15話 エビル・シスター
ビッケルと邂逅したその日の夕方、ラフィットとユリスは再び謁見の間を訪れていた。
「新しい秩序を作る……か。確かにビッケルがそう言っていたのだな?」
「間違いありません。おそらく、ローラン様の予言にあった『恐怖による支配』の一端ではないかと」
「ふむ。それは見過ごせる話ではないな。ラフィット、ユリス、そなたらがアンベルスに向かうことを許可しよう。当面の間、この件がそなたらの最優先職務である。くれぐれも慎重に行動するのだぞ」
「お心遣い感謝いたします」
「任せといて! って痛たたた!」
ラフィットは、相変わらず不敬なユリスの背中を思い切り抓り上げた。
「……どうやら、お互いの人となりは把握できたようだな」
王はやや呆れた顔を見せながらも、咎めることはしなかった。ユリスに弱みでも握られているのかと勘ぐってしまうほど、寛大な措置だ。
「ハイデマリー」
「はい」
王の傍らに佇んでいた王女ハイデマリーが、一歩前へと歩み出る。こういった為政の場に王女が出てくることは、非常に珍しいことだった。
「これよりそなたらには、城下以外の場所へ自由に出入りすることを許可する。先ほども申した通り、アンベルスの6人に対応することが最優先だ。それ以外の通常業務は、これが解決するまで気にしなくてかまわぬ。ただし必ず日に二度、定期報告を入れるように」
「定期報告には、妾の燕をお使いください」
ハイデマリーが右腕を差し出すと、空間の隙間から一羽の燕が飛び出した。そしてぐるっとラフィット達の頭上を一周してユリスの肩にとまり、そのままチュイチュイと囀ずりながら羽繕いを始めた。
「何これかわいい!」
「それは妾が召喚した幻獣です。妾の召喚術は未熟で弱々しいものなので、その子は飛ぶことしかできません。ですが、それゆえ宿る魔力もごく微量なものになります。相手方に感知される危険性は低くなるでしょう。飛ぶ速さと静かさは、通常の燕と同程度なのでご安心ください」
「へぇ~、王女様って召喚術が使えるんだね。で、この子に名前はあるの?」
先ほど痛い目を見たばかりだというのに、相も変わらず気安く話しかけるユリス。もはやラフィットは肩をすくめるばかりだった。
「名前、ですか。そうですね……」
ハイデマリーは、その細い顎に手を当てて思考を巡らせた。
「ジル。この子の名前はジルにしましょう」
「可愛い名前! よろしくね、ジル」
ジル自身もその名前が気に入ったらしく、軽快にユリスの頭上を旋回しはじめた。
「報告役に燕ですか。確かに、これなら目立ちにくいかもしれませんね」
ラフィットが飛び回るジルに手を伸ばすと、ジルはすぐさまユリスの肩に戻り、ツピーツピーと鋭い声で鳴き始めた。
「ラフィットは顔が怖いから嫌だって」
ユリスが悪戯っぽくそう言うと、ハイデマリーはクスクスと笑い出した。ラフィットからすればユリスを叱りつけたいところだったが、隣で王女が笑っていてはそうもできない。
「……髭も剃ったんだけどな」
「ジルに好かれたいならもっと笑顔でいなきゃ。ほら、ニッコリ」
「やめろ」
「あはは」
指で無理矢理ラフィットの口角を上げようとするユリス。その様子を見て、ハイデマリーはついに笑い声を上げてしまった。
「ゴホン」
王は厳粛さを取り戻そうと、威厳を込めて咳払いをする。それを受け、ラフィットは改めて背筋を伸ばし、ユリスもラフィットをからかう手を止めた。
「仲が良いのは結構だが、気を引き締めて責務を果たすように」
「仰せのままに……」
「オッケー、任せといて!」
ラフィットはユリスの二の腕あたりを抓り上げる。
「あだだだッ! だから痛いって!」
謁見の間を後にした二人は、そのまま街へと繰り出した。日はとうに暮れていたが、中央の大通りは出店や大道芸人で溢れ、昼間とは違う活気を見せていた。
「お腹空いた! 結局ジャンの家では何も食べられなかったし! もうお腹と背中がくっつきそうだよ~」
「あの状況なら仕方ないだろう」
「ねぇ、晩御飯は何にする?」
「近場の方が良いだろうな。サンディの店に行くぞ」
中央の大通りは人通りも多く、街灯も整備されているため夕暮れ以降も比較的安全だ。だが、ひとたび大通りを外れれば昼間のような輩が跋扈している。
裏通りには洒落た酒場やこだわりの小料理店がいくつもあるのだが、戦闘力皆無かつ女性であるユリスを連れている以上、面倒事を避けるためには選択肢が限られる。そのため、ラフィットは城にもほど近い大衆食堂を選んだ。
「いらっしゃい!」
スイングドアを抜けて店に入ると、ドスの聞いた威勢の良い声が飛び込んでくる。夕食時ということもあり、店内はかなり混雑していた。
「へー、人気のお店なんだね」
「立地が良いだけだ。味はそこそこだな」
空いている席に二人が座ると、大柄な体格にスキンヘッドの店員がやってきて、ドンッと勢いよく水を置いた。コップの水がテーブルに少しこぼれた。
「よう、ラフィット。相変わらず辛気臭い顔だな」
「そういうお前は、相変わらず料理屋に似合わない体だな」
男の名はサンディ。この大衆食堂「クスク」の店主だ。
「はっはっは! 上手い料理を作るには体が資本だからなぁ。お前もあんな仕事を続けるってんなら、もっと筋肉をつけた方がいいぞ!」
「余分な筋肉は体を重く硬くする。今くらいで俺は丁度いいんだよ」
ユリスが店内を見渡すと、料理人もウェイターも、どういう訳か皆屈強な男ばかりだった。
(え、ここってそういうお店?)
