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1-4

 とある建物の一室に、私はいた。

 その部屋の居心地の悪さは、筆舌に尽くしがたい。まるで、監獄の囚人のような気持ちにさえ、感じさせられる。

 この圧迫感あふれる部屋が、私に宛がわれた部屋。


 肉体的にも精神的にも息が詰まる。

 ……ここは地獄だ。またもや私は選択をミスしたのだろうか?

 思わずため息が零れる。その表情には、色濃い疲労が滲み出ている事だろう。わざわざ鏡を見るまでもない。


「もう無理! これ以上は……もう……」


 ため息に続き、泣き言も零れ出る。

 誰か! 誰か私を、この地獄から解放してよ!


 現在進行形で私を苛む地獄。――その名を書類地獄と言った。




 ここは、商人都市リーブラの一画を占めるフィーネ傭兵団の屯所、その一室だ。室内は、余りにも雑然としていた。

 処理済みの書類――睡眠時間を代償とした、その成果――が山と成している。

 もっとも、それでも尚、未処理の案件が、津波のように押し寄せてきているわけだが……。

 その圧迫感の酷い事。物理的にも、精神的にも、この部屋の主を追い詰めて行く。


「眠い、少し横になろうかしら? でも、せめてこれだけでも片付けないと……」


 そう、後で痛い目を見るのは、他ならぬ自分自身だ。

 インクで汚れた手で、羽ペンを握り直す。さあ、もうひと踏ん張り……。ガチャリと扉の開く音。

 決意を新たに、作業を再開しようとした出鼻を挫かれる。


 ジロリと、扉の方に視線を向けた。その視線の先には、派手な羽飾りの付いた帽子を被る男の姿。

 その姿を見とめ、ただでさえ寝不足できつくなった目付きが、より一層鋭くなる。


「目付きが悪いよ、リルカマウスちゃん」

「その呼び方は止めて下さいって、何回言わせる気ですか?」

「さて、そうだね。君と違って、僕の頭は空っぽだからね。……記憶に留めるのは、難しいかな?」

「なら、中身が詰まる日を、大して期待せず待っています」


 低い声で、辛辣な台詞を投げ掛ける。

 もっとも、男はへらへらと笑い、まったく気に留めた様子もない。


 くそ、いちいち癇に障る男だ。

 その言動といい、纏う雰囲気といい、余り好きになれない人物だ。


 ああ、ちなみに、リルカマウスとは、こちらの世界に生息するネズミの一種。

 その胴体に比べると、大き過ぎる頭を持ったネズミである。

 人に対して使うときは、日本語でいうところの“頭でっかち”に相当する、揶揄の言葉となるわけだ。


 私はそれほど賢い人間ではないけれど……。

 しかし、現代日本の高等教育を侮るなかれ。中世の人間に比べれば、十二分に、知識人として扱われるに値する。

 まあ、その結果が、リルカマウスちゃん、なわけだけど……。


「それで? 副団長自ら、いったい何の御用事ですか?」


 私は派手な帽子の男――コンラート副団長――に問い掛ける。

 その声音には、多分に警戒心が含んだものとなる。

 しかし、こればかりは仕方ない。何せ、この部屋に人が来る時は、十中八九、新たな仕事が持ち込まれる時なのだから。


「これから入団式を行う。リルカマウスちゃんも、書記官として参加するように。分かったね?」

「私、全然、寝むれていないのですが、……拒否権は?」

「ふふ、あるわけないだろう」

「ですよねー」


 くたばれ、ブラック職場!

 内心で一度毒づくと、私は深々と諦めの溜息を吐き出した。


 書記官としての仕事。……私以外、その役職にある者がいないわけで……。

 とどのつまり、私が出ることは確定事項なわけだ。

 どれほど、他の仕事が溜まっても、断ることなど出来っこない。


 そして、そのことは、書記官の仕事だけに留まらない。

 驚くなかれ、何と私は、書記、会計、補給、……etc、と傭兵団の事務方の仕事、その大部分を兼任していた。

 何て、ドス黒い職場だ。とてもではないが、まともな人間の働く職場じゃない。

 

 やっぱり私は、選択ミスをしていたらしい。

 しかし、ならばあの時、どうするのが正解だったのか?

