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ヴァニッドと食べるはずだったヌガークッキーが全てメリザの腹のなかに収まった翌日。
平日なので、テレアは学習院で授業を受けていた。
貴族の子息令嬢が通うだけあって豪奢な教室で、天井は人を5人ほど縦に積み上げられそうなほど高い。
横幅だって、簡単な演劇ならば余裕で上演できそうなほどだ。
後ろの生徒にも黒板が良く見えるようにと、座席は階段状になっている。
一月ごとに行われる試験が近付いていることで、周りの生徒達はいつもより集中して授業に臨んでいる。
中には一つでも単位を落とせば即留年という者もおり、必死でノートに囓りついていた。
しかし、そんな中でただ1人、テレアだけは、教室の片隅でペンも持たずぼうっと頬杖をついていた。
頭を巡るのは昨日紅茶を、恐らくわざと、被って退室した褐色の肌の青年のことばかり。
ため息をついては頬杖をやめてペンを手に取り、そうしてしばらく経てばまたペンを置いて頬杖をついてため息を落とすのだ。
まるで再生と巻き戻しを繰り返しているよう。
きっと今の彼女には、黒板の文字など一つも見えていないに違いない。
「テレア、あなたちょっと大丈夫?最近ため息ばっかりよ」
そんな彼女の様子を心配して声をかけてきたのは、隣に座っていたテレアの友人であるカナリア・イードリーだった。
気が強くお転婆な少女だが、よく気がついて助けてくれる。
慎重なテレアと大胆なカナリアは、なかなかどうしてか気が合った。入学して以来、何かと仲良くしている。
カナリアは、貴族ばかりのこの学習院では珍しい、商家の生まれである。
庶民の象徴である栗色の髪と瞳を持つ彼女は、入学当初嘲笑の的だった。
しかし彼女は何をやったのか、今では一部の人間から恐れを、あるいは憧憬の念を抱かれる存在となっている。
「何でもないわ、カナリア。ちょっと、そう、疲れているだけよ」
そう言って再びテレアは気を取り直してペンを持ち直す。
持ったはいいがペンにインクもついていないし、もう既に授業は半分終わろうとしているのにノートには一文字も書かれていない。
「何でもないって顔?辛気臭いったらありゃしないわ。そんな調子だと単位落とすわよ」
「そうねぇ・・・」
「そうねぇってあんた」
一応単位を落としても、よっぽど酷くなければ進級することはできる。
今まで真面目にこつこつ単位を取ってきたテレアなら、今更単位の一つや二つ落としたところで痛くも痒くもないのかもしれないが、あるに越したことはないのは明らかだ。
また、逆に言えばここまで頑張ってきたのに急にやる気をなくすなど、何かあったに決まっている。
「ねぇ、ほんとにどうしちゃったのよ。もー。あ、もしかして恋煩いだったりして。いやー、テレアさんも隅に置けませんねぇ」
カナリアは更にテレアに近づくと、少し下卑た笑みで彼女の脇腹を人差し指でつついた。
男性が苦手で避けてばかりだったこの奥手な友人に、まさか想い人などいないだろう。
ただ、こうやって煽ってやればムキになって反論してくるはずだ。そうなれば相談事が大分聞き出しやすくなる。
カナリアなりにテレアの様子を心配しており、何とか相談に乗りたいがための冗談だった。
しかし、テレアの反応はカナリアの予想とは全く異なった。
ぱっとこちらを向いたかと思えば、その表情には驚きと照れが浮かんでいた。「なんでわかったの」とでもいいたげである。
本心を隠す貴族の必須技能など、恋心の前では砂塵に等しいらしい。
その表情からピンとこないカナリアではない。
テレアの両肩を掴んで、おもちゃでも見つけたような爛々とした目で迫る。
「テレアさん?詳しいハナシ、聞かせてもらってもいいかしら?」
テレアは自分の失態に気が付くがもう遅い。
逃げる隙などほんの一分も与えられず、授業中にも関わらずテレアはカナリアに強制連行された。
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「か、カナリア?えーっと、今は授業中よ?こんな風に抜け出すなんて、よくないわ。授業に戻らないと」
「どうせあなた全然集中できてなかったじゃない。教室にいてもいなくても一緒よ」
テレアは歯切れ悪く抗議するが、カナリアはテレアの言葉を一蹴し、半ば引きずるように進んでいく。
目指すはカフェテリア。
授業中であるし昼食には早い時間なので、今はほとんど人がいないだろう。
集中していなかったことは事実なので、反論できなくなったテレアを連れてたどり着いたカフェテリアは、給仕する者が数名控えているだけで幸運にも誰もいなかった。
一限の授業を取っていないものが早く来て自習室代わりにしているかもしれないと思っていたが、その心配は杞憂だったようだ。
手近な机に腰を下ろしたカナリアは、向かいの席をテレアに示してから、給仕に紅茶を二つ頼んだ。
観念したテレアは、渋々カナリアの対面に座る。
「で?あなたのお相手って?」
色彩こそ凡庸であるが、カナリアの顔のつくりは非常に整っている。入学当初のやっかみも、一部はその辺りからきていたのだろう。
その美しい顔で俗っぽいにやけた顔をすると、非常にもったいない。
実用的な黒いお仕着せを着たウェイトレスが紅茶のポットを手にやってきて、ティーカップを音もなく机に乗せた。
そこへ注がれる紅茶はメリザが淹れてくれるものとはまた違った香りだったが、紅茶と聞くだけで昨日の出来事を思い出してしまった。
テレアは今日何度目か分からないため息をつくと、ヴァニッドに出会った時のことを、カナリアに最初からゆっくりと話し始めた。