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幸福の国の獣たち  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
西の国 ヴレンデール
94/217

094 邂逅・ヴァルハーレとロンショット

:::


 数日後、回復した遣獣たちとともにシレベニを発つ。

 今回は探索妨害が十日あまりに及んでいて、これまででいちばん長かったが、そのわりに再探知した地点はそう遠くない。これなら一日もあれば追いつける。


 果たしてこれが幸いなのかどうか、ロンショットはこの旅の間にもう何度思案したことだろうか。


 スニエリタは恐らく今もそのハーシ人とイキエス人の若い男女とともにいる。

 もしかすると彼女の人生で今がいちばん楽しくて輝いているときかもしれない。それを、ロンショットは壊しに行くのだ。


 どうにかヴァルハーレより先に接触したいとは前から思っていたが、結局その方法を思いつけないままだった。

 探索紋唱自体が彼の担当で、つねにスニエリタの位置を先んじて把握されている状態だ。先回りはほとんど不可能だった。


 そうなればあとはもう、ヴァルハーレをなんとか制して話し合いの場を設けるしかない。

 相手は経験の浅い若い者たちばかりだということを考えると、もうそちらはあてにせず、ロンショットひとりでやるしかない。

 なんとしても話も聞かずに無理やり連れ帰ることだけは避けねば。


 ロンショットがスニエリタにしてやれることは、もうそれしかないのだから。


 決意は固めた。あとは翼が目的地に辿り着くのを、ただ鳥の背に座して待つだけだった。



 荒れすさんだ大地の中にぽつりと現れた集落の姿を見て溜息に近いものが零れる。シレベニを発って一日半ほどでそこに着いた。

 その町の名前はサーリといった。


 シレベニからやや北西方面で、このまま北へ進めばハーシ連邦との国境地帯に入る。恐らく一行はハーシに入る予定だったのだろう。

 そのまま男の故郷に身を寄せるつもりだったのか、あるいは想定されている犯罪組織の拠点がそちらにあるのかはわからない。


 いや、犯罪組織なんて初めから関わっていないのかもしれない。

 スニエリタがただ自分の意思で家を出て、同行者ふたりとはその先で出逢って親しくなっただけかもしれない。


 どんな子たちだろう、とロンショットは思った。いろいろ聞き込んではいたが、同行者たちの外見や雰囲気などまではわからなかったので、実際に会うまではまったく想像がつかない。

 スニエリタが一緒にいることを選んだくらいだから、案外優しい雰囲気の少年たちかもしれない。


 ともかく町に着いてすぐヴァルハーレは紋唱を行い直した。道中でも複数の術を試していたが、やはり確実に位置を捉えるためには最初に見せた弓の紋唱がいいらしい。

 引き絞られた弓から放たれた矢が、町の広場を一直線に抜けていく。


 それをふたりは追いかけた。この方向は今にも町を出ようとしているようにも思える。そこで引き止めなければ面倒になるかもしれない。

 何度目かの角を曲がったところで、見えた。


 よく知っている栗色のロングヘアの小柄な少女と、楽しそうに会話している橙色のポニーテールの少女。

 そしてふたりの隣で地図を見ながら考えごとをしているふうの、銀髪の少年。


 間違いなかった。周りには他の人間はおらず、三人だけだ。


 ロンショットたちが声をかけるより先に矢がスニエリタに到達し、彼女の目前でぱんと弾けた。

 びっくりしているところにヴァルハーレの声が響く。


「スニエリタ! やっと見つけたよ……!」

「あ……クラリオさん……それに、ディンラルさん……」


 スニエリタがロンショットを個人名で呼んだのが気に喰わなかったのか、ヴァルハーレは一瞬振り返ってこちらを睨んだようだった。

 だがすぐスニエリタに向き直り、つかつかと歩み寄ると、その華奢な腕を掴む。


「ちょっとあなた何すんの!?」

「……関係のない者は黙っていてもらおうか。

 スニエリタ、随分手こずらせてくれたね……もちろん言いたいことはたくさんあるけど、僕はきみが無事ならそれでいいよ。何も責めたりするものか。さあ、こんな輩とは離れて、帝都に帰ろう」


