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なくて七癖  作者: きゃさりん
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 ヴァニッドの説明は的確だった。始めに、テレアのノートを見てどんな問題をよく間違えているか、何が理解できていないかを分析し、その解説をした。

 何が分かっていないかも分かっていなかったテレアにとって、それだけでも充分試験勉強の助けになったが、ヴァニッドはそれでは満足しなかったらしい。


 解説したことが実際に問題を前にして使えるかどうか、即興で例題を何問か作成し、テレアに出題する。

 いくら丁寧な説明でも、一度説明されただけで正しく活用するなど、土台無理な話である。当然いくつか間違えたが、ヴァニッドは決して怒ることも失望することもなく、先程説明したことを思い出させながら、何故間違えたかテレアに考えさせた。

 どうしても分からなさそうなら、適切なヒントを出すのも忘れない。


 一通り問題を理解してから、もう一度始めから簡単に確認していく。しつこいようだが、何度も復習することが修得への近道だ。

 それが終わると、ヴァニッドはもう一度別の例題集を作り、テレアに解かせる。


 この一連の流れを何度か繰り返す内に、テレアは大分理解できるようになった。

 しかし、一人でするより遥かに高密度な勉強に、テレアの脳とお腹は限界だ。勉強とはこんなにエネルギーを使うものだったか。


「とりあえずこれでいいか。っと、大丈夫か?」


 熱を入れて指導するうち、自然とヴァニッドは砕けた話し方をするようになっていた。

 お腹を抑えて机に突っ伏すテレアに、ヴァニッドは怪訝な視線を送る。


「いえ、本当に、大丈夫ですから」

「大丈夫ではないだろう。酷く苦しそうだ。貴女の侍女に医者を呼んで来てもらおうか?いや、私が行った方がいいか」


 まずい、ただの空腹で医者を呼ばれてしまう。そんなことになったら一生の恥だ。

 いや、自分だけではなくアドレーゼ家の恥になってしまうかもしれない。


「や、やめて下さい。医者は、呼ばないで」


 テレアは慌てて止めさせようとするが、気力の無さと必死さで、より一層悲壮感が生まれてしまった。

 ヴァニッドは更に不信感を募らせる。


「医者は呼べないだと?どういうことだ?家族にも秘密にしているとか?もしかして・・・妊娠?」


 何だか不味い方向に誤解をされている。ヴァニッドの眉間に皺が寄り過ぎて、とても怖い顔になった。

 仕方がない、こんなこと、淑女が口にすべきではないのは分かっているが、これ以上変な誤解をされるとそれこそ大事になりそうな気配しかない。

 テレアは、蚊の鳴くような声で告げた。


「・・・おなかが、すいただけです」

「・・・本当に?」

「本当です」

「本当の本当に?」


 テレアは、尚も確認してくるヴァニッドに少し腹が立った。空腹で気が立ちやすかったということもある。

 恥ずかしいのを我慢して言っているのに、なんてデリカシーのない人だろう!

 残りわずかな気力を振り絞り、立ち上がって机に両手をつく。空腹とヴァニッドの発言による苛立ちをぶつけるように、向かいに座るヴァニッドに答えた。


「本当の本当にです!」


 言った瞬間、テレアの腹の虫が諮ったように可愛らしい鳴き声をあげた。

 テレアは立ち上がった時よりも俊敏な動きで椅子に座ると、顔を真っ赤にしてお腹をおさえる。

 この距離なら、きっとヴァニッドにも聞こえただろう。最悪だ、恥ずかしい。


 そもそも彼がいけないのだ。彼が強引に指導すると言い出して、それがあまりに分かりやすくて丁寧なものだから、自分もつい夢中になって勉強してしまった。

 だから、こんなにお腹が減ってしまった。そして彼に腹の音など聞かせることになってしまったのだ。そうだ、彼が悪い。


 テレアは机に額をつけたまま、彼に嫌味でも言ってやりたくなった。


「・・・これで満足ですか?」


 テレアはもう恥ずかしさが一周回って自棄になってきていた。笑いたければ笑えばいい。真っ赤な顔を上げて、涙目でヴァニッドを睨む。


 後でこの態度を思い出して悶絶することになるとは、この時のテレアは露とも想像していなかった。


 ヴァニッドはテレアに睨まれて視線を泳がせる。自分が失礼な誤解をしてテレアの機嫌を損ねたことにようやく気が付いたらしい。


「す、すまなかった。失礼な誤解をしてしまったな。あと、その、ちゃんと休憩を取れば良かった。疲れただろう」


 先程まで理想の教師といった振る舞いをしていたヴァニッドが慌てている様子に、テレアの溜飲が下がる。


「もう、構いませんわ」


 できれば今すぐ忘れてほしい。自分もこの事はすぐに忘れてしまおう。

 テレアがそんな風に考えてぶすくれて突っ伏していると、ヴァニッドは胸ポケットから何やら取り出し、困ったようにはにかみながらテレアを労った。


「だが、まぁ、本当によく頑張ったものだ。今日はこれでも舐めてゆっくり休むといい」


 ヴァニッドが取り出したのは、黄色い紙に包装されたキャンディだった。

 蜂蜜だろうか。包装されていても、微かに甘い匂いが漂ってくる。


 それをヴァニッドはテレアの目の前に置くと、何故かそのまま自らの手をテレアの頭上に持っていき、彼女の頭を優しく撫でた。


「っ!?」


 突然のことにテレアは顔を伏せたまま咄嗟に反応できなかった。


 父や兄に頭を撫でられたことや手を握られたことは何度かあるが、身内以外の男性にされたことはなかった。身内にされたのだって小さい頃だけだ。

 ここミスリラでは手を触ったり頭を撫でるというのはよっぽど近しい人にする行為だが、もしかするとダナンでは一般的なのだろうか。


 少し高い彼の体温が、髪を挟んでテレアに伝わる。

 ただ温かいだけではない。その柔らかな触り方、手の重さ、女性のものではない太い指。どこか懐かしく、安心するようでいて、頭上の掌がヴァニッドのものだと思うと落ち着かない気分になる。


 さっきの勢いはどこへやら、テレアは意味も分からず撫でられるがままだ。目を閉じて彼の手に意識を集中する。

 時間にしてほんの一瞬だっただろう。彼の手が離れていくとき、テレアは急な喪失感を覚えて顔を上げた。


「では、またどこかで」


 惚けたままのテレアを置いて、ヴァニッドはさっさと図書室を出ていってしまう。

 テレアは、ヴァニッドの突然の行動に驚き過ぎたのか、はたまた別の理由でか、心臓の脈動がうるさくて仕方なかった。






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