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幸福の国の獣たち  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
呪われた民の国 チロタ
174/217

174 寄らば大樹の陰

:::


 北の果てにして東の彼方──そう呼ばれるところにその樹はある。

 本人が言うには樹齢五千年近くにもなるというが、彼より古いものが他に存在していない以上、それを証明できるものはない。


 大陸最古の神オヤシシコロカムラギは、大樹であるがゆえにアンハナケウの惨劇には立ち会わずに済んでいる。


 しかし目の当たりにはしていないだけで、彼が張り巡らせている根のはアンハナケウにも届いているし、また多くの眷属(きぎ)がそちらに植生しているので、何が起きているのかは誰よりよく知っていた。

 アルヴェムハルトの血は地中へと染み渡り、彼の根にも届いたのだ。


 かのキツネの神はオヤシシコロからすれば自領の南隣に暮らす善き知人であった。

 今でこそ国境に隔たれてはいるが、かつてハーシ族がマヌルドの支配を受けていたころは同国の輩でもあったのだ──そのころ両民族の関係は非常に悪いものだったため、神にもある程度の影響はあったが。


 支配者の祀る神として、アルヴェムハルトはオヤシシコロに厳しく接した。

 そうあるようにペル・ヴィーラから強く言い含められていたから、彼はその役目を全うしていた。

 誰が誰を責められようか、当時はクシエリスルなどもなく、それが当然だったのだから。


 ゆえにオヤシシコロは彼を怨むようなことはなかった。

 今も、彼の受けた拷苦を()()()胸が痛むばかりだった。


「……ドドは愉しんで彼を喰っておった。ヴィーラは堕ちたと言ったが、あれは元からの性根じゃな」

「ほんとうに何でも知ってるね」

「知るだけではどうにもならんがのう……何もできん、無力なものじゃ」

「どうにか……ならないのかな……」


 オヤシシコロの根元に、異形の神が鎮座している。

 その懐に抱かれた恰好の少年は、アルヴェムハルトの血に塗れた自身の両手を眺めながら、悲しそうにそう呟いた。


 根越しに聞いていただけのオヤシシコロと違い、彼は惨劇を間近に目撃している。

 手だけでなく頬や服にも散った血痕が生々しい。

 アルヴェムハルトがまだ辛うじて生きていることを伝えたところで大した慰めにもなるまいが、それでもわずかな可能性に賭けてそれを教えてやったところ、フォレンケは静かに頷いた。


 フォレンケを抱えて現れたガエムトは、今のところ一言も発してはいない。

 ただ空の向こうや地面を交互に睨んで沈黙している。


 彼がこれほどまでに周囲を警戒している姿は貴重だ。

 本能的に、今の自分が本来あるより弱体化していること、自分を脅かす力を有した存在(ドド)に狙われていることを感じているのかもしれない。

 あるいは地下のすべての死者と通じる彼には、忌神の気配のない今の大陸が異常に思えてならないのだろうか。


 正直、オヤシシコロにとっては拍子抜けな点もあった。

 非常事態である今、弱まったガエムトはその分の力を取り戻そうとするだろう、目に付いたものを片っ端から喰らうだろうというのが、オヤシシコロの当初の予想だったからだ。


 自分はもちろん意識のないパレッタ・パレッタ・パレッタさえも襲われかねないと危惧していたというのに、現れたガエムトはそんな素振りを一切見せずに大人しくしている。


 もちろん、単にフォレンケが一緒にいるから暴走が抑えられているだけだという可能性もあるが、あるいはフォレンケさえ襲撃の対象になりえるのではないかとまで考えていたのは、オヤシシコロの杞憂にすぎなかったのか。


