煽られた老人ドライバー
そんなに急ぎ?トイレ行きたいの?
毎朝七時半頃に私は家を出る。職場までは車で通勤である。
自宅から出発する際のルーティーンは、「今日は道が空いてますように」と祈る事だ。
今年で三十路に突入した私は、妻とまだ幼い娘に自宅の玄関から見送られ、笑顔を作り手を振りながら出発する。その繰り返しだ。
妻の妊娠を期に、手狭なワンルームマンションから一戸建てに引っ越した。切り詰めて貯めた預金を頭金に充て、気の遠くなるような年数のローンを組んで新築一戸建てを購入した。
車も今まではクーペタイプに乗っていたが、娘が産まれたので大型ミニバンに乗り換えた。チャイルドシートを付けたり、娘を抱えたままの昇降の事を考えると、電動スライドドア付きミニバンしか選択肢は無いように思える。大型にしたのは、せめてもの見栄だった。
自宅前の小路を進み、幹線道路に合流する。横浜市青葉区にある厚木街道は、上りは渋谷以北まで続き、南下すれば東名高速道路の横浜町田インターチェンジがすぐに控え、大幹線として往来を賑わせている。
職場の溝の口までは厚木街道を北上するのが最短ルートだ。だから私はいつも同じ時間に出発し、同じルートを走り、同じタイミングで信号待ちをする。
毎日同じ繰り返しなので、よく会うドライバーや車も当然覚えた。
ボディペイントがひどく剥げた、古いタイプのセダンに乗る老人もその中の一人だった。分類番号が二桁のセダンはえらく遅かった。
厚木街道は長い直線は片側二車線である。交差点や合流分流があれば車線は増えるが、その分停滞時間も長くなる。老人はいつも左側の走行車線をのんびり走っていた。
交通状況によっては走行車線の方が早く進む場合もある。ある日私はその老人の真後ろに位置した事があった。事故による追越車線規制だった。
追越車線に並ぶドライバーを横目に走行車線を走る。早々と先行できる車線に入れた場合に、ある種の優越感に襲われるのはおそらく私だけではないだろう。
そんな事を考えていた時、前のセダンが徐々に速度を落とした。
前方に何かあったか、そう思ったが、目線の高いミニバンからは何も変化は見えない。
走行車線から続々と車が車線の前に入ってくる。
「何をしてんだよ!」
私は思わずクラクションを鳴らし、セダンとの距離を詰めた。大型だけあって、初期装備も充実している私のミニバンは、象の鳴き声のようなクラクション音を前方に発射した。
それでもセダンはマイペースに走っていた。その間も車線変更してくる車は後を絶たない。
事故現場を通り過ぎると、先程の渋滞が嘘のように消え、厚木街道は流れ出した。セダンはこの先で右折するつもりなのか、追越車線をマイペースで走っている。
私は頭に血が上っている事すら認識せず、セダンの後方ぴったりに車を付け、クラクションを鳴らし続けた。
もう少し早く動いてくれれば、朝礼前の一服ができる時間に着いたのに、これでは煙草が吸えないじゃないか。理由はそれだけだった。何食わぬ顔で運転している老人を想像するだけで、腸が煮えくり返った。リヤガラスに貼ってある高齢者マークを見れば、「もう運転なんかやめちまえよ!」と車内に怒鳴っていた。
その後セダンは右折し、ゆっくりと去っていった。それを睨むように見送り、私は直進して会社へ向かった。到着した頃は、煙草が二本は吸える時間だった。
私は自分が短気だとは思わない。多少せっかちではあるが、滅多な事では怒らず、社内でも声を荒げることなどない。逆に、温厚そうだ、とも言われるほどである。朝礼が始まる頃には、クラクションを鳴らしたことなど忘れていた。
翌日は雨だったのでいつもより少し早く自宅を出た。妻と娘に手を振るのも忘れない。
見慣れた車を確認しながら厚木街道に合流すると、昨日の古いセダンもゆっくり走っていた。
私はふつふつとどす黒いものが心に湧き上がり、アクセルを強く踏んだ。セダンは目の前だ。
渋滞は無かった。しかし雨だと若干交通量が増える。分かりきったことなので、自宅を出る時間を早くしたのだ。
