。王様の命令を受け入れたのは、私がそうしたいってだけだから」
「……わからないな。偉業を成し遂げたいってことか? 自分の命と天秤にかけられるようなものではないと思うが」
「ううん。これはね、私にとっては命を懸ける意味があることなんだ。自分が生きていても良いんだって、そう信じたいから」
「……それは、どういう意味だ?」
ラフィットの問いに苦笑いを浮かべるユリス。口が滑った、と言わんばかりの表情だ。
「今は……まだ言えない」
「それは」
「まだ言えないの。でも、いつか必ず話すから」
ラフィットの言葉を遮って、ユリスはそう答えた。そしてその答えは、彼女の断固たる決意を感じさせた。
「……まぁいいさ。今回の王命に、直接は関係無い話だろうしな」
「うん、ありがと」
それ以上ユリスの事情を追求しなかったのは、ラフィットにも話したくない事情があったからだ。彼は相手の秘密を暴いた後、自分の秘密を隠し通せるほど、狡猾な人間ではなかった。
「それよりも、俺たちはお互いが何をできるかを知るべきだ。作戦を立てるにしても、それを知らなきゃ始まらない」
「そうだね。ラフィットは瞳力が使えるんだよね?」
ビッケルの言葉を回想しながら、ユリスはラフィットに尋ねた。
「あぁ」
「相手の瞳力を奪うんでしょ? すごいよね、それ。もし光の巫女の瞳力を奪えたら、アンベルスの6人の馬鹿げた魔術の力だってどうにかできるかもしれないし」
「それができれば良いんだが……俺の瞳力は、相手の瞳力を奪うような便利なものじゃない」
「え、だってビッケルはそう言ってたじゃん」
「あれはあいつの勘違いだ。まぁ、あの時点でこちらの能力がバレなかったのは幸運だったと言えるな」
「じゃあどんな能力なの?」
「今見せてやる」
ラフィットは立ち上がると、自らの右腕に装着された義手を外した。ラフィットの右腕は、肘から下が欠損している。ユリスの作った義手を外せば、そこには当然何も残らない。
「2秒だけだ。俺の右腕と、お前の右腕をよく見ておけ」
「え?」
キョトンとしたユリスをよそに、ラフィットは失われた右腕を伸ばし、その瞳は薄紫の妖しげな光を放ち始めた。そして次の瞬間。
「ラフィットに右腕が!? え、私の右腕が無い!」
それは僅か2秒間の出来事。欠損しているはずのラフィットに右腕が戻り、逆にユリスからはそれが失われた。
「あ、元に戻った……ビックリした~」
慌てふためいていたユリスは、ホッと胸を撫でおろした。
「ねぇ、今のって」
「俺の瞳力、虚ろな略奪者は相手の能力を奪うわけじゃない。もっと単純だ。2秒間だけ、相手の右腕を奪い取る」
そう語ったラフィットの右腕は、また何もない状態へと戻っていた。改めて義手を装着し直し、ラフィットはベッドに腰かける。
「右腕を奪う……か。十分すごい瞳力じゃん! 私、ここまで明確に他者に干渉できる瞳力って初めて見たかも」
瞳力の多くは、使用者自身に何かしらの変化をもたらすものが多い。ヴェロニクの「無欠の鑑定」しかり、ベッキオの「尖ってこそ我が人生」しかり。他者に影響を及ぼすことのできる能力は稀なのだ。
「使いようによっては色々便利な能力さ。相手が何らかの能力を発動させていたり、強力な武器を手にしていれば、その状態のまま右腕を奪うことができるからな。ただいくつか欠点もある。発動時間が2秒間だけであること。相手の5m以内に近づかなければ発動できないこと。一度使ったら10秒ほど時間を空けないと再使用できないことなんかがそうだ」
「近づかなきゃいけないのは確かに厳しいね。魔術師兄弟や弓使いのアンとは相性が良くなさそう」
「召喚術を使うマリナもな」
「……って、6人中4人が相性悪いじゃん! はぁ……でも再使用までたった10秒ってのは、大した弱点じゃなくない?」
「馬鹿を言うな。相手はアンベルスの6人だぞ? 一度虚ろな略奪者を発動して仕留められなければ、10秒も持ちこたえられるはずがないだろう」
「う……それもそうか」
5m以内に近づいているということは、相手の間合いに入っていることに等しい。相手がアンベルスの6人でなくても、そんな距離で切り札が不発に終われば命取りだ。10秒どころか、1秒もあればラフィットが命を落とすのに十分な時間となるだろう。
「それに、瞳力の正体がバレてしまえばいくらでも対策が取られてしまうから、こいつは必殺のタイミングでしか使えない」
「瞳力の正体がバレちゃいけない……ってなると、アンベルスの6人と戦う時は常に一対一に持ち込まないといけないね」
「そういうことになるな」
「うわきっついなぁ、それ」
アンベルスの6人がそれぞれ単独行動をしているなら良いが、まとまって行動しているならその都度相手を分断しなければならない。仮に誰かひとりを撃破できたとして、残りの5人は単独行動に対して警戒を強めるだろう。相手を倒せば倒すほど、一対一という状況に持ち込むことは困難になっていくのだ。
「特にドーリスとマリナ、この二人は常に行動を共にしているから一対一に持ち込むのは難しいだろう。何せ夫婦だからな」
「え、夫婦!?」
「魔王を討伐した後に結婚したらしい」
伝記「アンベルスの6人」には勇者と光の巫女の恋路についても語られている。勇者一行の活躍を記した他の書物に比べて、大衆人気が圧倒的に高い所以でもある。
「夫婦か~。あれ、でも当時10代だって言ってなかったっけ?」
「ドーリスは当時17歳。マリナは当時16歳。どちらも結婚適齢期だ。何もおかしなことは無いだろう」
「……そうなの?」
「いくら俗世に疎い錬金術師だからって、そのくらいの常識も無いのか?」
「う、うるさいなぁ! ラフィットだって独り身でしょ? 私よりずっと年上のくせに!」
「俺はいいんだよ。この先一生、結婚するつもりなんて無いからな」
ラフィットは自分の右腕に視線を落として、達観したような目で呟いた。
「結婚するつもりが無いんじゃなくて、できないんじゃないの? ラフィットの奥さんとか、毎日小言言われて大変そう」
「やかましい。そんなことより、今度はユリスの番だ」
「私?」
「俺は錬金術で何ができるのかをよく知らない。これから先、作戦を立てるにしてもある程度は把握しておくべきだろう」