 まだ油断はするべきではないと、オヤシシコロはじっと忌神主を観察していた。

 ガエムトに喰われてやるわけにはいかない。カーシャ・カーイとの約束もあるのだから。


『──もうすぐヌダ・アフラムシカが来る』


 ふいに聞きなれない声が空から降ってくる。

 いかにも南方のものらしい眼の痛くなるような配色の獣が、大樹の枝に腰掛ながら囁いたのだ。


 己が枝に彼を乗せてやる日がくるとは、さすがにオヤシシコロも予想していなかった。


 それどころかここまでフォレンケを守ってきたのもこの外神、タヌマン・クリャなのだ。


 大陸中に傀儡を散らしている彼は、ドドのおおよその所在地を掴めるため、フォレンケが彼に掴まらないように適切な移動経路を指示できるという。

 いわばオヤシシコロの根と近い情報網を保持しているというわけだ。

 その傀儡もドドに多くを破壊されてしまったようだけれども。


 彼がアフラムシカと通じていたことも既に聞いている。

 平時ならすんなり受け入れようもない話だが、このような非常事態においては無理やりにでも受け入れざるを得ない。


 今はクシエリスルという枷に囚われない外部の助力が何よりも重要だった。

 支配を受けている内部の神だけではドドの打倒など到底不可能だ。

 アフラムシカがまさに今の状況を想定していたことは想像に難くないし、クリャの存在がありがたいのもまた事実。


 そして今は予め外に置かれた神のほかに、クシエリスルを脱した存在がもうひと柱いる。


「よかった……いつドドが来るかと思って……もしアフラムシカに会えなかったらって、少し心配だったけど」

「そのために番犬を放っておいたからのう」

「へ?」


 フォレンケが到着後、アフラムシカが合流するまでの間、ドドの追撃を逃れるための工作はカーイに一任している。

 ドドの位置取りはオヤシシコロが根を通じて逐一連絡し、可能な限り妨害をするように頼んであるのだ。


 むろん支配を受けていないといっても、大陸じゅうの神の力を吸い上げて占有しているドドと直接やりあうことなどできはしない。

 それを可能にする秘策はオヤシシコロのもとにある。


 それを引き換えにしてあれこれ言いつけているわけだが、いざその『方法』を教えたら、彼はどんな顔をするだろう。

 できればまた雪崩のように嗤ってもらいたいものだと、オヤシシコロは思っているが。


 ふいに、ガエムトが立ち上がった。


 彼の眼は空の彼方へと向けられている。

 全身からひりつくような敵意めいたものを放ち、食いしばり歯茎を露呈させた顎からも呻くような音を迸らせながら。


 やがてそれが姿を現す。


 薄青の空に浮かぶ、異質な紅金色の輝きは、さながら小さな太陽のようだった。


 十数年ぶりに見るアフラムシカは、以前よりも気配が小さい。

 彼もまたクシエリスルの支配を受けている状態には違いないからだろう。


 また、その背には見慣れない者たちの姿が見える。

 人間がふたりと、獣が一匹──これだけは、そっくりなものがすぐそこにもいる。


 空を駆けてきたアフラムシカは、華麗な動作で大樹の根元へと降り立った。

 その背に座る、間違いなく神に騎乗するなどこれが最初で最後になったであろう人間たちは、思わぬ体験にまだ眼を白黒させていたが。

 彼ら人間の扱うどんな獣より速かったはずだ。


 人間たちは少しよろめきながらその背を降りる。

 ふたりのうち少女の腕に、鳥に似た獣が抱きかかえられていたが、それはすぐにアフラムシカによって回収された。


 クリャの本体を永年その身体に封じられていた少女は、同時にアフラムシカの力の一部を溜めておく容れものにもなっていたと、クリャの傀儡から聞いている。

 それをアフラムシカが引き出すには身体的な接触が必要になるのだ。

 一度に大量にまとめて取り出す方法もあるが、それを他人の前でするわけにもいかないのだろう。


 それを知っているはずのクリャの本体はなぜか恥ずかしそうにしているが、恐らく今は身体を使われた少女のほうが表に出ているのだ。


『無沙汰をしたな、オヤシシコロカムラギよ』

「おお、アフラムシカ……お主にまた会えて嬉しいわい。それがクリャの本体かね?」

