変身、アルタネイティブ・ブルー-01
二年ほど前の事である。
この秋音市には【デーモン】と呼ばれる少年が居た。
菊谷荘司。元・秋音中学校の生徒で、今は玄武高校に在籍している。
彼は中学時代、学校にも行かずにただフラフラと秋音市の街を闊歩し、目が合った不良を手当たり次第に殴り倒していった。
あくまで問題を起こす不良の若者だけではあるが、彼の存在は秋音市内の若者にとって脅威となり、いつの間にか、デーモンと言う呼び名で蔑まれ、社会から孤立していった。
彼は玄武高校へ進学したが、学校には行かずに、ただ街を闊歩していた。
不良狩りをする為である。
玄武高校に入学し、二日ほど経過した時――街を歩く彼を、呼び止めた少年が居た。
久野洋平。玄武高校の同クラスに在籍する少年は、終始笑顔で彼に「学校に行こう」と誘っていたが、そんな彼に苛立ち、彼は拳を振り込んでいた。
だが、顔面に叩きつけられる筈の拳は、空を切り、荘司はいつの間にか、地面に倒れ込み、空を見て。
「よし、学校行こうか。菊谷」
その後。起き上がった荘司と懲りずに声をかけてくる洋平の二名による、殴り合いの喧嘩が開始された。
殴り合い、喧嘩。
そう形容するものの、洋平は彼の攻撃を受け流し、カウンターを決めるだけであった。
しかし少なからず、荘司の拳は洋平の頬や腹部をかすめ、彼は傷付いていた。
――血を流していた。
「もう、やめよう菊谷。そんな事してたらお前、何時か自分で自分を殺しちまうぞ」
そう言った彼の言葉を、荘司は「舐めた事言ってんじゃねぇ」と断じた。だが、彼は絶えず、荘司に言葉を投げかけるのだ。
「何かあるなら、俺が相談に乗るよ。解決は出来ないかもしれないけど、俺はお前を、放っておけない」
継続される喧嘩。荘司は既に何度も顔面を殴られて、口から溢れんばかりの血を流し、カヒュー、カヒュー、と掠れた息を吐き出す。
しかし、拳を繰り出すことを、止めはしなかった。
「お前、すげぇ悲しい顔してる。そんな顔で毎日過ごしてたら、つまんないだろ」
「何が、分かるんだよ……ずっと安穏とした生活してるお前に、俺の何が分かるんだ!? えぇ!?」
「言ってくれなきゃ分かるわけ無いだろ! だから聞いてんだこのバカっ!!」
そこで初めて、彼の怒号を聞いた。
自分が殴られ、傷付く事よりも。彼が人を傷つけている事実よりも――何も話してくれない荘司の事を、彼は怒った。
荘司は、どこか彼と喧嘩をしている自分がバカらしく感じて、口を開いた。
「……俺、殴る力強いから。普通の奴となんか、つるめない。
悪ふざけで、クラスメイトを小突いて、骨を折っちまった事あって、それから誰も、近づかなくなって……
この力で、悪い奴ぼこぼこにしてりゃ、誰かが認めてくれる……そんな気がしたんだけど……そんな事、なかった」
彼はずっと、人を殴り続けた。自分の存在を、誰かに認めさせたいから。
そんな彼を、周りは確かに認めるのだ。
恐怖の対象として。デーモンと言う呼び名で。
それでも、と。彼は思う。
――何だっていい。敬愛じゃなくていい。恐怖だっていい。
――俺の存在を、認めてくれれば、それでいい。
――俺は、デーモンでいい。
「もうそんな事、する必要ないだろ」
「なんで。デーモンって名じゃねぇと、誰も俺を認めない。誰も俺を見てくれないんだ」
「お前はデーモンなんて名前じゃねぇよ。菊谷荘司だろ。それ以上でも、それ以下でも無いんだ」
荘司の拳がかすめ、頬が切れてしまっている為に血を流しながらも、ニッと笑顔を向けた洋平は、ただその手を、荘司に差し出した。
「俺がお前の事を認めてやる。お前が本当は優しくて、温かくて、強い奴だって、認めてやる」
荘司は、いつの間にか彼の手に向けて、自分の手を、伸ばしていた。