 ああ、やはりスニエリタの言い分など端から聞こうともしない。

 当たり前だが、わかってはいたが、それを止めるためにロンショットは同行したのだ。とにかく間に割って入ろうと急ぐ。


 しかしロンショットがそこに割り込むよりも早く、否定の声を放った人物がいた。


「い……いやです!」


 それは、誰あろうスニエリタ本人だった。すでに大きな瞳いっぱいに涙を浮かべてはいるものの、これまでの彼女なら考えられないような、はっきりとした態度と大きな声で、確かにそう言った。


 それを聞いて左右にいた男女もヴァルハーレの腕を掴む。


「ほら、スニエリタもこう言ってるでしょ。とにかくこの手を離してよ! あなた、見たところスニエリタの婚約者って人っぽいけど、話も聞かないで力ずくなんて最低だよ」

「確かに俺らは無関係かもしれんが、少しはスニエリタの事情を知ろうとしろよ」

「事情? 笑わせるなよ、おまえが誑かしたんだろうが。人のものを盗ってはいけない、なんて世界共通の常識だと思っていたが、どうやらハーシのドブネズミには通用しないらしいな」

「ミルンさんを悪く言わないで! それに、わたしと彼は、そんな関係じゃありません……!」


 スニエリタが叫ぶように言ったのとほぼ同時に、ハーシ人の少年がヴァルハーレの手を彼女から叩き落とした。ロンショットが割り込むほんの数秒前のことだった。


 そして、ロンショットの手がヴァルハーレの肩に触れたとき、少年は鋭い声で告げたのだ──こいつは一度は死のうとしたんだぞ。


 その言葉を理解するより先に、ロンショットはヴァルハーレの両肩を掴んで力ずくで一歩下がらせた。


 思わぬ方角からの妨害にヴァルハーレはよろめきかけたが、ロンショットが背後で支えていたため、それ以上の醜態を晒すことはなかった。

 ただ憤怒の表情で振り返ってロンショットを睨んだだけだ。せっかくの美貌が台無しになっていて、その顔をマヌルドに残した女たちが見たらどう思ったことだろう。


「……ロンショット! 貴様、何の真似だ……!」

「申し訳ありません。ですが、私はお嬢さまからどうしても事情を伺いたい。そのためにここまで来たのです。もちろん、上官であるあなたに逆らう以上、どんな罰も甘んじて受ける覚悟でいます」

「とうとう本性を現したな……どうせそんなことだろうとは思っていたさ。だが誰がなんと言おうとスニエリタは僕の妻になるんだ、絶対に貴様になど邪魔はさせないからな」

「あなたがたの婚姻を邪魔立てしようとはしておりません。ただスニエリタさまのお話を聞いてさしあげるべきだと申し上げているだけです。もちろんどんな事情があったにせよ、将軍閣下が大変に心配しておられることは事実ですし、無事にマヌルドまでお連れするのが我々の職務であると心得ております」


 三人の少年少女たちは、軍人たちが急に仲間割れしたのを見てぽかんとしている。無理もない。

 その中でもミルンと呼ばれたハーシ人の少年は、その藍紫色をした瞳の奥に、憎悪に近い色が浮かんでいるのが見えた。

 今しがたヴァルハーレにドブネズミなどと罵られたばかりで、それも致し方ないことだろう。


 マヌルド人のとくに貴族などには、かつてマヌルドが支配した地域の人間を、今でも心の中では見下している者が少なくない。

 だがさすがに面と向かってそんな言葉を吐くことがあるとはロンショットも知らなかった。


 庇うように前に立つミルン少年とイキエス人少女の背後から、スニエリタが心配そうにこちらを見ていることに気がついて、ロンショットは何とか微笑んでみせた。

 罰が恐ろしくないと言えば嘘になるが、それでもこうすることに後悔はない。


 それより安心した。少年たちがスニエリタを大事にしてくれていることが、今この短いやりとりの間だけで充分に伝わってくる。

 これならスニエリタの紋唱術の腕が見違えるように上達していたとしても何も不思議はないし、きっとマヌルドに連れ戻したとしてもふたたび潰れてしまうことはないだろう。引き離してしまうのは心苦しいが。