「人の忠告は素直に聞いとくもんだぜ? で、そちらのお嬢ちゃんは?」
「あぁ、こいつは……」
「私はユリス! 多分17歳の美少……ガボボッ」
ユリスが立ち上がっていつもの口上を述べようとしたところ、ラフィットに羽交い絞めにされたうえ口を塞がれた。
「プハッ! ちょっと、何すんの!」
「いらんことをするな」
「はっはっは! よくわからんが、楽しそうな子じゃないか。嬢ちゃん、ユリスって言ったか。こいつは根暗で口も性格も悪いが、付き合ってみると良い奴だ。仲良くしてやってくれ」
「性格が悪いのに良い奴なの?」
「はっはっは! そうさ。なーに、一緒にいればそのうちわかる」
「うるさい奴だな。いいから、さっさと料理を持ってこい」
「おう! 腕立てでもして待ってろ! はっはっは!」
サンディは豪快に笑いながら厨房の方へと戻って行った。
店の厨房はオープンなカウンターの向こうにあり、料理人が腕を振るう姿が見えるようになっている。3人いる料理人の中でもサンディは特に分厚い肉体を有しており、闘技場の剣闘士だと言われた方がしっくり来る感じだ。
だが、厨房に入ったサンディは疑いようのない料理人であった。大胆かつ正確な包丁さばきで食材を刻み、華麗に力強く鍋を振り、繊細な手つきで調味料を加えていく。皿に盛られた料理は彩り豊かで、ボリュームも満点だ。
「ねぇ、さっき何で邪魔したの? お気に入りのやつなのに」
食欲をそそる匂いに鼻先の意識を奪われながらも、ユリスは先ほどのラフィットの行為を非難した。
「こんな誰が聞いてるかわからないところで、錬金術師だなんて名乗るもんじゃない」
「むぅ、そんなに錬金術師ってイメージ悪いのかなぁ」
「それもあるが……錬金術師と城の騎士が一緒に行動していると、おおっぴらにバレるのは上手くない。今までどうして自分が秘密裏に雇われていたのか、ちゃんと考えろ」
「そうは言ってもなぁ。ジャン達にはもうばらしちゃったし」
「あれはまぁ……非常事態だったからな。仕方ない」
「それじゃあさ、今後私は何者って答えればいいの? ラフィットの同僚の騎士って言うのは、さすがに無理があると思うんだけど」
ユリスは自分の細い腕を眺めながら、ちらりとラフィットの方を見た。
「俺の妹だと名乗ればいい」
ユリスの想像の斜め上をいく回答。一瞬、ユリスは言葉を失った。
「……って、えーッ! 嫌だよ、そもそも全然似てないじゃん! 私そんな怖い顔してないし! 大体、いい年して兄妹で一緒にいるなんて不自然でしょ?」
「似ていないのは腹違いってことにすればいい。一緒にいる理由は、ずっと離れて暮らしていたが妹の母親が死んでしまったので当面の世話をしている、とでも言えばいい。他に何か良い案があるなら聞くが?」
「ぐぬぬ……悔しいけど、思いつかない」
ユリスは納得いかないと言いたげな顔で腕を組んでいたが、少し経つと唐突にニヤけ始めた
「おい、何を考えてる」
「べっつに~」
そこへサンディが大盛の料理を持ってやって来た。
「へいお待ち! 熱いうちに食ってくれ!」
「うわ~! 美味しそうだね、お兄ちゃん!」
「ブホッ!」
わざとらしく甘えた声を出すユリス。ラフィットは口に含んでいた水を全部吐き出した。
「うわ、なんだお前! 汚ねえなぁ。ちゃんと拭いとけよ」
「どうしたのお兄ちゃん。大丈夫?」
ラフィットの顔を覗き込むその表情は、それまで見たこと無いほど楽しそうで、そして邪悪だった。