 コンラート副団長に、部屋の外へとしょっぴかれながら、ここで働くことになった経緯を思い返した。



****



「あ、あの……!」


 勇気を振り絞り、男たちに話し掛ける。

 すると、一斉にこちらへと視線が集中する。その視線は警戒心に満ち、友好なものとは言い難い。


「えっと、その、私は怪しいものじゃないです」


 自分で言っていて、それはどうなの、と思わなくもない。

 私は怪しいものです、と自ら申告する不審者もいないだろうに。


 まあ、しかし、私は見ての通り、無力な小娘だ。

 警戒心などすぐに薄れ…………ないね。いったい、どういうこと?


 男たちの視線は、私の服装、あるいは右手に握る長剣に……あっ!

 私は、自分が今どのような恰好をしているかを思い出す。

 血染めの襤褸を全身に纏い、血は拭ったものの、剥き出しの剣を握っている。


 ……これで何の警戒心も抱かなければ、その人間の危機意識は大いに欠如している、と言わざるを得ない。

 なるほどなーって、そんな悠長に、得心している場合じゃない!


 私は慌てて、長剣を放り投げる。そして、敵意がないことを表すため、両手を上げる。……ハンズアップ、こちらでも通じるのか?

 

 ううう、男たちの視線が痛い。

 暫しの間、互いに無言で見つめ合う。うー、胃が、胃がむずむずする。

 何か、早く動きを見せてくれと、祈る。

 すると、願いが通じたのだろうか? 唐突に、団長と呼ばれた男が馬首を返し、こちらに進み出てくる。


「俺は、メデス辺境伯と契約を結ぶ傭兵団長ライナス。娘、お前は何者だ?」

「ここから北にある、ドレミ村に滞在していた旅の者です」


 少しばかり嘘を吐く。まさか、馬鹿正直に異世界人ですと言うわけにもいかない。

 それに、村人ですと言っても、私の独特な容姿から疑われてしまうだろう。


「北のドレミ村……。やはり、ドレミ村でも襲撃を受けたのか?」

「はい」

「襲撃したのは、マグナ王国の兵士であったか?」

「旅の者故、軍装からは、いずれに属する兵かは分かりませんでした。しかし、正規兵と思われる整った軍装と、彼らの襲撃が北からであったこと、この二点から、マグナ王国の兵士であったと推測できます」

「……成程、筋の通った推測だな」


 情報提供者として、役に立たないと思われれば、途端に私の価値は失われる。

 そのため、理屈だった回答を心掛ける。

 ライナスは感心したように頷くと、重ねて問い掛けてきた。


「娘、他に何か気付いたことは?」

「……私はドレミ村襲撃直後、まっすぐこの村に来ました。しかし、この村も既に襲撃を受けた後。つまり、複数の部隊が、国境を越えているのではないでしょうか?」

「……そのようだな」


 ライナスは難しい顔で押し黙る。そして、暫しの黙考の後、顔を上げた。


「情報提供に感謝する。……受け取れ」


 そう言って、何かを投げてよこすライナス。

 それは、太陽の光を反射して、きらりと輝いた。私は慌てて受けとめる。

 硬く冷たい感触。握った手を開くと、そこにあったのは一枚の銀貨であった。


 そしてもう用は無いとばかりに、馬首を返すって、ちょっと待って!


「あ、あの……!」

「……何だ?」


 馬の動きを止め、億劫そうにこちらに視線を向けるライナス。

 何だ、じゃない! まだ、声を掛けた側の用事が済んでいないでしょうが!

 そう怒鳴りたい気持ちを押し殺す。


「リーブラまでの旅路に、同道させてもらえないでしょうか?」

「我々に、そうする義理がないな。情報提供には、それを以て報いたはずだが?」


 私が握る銀貨を、顎で示すライナス。

 ……この男! 銀貨を投げて寄こした時から、そのつもりか!

