144話 開戦の時
「マリナは今、フェルベヘムにいます」
勇者が口にした街の名前を聞いて、王がピクリと反応を見せる。フェルベヘムは王都より遥か西、そしてデルパイネの南、国境に近い山岳部の麓にある小さな村だ。
「フェルベヘムだと? 何故そんな場所に! 理由になっていないぞ!」
クリストバルは興奮したまま勇者を問い詰める。今にも飛び掛かりそうな勢いだ。だが、そんなクリストバルを王が退けた。
「……いや、よい。クリストバルよ、下がれ」
「ッ!? 何故です! この戦とあの田舎町に何の関係が……」
「ドーリスよ。マリナはフェルベヘムの救援に向かったのだな?」
「はい。その通りです」
「救援……ですと?」
キョトンとした顔で王を見上げるクリストバル。王は一度大きく息を吐くと、その疑問に答えるために再び口を開いた。
「2日前の話だ。フェルベヘムで大規模な土砂崩れが起きたと報告があった。城からも多くの兵と治療師が救援へ向かったが、被害の大きさを考えれば人手不足は明らか。マリナが助力に向かったとあれば、それはこの上ない僥倖である」
「そんなことが……」
ドーリスは王の言葉にうなずいた。
「裁定の剣からも報告が入っていたんです。ですから、マリナは一昨日のうちに裁定の剣の精鋭を連れ、ヴリーシュラを駆ってフェルベヘムへ向かいました。昨日には到着しているはずですが……救助と治療が長引いているんでしょう。この戦には間に合いませんでした」
クリストバルは俯き、ワナワナと拳に力を込めた。
「……それでは、光の巫女殿はこの戦よりも田舎町を救うことを優先したということか?」
「言葉を濁さずに言えば、えぇ、その通りです」
「それを舐めていると……!」
キッと目を見開き、クリストバルは怒りを露にする。
「お言葉を返すようですが、伯爵殿。フェルベヘムでの出来事はもう僕らの耳に届いてしまった。そして僕らが駆け付ければ助けられる命が、何もしなければ失われる命がいくつもあるとわかっているんですよ。わかっていながら動かないということが、僕らにとっては一番の足枷だ。そんな心境のまま伯爵殿の軍と剣を交えるなど、とてもできない」
その弁明にクリストバルは言葉を失う。呆れて物が言えないとはまさしくこのことだ。ラフィットは思わず笑いそうになってしまったのを必死で堪えていた。
(実に勇者らしい言い分だ。ここでそんな嘘をつく理由もない。まったく、救えるものを放置することができないとは、難儀なもんだよ)
心の中でそう悪態をつきながらも、ラフィットはこれでひとつの確信を得た。人質を取ってマリナを誘き出すと言うウォルターの考えた作戦は、想像以上に効果的なのだと。
「……もういい。貴様の言い分はわかった。だが、この戦はフェルベヘムの災害とは無関係だ。そちらの事情で戦力を欠いたとて、敗戦の言い訳にはするまいな」
「もちろんです。伯爵殿が勝つのなら、それは僕らの正義の敗北だ」
「今の言葉、しかと聞いたぞ」
ドーリスが頷くと、クリストバルは背を向けて自軍の元へと戻っていった。ドーリスも頭上の王に一礼をして櫓から距離を取る。それは舌戦の終わりを告げる合図であり、開戦の号令を求める合図でもあった。
「ようドーリス。話し合いはもう終わったのか?」
ビッケルが軽薄に勇者の肩を叩く。
「えぇ。油断はしないでくださいね。伯爵がどんな秘策を持っているのかわからないから」
「わかってるよ。なぁ、兄貴」
「……俺、帰ってもいいか? ドーリスひとりでも十分だろ」
「ダメに決まってる。ったく、兄貴は相変わらずだな」
「はぁ……」
座り込んでいたヴァンは、溜め息とともに大きなあくびをした。そして渋々尻に着いた草を払いながら立ち上がる。
「それで、ウォルターの旦那は結局どうすんだい? やっぱり不参加?」
「……あぁ。ワシにはこの戦いの意義が分からんからな。ここに来たのは伯爵殿の顔を立てたまで。どうしても止められんと言うのなら、ワシ抜きでやってくれ。邪魔はせんさ」
「ウォルターさんも強情だよね。でもそれがあなたの正義だと言うのなら、尊重しますよ」
「それなら俺も……」
「兄貴はダメだ。ただ面倒くさがってるだけだから」
一方、クリストバルは自軍の元へと戻り、兵たちに発破をかけていた。
「皆の者! 相手はかの魔王をも打ち滅ぼした伝説の豪傑たち。だが、今や身勝手な正義を振りかざす悪辣な暴君にならんとしている! それを見過ごしてはならない! 今こそ我らが真なる正義を示す時だ! 訓練を思い出せ! 恐怖を克服しろ! 我らが最強、最善の軍なり! これはこの国を、そして世界を正しく導くための戦いであるッ!」
「フーアーッ! フゥウウウァアアアアアッ!!」
再び地鳴りのような声が響き渡る。そして、王の隣に立っていた大臣が前に出て、櫓の上から両陣営を見渡した。
「これより、裁定の剣、バレンチノ軍による決闘を開始する! 両者、悔いのない戦いを!」
号令と共に手筒式の信号弾を打ち上げた。ヒューッと、耳を劈く轟音が鳴り響く。
「いよいよ始まるぞ。しっかり見ておけ」
「う、うん!」
ユリスが握る手にも自然と力が入っていた。彼女にとって、これが初めて見る決闘。互いの主張がぶつかる人間同士の争いだ。デススパイダーの討伐とはワケが違う。
「相変わらず暑苦し……ッ!?」
突然、アイニスがその場にぺたりと座り込んだ。ユリスがそれに駆け寄っていく。
「どうしたの!?」
「い、いえ。急に全身の力が抜けたような……ですが、大丈夫です」
差し出された手に掴まり、体を起こすアイニス。自らの掌を眺め、両脚をさする。だが、体には特に異常は見当たらない。
「……アイニス。魔術、使えるか? ちょっとそこの小石を動かしてくれ」
ラフィットが尋ねると、アイニスは手を小石の前に掲げた。
「……ダメですね。どうやらラフィット様の予測は当たっていたようです」
その変調はドーリスたちにも起こっているようだった。ドーリス、ヴァン、ビッケルの3人は、戦いが始まったというのにその場から動こうとしない。
それを確認し、クリストバルがにやりと微笑む。そして手にした剣を振りかざし、叫んだ。
「蹂躙せよッ!!」
「ぉぉおおおおおおおッ!」
三千の兵が、たった4人の男たちに向けて一斉に進軍を開始。いよいよ、戦いは始まった。