「クラリオさん」


 スニエリタが、少年たちの背後から出て、ヴァルハーレに歩み寄った。


「……ミルンさんが言ったことは、ほんとうです。わたしは一度、アウレアシノンの城壁から飛び降りました」

「だからなんだ。それが家出の理由として正当で、将軍閣下も認められるっていうのかい」

「いいえ。……そのあとわたしの意識が戻ったのはヴレンデールに入ってからです。わたしにその間の記憶はありません。ですが、わたしは確かに一度死んで、身体だけタヌマン・クリャという『クシエリスルの外の神』に利用されていたそうなんです」


 自殺。

 記憶喪失。

 そして、クシエリスルの外の神。


 何から何まで突拍子もない話だったが、そう語るスニエリタの表情は真剣そのものだ。


 いや、自殺を図ったことに関しては、無理もなかったかもしれないと思える。マヌルドにいたころスニエリタはいつも泣いていた。

 周囲からの期待に応えられず、厳しすぎる父の重圧に押し潰されて、いつ心が折れてしまってもおかしくはなかった。


 それにロンショットはそれほど信心深くはなかったが、スニエリタが無意味な嘘を言うとも思えない。

 それどころか説得力がある。マヌルドを出て数週間後にフィナナの地下クラブで記録を打ちたて、人びとの記憶に強烈に存在を刻んだのは、スニエリタの名と身体を借りた別人だったとすれば辻褄も合う。


 神学においては確かにクシエリスルに反した神の名はタヌマン・クリャだとされている。

 それがどうしてスニエリタを選んで攫ったのかは不明だが、スニエリタが自力で家出をしたと言われるよりは遥かに納得できる。


 しかしヴァルハーレはそうではないのだろう。ロンショットの手を振り払うと、噛み付くようにスニエリタに言った。


「……そんな話が信じられるとでも?」

「信じていただけなくてもかまいません。ですが、そうして一度は死んでいたわたしを、今あるように生き返してくださったのはこのおふたりなんです。感謝こそすれ、あらぬ罪や誤解で罵ることは絶対にあってはいけません。

 だから、……まず、さきほどのひどい言葉について、ミルンさんに、謝ってください」

「そうだよ! ミルンなんかもう何回スニエリタを命がけで守ってるかわかんないんだからね! むしろお礼言ってほしいくらいだよね!?」

「……おまえはおまえで態度でかいよな……」

「だって腹立つんだもん」


 彼らの言動を、ヴァルハーレは鼻で笑った。

 それを見たミルン少年がふたたびスニエリタの前に立つ。


「俺もあんたみたいなマヌルド人と仲良くはできそうにないんで、別に謝ってもらわなくてもいい。でも悪いけどスニエリタはまだ帰せる段階じゃあない。最近やっと術の発動が安定してきてんだ、あんたも術師ならわかるだろうけど、今がいちばん大事な時期なんだよ」

「……なんだおまえは。一丁前に教師気取りか? 大した学歴でもないくせに面白いやつだな」

「そういうそっちはご大層な学歴をお持ちなんでしょうけど、それなら、あんたはこれまで一度でもスニエリタのことを気にかけてやったことがあるか? 彼女の得意な術とか癖とか、何が苦手で悩んでたのか知ってるか?」