厚木街道は一応は流れている。追越車線に入ればセダンなどすぐに追い越せる。しかし、制限速度をやや下回る速度で走っているセダンの後ろに付いた。私と老人を追い抜くためだけに追越車線に入った車が何台も走行車線に戻ってくる。
流れているのだからもっとスピード出せよ。後ろに迷惑だろうが。正義感をこじつけたような理由で、威圧感を与えるという行動を取った。
悦に浸っているのかも知れない。高級に分類される大型ミニバンの存在を周りに示す。むしろ、大型ミニバンに乗っている己を示すために、威圧的になるのか。どちらも正解かは判らないが、今までクーペで長いこと運転をしてきた経験がある。周りのどのドライバーよりも運転が上手い自信はあった。
「下手くそな運転してんじゃねえよ」
実際にこの声が届いてほしいがために、距離を限界まで縮めた。セダンの速度は変わらない。ならば、と次は追越車線に入ってみた。セダンと並走である。
老人は両手でハンドルを握り、やや前傾姿勢で運転している。シート位置は不自然なほど前方だ。私とは完全に真逆である。クーペで修羅場を潜ってきた私はもう両手で運転など出来なかった。ミニバンはシートスペースも広い。出来る限り浅く座り、斜に構え運転をする。老人のような運転は見ていて不愉快に感じる。
私は老人を抜き去り、そのまま会社へ向かった。この日は煙草を二本吸い、缶コーヒーを一本飲んだ。
ある日の夕刻、そろそろ会社を退社しようとパソコンの電源を切った時に、妻からの着信があった。
娘が高熱を出したらしい。今からタクシーで病院に向かうから早く来て欲しい、と泣きそうな声で言われた。
私は上司への挨拶もそこそこに病院に向かった。
厚木街道はひどい渋滞だった。夕方以降は渋滞が多い道なのは知っているが、この日は特別だった。
道中、妻からの着信は無かった。信号待ちで全く動かない時に電話を掛けてみても、繋がりもしなかった。
何かあったのか。娘は平気なのか。娘はまだ一歳である。高熱がどれほど怖いものなのか、産まれてからようやく知った。それほど簡単に逝ってしまう儚い生命である。ハンドルに汗が吸込まれていくのを私は感じた。
ある地点から、追越車線だけが停滞するようになった。進むほどに走行車線だけが流れるようになった。
原因は、先の右折待ち渋滞だった。
左ウィンカーを点灯させ入ろうとするが、左側車線は既に流れている。業を煮やし切ったドライバー達は、ものすごい速度で急いでいた。
早く病院に行かなければ。その思いが爆発しそうになった時、走行車線の車が途切れた。
私はすぐさま割り込み、速度を上げ病院に向けアクセルを力いっぱいに踏んだ。一分でも早く着ければいい。不文律になっているハザードを焚いた時、毎朝見る古いセダンがルームミラーに映っていた。
「あっ。あの老人」
ぐんぐんとセダンとの距離が離れる。セダンの前に続々と車が割り込み、ついにセダンが見えなくなった。
ほどなく病院に着いた私は娘の無事を確認し、妻の肩を抱いた。大事ではなかったらしい。
翌日、私は念の為に会社を休み、その次の日に出社した。同じ時間である。いつもと同じように妻と娘に手を振り、いつもと同じ車を見ながら厚木街道に合流し、いつもと同じように古びたセダンを発見する。
私は後ろに付かず、すぐにセダンを追い越した。厚木街道は今日も順調だ。
セダンの前に入るため再び車線変更した私は、セダンの前でハザードを短く焚いた。ありがとう、と。
再びセダンとの距離が離れる。気付くと別の車がルームミラーに入っていた。
セダンに乗った老人は命の恩人ではない。名前も知らない。
しかし、あの老人は今日もどこかで前を譲ってくれるのだろう。急いでる人にも急いでない人にも。
私は偉い人間ではない。普通のサラリーマンだ。
大きなミニバンも人を運ぶただの車だ。ピストルではない。
雨が降ったらもう十分だけ早く出ようと私は思った。
一人でもいなくなればいいと思います。