134話 国の未来を憂う者
ヴェロニクの別邸は市街の中心から離れた丘の上にあった。爵位を持つ者が住まうにはあまりにも質素で小さな屋敷。だが、その小さな庭にはたくさんの花が所狭しと優雅に咲き誇っており、しっかりと手入れされていることが伺える。
「ここが私の別邸だと知る者は多くありません。周囲には哨戒のための兵も潜ませておりますので、ご安心ください」
「なるほど。妙に物々しい気配があると思っていたが……慎重ですな、男爵殿」
「ははは。私は臆病なだけですよ」
ウォルターが入り口の門をくぐると、屋敷の扉が開かれた。そしてそこにいた人物を目にして、ウォルターは思わず声を上げる。
「ハイデマリー王女殿下!」
「あら、そんなに驚かれなくても良いのに。妾はヴェロニクの婚約者なのですから」
ジェンベール王国唯一の王位継承権所持者、王女ハイデマリー。艶やかなドレスを身に纏ったその姿は、質素な屋敷にはあまりにも不釣り合いだった。そんな彼女が自らの手で扉を開け、ウォルターを手招きしていたのだ。
「ご挨拶が遅れましたね。ようこそおいでくださいました。ウォルター殿」
「こ、こちらこそ。ご機嫌麗しゅう、王女殿下。して、なぜ貴き御身がここに?」
「本日はこの国の未来を守るための会合です。ハイデマリーは現ジェンベール王であられるヘルムート陛下の跡を継ぐ者。そして私にとっては妻となる者。この会合にはいてもらわねばなりません」
「う、む……そうか……であれば、陛下にもいていただいた方が……」
ウォルターはかしこまった振る舞いが不得手であるため、王族と相対することが少し苦手であった。この日の服装からして、普段と大差ない平服である。王女の御前に立つにふさわしいとはとても言えない。ハイデマリーがそれを気にする様子は一切無いが。
「陛下はご多忙の身ですから」
「それもそうか」
「どうぞお上がりくださいな」
王女に促され、柄にもなく緊張した面持ちでウォルターは屋敷へと足を踏み入れる。そこには使用人もおらず、しんと静まり返っていた。
「庭の花々、見ていただけまして?」
「うむ。ワシは花には明るくないが、実に見事な咲きっぷりであられましたな」
「そうでしょう! あれらは妾が手塩にかけて育てたのです。救国の英雄殿にも褒めていただけて、きっとあの子たちも喜んでいますわ」
「ハイデマリー、あまりはしゃぐのははしたないよ」
「あら、良いではありませんか。ここには父上も口煩い家庭教師もいないのですから」
城にいる時よりも幾分幼さを感じさせるハイデマリーの振る舞いは、束の間の自由を謳歌しているように見えた。庭で咲き誇る花に負けじと屈託のない笑顔を見せる王女は、まるで愛らしい妖精だ。
(こうして見れば、年相応の少女だな)
ウォルターの緊張も幾分緩み、自然と口角が上がっていた。
「ここが私の部屋です。今お茶を淹れてきますので、掛けてお待ちください」
「では、お言葉に甘えるとしよう」
こじんまりとした部屋ではあるが、調度品や壁に飾られた絵画はどれも逸品揃い。ヴェロニクの気品を現しているかのようなその部屋で、ウォルターは椅子に腰かけた。
(客人としてもてなされるために来たわけではないのだが……)
ウォルターは今ひとつ自分のペースを掴めていなかった。そんな彼の隣の席にハイデマリーがちょこんと座り、小声で問いかける。
「ウォルター殿」
「む、なんでしょうか。王女殿下」
「うふふ。そうかしこまらなくても良いのですよ。城を出た妾は王女の役目に縛られておりません。ですから、街娘に接するのと同じようにしていただいてかまわないのです」
「そういう訳には……」
「ところで、先の遠征におけるヴェロニクの働きはいかがでしたか? しっかりと御役目を果たせておりましたでしょうか。酷い怪我を負って戻って来たこともそうですが、彼の友人であるラフィット殿が塞ぎ込んでしまっているようでして……彼が何かを私に隠しているのではないかと不安なのです」
先ほどまでの無邪気な表情から一転、ハイデマリーの目には不安が滲んでいた。それは純粋に自らの婚約者を案じているからこそだろう。
「御心配には及びませんぞ。ヴェロニク卿はご立派でした。己の危険を顧みず、かと言って捨て鉢にもならず。常に冷静に大局を見つめ、ワシらを適切に導いてくださった。卿がいなければ、こちらの被害はより甚大であったことでしょう。ラフィットが塞ぎ込んでいるというのは……それは彼なりに責任を感じているのではないかと。卿に大怪我をさせてしまったことや、アンを死なせてしまったことに対して」
その言葉を聞き、ハイデマリーに複雑ながらも笑顔が戻る。
「そうでしたか……彼は立派に働いたのですね」
「そうですとも。ワシはこれまで幾人もの貴族と顔を合わせてきたが、中には尊敬に値しないと感じる者もおりました。それに引き換え王女殿下の婚約者は、どこに出しても恥ずかしくない立派なお方だ。ワシが保証いたしますぞ」