「ふん、当たり前だろう、僕は彼女の婚約者だぞ。これまでだって何度も──」

「嘘だな」


 少年はスニエリタを一度振り返って、それからまたヴァルハーレと対峙する。


「じゃあ、どうしてこいつは死のうとなんかしたんだよ。なんでスニエリタが死ぬほど苦しんでたのにあんたは何もしてやらなかったんだ。もし自殺未遂なんてしてなかったら、そもそも俺たちは出逢うこともなかったのに」

「だから貴様はスニエリタの何だ!? 何の権利があって僕にそんな非難をする!?」

「非難なんてして当たり前でしょうが! あたしはスニエリタのこと友だちだと思ってるし、それでなくとも大事な仲間だから、このまま死ぬほど辛かった場所になんて帰したくないの!」

「……もちろんあんたらのほうが正しい立場なのはわかってるよ。俺たちが勝手に彼女を連れまわしてただけで、やってることは誘拐みたいなもんだからな。

 だから……だからせめて、マヌルドに帰ってもスニエリタが前みたいに苦しむことがないようにするって約束してくれ」


 そのとき初めて、少年の表情が歪んだ。少女は納得いかなそうに少年を睨んだけれど、その顔を見て黙り込み、そしてスニエリタのことを抱き締めた。

 ふたりとも、泣きそうな顔になっていた。


 ミルンとララキだったか、ふたりはもう、スニエリタを帰すことを、受け入れようとし始めているのだ。


 見た目よりずっと大人びているとロンショットは感じた。少なくともフィナナからずっと一緒にいたらしいのだ、スニエリタがこんなに懐いているところからしても、ほんとうに親しくしていたのだろう。


 むしろスニエリタがいちばん帰ることを納得していないぐらいのようすだ。

 ララキを抱き締め返しながら、なんと彼女はヴァルハーレを睨んでいた。そんな顔のスニエリタを初めて見た。


 ロンショットは思わず自分も口を開いた。目の前で怒りに肩を震わせているヴァルハーレに、何か言えるなら今しかない。

 どうせ罰を受けることはもう決まっているのだから、それが少し重くなるだけだ。構うものか。


 言ってやりたかった。ずっと、この男だけには言いたかった。


「……ヴァルハーレ卿。私からもお願いしたいことがあります。スニエリタさまが帝都にお戻りになられたら、これまでのあなたの態度を改めてください」

「ロンショット……おまえは黙っていろ」

「いいえ、黙りません。この少年の言うとおりです。我々もスニエリタさまが苦しんでおられることを知っていながら、姿を消されるまで何もしなかった。糾弾されてしかるべきなのは確かに我々のほうです。

 そのうえあなたはお嬢さまと婚約していながら、別の女性たちとも不誠実な関係を持っていた。はっきり言わせてもらうとあなたは男として最低だ。彼女のことを結婚のための道具、昇進のための条件ぐらいにしか思っていないことは、お嬢さまだってご存知だった」


 それを自分だけ棚に上げて、スニエリタをほんとうに救った人間を蔑ろにする。

 そんなことが許されていいものか。


 ロンショットを焚きつけるのは怒りだった。赤紫の炎が身の芯を焼き焦がしながらヴァルハーレを激しく批判し、そのための言葉を次々に口から吐いた。

 ヴァルハーレへの怒り、そして、自分へも炎は牙をむく。


 まだスニエリタが小さかったころからずっと近くで見てきて、彼女のことをヴァルハーレなどよりも知っていたのに、今日まで自殺未遂をしていたことさえ知らなかった。

 苦しんでいることを知りながら何の力にもなってやらなかった。


 一方的に可哀想だと憐れみながら、彼女を救うことなんか無理だと初めから諦めていた、そんな自分を焼き潰したかった。


 そんなロンショットを殴り倒した者がいた。

 ヴァルハーレだった。彼はそのまま少年たちに向き直ると、ぞっとするほど静かな声で告げる。


 ──スニエリタから離れろ。


「少しだけだ、少しだけ予定を変えよう。()()()()()()()()()だけだ……」


 そして彼の指が、紋章をひとつ描いた。


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