異世界老魔法使い隔離施設「永遠の魔術図書館」
魔法。
それは魔物と呼ばれる化け物どもと戦う術であり、人々の暮らしを豊かにしてきた。
戦いにおいては敵を打ちのめし、味方を強化する。
視覚を飛ばして遠くを見ることが出来、複雑な手順を経て通常では難しい強力な攻撃を行うことも出来る。
魔物との戦いは魔法技術を押し上げ、より高度に、より複雑に、より高威力になっていく。
それと同時にその力を平和的に利用する方法も開発されてきた。
魔力を扱うことが出来るものしか魔法は扱えない。
高威力で繊細な魔法はさらに魔力を大量に持っている者が扱える。
では一般人はどうか……先天的に才能がある者や、魔法使いを目指して研鑽を積んだ者でもなければ、初歩の攻撃用魔法などすらも使うことが怪しいレベルだ。
そういった戦いとは無関係の者達でも、生活に取り入れられるほどに消費魔力を少なく、そして簡単にしたものが開発される。
俗に、生活魔法などと呼ばれ、今ではこの王国の中で使わないものは殆ど居ないと言える程に広まっていた。
もう、一般人の生活ですら必須のありふれた存在となったのだ。
確かに魔法は便利だ。
どこでも火をおこすことが出来、凍らせることで食料を長持ちさせることが出来る。
水を生み出し、光を灯し、田畑を耕す。
しかし本来、魔法というものは危険が付きまとうものだ。
生活魔法程度であれば、やり方を間違ったところで顕現するはずだった現象が暴走しても殆ど問題はない。
悪くてけがをするほどもない爆発が起きる程度だろう。
子供でも扱えるのだから、ある意味当然だが……。
では、本当の魔法使いたちが使う魔法はどうか?
一般人たちからは崇められる存在、魔法使い。彼らの有無で戦いの勝敗が決することも多々ある。
それ程の魔力を扱う彼らの魔法。
結果が強力であればあるほど、失敗時のリスクも上がっていくのだ。
詠唱を噛んでしまえば暴走した魔力が大爆発、などというのも珍しくはない。
だがそれだけではない。
未知の魔物を召喚、別な魔法として顕現、一定範囲が空間ごと消失……等など、実は未だに分かっていない事象が起こることがある。
その為魔法使いたちは、どんなことがあっても詠唱を途切れさせることなく、それを完遂するのだ。
そのように訓練されるし、その為に自身の痛覚などを切っている場合もある。
一度暴走が始まった場合……被害なく止める方法は、同じくらいの規模の解呪を行うか、その魔法使いを完全に殺害することである。
後者に関しては、その術者の生命をもって代償としたと看做されるためだと言われているが、今だ謎のままだ。
……さて、そんな特殊な魔法使いという者達も年齢というものには敵わない。
通常の者達と同じように年老いていき、やがて死ぬ。
新しい知識を求める彼らにとって、自身の寿命というものはあまりに短い。
その為……延命するために儀式を行うものたちも出てくるのは当然のことだった。
この儀式のためには犠牲が必要であったりするのだが……まあ詳しいことは秘匿されているし、知る必要はない。
しかしそうしてまで延命して、なおも生かそうとしたのは本人の意志のみならず国の思惑というものもあった。
なぜならば、長く生き、魔法の修行を積んだ者の操る魔法は強力無比であり、国を守るためにも必要なものでもあったからだ。
また、これを継承させようとしても結局のところは余程の例外でもない限り、同じくらいの時間と労力がかかることが判明している。
つまり、彼らが死ぬことによって王国が被る損害は、その犠牲による損害など問題ではないということだ。
そうやって、延命の魔法を手に入れた魔法使いたちは今日まで生き続けている。
今、最も高齢な物は大魔導師ウェンデル様で……487歳、後数ヶ月で488歳となっている。
だが、彼は今「生きている」だけだ。
動くことも出来ず、眠り続けている。
数年に一度突然覚醒して何かを喚き、そしてまた眠り付く。
……延命を行い始めてから、こういうことが多々起きるようになった。
狂っていくのだ。
かと言って、英雄でもある彼らを殺すことも出来ず、王国は一つの施設を作り上げた。
高齢の魔法使い達の楽園、戦いの日々から解き放たれ、思う存分知識を高め合うことの出来る場所。
「永遠の魔術図書館」である。
我々職員は、特別な訓練を受けた魔法使いと魔法戦士のみで構成され、彼らの面倒を見ることが仕事だ。
楽だと思ったか?
