13話 垣間見た伝説
「アンベルスの6人……って、えぇぇええ!? 本物!?」
突然現れた生ける伝説を目の前にして、ユリスは奇声を上げた。
ラフィットも振り返ってその姿を確認すると、ビッケルは大口を開けて笑い出した。
「あっはははは。本物だって! でもまぁ、証明する物を持ってるわけでもないし……そうだ!」
軽薄な喋り方。真っすぐな青い髪。鋭い吊り目に三白眼。手には青い宝石のついた樫の木の杖。それらは全て、ラフィットがかつて読んだ冒険譚に書かれた内容と一致する。何より、対峙するだけで脂汗が滲み出るほど圧倒的な力を感じさせるその気配。もはや証明など不要に思われた。
そんなラフィットの思いをよそに、ビッケルは目を糸の様に細めて、口元には笑みを浮かべながらベッキオの元へと歩み寄っていく。
「アンベルスの6人だって!? あ、ありがてぇ! 頼む、こいつをどうにかしてくれ! 俺を酷ぇやり方でいたぶる気なんだ!」
伝説の勇者の仲間なら、この非情な私掠命人を止めることができる。そう期待を込めて、ベッキオは縋りついた。
「あぁ、聞いていたさ。でもまぁ、この件に関してはあんたが悪いね。しょうがないんじゃない?」
だが、わずかに生じた希望の光はあっさりと破却された。
「うーん。でもそうだなぁ、楽に死なせてはあげよう。その代わり、俺の証明書になってくれ」
「証明書……?」
ビッケルが肩に手を乗せると、声を出す間もなく、それどころか瞬きする間もなく、ベッキオは石膏で作られた像の様に真っ白になってしまった。頭のてっぺんから爪先まで、全身余すところなく完璧に。
「あらよっと」
そしてビッケルが手にした杖で軽く小突くと、真っ白になったベッキオの身体は、文字通り粉々に砕け散った。それがかつて人の身体であったとは思えないほど、砕けた破片はサラサラと風に飛ばされていく。
「どう? これで信じてくれるかな。俺が氷魔術のビッケルだって」
あまりに唐突なその光景に、先ほど奇声を上げたユリスは言葉を失う。
(氷魔術……? いやいや、氷漬けにしたくらいじゃ普通ああはならないでしょ! 一体どれだけの超低温に晒されたら、人の体があんな風に砕けるの?)
たった今、目の前で人が死んだ。だが、あまりにも現実離れした出来事を目の当たりにして、ユリスは先ほどまで感じていたはずの死への恐怖さえ忘れてしまっていた。
「……こんな神業ができるのはアンベルスの6人くらいでしょう。疑うはずもありません。伝説に名高い大魔導士様にお目にかかれるなんて光栄です。先ほどは無礼な口をきいてしまったことをお許しください」
ラフィットは腹の底に燻る感情を抑え込みながら、笑顔を作って友好の意思を示した。
「別に気にしちゃいないさ」
「ですが……」
先ほどまでベッキオのいた場所に残されたワイヤーに視線を落としながら、ラフィットはわざとらしく肩をすくめてため息をつく。
「今あなたのやったことは、殺人です」
「え、そこ?」
ユリスとビッケルの声が重なる。
「えぇ。いくら死刑囚と言えど、許可なく殺せばそれは殺人です」
「おいおい、待ってくれよ。頭の固い奴だなー。どうせ殺す相手なら、誰がやったって同じだろう?」
その言葉を聞いてラフィットは確信した。この男の倫理観は破綻している、と。
「そういう訳にはいきません。法で定められていますから」
「ふーん。じゃあどうする? 俺を捕まえるのかい?」
「そうするのが騎士である私の務めですが……」
頭を掻き、一度視線を逸らした後、ラフィットはビッケルを見つめ直した。
「私ではあなたを捕らえられない。返り討ちにあって殺されるのもごめんです。なので、こういうのはどうでしょう」
「へぇ、素直じゃないか。で、どんな提案があるっていうんだ?」
「あの罪人、ベッキオという男は全身を硬化させる瞳力の使い手でした。何とか拘束には成功したものの、私では相手の瞳力を突破できずに刑の執行ができなかった。城へ連行するにも、拘束を解かれて逃亡される可能性が高いと判断した」