手を取る瞬間。
「俺とお前は、友達になれる」
彼の言葉と共に、荘司は瞳に溜めた涙を流した。
――荘司菊谷はこの時、久野洋平の、友達となった。
**
久野恵梨香はイライラしていた。
部下が作成した書類に不備があり、それを上司に指摘された上、なぜか自分の失敗として説教を一時間近く受けていた。
それだけならばまだいい。問題はその不備をした本人に「いやぁ、災難っすねぇ」と舐めた口をきかれたせいで、思わず顔面目がけて手が伸びてKOしていたのだ。
それまた問題となった。事情を説明して、何とか同僚や一部上司からは納得してもらえたものの、手を出した事自体がマズかった。
一週間の自宅謹慎と減給を言い渡された彼女は、適当に引継ぎを終わらせた後に苛立ちを隠す事無く、自宅への道のりを歩んでいた。
「自宅に着いた……筈よね?」
『筈』とは、別に彼女自身が怒りのあまり自宅すら忘れてしまった、と言う訳では無い。
……家が倒壊しているのだ。
正確には、玄関口とリビングにかけてが、ただの木片と化している状態。二階へ上がる為の階段も登れない。まるでトラックが我が家に突っ込んだ後のようだった。
「――何これぇえっ!?」
叫び、急いで自宅内へ入り込んだ恵梨香。倒壊した玄関から入り、リビングへと歩を進める。
そんな家の中も、阿鼻叫喚な状態だった。
血だらけのフローリング。やたらめったらに散乱した家具。穴やクレーターだらけの壁や床。おまけに窓ガラスも全てが割れて風通し万全と言う、麻雀であれば満貫だ。
――いや改めて見れば、跳満だった。
自宅には、三人の人間が居た。
一人は愛しい弟である久野洋平。彼は床に寝そべる血だらけの少年の手当てに勤しんでいる。
その床に寝そべる少年は、おそらく洋平の同級生だろう。血にまみれてはいるが、洋平と同じく玄武高校のワイシャツを身にまとっている。だが、何度も記すように、彼のまとうシャツは血まみれだ。
最後の一人。これがまた曲者だった。
何と表現すべきか。裸の身体に鋼鉄の装甲と言うべき甲冑を、胸元、秘部、臀部、後は足回りに装着しただけの【痴女】だ。彼女も負傷しているようだが、その負傷には手当が既に施されていた。
「ね……姉、ちゃん……お、お早いお帰り、ですね」
「洋平、なにこの空間。私はいつの間にライトノベルよろしく異世界転生したのかしら」
「え、えーっと……な、なんて説明したらいいのか……」
洋平は、ちらりとソファに座る女性へと視線を送る。
女性も少しだけ困ったような面持ちで「えっと」と言葉を紡いだ後に立ち上がり、ぎこちない笑顔を恵梨香へと向けた。
「あ、あの……よ、洋平君の、お姉様、で良かったでしょうか?」
「何、アンタ」
「え、えっと……ぼ、ボクは怪しい者では」
「怪しいじゃない! 怪しさ満点よっ! 何なのよっ!? 私が親番だったら一万八千点の上りよこの状況っ!!」
「お、親番? 一万八千? え?」
「良いからっ! 説明なさいっ!!」
鬼の形相、と言うべき表情で、恵梨香は少女を睨む。少女も瞳に涙を溜めて「ひっ」と怯え、足を震わせていた。
そんな彼女を庇うように、声を張り上げて言い訳を始める洋平。
「ト、トラックが突っ込んできたんだよ! それでコイツも、この人も怪我しちゃって――」
「じゃあなんでフローリングとか壁とか穴やクレーターだらけなのよ、おっかしいでしょぉ!?」
「ごめんなさい嘘つきました!」
「もう誤魔化さずにキチンと真実だけ口にしなさい! さもないとアンタら、この家から一歩も出さ」
と、そこで。
全身にドット状のパターンで形成された衣服を包んだ男たちが六人ほど、その部屋へと突入してきた。
手にはライフルと思わしき銃が握られており、それらが恵梨香と洋平、そして名も知らぬ少女へと突き付けられた。