第三話 騒々しくて弾ける
映像が流れ込んでくる。
そこは見知らぬ異国の風景だった。
知らない言葉で書かれた看板のかけられたコンクリート造りの街並み、
遠くには陽光を反射し光り輝く高層ビル群が見える。
夕刻だろう、日が少しが傾きかけ空が赤く染まっている。
少し暮れかけた空の下、いくつもの三角屋根のパイプテントが立ち並ぶ。
どこか薄汚れ不衛生な感じのする市場だ。
テントの下で店の主人たちがせわしなく動き回り客寄せをし色々な物を売っている。
ゆれる黄色く淡い光を放つ電球の下、山のように盛られた血の滴る肉、ざるに乗せられた新鮮な野菜、手作りの日常雑貨、どこか怪しい美術品、観光客用の土産物。
色々な屋台が立ち並び目に楽しい。
その周りをせわしなくたくさんの人々が行きかい喧騒とした雰囲気に満ちている。
たくさんの足音、人々の会話、客寄せで声を張り上げる声、犬の鳴き声。
人種は黄色人種が多いだろうか?
ここはおそらくアジアのどこかの国だろう。
父、母にぬいぐるみをねだる女の子。
ふざけあいながら談笑する若い男女のカップル。
土産物を手にとり首をかしげながら店員と交渉しようとする外国人の旅行客。
餌にありつこうと通行人の前で必死に芸をする犬。
お茶の葉だろうか? を選ぶ老いた老夫婦。
野菜や肉の値切りをする子連れのたくましい主婦。
道端で楽器を弾き陽気に歌う若者。
言葉は分からないが皆笑顔だ、どの顔もいきいきとしている。
違った。そいつを除いていきいきとしている、だ。
そいつは周囲とは全く違う不吉な気配をまといそこを歩いていた。
周囲を歩く人々から奇異の視線を集める男。
そいつは賑やかな通りの真ん中をゆっくりゆっくりと歩いていた。
見た目はマジシャンといった感じだろうか?
七三分けされきれいに整えられた黒髪、
光りをうつさない虚ろな死んだ魚のような目。
ぴっちりとしたタキシードを長身に身にまといシルクハットそれに蝶ネクタイ。
片手に持つステッキをクルクルとまわし、もう片方の手には沢山の風船がふわりと揺れる。
男は通り過ぎていく全てに無関心だった。
すれ違う人の好奇の視線など気にも止めずただただ人の多い方、多い方へと進んでいく。肩がぶつかり相手が転びそうになってもお構いなしだ。
そんな男の表情はどこか狂気じみていた、目的以外何も見えない、そんな表情。
無言でただゆっくりゆっくりと一定のペースを保ち進む。
その目にはある一点しかうつっていない、遠く人が集まり歓声を挙げている場所。
闇が辺りを包み街灯が陽気に行き交う人々を耿耿と照らし始める
男は沢山の人の集まる広場のような場所へと辿り着いた。
広場は色とりどりの装飾で飾り付けられ、電飾が煌々と光り輝いている。
そこには笑顔で歓声をあげる群衆の姿が、皆揃って同じ方へ視線を向けている。
広場にはサーカスが来ていた。
中央に丸い円形の大きな舞台が作られその周りに大勢の人々がワーッと歓声を挙げている。
周りに置かれたスピーカーからは陽気な音楽が流れ空中には宣伝用の大きなピエロ型のバルーンがショーの状況に合わせて時折小さな花火が上がる。
中心でたくさんのスポットライトを浴び芸をしているのは道化師だ。
そう、今この場の主役は道化師。
大きな玉の上で踊りながらお手玉をしている。
あれよあれよと大技を繰り出し周囲にいる観客を沸かせる。
そんな周囲の様子にまったく目もくれず男は進んでいく。
人垣をかきわけかきわけ広場の中心へ中心へと進んでいく。
男の顔は舞台へ近づくにつれほころんでくる、ようやっとおもちゃで遊べる、そんな表情だ。
笑い出す、ハハハと笑いながら前へ前へと進む。
男の踏むステップがどんどんと速くなる。
前にある人垣を華麗にかき分けながら踊るように前へ前へと進んでいく。
舞台では道化師が刃物をジャグリングしはじめ観客の興奮は最高潮だ。
男は進む、そしてついに舞台の前へと辿り着いた。
手に持っていたステッキをぽいと道化師の方へと放る。
不思議なことが起こった。
ステッキはまるで自分の意志を持っているかのようにぐにゃりぐにゃりと動き、
そして舞台の上で芸をしている道化師にまるで蛇のように絡みつき自由を奪った。
それまで主役だった道化師がバタバタと芋虫のように転がる。
男はそれを確認し軽やかに舞台にあがる。
中央で転がる道化師を舞台から蹴り落とす。
スポットライトの光を一身に受け男はその瞬間この舞台の、この場全ての主役になった。
男は舞台の中心に立ち、そして足をそろえぺこりと綺麗に観客に向け一礼をする。
