4-12
この古城に籠城してからもうじき三週間になる。
周囲を取り囲む敵兵は、七千程度だろうか?
対してこちらは、戦闘可能な兵力は三千を切っている。
その上酷く疲弊している。糧食も乏しい。
何とか切り詰めて食い繋いでいるが、遠からず限界が訪れる。
援軍の望みあれば、もう少し頑張れなくもないが……。
アルルニア諸侯軍本軍が援軍に来れるなら、とっくに来ているだろう。
諸侯軍本軍が援軍に来れないのは、第六軍に牽制されているから。
当初の作戦ならこちらが牽制する側だったのに、立場が逆転してしまっている。
はあ、何とも誤算だらけだ。
それもこれも、全てはアカネが用意した罠のせいか。
どうにか、この危機的状況から抜け出せないものか?
独力ではこの窮地を脱するのは厳しい。
なら、やはり援軍がいる。だが……。
僕たちの救援のためには、諸侯軍本軍が第六軍と決戦した上で、これを打ち破る必要がある。
さて、諸侯軍本軍にそんな気概があるだろうか?
ないね。うん、絶対にない。
僕やリルカマウスちゃんのような、発破をかける人間がいないと、連中の重い腰は上がるまい。
はあ、いよいよ僕の悪運も尽きたかな?
「殿下、少しよろしいですか?」
人目を憚る様に、声を潜めながらライナスが近づいてくる。
その顔には、くっきりと苦悶の表情が浮かんでいる。
ふむ、どうやら良くない知らせだね。
というか、良い知らせなんてずっと聞こえてこないけれど。
「何だい、ライナス?」
「糧食の件です。再度確認したところ、どんなに切り詰めても、後三日程度で底をついてしまいます」
「そうか……」
一言呟くと、目を閉じる。
なんとまあ、思っていたよりも酷いじゃないか。
さて、進退窮まった。
残された道は二つしかない。
援軍の到来に一縷の望みを掛けて、飢餓地獄を耐え抜くか。
あるいは、城門を打って出て、華々しく散るか。
うん、断然後者だな。というか、前者は無理だよ。
だって僕は曲がりなりにも王子様だよ。王族の一員。恵まれた生活をしてきたのだ。
そんな僕に、堪え性なんてあるわけないだろう?
無理、無理、無理だぁ。絶食状態で耐久するなんて、できるわけないよね。
ということで、兵らには悪いけど、特攻という名の自殺に付き合ってもらおう。
最後にその位の我儘なら許されていいだろう?
むしろ、許されるべきだ。
なんて、自分勝手な考えで今後の方針を決めてしまう。
勿論、兵らには別に、尤もらしい特攻の理由を告げないとね。
せめて、一矢報いて死すべし……みたいなね。
よし、それにするか。
僕は閉じていた目を開ける。
「最早これまでか……。ならば、せめて一矢報いるべし!」
僕は立ち上がり、声を張り上げた。
「殿下……。ッ、御意! 我ら一同、決死の覚悟で戦わん! 最後の槍働き、どうか御照覧あれ!」
まずはライナスが、そして、僕とライナスの遣り取りを窺っていた兵らも、ライナスに続いて声を張り上げる。
「応とも! 後世まで語り草になる槍働きを!」
「ただでは死なぬ! 連中に目に物見せてやる!」
「死兵の意地を見よ! 一兵でも多く道連れにしてくれん!」
……熱いな。ついていけないノリだ。
まあしかし、この声に応えるぐらいはしてみせよう。
彼らを死地に追い込むのだ。
せめて、彼らが望むリーダーを演じて見せよう。
「よく言った。諸君らこそ、我が自慢の兵だ。……再びあの世で会おう」
「殿下……」
何人かが、すすり泣き始める。
ああ駄目だ。湿っぽいのは。さっきのように意気軒昂な状態に戻さないと。
「ライナス、残った糧食を惜しまず兵らに振る舞え。最後の宴だ」
「はっ!」
ライナスの返事に頷くと、兵らに向き直る。
「諸君、酒がなくて済まぬが、宴を催す。明日の戦いに備え、英気を養って欲しい」
僕の言葉に、兵らが相好を崩す。
「おお、有難い!」
「よし! 最後の宴だ! 皆たらふく食おうぞ!」
「ああ! 酒が無いのだけが残念だが……」
「馬鹿言え! 酒癖の悪い貴様が飲んでみろ。明日の戦いで末代まで消えぬ醜聞を晒すