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なくて七癖  作者: きゃさりん
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すみません、爵位があるのに共和国はおかしいと気がつきました。

ダナン共和国→ダナン公国 に変えています。



 初夏が近付き少しずつ蒸し暑くなってきた、ある休日の朝。

 開けた窓から吹き込む風を気にもとめず、子爵令嬢のテレア・アドレーゼは固い決意をしていた。

 アイスブルーの瞳が、強い意志を伴ってどこか遠くを見据える。


 前のチャンスの時もその前も、似たように決心して結局上手くいかなかったのだが、それはそれ、これはこれ。


 今日は、今日こそは絶対大丈夫。きっと。多分。恐らく。


 侍女のメリザは、後ろに控えつつ主の決意を正確に読み取っていた。

 しかし、どうせ今日も上手くいかないのだろうなと予想する。


 それでもやはりテレアには悲しんで欲しくはないので、彼女付きの侍女であり、姉代わりであり、年の離れた友人として、一つだけ伝えることにした。


「テレア、また髪を握ってるわよ」


 緊張して自身の白銀の髪を握っているテレアには、侍女兼、姉兼、友人の言葉は届かなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 朝食を済ませたテレアは、自室には戻らずそのまま厨房に向かった。朝食が終わったばかりなので、その片付けで騒がしい。


 そんな中でも、料理長であるカスヤはいち早くテレアの訪問に気が付いて、少し困った表情で彼女を迎えた。


「おはよう、カスヤ料理長」

「おはようございます、テレアお嬢様。また菓子作りですか?旦那様やレナード様の耳に入れば卒倒なさいますよ」

「だから、いつも黙っていてと頼んでいるじゃない」


 そう言ってテレアは唇を尖らせる。貴族令嬢である自分が厨房などに赴いて料理人の真似事をするなど、常識では考えられないことは分かっている。

 分かってはいるが、面白いのだから許してほしい。


 それに、今は食べてほしい人がいる。

 元々趣味の一つであったが、『彼』に食べてもらうのだと思えば、やはりどうしても自分で作りたい。


 カスヤは肩をすくめて去っていくが、近くにいたものに指示を出してテレアのために道具を準備してくれる。

 今まで何度も厨房を借りても父や兄から何も言われないことから、きちんと黙ってくれているのだろう。

 彼には感謝してもしきれない。


 テレアは、マドレーヌやクッキー、マフィンなど、なるべく手軽に食べられるものを休日ごとに作っている。

 前回『彼』がアーモンド入りの菓子が好きだと言っていたから、今日はヌガークッキーだ。


 スライスアーモンドがたっぷりのった、つやつやのヌガークッキーを見て、彼は何と言うだろうか。どんな風に食べるだろうか。


 そんなことを想像していると、勝手に頬が綻んでしまうから不思議なものだ。


 混ぜ合わせた生地を鉄板に敷き詰め、加熱しておいたオーブンで20分ほど焼く。

 その間に作ったたれを焼き終わった生地にのせ、再度焼く間に、テレアはさっさと洗い物を片付けていく。


 甘い香りが辺りに漂い、完成が近いことを教えてくれる。


「テレアお嬢様!!そんな仕事は私どもがやっておきますといつも言っていますのに!!」


 カスヤ料理長が慌ててやってきて、テレアの持つ汚れたボウルを奪おうとする。

 テレアはそれをひょいと避けると、何でもないように言った。


「それを言うなら、私だっていつも言っているはずよ。みんな仕事中なのに私が邪魔しているのだから、せめて自分が散らかした分は自分で片付けるわって」

「ですがっ!」

「んもう!片付けも含めて私の趣味なの!私にやらせて!」


 そう言ってテレアは逆にカスヤ料理長が持っていた布巾を取り上げた。


「私の片付けを手伝うより、美味しい昼食を作っていて。期待しているわ」


 カスヤ料理長に一つウィンクを送ると共に、洗い終えたボウルをシンクに置いた。

 そろそろ焼きあがった頃かしらとオーブンに向かったテレアを見送ったカスヤ料理長は、仕方がないお嬢様だと、待機しているメリザに向かって肩をすくめて見せた。


 始めから手伝おうともしないメリザは、当たり前じゃないとばかりにニヤリと笑って応えた。





 ヌガークッキーを無事完成させた後、テレアは昼食をとった。

 その日の昼食はいつにも増して美しく盛り付けられ、手の込んだ料理ばかりでテレアは少し可笑しかった。


「どうかしたか、テレア」

「いいえ、なんでもないわ、お父様」


 対面に座る壮年の男性は、テレアの父親であるリチャード・アドレーゼである。

 朗らかな笑顔を浮かべるテレアと、不機嫌なわけでもないのに冷たい無表情を浮かべるリチャードはあまり似ていない。

 しかし、親子に共通する髪と瞳の色が、二人の血縁関係を物語っていた。


 アドレーゼ家は現在、当主のリチャードと、嫡男でテレアより2つ年上のレナード、そしてテレアの3人である。

 二人の母親は、テレアを産んだ後すぐに流行り病に罹って儚くなってしまった。

 リチャードは後妻を娶るようなこともなく、テレアはメリザと彼女の母親によって育てられた。


 本当はここにレナードと『彼』がいて然るべきなのだが、一度も共に食事をとったことはない。

 一度、何故共に食事をとらないのかリチャードに聞いたことがあるのだが、リチャードは「彼と繋がりたい家は多い。色んな家に赴いて食事を共にしているそうだ」とさらりと言った。