とんでもない。
楽園だなどと言っているが、この施設は影響が王国へと及ばぬようにと、空間ごと隔離されている。
これを作った本人も、今現在この施設の中だ。
確かに、最初の内は先代が残した大量の書物に囲まれ、どんな魔法の知識であってもそれを叩き込んでいける。
およそ人の寿命ごときでは読み切れない量だ。
だが、やがて年を取り、狂い出す。
最初の兆候はほんの僅かな物忘れから始まる。
当然、記憶のための魔法を使ってそれを補っていくわけだが、やがてそれすらも追いつかなくなる時が来る。
書物を読むことが出来なくなっていき、イライラするようになってくる。
職員に当たり散らすなんて言うのはいつものこととなり、理不尽な罵詈雑言によって職員の方が消耗してしまうのだ。
こうなってくると、更に奥の部屋へと移される。
ここから先はもう、彼らに戻ってくるという選択肢は無くなる。
一度その境目の扉が閉まれば、それはまるで監獄などよりも城壁の付く扉の様に物々しく頑丈な門があらわれ、さらに壁が閉じて扉を隠す。
この空間には魔法による探知などが無効化されるようにと設計された魔法陣が隠されており、出口や外につながる場所を見つけられないように工夫されているのだ。
彼らは完全に隔離された存在となる。
もう、分かるだろうが……ここは彼ら大魔導師級の狂った魔法使いの隔離施設だ。
理由は言うまでもなく、彼らの持つ魔法の力であり、それがどのような影響をおよぼすのか誰にも分からないからである。
まともに喋ることが出来ずに詠唱をしたらどうなると思う?
そこに待ち受けているのは大惨事だ。
なまじ魔力を持ち、高いレベルの魔法を扱う彼らの魔法の暴走……それは王国そのものを破滅させる可能性すらあるものなのだ。
それが今、23名居る。
少ないと思うか、多いと思うかは人それぞれだが……私は多すぎると思っている。
まあ、今年からはもう彼らのような危険な者達は相当減るだろうが。
我々職員の働きかけにより、ようやく王国が延命を認めないと明言したのだ。
さらに、勝手に延命のための儀式を行ったものは直ちに処刑されることとなり、実質彼らのように長生きをすることは出来なくなった。
延命を繰り返すことでの危険性をようやく認めてもらえたのは喜ばしいことだ。
もちろん、魔法技術の向上により大魔導師とよばれる彼らのような魔法を、大人数で分散処理させることによって発動させるという手順が確立されてきたのも大きい。
我々の仕事は彼らの面倒を見て、なるべく危険が起きないようにすることであるが、それと同時に彼らの扱う大規模魔法に対処するための方法の確立というのもある。
常日頃危険と隣り合わせのこの職場において、魔法戦士が居るというのはそういうことだ。
なにせ……見たこともないやたらと強力な魔物が召喚され、大暴れするということを何度も繰り返してきている。
それに対し、我々は対処しなければならない。
それが外に出るのを必ず防がなければならない。
そして、彼らを常日頃から見ている我々の中に、延命の儀式を受けて知識を求めたいかと問われて是とするものは誰一人としていないだろう。
命を永らえた先に何があるかを目の当たりにしているのだ。
そこに幸せなど無い。
一つの人間兵器として暴れるだけ暴れて勝手に死んでいくだけの迷惑な存在と成り果ててしまう。
先のウェンデル様のように寝たきりになっているのならばいい。
今年からの延命は打ち切りになるのでそのうち安らかに永遠の眠りにつくだろう。
……彼らの命がいつ尽きるのかは分からないが。
□□□□□□
けたたましく鳴り響く鐘の音。
この永遠の魔術図書館の奥、第一警戒区画で魔法行使の警鐘が鳴っているのだ。
これが聞こえたら対応部隊が直ちに収容区画に向かい対応を開始する。
「第一次警鐘、第一次警鐘、105収容室で小規模魔法の発動を確認、対応部隊は直ちに向かい鎮圧を開始して下さい。繰り返します……」