そして手に持っていた沢山の風船を空へと飛ばした。
群衆はこれから何が起きるのかと顔を見合わせ息をのむ。
ショーの一部だと思っている者が大半だ。
どこからともなくパチパチパチパチと男へと拍手が送られる。
男はそれを聞きバッと両手を天へと掲げた、
「―――・・・・***・―――・・・**・:*--・・・」
男は叫び声をあげた。
それはどこの国の言葉でもなかった。
それは人の言葉ではなかった。
奇声に似たそれは言葉というにはあまりにも体を成していない、不協和音の羅列で地獄の奥底から響くような、聞くもの全てを不快な気分にさせた。
その叫び声は一人のモノ、が発するものにしてはあまりにも大きく遠くまで腹の奥底へ耳の奥へ直接響いた。
その場にいたものは皆耳をふさぎ不快なそれを追い出そうとするがまるで意味をなさない。
腹を揺さぶられ、鼓膜をふるわされ・・・
ヴォヴォヴォヴォヴォっヴォヴォっヴォヴォヴォ
突然そんな音が聞こえ男が膨張しはじめる。
大きく太くまるで勢いよく空気を送り込まれた風船のようにぷくぷくと大きくなっていく。
膨らんでいく、どんどん膨らんでいく。
男の輪郭はみるみるうちに丸く大きくなっていった。
皮膚がボコボコと蠢き裂けてキシキシとこすれるような奇妙な音を紡ぎだす。
裂けた皮膚の隙間から膿がこぼれだしピンク色の筋繊維や砕けた骨が顔を出す。
ぴゅるぴゅると血管がちぎれ真っ赤な噴水が上がる。
頭蓋のせいで膨らむことのできない頭、首から皮膚が裂けプスプスと音を立てる。
シルクハットが宙に浮かび上がり重力を無視してふわっと踊りだす。
タキシードはびりびりと音を立てボタンが耐え切れずパチンと飛んだ。
その場にいるものはただ黙ってその様子を見つめていた。
男も女も子供も老人も男から目が離せない。
そいつに集まる視線、目、目、目、目、目、目、目、目・・・・
誰も物音一つ立てなかった。
男の出す音以外何も聞こえない、先ほどまでの賑やかさが嘘のようだ。
男は膨らんで膨らんで膨らんで膨らんで膨らんで・・・・・・・・
少しずつ少しずつ宙に浮かびだす。
空中でゆらりゆらりと揺れ奇妙なリズムを刻む。
周りの者はそれをただただ男の一挙手一投足を注視する、目を話したくても目を離すことが出来ない。
逃げ出そうとしても足が言うことを聞かない。
助けを呼ぼう、悲鳴を上げようにも声が出ない。
そう、この場はこの空間はもう男のものなのだ。
男は膨らみ続ける、今にも弾けて飛びそうだ。
体からねばねばとした黄色い体液が流れ出しぽつりぽつりと滴り落ちる。
ポロリと顔から血走った眼がこぼれだしぷかりと空中に浮かび上がる。
口が腐り落ち歯がぼろぼろと落ちる。
あたりを生ものが腐ったようなひどい匂いが包み始める。
直径五メートル程の大きさになっただろうか?突然そいつは膨らむのをやめた。
キュキュッキャキュっキュキュキュキャ
満足そうにまるで歯のない口の中が擦れるような不気味な音が辺りに響く、そして・・・
そいつは破裂した。
肉片が血液が体液が臓物が飛び散り周囲の人々にかかる。
そしてそいつの体があった場所からどす黒い粘着質なコールタールのような液体がドバドバと溢れだす。
それは鼻が曲がるような酷い匂いと触れたものを狂わせる禍々しい瘴気をまき散らしながら辺りを飲み込んでいく。
無際限に溢れだしあっという間に群衆を市場を飲み込んでいく。
まるで黒く大きな海のような巨大な質量の大きなうねりが人々を襲う。
ソレに触れてしまったものはジュクリジュクリとまるで水をかけられた泥人形のようにその輪郭を失い溶け崩れる。
ソレを少しでも吸い込んだものはぶくぶく膨れ上がり全身の血管が破裂し血を吹きだし絶命する。
ソレの飛沫を浴びたものは全身から黒々とした炎をあげ周囲のものを焼き尽くした。
あがった炎が煌々と辺りを照らし影と一緒に不気味に踊る。
触れたものを溶かし破裂させ焦がしソレは広がっていく。
男、女、子供、老人、ソレの前ではみな平等だった。
ソレは只々辺りに死を振りまきながら周りにあるものを飲み込み続けた。
笑顔だった人々が、あんなにも賑やかだった市場が、ソレのせいで無残なものへと変わっていく。
逃げようとする者はいなかった、そこにいるものは皆絶望の表情を浮かべ立ち尽くしている。
そこにあったのは逃れようのない死だけだった。
黒いソレは辺りを人を飲み込み犬を猫を飲み込み、建物を飲み込み川を飲み込み、ビルを飲み込みそしてそして、そして・・・・・・・・・・・
人の世界は終わりを迎えた。