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幸福の国の獣たち  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
幸福の国 アンハナケウ
209/217

209 雨上がりの空

:::


 神の国に、終わりを告げる鉦の音が響きわたる。


 アフラムシカはララキの肩に触れて、おまえはラグランネたちのところに戻れ、と優しい声で言った。


 自分たちは再び裁定の場に隔てられるのだと、ララキも頭では理解している。

 けれども足はすんなりと動いてくれない。


 ここで離れたら、次に彼と話せるのはいつになる?


 どんな罰が言い渡されるのかわからない。

 そもそもララキは神の世界の法を知らないからだ。


 オーファトが公表したアフラムシカの罪の重さがどれほどで、どのようにして償われるのか、厳しさも贖罪にかかる年月も見当すらつかない。


 知っているのはあの枷の罰だけだ。

 言葉を失い日ごとに薄れてしまう、ララキにとってはどうしようもなく悲しい罰。

 もしまた同じことを命ぜられたとしても、アフラムシカはそれを拒んだりしないだろう。


 またアフラムシカと引き離されるのではないか──そんな不安がララキを蝕んで、彼の前に縛り付けようとしている。


「……ララキ、さあ」


 愛しいひとの声がする。

 これが聞きたくて旅をしたのだと、ララキは思い出す。


 一応は取り戻すことができたのだ。

 それでもちっとも満足できない。

 結局いろんなことが起こりすぎて、落ち着いて語らうような時間を作れなかったから、まだ話したいことがたくさんある。


 これからだ。

 ララキの求める未来はこれから創られるのだ。


 旅に決着がついただけで、すべてはまだ終わってなどいない。


 ──あたしは進まなきゃ。


 尽きない名残と未練を、ララキは奥歯で噛み潰した。

 獣のように力強く。


 少し喉奥に鉄の味が滲んだけれど、それすら糧にして生きていく。


 ──大丈夫、できる。ひとりじゃないから。


 たったひとりで瓦礫の箱庭のような結界に閉じ込められて、千年の孤独を耐えたのだ。

 それを思えばどうということはない。


 あたりを見回せばたくさんの神々や精霊がいて、美しい樹々が生い茂っているこの場所に、ララキは何らの不足も感じない。


 帰る場所がなくたって、ララキは居場所を自分で見つけられる。


 顔を上げた。

 アフラムシカと眼が合う。


 どこか心配そうな瞳を見つけたララキは、その気配を吹き飛ばすようににっこりと笑った。

 うまくできたつもりだが、ちょっとだけ眼頭に熱があったのは秘密だ。


「シッカ、……どんな結果になってもあたしは大丈夫だよ。

 だからそんな顔しないで。


 あたしはずっとシッカのこと、待つから……ちゃんと信じて待ってるからね」


 最後にぎゅっと抱き着いてそのぬくもりを覚えてから、ララキは駆け出した。




 ──それからのこと。


 罪を犯した二柱の神に対して、盟主の称号を剥奪する旨が言い渡された。

 彼らの抱える民と獣はそれぞれ周囲の神による保護が与えられ、その祈りはクシエリスルに直接納められることとなる。

 今回の変事で迷惑を被った面々にはそこから適宜補填がなされるという。


 力の源と勢力圏を一気にすべて失うこととなった元盟主たちは、それぞれ長い労働を贖罪として要求された。


 ドドはアンハナケウに拘留。

 大紋章の改訂に全面協力ののち、破壊された地域の修復と保全を行う。


 また、以前よりアンハナケウに留まっていた流浪の神々の保護者として彼らの助けとなることを、向こう千年という刑期で申し付けられた。

 流浪というのは大陸で居場所を失った、つまりはすべての神々のうちでもっとも弱く儚い存在だそう。

 その彼らに対して、かつて盟主を名乗ったほどの大神が無償で力を貸さねばならないというのは、神々の感覚からすればそれなりの罰になるらしい。