第一次ならまあ特に問題はない。
数名で対処可能だ。
一番数が多い分、トラブルも多いが……一番対処がしやすく鎮圧が楽なのだ。
まあ、それも経験豊富な我々がいるからこそなのだが。
そんな第一警戒区画は全員で14名、それぞれが軍を相手に出来る者達でここに居る人数を戦闘に放り込めばほとんどの進軍に対して対処できるだろう。
だが、彼らは記憶障害を負っている。
殆ど魔法の知識を中途半端にしか覚えておらず、気質も穏やかな部類の者達だ。
長い詠唱など無理で、たまにこうして唱えられるものも中級魔法程度まで。すでに戦力としても使いものにならないわけだが、魔力によって若作りと長寿だけはあるのでなかなか面倒ではある。
特に女性に顕著だが20代あるいは10代の姿を未だに保っている者も居るのだ。
なぜかそういうのだけは忘れず、時が来れば勝手に儀式をしている。
もちろん延命の方はもう無理だから魔力が尽きるか、記憶が無くなるかでそのまま永遠の眠りへと付くだろうが……。
「鎮圧が完了しました。警戒態勢を解除し、通常の運営に戻って下さい」
ああ、終わったか。
とりあえず、見に行ってみる。
「……どうだ、容態は」
「施設長!……現在モーラ様は我々の話を聞いて落ち着いていただけたようです。発動しようとしていた魔法もインプが出たと言うことでそれに対して放とうとしたもののようでした」
「……幻覚が出始めたか……」
「そのようです」
モーラ様は見た目17~8の若い少女だが、実際の年はすでに230を超えている。
最も、最近の顔ではないので大分古い時代の若者という印象なのだが。
こうみると昔と今とでは大分人の顔というものも変わってきているのだなと感じる。
しかし少々困ったことになった。
幻覚が出始めたということはそろそろ第二警戒区画への移動も考えなければならないだろう。
普段は穏やかであっても、幻覚が見え始めると今のように「部屋の中に○○が居る!!」などと言って魔法を放つようになるのだ。
それも、少々威力が高いものを使う傾向がある。
「記憶があやふやだから大魔法は使わないだろうが、まれに突然思い出して放つ時もあるからな。これ以上ひどくなるようならば第二へと移動させよう」
「……これはこれは館長さん。ようこそおいでなさった!どうですか?私の娘から送られてきた美味しい菓子が……あら?何処へ行ったかしら?」
「モーラ様、確かもうお食べになったはずですよ。お気持ちだけ頂いておきます」
「あらそう?最近忘れてばかりで……嫌ね。ああ、この手紙を娘に渡しておいてちょうだい、あの子ったらろくに連絡も寄越さないんだから」
「……分かりました、お預かりしておきます」
正直なところ何が書かれているのかわからないほどに崩れた文字の手紙を胸にしまう。
預かってはおくがそれだけだ。
これが外部へと出ることはない。
彼女の娘というのはもう200年近く前に亡くなっているのだから。
しかし、見た目だけは若い彼女がこうして老人としての振る舞いをするのを見ていると、少々心苦しいところがある。
身体も特に問題ないように見えるが、それは見せかけだけだ。
実際はすでにもう身体はボロボロの状態で、歩くこともままならず、目もあまり見えていない。
耳も怪しい。最近は呼びかけに対して反応しないことが多いと言われているから、恐らく聞こえにくくなってきているのだろう。
見た目だけは若いため世話は女性職員にやらせているが。
無いとは思いたいが、間違いがあってはならないのだ。
彼女の部屋を後にして、戻る途中。
職員の悲鳴が聞こえたため、ドアの開き窓を開けて覗いてみたら……異臭と共に糞を投げつけられている職員が見えた。
……ああ、かわいそうに……。
入っているのは元宮廷魔術師として名を馳せたカイル導師だ。
彼はこの施設の中で最も若いが、残念なことにこの異常が人よりも早く発現してしまった。
