量産品
今の世の中、多くの量産品がある。
そして、量産品は品質がいいと言われたり安価だったりしている。そんな量産品が多くなり人気なこの今の世の中で1番生産され1番使われ1番捨てられている量産品がある。それはあまりにも身近にあるため忘れ去られている量産品である。その量産品の名を「人」という。病院という工場で生まれ学校という工場でランク付けされ会社という場所で使われる。壊れれば病院という工場で直し、足りなければ購入、量産品であってもどこのメーカー産かは重要でメーカーによっては製品を受け取って貰えず、またあるメーカーでは製品が品切れになりそうになる。
そして製品は無茶な使い方をすれば壊れる。しかし、壊れる事が日常となるとその事実は目を向けられなくなる。そして壊れた物は捨てられる。壊れ方によって捨てられる場所は違う。大きく壊れた物は工場に持っていかれ直される、小さく壊れたものは少しだけ使用を止めてその後また使用される。また、その製品は電池で動く。電池の残量は見えにくく電池を入れ直すのは大変である。そして電池切れがおこる。電池が切れた製品は電池を入れ直すことが出来ない。1度切れてしまえばそれっきりの製品である。しかしこの電池切れは多々おこっている。製品の中には自分で電池を取り外す者もいる。そのような者は一時的に話題になるがすぐに忘れられる。そう、何も思われずに捨てられるのだ。多くの製品は何も思われずに捨てられ、少しの話題になった製品もすぐに何も思われなくなる。なぜなら話題にする側も製品だからである。この量産品には自我がある。自分が生き残りたいという自我が。そのため、製品同士で傷つけ合い壊し合う。上からの立場でいる奴は自分の立場を守るために他の製品を壊す。この壊し合いはいつまでたっても終わらない。終わらせる者が物がいないから...