 またドドは領民を失った都合上、クシエリスルからのみ力を受けられるわけだが、それには見覚えのある枷が用意されていた。

 外見が似ているだけでこちらは力を封じるためのものではなく、得られる力の量に制限を設けるためのものらしい。


 そして、アフラムシカ。


 彼にはチロタの大地を清浄するという命が下された。

 具体的な罰はそれのみで、あとはドドと同じく枷の着用が求められたが、他にアフラムシカがするべき刑務はないようだ。


 しかし、内容をよく聞けばそれで充分なのかもしれないとララキも思った。


 数多の神によって呪われ蹂躙された最果ての地を、もう一度人間や獣が暮らせるまでに回復させるには途方もない力が必要なのだという。

 それをアフラムシカは誰の助けも借りずにたったひとりでやり遂げなければならないのだ。


 完遂するのにどれほどの歳月を要するのか、誰に聞いても首を横に振るばかりだった。




   * : * : *




 長い雨が止んだ。

 薄灰色の雲は柔らかくちぎれ、その切れ間から黄金色の光が差し込んでいる。


 優しい陽光は濡れた地面にいくつかの鏡を作り出した。

 そのひとつに映った彼女の物憂げな表情の意味を考えて、男はしばし口を噤む。

 立場も性別も異なる自分には、どうやっても彼女の心に寄り添うことができないし、かけられる言葉の持ち合わせがないと感じたからだ。


 立ち尽くすふたりの傍には一羽の巨大なカツオドリが控えている。

 彼女は主に似て控えめな性格をしていたので、押し黙る彼らを急かすことなくじっとようすを窺っていた。


 とはいえここは病院の前で、あまり長居はできなかった。

 いつ新たな急患が運ばれてくるともわからないのだ。扉の前に大人がふたりも突っ立っていては搬送の邪魔になる。


 そうでなくとも誰かの見舞客がちらほらと視界の端を通りすぎていくので、そのさなかで石像のように動かぬふたりが異質な存在であるのは当人たちも感じていることだった。


「……ウリヴィヤさん」


 意を決してロンショットは口を開いた。

 そして呼びかけに気付いたウリヴィヤが顔を上げたとき、その瞳が濡れていないかを、じっと眼を凝らして確かめた。


 果たして頬のどこにも涙の痕はなかったが、表情の苦しそうなことに変わりはない。

 ロンショットが予想していたより遥かに深く刻まれた悲嘆の色が、美しかった(おもて)に無残なほど塗りたくられているのを見て、彼は手袋をした手をぐっと握りしめた。

 それから、それをゆっくりと開いて彼女に差し出した。


 ウリヴィヤはためらいがちにロンショットの手をとる。

 戦いを知らない女の指は、白くて細い。


「ごめんなさい、……ずいぶん気を遣わせてしまって」

「いえ、辛い気持ちはお察しします……。ご自宅まで送らせてください」

「ありがとう」


 誰に任じられたわけでもなかったが、ロンショットは自らその役目に名乗り出た。

 この国に女性をひとりで帰らせる文化がないからではなく、あるいは彼女の父であるナジエ中佐に頼まれたわけでもなく、自分でそうしたいと思ったのだ。


 ともに見舞いに集まっていた他の軍人たちからは珍しいものを見る目で見られたが、そんなことはどうでもよかった。


 自分でも変わったと思う。

 以前なら悄然とするウリヴィヤを心配しつつも、誰かが彼女に手を差し伸べるのを見守る側に立っただろう。

 まずは周囲の動向に従い、自発的に動く者があればそれを支持し、誰もいなければ初めて手を挙げる、そういう男だった。


 控えめすぎると将軍には何度も叱られている。

 せっかく腕を見込んでもらえたのに、いつも肝心なところで彼の期待に応えられなかった。


 だからスニエリタに深く同情したのかもしれない。自分を見ているようで。


 けれども今は変わった。

 それもある意味ではスニエリタの影響かもしれないと思っている。


 彼女が家出の旅を経て大きく成長したように──このことは最近、なぜか突然にすべてを思い出すことができたのだが──彼女のために上官であるヴァルハーレに抗議をしたあの日に、ロンショットの殻がひとつ破れたような気がする。

