ワルツ-06
四六にて用意された薄い検査服を乱雑に脱ぎ捨てた荘司は、自身の眼前で項垂れながら、胸元でギュッと、握り拳を作る少年の姿を見据えていた。
少年――久野洋平の瞳には、輝きが無い。
普段の明るさも見えなければ、彼が魅せる笑顔も、存在し得ない。
「そう落ち込むな」
「落ち込んでなんか、無い」
「そうは見えねぇけどな」
「なぁ、菊谷。聞きたいんだけど」
「なんだ」
「菊谷は、正義って、何だと思う?」
正義――それは洋平が、良く口にする言葉である。
荘司は彼の問いにどう返すか思考するが、良い回答が思い浮かばなかったので、思った事を口にした。
「この世には無い物だと思う」
「なんでさ」
「正義ってのは、そんな大義名分を掲げる奴が、守りたい物だと思う。俺にとっちゃ、洋平がそうだ」
しかし彼の言葉には「だが」という否定が続いた。
「エネミーにとっちゃ、お前の存在は【悪】でしかねぇ。それからお前を守ろうとする俺の正義は、また新たな【悪】でしかねぇだろう」
「だから、正義なんて、無い……?」
「そうだ。――正義を掲げんのはいい。けど、その正義を悪とする奴がいる限り、その言葉は完全なモンにはならないと思う」
荘司は、洋平に一つ、問いをする。
「洋平が守りたい物は、何だ」
「俺が、守りたい物……?」
「お前が、正義として掲げる、守りたい物だ」
問われ――洋平は、答える事が出来なかった。
何を守る?
全てを?
だが、彼自身の手で倒すエネミーの存在は【全て】に含まれないのであろうか?
人間を守ろうとして、エネミーを倒す。
それはエネミーにとって、悪と呼ばれる存在でしか無いじゃないか。
「なんでお前がそんな事を聞くのか、俺には分かる。お前が手にした力は、きっとお前が掲げる正義に必要な力なんだろうよ。
……だがそれは、お前の願いを壊しちまう。お前はヒーローになりたいと言うが、このままじゃお前がなるのは、ヒーローじゃない」
「じゃあ――なんで菊谷は戦うんだよッ! お前だって、力があるから戦うんだろ!? それは、お前が信じる正義を叶える為に、必要な力だから」
「力が無くたって俺は戦うさ。力があるに越した事はねぇが」
ポンポンと、洋平の頭を軽く撫で叩く、荘司の掌が、今の洋平には、温かく感じられた。
「俺が成そうとしてるもんは、正義なんて大それたもんじゃない。久野洋平っていう……俺の親友を、守る事だけだ」
――親友を守る為なら、悪だろうが、正義のヒーローにだろうが、なんにだってなってやるさ。
そう力強く言い放った彼の言葉を、洋平はただ呆然と、聞いているだけしか出来なかった。
そんな彼らの元へ、神妙な顔つきをしたシェリルと、彼に付き添うように隣り合う志木がやってきた。
シェリルは掌に、二つの指輪を持っていた。洋平と荘司が普段から用いていた、アルターシステムである。
「とりあえず応急処置として、リミッターを設けました」
「リミッター……?」
洋平の問いに、シェリルが小さく頷く。
「女性ホルモンの過剰分泌は、虚力の増幅が主だった原因です。
変身後の肉体変化を、あくまで表面上だけに留め、肉体内部の構造を変えない事で、虚力の増幅を抑制し、女性ホルモンの分泌も抑制します」
「それで、女の身体になる進行を止める事ができるんだな」
「ええ。しかし、問題が一つ。――変身時の戦闘能力が、著しく低下してしまう事です」
今まで彼らがアルタネイティブとして引き出していた力は、虚力の増幅によって叶えられていた物である。
それが失われてしまえば――力の低下は必然であると、彼は言う。
「これからボクは、アルターシステムの量産化を急ぎます。四六の方々が用いる物です」
「で、でも。今までシェリルさんは四六にアルターシステムを渡すまいとしていたのに」
「仕方のない事です。これ以上あなた方を戦いに巻き込む事は出来ない」
「俺達は、お役御免って事か」
荘司がフッと息を吐き、シェリルも苦笑を浮かべた。
「勝手な事ばかりで、申し訳ありません」
「いや別に。ならなんだってそんな不良品を渡す。お役御免なら没収で良いだろ」
「あなた方はこれからもエネミーに狙われる可能性が高い。彼らにとって、あなた方は多くの同胞を殺した、憎むべき存在であるから」
自衛手段として渡しておく、という意味なのだろうと、二人が理解した、その時。
シェリルは、深々と頭を下げ――そして感情を押し殺すような声で、ただ謝るのだ。