相手がハイデマリーだからではなく、それはウォルターの素直な気持ちだった。
(それにしても、ラフィットはまだ塞ぎ込んでいるのか……あやつの心が折れてしまえば、この先どうにも立ち行かなくなるというのに)
ラフィットが消沈している本当の理由にウォルターは心当たりがあった。だがその憶測を本人不在のこの場で語るのは憚れた。
「お待たせいたしました」
丁度そこへ、紅茶と茶菓子をサービスワゴンに乗せてヴェロニクが戻ってきた。慣れた手つきでポッドからカップに紅茶を注ぎ、それをテーブルに並べていく。
「何の話をしていたのですか?」
「うふふ。あなたの話をしていたのよ。ウォルター殿はとても褒めてくださったわ」
「それは……何ともお恥ずかしい。私など、大して皆さまのお役には立てなかったというのに」
「ご謙遜なさるな。卿の働きがなければ、ワシらは全滅していたやもしれんのだから」
少しの歓談を挟んだ後、ヴェロニクが話を切り出す。
「さて、そろそろ本題に入らせていただいてよろしいですか?」
「応とも」
「ウォルター様、あなたをお呼びしたのは他でもありません。今後、裁定の剣に対するあなたの身の振り方を確認させていただきたいのです」
嫋やかな口調で、しかして芯のある声で、ヴェロニクは尋ねる。
「……先のマルコ討伐に関する裁定の剣への書簡、そして此度もワシを名指しで呼び出していることから、既にラフィットから話は聞いているのだろうが……そうさな、ワシの口からもはっきりと申しておこう」
裁定の剣、そして残るアンベルスの6人を打倒するために、城からの支援を得ることは重要だ。だがステラが裁定の剣に加入した様に城内とて一枚岩ではない。それがわかっているから、ウォルターも自らの立場を明かすことには慎重であった。
それでも、ウォルターはヴェロニクを信用に足る人間だと判断した。ラフィットが信頼を寄せる人物であることに加え、この日もわざわざ誰にも聞かれない場所を用意していることからも、彼がウォルター側であることが明らかだからだ。
「ワシは裁定の剣の敵対者。アンベルスの6人を殺すつもりだ」
そう告げた時、ヴェロニクとハイデマリーの顔に笑みがこぼれる。
「その言葉が聞きたかった。ありがとうございます。私とてラフィットの言を疑いたくはなかったのですが、裁定の剣側の間諜であるのではという疑念が払拭できなかったものですから」
ふぅと一呼吸おいて、ヴェロニクは話を続ける。
「先日の戦いの中で、ウォルター様とアン様の絆がいかに強いものかを知りました。世界を脅かした魔王と共に戦ったのですから、他のお仲間ともそうなのでしょう。そんな仲間を殺すなど、真にそのつもりが無いのであれば、誇り高いウォルター様なら間諜であろうとも口にはしないはずですから」
「……」
「お気を害したのであれば謝罪いたします。ですが、国を憂う者として確かめておかねばならなかったのです。どうかご容赦を」
「いや、かまわんさ。卿の疑いは尤もだ。むしろお気遣いいただき痛み入る」
ウォルターはその手に対して小さなカップを手に取ると、紅茶をグイッと飲み干した。
「だがワシとて人の子。かつての仲間を殺すこと、殺されることに何の感傷も無しというわけにはいかぬ。アンが死んだことは……ただただ悲しかった。体の一部が暗い水底に沈められたような重さを、今でも感じているよ」
「ウォルター殿……」
ハイデマリーの瞳に涙が浮かぶ。彼女はとても感情移入しやすいタイプだった。
「……それでも、ワシの決意は揺らいでおらん。ここで揺らぐわけにはいかんのだ。アンはワシらを救うために自ら命を絶ったが、他の面々はワシら自身の手で倒さねばならんのだから。半端な気持ちで勝てるような相手ではないしな」
(そうであろう、ラフィットよ)
自分に言い聞かせるように、ウォルターはそう言った。
「ウォルター様」
「ん……なッ!?」
ヴェロニクは椅子からスッと立ち上がると、そのまま跪いて額を床に擦りつけた。突然の行動にウォルターは動揺した。
「ヴェロニク卿! 未来の国を背負って立とうというそなたが、そんなことをしてはならん!」
「いいのです。武人の決意、確かに聞かせていただきました。僅かでも疑念を抱いた愚かな私の行為を、改めて詫びさせていただきたい」
戸惑うウォルターに対し、ヴェロニクは顔を上げて立ち上がる。
「これからは、私もウォルター様のお力となることを誓います」
そして今度は握手を求めた。
「倒すべき相手は強大で、打ち勝つことは途方もない悲しみを産むでしょう。それでも、我々は勝たねばならない。それが、この世界に唯一残された国を導く者の責ですから」
ヴェロニクの差し出した手を、ウォルターは力強く握り返す。
「卿のような人間に力添えいただけるのであれば、これ以上に心強いことはない! これからは共に、ワシらと戦ってくれ!」