やたらと人を怒鳴りつけ、躾と称して魔法をぶっ放し、最後には宮廷から追い出された挙句にここへとやってきた。
入った当初は暴れて仕方なかったが、今はもう人の顔すらも分からず、魔法のまの字も思い出せないようで中に掃除などで入ってくる職員に対して攻撃したりするが、まあ安全だ。
安全だが……ああやって自分が垂れた糞を投げつけたり壁になすりつけたり……食ったりしている。
かなりの人数が被害を食っており、正直私も昔あそこへ入るのが苦痛で仕方なかった。
また女性が入るとなにかスイッチが入るのだろう、突然盛りだすという困った方となっているため、近くを女性職員は通らないようにと言われているほどだ。
見なかったことにして部屋へ戻ると……今度は第三次警鐘が鳴らされ、どたどたと部屋の外を走っていく音が聞こえる。
「第三次警鐘、第三次警鐘、301収容室で大規模魔法の発動を確認、隔壁を閉鎖し、直ちに職員は安全な場所へ避難して下さい。規定の対応部隊は直ちに対応を開始し、第三警戒区画を隔離して下さい。繰り返します……」
気が休まる時間がない。
第三次となればかなりの危険が伴う。特別に訓練された部隊が出動し、直ちに第三警戒区画を「魔術的に」隔離する手順が取られる。
これは第三警戒区画から第四警戒区画で起きる可能性のある事を考えれば当然のことでもある。
何しろ……通常の手順で収められるのは第二までだ。
第三、第四となると危険な大魔法を行使できる可能性のある者しか入ることはない。
さっき外を走っていったのは一般対応部隊の者達で、彼らは近くで待機している特別対応部隊が突入したのを確認した後、空間ごと別の場所へと飛ばす。
最悪の場合王都が消える可能性があるのだ、多少の犠牲は仕方ない……ということだ。
「私だ。状況はどうだ?」
『現在、キリム様が呼び出した魔物を駆除中です!キリム様本人は魔法陣の中心で気を失っている模様、魔物は術者の支配下に無く、我々を敵と見なしています』
「キリム様の容態は?」
『今、確認中……無事です!脈を確認しました!魔物を駆除し次第召喚ゲートを閉じ、復旧いたします!』
「……分かった。最後まで気を抜くなよ」
……とりあえずは安心か……。どうにか「無事魔法は発動した」らしい。
下手に失敗されるよりはよっぽど被害が少なくて済む。
術を発動した本人は恐らく魔法の発動で消費した魔力が多かったか何かで気絶したのだろう。
第三は彼の他にはあと3人……第四に至っては1人しか居ないが、全員がもれなく危険なのだ。
知識を保ったまま幻覚や幻聴が見えている状態で、見た目はしっかりしているようにみえるから余計に困る。
はっきりとした受け答えや、人に対しての対応は実にまともに見えるのだ。
しかし……良く知っていればおかしい所だらけであり、「今日は陛下が直々に会いに来られて私に記念品を渡してくれた、何処へ持っていった?」など有りもしない事を本当にあったかのように話し始める。
大体陛下がこんな所に来るわけがないだろう。
詠唱や知識をすっかり忘れてくれれば第二に戻すことも可能なのだが……。
やがてしばらくしてまたアナウンスがあり、先程のキリム様の対応が終了して警戒態勢が解除されたことを報告する。
特別対応部隊の体調が来て報告することには……。
「今回のキリム様の騒動ですが、どうやらすでに亡くなった魔法使いの方と召喚合戦をしていたようです」
「……」
頭が痛い。
本当に、こんなのばかりなのだ。
魔法を使わずに職員が振り回されるだけならばまだ良い。だが、こうして危険な魔法を突然放とうとするのは本当に止めていただきたい。
何なのだ、召喚合戦など……。
どちらが優れた召喚術士かなどどうでも良い。死んだ後に勝手にやってほしい。
五日に一度……いや三日に一度くらいでこんなことが起きるのだ。
頭がおかしくなる!