 したいこと、すべきだと思ったことを貫くのが、あれほど心地いいとは知らなかった。


 無謀だったしあのままヴァルハーレに殺されてもおかしくはなかったが、そうなってもロンショットに後悔はなかっただろう。

 自分は正しいことをしたのだと信じられるからだ。

 ほんとうはずっとそうしたかったのだと、気付けたから。


 もっとも今はそのヴァルハーレが死にかけているのだから、世の中何がどうなるのかわからない。


「パリセラ、彼女を送る。ナジエ中佐のお宅まで頼む」

『かしこまりました』


 カツオドリの背にウリヴィヤを座らせて、自分はその後ろに乗り込む。


 ここまで来るのにも彼女に乗せてもらったのだが、ウリヴィヤはまだ遣獣の騎乗に慣れないせいか、少し怖がるような仕草でロンショットの腕を掴んだ。


 本来なら跨ったほうが安定するが、ドレス姿の女性にそれは無理だ。

 ロンショットは自分の腿を指し、ここに脚をかけてください、と声をかけた。


「でも……」

「そのまま私に凭れてしまうほうが揺れも少ないですよ。

 もちろんパリセラも慣れてますから、そうそう落とすようなことはありませんが」

「怖いことを言わないで。……もう」


 やっと少しウリヴィヤが笑い、ロンショットも思わず頬を緩める。


 誰かの悲しい顔を見るのは辛い。

 父親に隠れて泣きじゃくっていたスニエリタを思い出すからだ。

 そして同時にそれは、かつて両親を失ったときの、涙を流す以外にどうすることもできなかった無力な己の姿でもあるから。


 カツオドリは白い翼を大きく広げ、力強く飛翔する。


 どうしても飛び立つ瞬間はその身が揺れる。

 ウリヴィヤが思わずといったようすでしがみついてきて、それから慌てて離れようとしたのを、ロンショットは何も言わずにそっと手で制した。


 みるみるうちにアウレアシノンの街並みが小さくなっていく。

 まだ湿気が多いけれど、飛翼が切った風が髪を揺らすのは心地よかった。


 鳥上のふたりは互いに黙っていたけれど、それほど気まずい沈黙というわけでもなく、少なくともロンショットは穏やかな心持ちになっていった。


 傷ついたウリヴィヤの心も、少しは晴れればいいと願う。



 そのうち、何かおかしいと気付いたのはウリヴィヤのほうが先だった。

 カツオドリの青いくちばしが目指しているのは街の外、それどころかもう外壁の上を飛び越えようとしている。


 どこへ向かっているの、と困ったように尋ねる彼女に、ロンショットも慌てて遣獣の名を呼んだ。


「パリセラ? 中佐のご自宅は市内だぞ」

『あら、そうでしたか。

 失礼いたしました。いかんせん鳥というのは物覚えの悪いものでして』

「……まさかと思うが、わざとか」

『どうでしょう? うふふ』


 パリセラは悪戯っぽく笑って、一段と大きく羽ばたく。


 帝都はあっという間に背後に押しやられ、ふたりを乗せた白い翼はそのままゆるゆると東に向かって飛んだ。

 その先はアウレアシノンにもっとも近い港町があり、そこは観光地としても知られているが、このカツオドリの出身地でもある。


 風に磯の匂いが混じってきたかと思うと、パリセラは急に勢いよく下降した。


 慣れているロンショットは平気だがウリヴィヤはそうではない。

 悲鳴を上げる彼女をしっかりと抱きとめながら、ロンショットは珍しく遣獣に文句を言った。


「気をつけろ!」

『あら、これは失敬』

「まったく。

 ……大丈夫ですか? すみません、普段はこうではないのですが」

「え、ええ……」


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