「そこへたまたま通りかかった魔術師に、刑の執行を手助けしてもらった、と。そういうシナリオかい?」
「その通りです。刑の執行方法は私掠命人である私に裁量があります。本来他人の手を借りることなど許されはしませんが、緊急事態であることと、手を借りた相手が他ならぬアンベルスの6人の一角とあれば文句を言う人間はいないでしょう。まぁ、実際には首から上を硬化できないっていう弱点がありましたが……それは言わなければ誰にもわかりませんから」
「あっははははは! 何だ、お堅い奴だと思ったが、話がわかるじゃないか! ますます気に入った! あんた、名前はなんて言うんだ?」
ラフィットは一瞬のうちに思考を巡らせた。今この場で自分の素性を明かして良いものか、と。
(ローランの占い通りであれば、こいつはいずれ敵になる男だ。そんな奴に素直に名乗るべきか? しかし先ほど、この男はあの罪人に対して虐殺の方法を「聞いていた」と言っていたし、ユリスが錬金術師であることも知っていた。話を聞いていたのはいつからだ? 俺の背後を取って肩に手を置いた動作も、俺が路地裏でゴンズ兄弟にやったのと同じだった。もしかしたら、あの時から……?)
「私はラフィット・シモンズ。王に仕える騎士であり、私掠命人として罪人を裁く死刑執行人でもあります」
ラフィットが出した結論は、嘘偽りなく答えること。
警戒を怠ったつもりはなかった。だが、声を掛けられるまでその気配にすら気づくことができなかったのだから、一体どこから行動を把握されていたのかわからない。
ビッケルが何の目的でここにいるのかわからない以上、下手な嘘は命取りになると考えたのだ。
(ローランの予言を知られない以上、こいつが俺を警戒する理由は無い。問題は、それなのにこいつが俺をつけていた理由だ)
「よろしくな、ラフィット。今更だが、俺はビッケル。ビッケル・ダルクだ」
「もちろん存じております。実兄である炎魔術のヴァン・ダルクと共に、大魔導士ダルク兄弟の名を知らない者などこの国にはいませんよ」
「あらためて言われると照れ臭いんだけどな。で、そちらのお嬢ちゃんは?」
「え? 私?」
「他にいないだろう」
「あー、んー、えーっと……おほん。私はユリス! 多分17歳の美少女天才錬金術師だよ!」
ユリスは横向きのピースサインを口元に当て、腰を突き出したポーズを取って名乗りを上げる。
「……お前、名乗る時にそれやらないと死ぬ呪いにでもかかってるのか?」
「あっはははは! 面白い嬢ちゃんだな! 美少女天才錬金術師か。こいつはいいや」
場の空気が一気に緩む。場違いなユリスの口上が、この時ばかりはプラスに働いたようだ。
「それで、高名な大魔導士様がどんな用件でここに?」
「散歩だよ」
「ご冗談を。散歩で来るにはここは寂しい場所だ。それに、私たちを追ってきたのでしょう?」
「なんだ、気づいていたのか。それならそう言ってくれよ。誤魔化そうとしたのを見透かされるなんて、恥ずかしいじゃないか」
「やはり、そうだったんですね」
「あ! カマかけやがったなこいつ!」
「え、ビッケルさん私たちをつけてたってこと? ストーカーなの?」
「これでも伝説の魔術師なんだけどね。お嬢ちゃんからすればストーカー扱いか……ま、若い女の尻を追っかけてたって知られれば仕方ないかね」
言葉とは裏腹に、ビッケルに悪びれる様子は全くない。尾行はバレても構わないというスタンスだったのだろう。それでもラフィットが気づかないほど、気配の消し方は完璧だったのだが。
「あんたたちを追っかけてきたのは他でもない。今俺たちは優秀な人材を探していてね。それで勧誘に来たのさ」
「勧誘?」
「あぁ。新しい秩序を作るため、その礎となる人材が必要なのさ。さすがに俺たちだけじゃ人手が足りなくてね。そうしたら路地裏で人助けをしているあんた達を見つけたんだ。それで様子を見させてもらったんだが……特にラフィット、あんたは俺たちが求める通りの人材だ。ぜひ一緒に来てくれないか」