ネクロマンサーである303収容室にいるミライア様など、しょっちゅう冥界から旧友を呼び出してはお茶会をしている。
訳の分からない話を延々とされる死者たちもうんざりだろう。
そうでなければ魔法の発動をしくじっては冥界の門を出現させ、亡者どもをこの世界に解き放ってしまうのだ。
次から次へと湧き出てくる骨と皮だけの亡者、そしてそれを食らう冥界の魔物……あれを相手にしている間に他の収容室でも問題が発生し……とあの時は本当に苦労した。
お隣の302収容室のストレイ様は勝手に部屋の大きさを変える。
空間魔法の使い手であり、誰も使いこなせないほどの大空間を自分のものとするのは良いが、それを部屋に適用しないでいただきたい。
特別対応部隊が五日かけて彼の下にたどり着いた時、ストレイ様は元から骨と皮だったが更に木乃伊じみた様相となっておりすでに餓死寸前だった。
まかり間違ってこれが途中で失敗していた場合など、第三警戒区画自体がこの世から消えてしまうところだったから本当に洒落になっていない。
なんとか三日かけて解呪に成功したときなど、流石の特別対応部隊も相当疲弊していた。
そしてその度に緊急配備をかける我々の神経もすり減っているのだ。
隊長の顔も疲れている。
「まあ……なんだ、今回も最悪の事態は免れたようで何よりだ……。君たちは別部隊と交代し、今日はもう休め」
「はっ!」
流石に数時間も戦闘していたのだ、疲れていて当然だろう。
こんな状態では次に何かあった時に対応しきれない時もある。故に、対応部隊の中でも特別対応部隊は特に交代要員が多い。
何かがあればその部隊全員が消える可能性すらあるのだから、ある程度の人数が必要なのだ。
過去に実際部隊がまるごと消失した事件も実際にある。
それ程に危険な仕事なのである。
幸い、私が施設長に任命されてからは特にそう言った緊急事態は起きていないが……今よりも収容人数が多かった時期は大変だっただろう。
しかし我々もこうして対応を続ける内に大規模魔法に対する備えというものが出来るようになったのだ。無駄ではなかったと信じたい。
でなければ心を病んで辞めざるを得なくなった職員たちにも申し訳が立たない。
だがまあ仕方あるまい。
四六時中うめき声が聞こえていたり、ボロカスに罵られたり、無限ループする話し相手をしたり……そんな状況で常に命の危険すらも付きまとう。
この施設である程度やっていった者は、他の職についた時にその対応力とタフさで驚かれるが、これを経験したのならば当然とも言える。
「……ふう……もうこんな時間か……」
そろそろ人員交代の時間だ。
私の今日の仕事ももうすぐ終わる。
「施設長、今日の報告書です」
「うむ。……また本を破損したのか」
「何度も注意をしているのですが、自分の気になるページを破ってしまうのです……」
図書館の警戒区画入り前の人だ。元々気難しい方なのだが危険な兆候が見られたためここへ収容された。
困ったことにこうして備品である本を破損して自分の部屋に無造作に積み重ねる。
どれだけこの本に価値があると思っているのか……数年前から少しずつ写本させて居るがいつ終わることか。
これも予算を用意してくれない王国が悪いのだが。
上にいるものたちは我々の仕事をよく分かっていない。
どれだけの危険で、重要な仕事をしているのか分かっていない。
そしてここにあるのは魔法を使い始めたときからの叡智が詰まったものだ。
無造作においてあるメモ書きだけでも価値があるのだ。
耄碌した者達が書いたものだと侮るものではない、そこには延命なしには辿り着けない知識の宝庫がある。
それを複製するのがどれだけ重要な事かなぜわからないのか。
消失したらそれまでなのだぞ。
本の制作には金がかかると言って予算をくれないから、こうして少人数でコツコツと進めるしかなくなっているのだ。
これでは何年先に終わるのか……いや、その前にこの施設が消し飛んでいる可能性だってありうる。
「上にはまた嫌な顔をされるだろうが、修復と複製の話をしておく」
「ありがとうございます」
下がっていく職員を視界の端で追いながら、報告書へ目を通す。
怪我や破損はしょっちゅうだ。