『そうだ。おおよその説明はそこの傀儡から伝わっているな』

「うむ」


 老人は頷く。

 立ち上がりたいところだったが、その気力は今はない。


 穏やかな会話が交わされる一方で、ガエムトはまだ、アフラムシカに対して警戒の気配を収めてはいなかった。

 猛々しい鼻息を吹き上げながら、怒り狂うけだもののように激しくうなっている。

 抱えられたままのフォレンケが何度か宥めるような言葉をかけているものの、それすら耳に届かないようなようすだ。


 しかし襲い掛かってくるわけでもないようだったので、アフラムシカはそれをあまり気にせず、オヤシシコロに連れてきた人間たちを紹介していた。


 少年はカーイの民、ミルン。少女はヴィーラの民、スニエリタ。

 ともに貴重な人間の協力者たちだ。


「おまえさんらの話はカーイからも聞いておるよ……わしはオヤシシコロカムラギ、本来はこの後ろの樹が真影(しんえい)──要するに本来の姿なのじゃが、今はクシエリスルの影響で、このような姿になってしまっておる……。

 そしてこの娘は我が従者、パレッタ・パレッタ・パレッタじゃ。今は弱り果てて眠っておるがのう」

『その子はアンハナケウに閉じ込められてないんだね』

「……じつを言うと、わしらはドドの裏切りを予想しておった。それがララキ、おまえさんをアンハナケウに呼び上げた、あの日に発動することもな……それゆえパレッタを引き止めておいたのじゃ。

 アンハナケウに行かなければ、少しはドドの魔の手からも逃れられようて……」


 膝の上で小さくなって眠るパレッタの頭を撫でながら、オヤシシコロは小さく息を吐いた。

 なんとしてでもこの娘だけは助けたい、そう思っての行動だったが、今となってはこれが正しかったのかどうかもわからない。


 ただ、どんな最後になるとしても、やるべきことはしなければ。


「……アフラムシカ、おまえさんは、アンハナケウに戻れ。クリャの力があれば大紋章に触れよう」

『やはりそれが善策か』

「むろんそれだけで済む事態ではないがね。できるかぎり他の神を解放する……それがまず、今のドドを弱らせる一手。

 お主にはもう一点、ヴィーラへの言付も頼みたい。

 その間、フォレンケ、おまえさんはガエムトの力を借りて、しばしドドを引きつけよ……」

「わかった。……ガエムト、なんか気が立ってるけど」

「人間たちに頼むべき助力については、もう話したな……そののちはカーイに申し付けてある。直接ドドを潰すのはあれの仕事じゃ」

『カーシャ・カーイに? だが、今の彼にそのような力は──』


 アフラムシカは疑問を挟もうとして、恐らくこちらの目論見に気がついたのだろう。

 言葉はそこで途切れ、須臾(しゅゆ)の沈黙を置いてから、やがて静かな声でわかったと答えた。


 この神と自分は考えかたが近いと思う。少なくともオヤシシコロはそう感じている。

 アフラムシカはまるで、若い頃の己のようだと。


 今はもうひと柱たりとも残ってはいないが、もし当時の神々がいたならば、きっと誰もが肯定してくれるだろう。

 同時にこうも言われる気がするが──シコロよ、おまえはカーシャ・カーイとも似ておるぞ。


 ともかくオヤシシコロの指示を受け、神々と人間はそれぞれの持ち場へと向かって去っていく。


 ここに残ったのは老人と少女のみ、もしもドドに襲撃されたらひとたまりもないが、しばらくはフォレンケが上手くやるのを祈るしかない。

 それにすぐ、彼が来る。

 フォレンケと入れ違いに、ひとつめの役目を終えて次の指示のために戻ってくる、オオカミが。


 やがて予想どおり、大地に急速に霜が下りる。

 凍りついた空気の煌きの中に、銀色の獣が姿を現す。


 人の姿をやめたのは、もしかしたらこちらの考えに気づいたからなのだろうか。

 それともただの気まぐれなのか。


『ようジジイ。仕事は済んだぜ、とっとと力を寄越せや』


 オヤシシコロは頷いて、パレッタをそっと根の間に下ろしてから、震える脚で立ち上がった。


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