プロローグ
「カラン」と扉の上についたベルが鳴り、一人の客が店内に入ってくる。初老の品のいい男性。所狭しと並ぶ本が白熱電球に照らされる、雰囲気のある店内の奥に歩を進める。
「いらっしゃいませ」
「おや、今日は勲君ではないんだね」
「はい。今日は用事があるらしいので、ごめんなさい」
「いや、彼に頼んでおいた本なんだけど。いないんじゃ仕方がないか」
「あぁ、それでしたらこの本ですよね。聞いて預かっています」
カウンターの奥から一冊の本を持ち出してきて、その男性に手渡す。
「ああ、これだよこれ。ありがとう。大変だったんじゃないかい、探すの」
「そうでもないみたいです。割りとすぐに見つけてきたみたいですから」
「相変わらずすごいね、この本屋は」
東京の郊外。ベッドタウンといえば聞こえはいいが、高度経済成長期に作られた時代遅れのニュータウン。既に高齢化が進み若い人がいなくなった街。そんな街の小高い丘の上、住宅街の一角にこの書店はある。
古書店『宿木』
ただの古本屋にあらず。ここに来る客は必ず目的をもって訪ねてくる。なぜかといえばこの本屋、客の希望はほぼ叶える。探し物があるならここに来ればいい。通な人間であればその名を知らないものはいない小さな本屋。一般の客はもちろん、学者研究者も頼って訪ねてくる。成り立たないような商売に見えなくもないが、その評判からかこの店は立派に成り立っている。
「ありがとうね。はいこれお代。勲君にありがとうと伝えておいて、ユウナちゃん」
「はい。必ず」
手提げ袋に本を入れ、客に渡す『ユウナ』といわれたその女性。
「今日はコーヒーはいいですか? いつも来たら必ず飲んでいくって聞いていたのですけど」
狭い店内に二席だけ、対面のテーブルと椅子がある。そこでおまけ程度にコーヒーを提供している。この男性は来れば必ずコーヒーを飲んでいたらしい。勲という店員からの情報を預かっていたユウナ。
「いや、今日はこれを早く読みたいから、遠慮しておくよ。わざわざありがとう」
「そうですか。じゃあまた今度是非。今日はありがとうございます。また何かあったらいってください。勲さんがすぐに見つけると思いますから」
手を振って店を後にする男性。店内で見送るユウナ。視界から見えなくなったところで、カウンターに置いたままの勘定を古風なレジスターの中にしまう。夕方になり客足も落ち着くだろう。挽いた豆でコーヒーを入れて一息つく。
天窓から西日が差しこみ一瞬店内が明るくなる。コーヒーを飲んでいるテーブルは日陰のまま。代わりにこれも古風な電気スタンドがコーヒーカップとソーサー、ユウナが読んでいる一冊の本を照らしている。
柱時計の音だけが店内に響いている。後聞こえてくる音とすれば、一定の間隔でめくられるユウナが読んでいる本の紙が擦れる音。時が止まってしまったような店内だが、時計は確実に時を刻んでいる。
17時55分、閉店5分前。
つい読み入ってしまった、時間が思った以上に過ぎている事にユウナが気付く。テーブルから立ち上がりコーヒーカップを片付ける。さすがにもう客はくるまい。表の札を「Close」に変えるため店の入り口に向かう。すると曇りガラス越しに人影があることに気が付く。
「カラン」扉が開く。やはり客だった。
「あの、すいません。まだ営業してますか?」
「はい、いらっしゃいませ」