 彼の態度に、そう気付かされる。

 

 彼は、襲撃を逃れてきた娘に声を掛けられた時点で、何か面倒な頼みを言ってくるに違いないと、予測したのだ。

 そこで、先に銀貨を与えることで、厄介払いを試みた。


 うぐぐ、まずい。まずいぞ……。どうにかして挽回しないと……!


「…………私を連れていけば、傭兵団の役に立つと思いますよ」

「ほう」


 私の言葉に対し、面白げな響き持った声で返す、ライナス。


「それは何の冗談だ? お前のような小娘が、何の役に立つ?」

「文字の読み書きが出来ますし、計算の速さなら誰にも負けません」

「…………………………」

「傭兵団とはいえ、戦いだけが仕事ではないでしょう? 傭兵団の運営を支える事務方が必要な筈です。そして、その手の仕事が出来る人材は多くはない。違いますか?」


 そう、傭兵団の運営に事務方は必須の筈。

 パッと思いつくだけでも、団員の給料の支給や、兵站面での補給など、最低でも帳簿係ぐらいはいるでしょう。

 そして、そういった類の仕事が出来る人材は、常に不足していると推測できる。


 ただ槍を持って振り回すぐらいなら、そこらの寒村から、食い詰めた農家の二男、三男でも引っ張ってくればいい。

 練度を無視すれば、そんな人材など、掃いて捨てるほどいる。


 しかし、知識階層はその限りではない。

 まず、絶対数が少ない上に、その手の希少な人材が、傭兵団の門戸を叩くことは、まずないとみていい。

 あるとすれば、よっぽどの訳ありか、何らかの原因で没落したものぐらい。


 ……幾分、希望的な推測だけど、当たっている可能性は低くは無い、と思いたい。



 ライナスは無言のまま、品定めするかのように視線を投げてくる。

 ……事の真偽を図ろうというのだろうか? 私は、真っ直ぐその視線を見つめ返す。


 暫くそうしていると、ライナスが徐に口を開く。


「…………ある領主から一万シリカの報酬があったとする。団員の給料として、一般団員に一〇〇シリカを十二人分。隊長六人に、それぞれ一四〇シリカ。団長、副団長にニ〇〇シリカを支払った。残った金額はいくらだ?」

「七五六〇シリカ」


 一拍すら置かず、ライナスの問いに即答する。

 芸は人を助けると言うが、やってて良かった公○式、ならぬ、珠算教室。


 ヒューと、派手な帽子の男が口笛を吹く。

 ……どうでもいいが、この軽薄そうな男は、問いの答えが分かったのだろうか?

 少なくとも、その他大勢の傭兵たちは、答えが分からなかったようだ。

 困惑した表情で、ライナスの顔を窺う。


「…………いいだろう。娘、お前の入団を許す」


 ライナスの言葉に、周囲の男たちがざわめき出す。

 そんな男たちに構わず、ライナスは言葉を重ねる。


「娘、名は何という?」

「雫です」

「そうか。シズク、ついてきたいと言うなら好きにしろ。ただし、役に立たないと分かれば、直ぐに放り出す。いいな?」

「はい!」


 問答が終わると、今度こそライナスは馬首を返し、乗騎をゆっくりと進ませる。

 派手な帽子の男も、こちらに一度胡散臭い笑み投げると、ライナスの後に続いて、自らの乗騎を進ませる。

 徒歩の男たちは、慌てて、その二騎の後を追いかけていく。


 ……どうやら、ライナスのお眼鏡に適ったみたいね。

 しかし、大事なのはこれからだ。何としても、自分の有用性を示し、傭兵団内に確固とした立場を築き上げないと……。

 そう、傭兵団の庇護が要らなくなるその日まで、平穏無事に過ごせるよう。


 歩みを進めながらも、周囲の男たちはチラチラと不躾な視線を投げ掛けてくる。

 私はそれらの視線を無視し、真っ直ぐと前だけを見据えた。


 その歩みの先にあるものが、どす黒い地獄であると、気付かないまま。






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