16話 アンベルスの6人
「美味しいね! お兄ちゃん!」
「俺が悪かった」
「悪かったって何が? お兄ちゃん、何か変だよ?」
「俺が、悪かった……」
口いっぱいに料理を頬張るユリスと対照的に、ラフィットは頭を抱えていた。
「やっぱり、兄妹という設定は無理がある。そもそも似ていないし、年頃の兄弟がずっと一緒にいるのも不自然だ」
「それ、さっき私が言ったことなんだけど」
じっとりとした目で相手を見据えながら、ユリスは頬杖をつく。一通りの食事を終えた彼女は、グラスの水を飲み干して、話を本筋へと戻した。
「ところでさ、ラフィットはアンベルスの6人のことをどのくらい知ってるの?」
「どのくらいって、世間一般の認識と大差ないさ。今日ビッケルに会ったことを除けば、伝記で読んだくらいのことしか知らん」
「ふーん」
勇者たちの活躍を記した書物はいくつかあるが、ラフィットが読んだのはタイトルもずばり「アンベルスの6人」だ。勇者一行の呼び名を定着させた作品で、勇者の誕生から魔王討伐までの旅を、最も丁寧かつ壮大に記した伝記である。
そこにはまるで著者が一緒に旅をしてきかのように、勇者たちの武勇が余すところなく記されている。
「そういうお前はどうなんだ。マリナが治癒魔術の使い手だということすら知らなかったみたいだが」
「……正直、『アンベルスの6人』って名前くらいしか知らないんだよね。今日も何とか兄弟の弟、とか言われても全然ピンと来なかった。ラフィットの言う伝記って言うのも、まともに読んだことが無いんだと思う」
「それでよく今回の王命を受ける気になったな……」
ラフィットは呆れると同時に、ユリスの言葉に少しの違和感を覚えた。救国の英雄であるアンベルスの6人を知らないということもそうだが、それとは違う何か。
「読んだことが無いと思う、ってのはどういう意味だ?」
「え? あー、ほら、あれよ。私ってば錬金術師でしょ? もういろんな本を読み過ぎててさ、何の本を読んだかなんていちいち覚えてないの。うん。だから、アンベルスの6人のことを知らないってことは、その手の本を読んだことが無いんだよ。まぁ、読んだ本でも興味を引かれなければ、すぐ忘れちゃうこともあるからね。だから思う、なの」
「自分の記憶なのに随分と曖昧なんだな」
「学究の徒ってのは、得てしてそんなもんだよ」
腑に落ちない思いを抱えながらも、錬金術師という特異な人間はそういうものなのかもしれないと、ラフィットはそれ以上の追及をやめた。
「それよりさ、結局アンベルスの6人ってどれくらい凄い人たちなの? 魔王を倒したって話だけど、ラフィットだって相当強いじゃん。戦ったら絶対勝てないような相手なの?」
「馬鹿なことを言うな。アンベルスの6人の強さは、俺なんかとは次元が違う。お前だってビッケルの氷魔術を目の当たりにしただろう」
「まぁ、確かにすごかったけど」
「ビッケル一人を相手にするにしたって、周到な準備をして完璧にこちらの思惑通りの展開になったとしても、勝てる確率は二割に満たないだろう。そんなレベルの相手が6人もいると考えればいい」
「なんだ、二割も勝機があるなら十分じゃん。私はてっきり、何をしてもどうにもならない相手なのかと思ったのに」
「妙なところで前向きな奴だな……」
「で、勇者たちが強いってことはわかったから、具体的にどう強いのか教えてよ。伝記にはそういうことも書いてあったんでしょ?」
「面倒だが……アンベルスの6人をまったく知らないんじゃ話にならないからな。仕方ない。一度で全部覚えるんだぞ」
「ちょ、ちょっと待って! メモ取るから」
ユリスは慌てて懐から小さなメモ帳とペンを取り出した。
「まずは勇者ドーリス。言わずもがな、アンベルスの6人最強の戦士で……」
ラフィットは大皿の料理をつまみながら、アンベルスの6人の特徴について語り始めた。
勇者ドーリス。雷魔術を操る剣士。鋼鉄を容易く斬り裂き、無尽蔵の魔力を供給し続ける聖剣ラインディルを所有する。その雷撃の威力は凄まじく、一撃で数万もの魔王の軍勢を屠ったと言われている。雷に乗って駆けることが可能で、目視でその動きを捉えることは人間には不可能。
光の巫女マリナ。召喚術では最高位の聖獣を操り、空を覆うほど巨大な白銀の龍をも呼び出したことがある。規格外の治癒魔術の使い手でもあり、たとえ心臓を潰されても、傷を負った直後であれば蘇生させることができる。アンベルスの6人に、神より授かった魔術の力を分け与えた人物とも言われている。
大魔導士ダルク兄弟。兄のヴァンは炎魔術の使い手。生み出す炎に温度の上限は無く、いかなる物質も一瞬のうちに蒸発させる。