 納得はするが、食事の時も『彼』に会いたいテレアとしては少し面白くない。


 昼食を終えたテレアは、いよいよメリザを伴ってそそくさと屋敷の図書室へ向かう。

 その手には最近妙に熱心に勉強するようになった、隣国ダナン公国の言語、ダナン語の教本。


 テレアはそれを『彼』に貰ってからというもの、隙あればその深緑の本をぼーっと眺めている。


 ダナン公国とは、ミスリラ王国の南に位置している、資源豊かな大国だ。

 商業が盛んで賑やかなミスリラ王国とは異なり、ダナン公国は穏やかな国風で、大半の国民は資源の採掘や酪農、農業を営んで暮らしている。


 元々、両国の間に鋭く切り立ったジンダイ山脈がそびえ立っていたため、あまり国交は盛んではなかった。

 しかし、20年程前にミスリラ王国とダナン公国が協力して両国をつなぐ交易回路が整備され、両国は急激に親交を深めている。


 『彼』がミスリラ王国に留学しに来ているのも、そういった傾向の一端だった。


 逸る気持ちはあるが、淑女としては全力疾走なんて以ての外。

 間をとって小走りで進んでいたテレアは、目的の図書室にたどり着くと一番奥の窓際の席に腰掛けた。


 この席は図書室にありながら本棚から距離があり、飲食可能なスペースになっている。


 この場所でどれぐらいの時間『彼』と過ごしたのだろうか。どれほど『彼』と言葉を交わしただろうか。


 この場所は既に、テレアにとって特別な場所になっていた。


 しばらくテレアは集中できないまでも勉強に勤しんでいたが、きぃ、と微かに木製のドアが開く音がすると即座にそちらを向き、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。


 アイスブルーの瞳は輝き、頬は微かに紅潮している。これぞ恋する乙女の表情である、と教科書にでも載っていそうだ。


 しかし慌てて淑女の仮面を引っ張りだし、澄まし顔を作って居直る。


「相変わらず勉強熱心だな、テレア嬢」


 図書室に入ってきたのは、硬い黒髪と理知に富んだ深緑の瞳をもつ、褐色の肌の青年だった。筋肉質な身体で、身長は小柄なテレアより頭二つ分大きい。


 テレアの住むミスリラ王国では、貴族では金や、テレアのような白銀、平民では栗色など髪色が一般的である。肌も、褐色というのはまずいない。

 青年の容姿は、ミスリラではなく、ダナン公国の一般的な容姿である。


 テレアはまるで今気が付いたというようにゆっくりと教科書から顔を上げ、先ほどの輝かんばかりの笑顔ではなく、淡く微笑むような上品な笑みを入室してきた青年に向けた。


「ごきげんよう、ヴァニッド様。今日も鍛練お疲れ様です。お怪我などはなされませんでしたか?」

「あぁ、平気だ。やはりカリーニア氏は指導が上手い。下手な指導者の下で指導を受けると、酷い怪我をさせられることもあるからな」

「まぁ。そうはいっても何があるか分かりませんので、くれぐれも用心してくださいね」


 彼、ヴァニッド・モルターニはダナン公国のモルターニ伯爵家の生まれである。

 レナードは昨年ダナンに留学しに行ったのだが、その際滞在中の拠点としてヴァニッドの実家であるモルターニ伯に世話になってからの縁だ。


 優男然として中性的な魅力を持つレナードと、生真面目で身体つきのいいヴァニッド。

 見た目も性格も異なるが、馬は合うようだ。

 その証拠に、ニヶ月ほど前からミスリラに留学することになったヴァニッドは、数ある貴族家の中からアドレーゼ家を選んで滞在している。


 ヴァニッドはテレアの手元を覗き込む。ヴァニッドの体温が近づいて、テレアはどきりとした。


「ダナン語の勉強は進んでいるか?」

「はい、お陰さまで。簡単な読み書きは大分できるようになりましたわ。ありがとうございます」

「礼を言われるほどのことはしていないがな」

「そんなことはありません!とても助かっていますのに」


 テレアは全力で否定する。ダナン語の読み書きが簡単にでもできるとできないでは大きな違いだ。


 ダナン語は近年、ミスリラ王国貴族の子息令嬢が通う学習院において必修の科目になった。

 読み書きだけでも出来れば充分な能力なので、現在授業ではダナン語の発音は扱われていない。

 ダナン語は発音が特に難しいのだ。よって、ダナン語で会話できるミスリラ人はほとんどいない。


 ちなみにメリザはその数少ないダナン語修得者である。本当に、彼女の母親はどこまでメリザに仕込んだのか。


「それは良かった。だが、まだ発音と聞き取りはできないのだろう?教えてあげよう」

「よろしいのですか?」


 どう切り出そうかと思っていたところ、向こうから申し出てくれた。

 彼との勉強会はこれで15回目になるが、いつも彼から指導を買って出てくれる。


 やはり、どうやら勉強会自体は楽しんでしてくれているようだ。


「あぁ、もちろん。居候の身だからな、できることは何でもしよう」

「やだ、居候なんて。でも、ありがとうございます」


 ヴァニッドはテレアの隣に腰掛ける。

 ヴァニッドがテレアに贈ったダナン語の教本を間に挟んで、テレアにとって貴重で、穏やかで、ちょっぴり甘い時間が流れていった。






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