ビッケルの態度はあくまで友好的なものに見えた。ラフィットは警戒しながらも、その言葉の真意を探ろうと試みる。
「新しい秩序、ですか。それは一体どのような?」
「なに、詳しいことは後で話すさ。とにかく一度アンベルスに来てくれないか。あんたにとっても悪い話じゃないはずだ。あんな風に悪人を裁こうとするあんたならな」
(自分たちの縄張りでしか話をしないつもりか……迂闊に足を踏み入れるのは危険かもしれないな)
「興味が無いわけではありませんが……それにしてもアンベルスですか。ここからだと二日はかかりますね」
「何だ、時間のことを気にしてるのかい? あぁ、そういえばあんたは騎士だって言ってたな。おいそれと持ち場を離れるわけにはいかないってわけか。でもまぁ、その点なら心配はいらないさ」
ビッケルがピュィっと指笛を鳴らすと、見つめた遥か遠くの丘から何かが飛び立った。ラフィットとユリスがそれを視界に捉えた次の瞬間、その何かは放たれた矢のように猛烈な速度でこちらへ向かって飛んできた。
「ちょ、ちょっと何あれ!?」
「怖がらなくていいよ、お嬢ちゃん。あれは俺たちの味方さ」
あまりの速度に逃げ出すこともできずにいると、ビッケルが呼び寄せたその何かはあっという間に頭上へと到達していた。
近づいてみて初めてわかったその異様な姿に、今度は絶句するユリス。鷲の上半身に獅子の下半身を持つ怪物が突如として現れれば、それも当然の反応かもしれない。
「これは……グリフォン、でしょうか?」
「ご名答! さすが騎士様、博識だね。そう、こいつはグリフォン。マリナの聖獣をちょいと拝借してきたのさ。こいつに乗れば、一刻もありゃアンベルスまで行けるぜ」
「光の巫女 マリナ……」
その名を口にして、ラフィットの脳裏に焦げ付いた記憶が蘇る。
それは思い出したくもない、でも忘れてはならない、忌々しい炎の記憶。
耳に残る悲鳴、絶え間ない痛み、そして瞼の裏に刻まれた喪失の瞬間。5年の月日を経てもなお、残酷なまでに鮮やかなその記憶は、ラフィットに強烈な憎悪と吐き気をもたらした。
「うっぷ……」
「どうしたのラフィット? 大丈夫?」
突如倒れ込んだラフィットにユリスが駆け寄る。
「すまん……大丈夫だ」
「急にどうしたの? グリフォンが怖いの?」
「何でもない。ただの……貧血だ」
下手な嘘を言ったものだと、ラフィットは自分を嘲笑った。だが、幸いにもビッケルは気にしていないらしかった。その様子を見てラフィットは胸をなでおろす。嘘の相手は、ユリスではなくビッケルだったからだ。
「で、どうすんだい? 俺はぜひともあんたに来て欲しいと思っているが、決めるのはあんただ。無理強いはしない」
ラフィットは一考する。
(さっきビッケルが言っていた「新しい秩序を作る」という言葉。どう考えても、これがローランの予言にあった「恐怖による支配」のことだろう。一体どうやってそれを為そうというのか。そして、ビッケルが俺を求める理由は何だ? 人材が足りないと言っていたが……)
「ラフィット、どうする? これって、情報を仕入れるチャンスなんじゃない?」
ユリスが耳打ちで囁く。ラフィットは迂闊な行動は慎めと言いたい気持ちを抑え、ただ小さく頷いた。
「わかりました」
「お、一緒に来てくれるか」
「アンベルスには行きましょう。ただ、少し時間をください。正式に暇をもらってきますので」
「ん? 何でだ? さっきも言ったが、グリフォンに乗ればアンベルスまではあっという間だ。今日のうちに行って帰ってこれる。別に休みをもらう必要はないだろう」
「いえ、言いにくいのですが……」
ラフィットは頭を掻きながら口ごもる。
「何だい? 言ってみなよ」
「実は、私は高所恐怖症なんです。グリフォンに乗って飛んでいくなんて、とても耐えられそうにない」