弟のビッケルは氷魔術の使い手。時間すら凍結させるという超低温の前では、魔王すらその足を止めざるを得なかったという。
森の賢者アン。年齢不詳。数百年の時を生きるエルフの末裔と言われている。全世界の植物を使役する葉緑魔術を操る。毒による奇襲、大樹の盾による遠距離攻撃の無効化などで、主に支援能力に長けた人物だ。また、弓の名手でもあり、地平線の先にいる敵の心臓を射止めたという逸話を持つ。
超人ウォルター。一般的には下位の魔術と言われる、身体強化魔術を限界まで極めた武道家。その拳は超硬結晶さえも打ち砕き、その肉体は並の武具では傷をつけることさえ叶わない。また、全ての毒や呪いを受け付けない天性の肉体を持つと言われている。
「とまぁ、こんなところだ。誇張されてる部分もあるかと思っていたが、ビッケルの魔術を見て確信したよ。伝記に書かれた内容は大袈裟じゃないってな」
コップに注がれた麦酒を飲むラフィットの向かいで、自らが記したメモを見返しながらユリスは溜め息をついた。そしてあらためて大皿の料理にがっつくと、不満そうな顔で愚痴をこぼした。
「ねぇ、これずるくない?」
「ずるいって何だよ」
「だって、あまりにも滅茶苦茶すぎるでしょ。魔術って、普通こんなすごいことができるものじゃないじゃん。ランプの火が消えないようにしたり、魚や果物が腐らない様に冷やしたり、怪我の痛みを和らげたり、そういうものじゃないの?」
「たしかに、俺たちの生活に根差している魔術はユリスの言う通りだな。それでも使える人間は限られるが……」
ラフィットはそこまで言って、ユリスの錬金術のことを思い出していた。瀕死のポールを封じ込めた吉祥者の儲蓄庫といい、カルネの傷口を塞いだ癒合創膏といい、お前のそれも大概じゃないか、と。
だが、それを言えばユリスが調子に乗ることが目に見えていたため、ラフィットは口をつぐんだ。
「そんな家庭的で素朴な魔術で、人類を滅亡寸前まで追いやった魔王は倒せやしないだろう」
「それはそうだけど……」
「もちろん、アンベルスの6人は例外中の例外だ。それに、あんな例外が同時期に6人も、それも同じ街で出現するなんて、何かきっかけがなければ説明がつかない」
「きっかけ……あ! 神より授かった魔術の力、ってやつ?」
「あぁ、そうだ。アンベルスの6人が、魔王討伐より以前に何の功績も残していないことからも、そう考えるのが妥当だ。ドーリスやマリナは当時10代だし、アンはそもそも出自が不明瞭だから置いておくとしても、ダルク兄弟は当時20代半ば、ウォルターに至っては38歳だったんだ。もともとあんな途轍もない力を持っていたのなら、それまで無名でいられたわけがないだろう」
「なるほど~。でも『神から授かった』って何か回りくどいね。魔王が暴れてて大変だから、神様が力をくれたってことなのかな。でもそれなら、神様が直接魔王をやっつけてくれればいいのに」
「へぇ、なかなか良いところに目をつけるじゃないか」
「え、どゆこと?」
特に核心を突く気も無く、何気なく発した言葉を褒められて、ユリスは目を丸くしていた。
「俺もお前と同じように考えたのさ。何で神は、わざわざそんな回りくどいやり方をしたのかってな」
勿体ぶった言い方と妙に得意気な顔に、ユリスは少しの苛立ちを覚えた。
「でもそれじゃあ、光の巫女が仲間たちに与えた力って何なの?」
「瞳力だよ。伝記の中では、アンベルスの6人の瞳力について触れられていないが、マリナが他者の魔術の力を極限まで引き上げる瞳力を持っていたとすれば説明がつく。いるかどうかもわからない神に力を授かったって言うよりも、現実的な話だと思わないか?」
「なるほど、瞳力か。それじゃあ、光の巫女をやっつければ……」
「ユリス、そこまでにしよう。話の続きはまた今度だ」
夕食時の店内は大勢の客で賑わっている。そのおかげで二人の会話は周囲の声に掻き消されているが、どこで誰が聞き耳を立てているかわからない。「鎧手のラフィット」は城下町では名の知れた存在で、その存在を快く思っていない連中も多いのだ。
ここまでは勇者たちに関するただの雑談で済むが、踏み込んだ話を他者に聞かれるわけにはいかない。ラフィット達がアンベルスの6人を狙っていることが本人たちの耳に入れば、暗殺など夢のまた夢となるだろう。
「それもそうだね。私も、ゆっくり聞きたい話もあるし」
ユリスは皿に残っていた料理を口の中に放り込むと、右手を上げて店員を呼んだ。
「すいませーん、これおかわりくださーい」
「まだ食うつもりなのか……」
その日の夕食代は、ラフィットにとって思わぬ出費となった。