まあ特に問題はない。
精々私が怒られる程度で済む。
国に尽くしてくれた人だから怪我をさせるなどもってのほか!と言われるが、それならばもう少し我々の話にも耳を傾けてもらいたいものだ。
突然暴れる事などしょっちゅうというこの環境で、暴れた時に何処かにぶつけて骨を折ったりすることに対応しきれるわけがないだろう。
そもそも、なにもないところで突然転んで怪我をすることすらあるというのに。
現場がもっと見ていればいい、というのであれば見学しに来ればいいのだ。
何度も見学しろと言ってもなんだかんだ理由をつけて逃げているくせに。挙句、適当な改善案を押し付け、ならばと予算を請求すれば「出せない」ときた。
何がしたいのだ。
人員が不足しているとして増員を求めた時も、考えておくと言ったっきり音沙汰なしだ。
当然、募集してすら居ない。
まあ良い。
そういうことをしている彼らも、そのうちここへ来ることになるだろう。
次は収容される側となって。
延命儀式を禁止された今、今までよりもずっと早く狂っていく。
その時ここに来て、今まで通りの対応をすることでどういう言葉を吐くのか楽しみである。
さて帰ろうかと鞄に手をかけたところで、静かに一度鐘が鳴らされた。
この呼出は……。
治療術師のいる部屋へ向かうと、数名の職員と……その前にベッドに横たえられた老人が一人。
「先程、見回りをしていたら201収容室のソルベ様が机に突っ伏しているのを発見しました。もう遅い時間ですのでお声をおかけしたのですが……」
「……そうか、亡くなったか」
「はい。魔力の流れもなくなっており、心臓は止まり、息をしておりません。ソルベ様は大分前からすでに儀式を行って居ないということでしたので恐らく……」
「ああ、彼は記録によれば87年前を最後に儀式をしていない。もう、限界だったのだろう」
彼は……自分の記憶が失われていくこと、そして皆が見ているものと自分が見ているものが違っていることに気づき、自らの判断で儀式を止めた。
これ以上生きていても、もう自分には先はないと言い、緩やかに死ぬことを認めたのだ。
第二に収容されている通り、最近ではもう誰の顔も判別できないほどに混乱しており、男が入れば息子と呼び、女が入れば妻と呼んでいたくらいだ。
それでも、こちらを気遣ったり、大した騒ぎを起こすこともない見本的な方だっただけに残念でならない。
「……遺体を整え、葬儀の手続きを。私は城へ報告を書く。後のことは……たまには宮廷の奴らに頑張ってもらうとしよう」
これだけ長生きしている方の関係者へと連絡を出すのは上の仕事だ。
私は彼の家族などの情報は持っていない。開示される立場にないからだ。
だが、家族などとうに全員死んでいる。
今残っているのは何人いるかもわからない子孫だけ。
生きている者もいれば死んでいるものも居る。
それを調べて文を出し、彼の遺産を分配するのは……我々の仕事ではない。
彼は御年326歳。
果たして何人の子孫がいて、その誰が何処に居るのやら……考えたくはないものだ。
「我々の何分の一かでも苦しめばいいのだ」
「施設長、お気持ちはわかりますがそれは流石に……」
「む……」
ああ、つい本音が出てしまったか。
これくらい良いだろう。
こちらとしてはまだまだ上に認めさせたい事が山ほどあるのだ。
あの延命儀式を止めただけでおとなしくなると思わないで貰いたい。
書類を書き上げ、手紙で報告を出す。
どうせ明日の朝にならなければ受け取りに来ないのだが。
ようやく終わった。
夜になって一部の人がずっと呻いている以外は平和だ。
……彼は動けなくなっており、呼吸とともに声が漏れるからあれだけはもうどうしようもない。
かと言って防音の魔法を使うと様子がわからないこともあり仕方なく減音に留めているのが現状が、それ以外は至って平和である。
いつもこんなに静かならどれだけ良いことか。
そして、今日も生きて帰ってこられたことに感謝しながら帰路につく。
……ああ、ところで。
我々永遠の魔術図書館は新しい職員を募集したい。
募集は表向き出ていないが、こちらはいつでも歓迎だ。
自信がある者は応募してみないかね?