「……ごめんなさい、あなた方を巻き込んでしまって……ボクのせいで、本当にごめんなさい……っ」
泣いているようだった。
嗚咽のような小さな叫びを聞きながら、洋平は、シェリルに手を伸ばそうとしたが――
彼の手に収まるのは、小さな指輪しか無かった。
**
ワルツが目を醒ますと、そこは見慣れない天井のある、一つの部屋だった。
何もない殺風景な部屋。
ベッドとソファ、そして小さな机とクローゼットがあるだけで、男性が住んでいるか女性が住んでいるかも定かでない部屋を見渡した後、ワルツは自身の体に巻きつかれている包帯を乱暴に外した。
「ぐ、っ」
だがそこで痛みが来た。脚部を抑えると、自分が重傷を負ったかを思い出し、痛みに耐えきれず、思わず再びベッドに横たわった。
「目が覚めたのね。良かったわ」
そんな彼に声をかける、女性の声。
女性はニッコリと微笑みを見せた後、コップに水を入れてやってきた。
ワルツに水を差しだすと「貴女ずっと眠っていたのよ。死んだのかと思ったくらい」とくすくす笑った。
「オメェが、オレを拾ったわけか」
「ええ、そうなるわね。でも気にしなくていいわ。困った時はお互い様だもの」
「余計な事しやがって」
チッと舌打ちをした上で、彼女は水を奪うように受け取り、一気に喉へ流し込んだ。
ずっと眠ったままだった体に水分が入り込むが、エネミーである彼女には、喉の渇きを潤す以外の意味は無かった。
「世話になったな。オレの服と、指輪はどこだ」
「服は今洗濯してるけど――指輪? 知らないわね。ひょっとして貴女を拾った所に落ちてるのかもしれないけど」
「あん? マジかよ……」
アルターシステムには、治癒機能が備わっている。エネミーである彼女の元々ある治癒能力を底上げし、傷の治りを早める効果がある。それが無いと、時間をかけて傷を癒さなければならない。
「探しに行く」
「ああ、待って待って。貴女はまだ怪我してるのよ。一先ず私が探してくる。無ければ警察に行って、落し物になってないか調べてくるから、横になってなさい」
「鬱陶しいな。何でオメェはそんなお節介なんだ」
「何でかしら。貴女を愛してるからかもしれないわ」
「……アイ」
何度か耳にした言葉の意味を、彼女は理解できずにいる。
「なぁ、アイってなんだ」
「知らないの? 真心を抱く事よ」
「もっと簡単な言葉にしてくれ」
「大好きって事」
「スキ、それなら何となく分かる。だがお前が、オレを?」
「そうね。一目惚れ――って奴かも」
彼女は、ワルツの横たわるベッドの上に座り、彼女の頬を両手で支え――ワルツの唇と、自身の唇を、重ね合わせた。
「――ぷはぁ」
しばし、息の止まった時間があって、ワルツはその間、何があったのかを理解していない。理解できないのだ。
「今の、なんだ」
「キス。好きって証しよ」
「キス」
「ねぇ、ずっとここに居て。私の傍に居て。私――貴女が、好き」
彼女の告白を聞き、ワルツはただ、呆然としていた。
今まで女性は、捕食の対象程度にしか思っていなかった。
だが、彼女はそんな自分を、好きと言ったのだ。
「オレは、オメェを食う、バケモノだぜ」
「あらやだ。私を食べたいだなんて、大胆ね」
クスッと笑みを浮かべる、彼女の表情が気になり、よく観察する。
エネミーはメスとの交配を行うことが無い。つまり女性を同種と認識し、外観に劣情を抱く事は無いに等しい。
だがそんなワルツが見ても、彼女の顔立ちは非常に整っていた。
綺麗な黒髪、鋭くはあるが整った目つきに、ツンと延びた綺麗な鼻立ち、そしてぷっくりと何かを誘うように膨らんだ薄桃色の下唇が、ワルツの視線を離さなかった。
と。そこで彼女は、自らが着込んでいるシャツのボタンに手をかけ、二個、三個とそれを取り外した。
きつく締めあげられるようになっていた乳房と、未だそれを支える薄紫のブラが姿を現す。
まるでたゆんと揺れる様にした乳房を見据えて、思わず、手が出た。
ワルツは彼女の乳房に、断りも無く触れ、彼女もそれを拒みはしない。
「ん……。甘えんぼさんね」
「やわらけぇ」
「もっと、私の事を知っていいのよ」
彼女は、ワルツの耳元で、囁くように言うのだ。
「私は既に、貴女の物。貴女は既に――私の物」
もう一度、二人が口づけをした瞬間に。
ワルツは自分の中にある獣の本能が暴れだす様に、彼女の体をベッドに押し付けた。




