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基本的に地球と同じ暦ですが、一週間の扱いだけ大分違うので気をつけて下さい。
結果として、テレアはダナン語の試験で過去最高点を叩き出した。◎、○、△、×の4段階評価だが、ダナン語で○を取れたのは初めてだった。
平均点を越えたのはいつぶりだろうか。これはヴァニッドに礼を言わなくては。
あの日の胸の騒がしさは他所に置いて、テレアはただ礼を欠かしてはいけない、とだけ考えていた。
次の休日。テレアは礼を言うためにヴァニッドを探していたが、なかなか見つからない。
この国では一ヶ月は4週間、1週間は8日で、4日に一度休日がある。平日、平日、平日、休日の4日間を2回繰り返して一週間にしているのだ。
平日は学習院があって忙しいので、今日を逃せばお礼を言えるのは4日後になってしまう。
何とか今日中に礼が言いたいと思うのだが、誰に聞いても「知らない」「分からない」と言うばかりで何も情報を得られなかった。
賓客のはずなのに居場所が分からなくて大丈夫なのだろうか?
見かねたメリザがついにテレアに声を掛ける。
「テレア、もういいんじゃない?同じ屋敷で暮らしているんだから、またどこかですれ違うでしょ」
「いいえ、すぐお礼を言わなければ気が済まないわ。こんなにいい点数をとれたのですもの。それに、ヴァニッド様が来て一ヶ月たつけれど、お会いしたのは初めの挨拶と先日だけよ?次いつお会いできるか分からないわ」
「・・・ふーん?まあ、頑張って」
テレアがヴァニッドの指導のもと一生懸命勉強していた様子も、頭をなでられて惚けていた様子もばっちり見ていたメリザは、意味ありげな視線でテレアを見やる。
(まぁ、先は遠そうだけれど)
メリザはこの時には既に長期戦を覚悟していた。勿論、ヴァニッドを見つけることに対してではない。
結局何も分からず諦めかけた昼過ぎ、「前に図書室で会った時は昼過ぎだった」と思い至り、テレアは一縷の望みを掛けて図書室に向かった。
試験は終わったがまだ授業は続いて行く。もう屋敷中探し回ったテレアは、一度図書室に腰を落ち着けて、ヴァニッドを待ちつつダナン語の勉強を進めることにした。
待つことしばらく。一度理解して楽しくなったテレアは、ダナン語の勉強に集中していて、図書室の扉が開いたことに気がつかなかった。
「またダナン語の勉強をしているのか」
「ひゃっ!?」
突然話しかけられて驚いたテレアの反応に、ヴァニッドは笑みをこぼす。テレアは気恥ずかしさを感じながら、居ずまいを正した。
「お見苦しい所をお見せしました」
「いや、謝るのはこちらだ。急に話しかけてすまない。ところで、試験が終わったのに何故そんなに熱心に勉強しているんだ?もしや、俺の力が及ばず再試にでもかかったか?」
ヴァニッドはいつもは凛々しく整った眉毛を心配そうに歪めながら、テレアの前に腰を下ろした。
テレアは慌てて否定する。そうだ、お礼を言わなければ。
「いいえ、逆です!今までで一番良い成績でした。ありがとうございました。お礼を伝えようと思い、モルターニ次期伯様を探していたのですが、なかなかお会い出来なくて・・・」
「休日の午前中はレナードと共に剣術の稽古をつけてもらいに行っているからな。この屋敷では見つからないだろう」
剣術の講義はレナードと共に通っている学習院でも受けている。
しかし、やはり毎日続けなければ意味がないと、ヴァニッドとレナードは共に前騎士団長でリチャードと親交があるカリーニア伯爵に指導を仰いでいたのだった。
それならばリチャードに聞きに行けば良かった。
忙しそうにしているので迷惑かと思っていたが、彼の知り合いの下に行っているなら確実に知っているはずだ。
テレアは自分の努力が無駄になったように感じられ、少し脱力してしまう。
「だが、それならば君は何故またダナン語を?嫌いだったんだろう?」
ヴァニッドがテレアに尋ねた。試験が終わってすぐなのに、わざわざ自分の嫌いなことをする者は少ないだろう。
テレアは待ってましたとばかりにヴァニッドの質問に得意げに答える。
「それが、教えて頂いて以来ダナン語が楽しくなりましたの。何事も一度できるようになると、どんどん楽しくなるものですね」
「そうか、それは良かった。そう言ってもらえると教え手冥利につきるな。ダナン人としても、やはり母国語を理解してくれる人が増えて嬉しい」
ヴァニッドはそう言って、本当に嬉しそうに破顔してみせた。白い歯が褐色の肌に映える。
彼の笑みを見たテレアは、その瞬間、心臓がきゅっと包まれて、持ち上がったような心地がした。
持ち上がった心臓は落ち着くことなく、あたふたと行き場を探しているようにも思えた。
これが、俗に言う“トキメキ”、というものだろうかとテレアは漠然と感じたが、しかしテレアは慌ててその考えを全力で否定する。
同級生の中には既に恋を知り、恋人のある人もいる。
だがテレアは貴族だ。自由恋愛が認められることばかりではない。恋人がいる人の場合でも、相手はきちんと家格の見合った相手を選んでいる。
テレアはアドレーゼ家のことを大切に思っていたし、自分が家格を気にしながら恋愛などできるほど器用なたちではないことは分かっていた。なので、しかるべき年齢になれば、テレアはアドレーゼ家のために、父が決めた相手に嫁ぐつもりだった。
恋愛などしないと決めている。
それが、只の一回、あんな色気の欠片もない時間を過ごしただけで恋に落ちるなど、そんなことがあるはずがない。
テレアは心の整理をして落ち着けるために軽く深呼吸した。
ヴァニッドはそんなテレアの様子を不思議に思いながら、提案を口にする。
「もし迷惑でなければ、また教えてもいいだろうか?前回中途半端にしか教えられなかったのが、どうにも気になってな」
「お願いします!」
ヴァニッドの提案に、テレアは思わず身を乗り出して間髪入れず答えた。突然の行動に、テレアは自分で驚く。
何故そんなに必死で答えてしまったのか、テレアには分からなかった。分からなかったが、ここで拒否するという選択肢は選べないとも思った。
テレアの勢いのよい返事にヴァニッドは少し目を丸くしたが、すぐに気を取り直して優しげな笑みを浮かべた。
「元気がいいな。よし、じゃあ早速始めようか」
「は、はい!」
テレアは軽く混乱状態になっていたが、何とかヴァニッドのダナン語講義を再び受けることに成功したようだ。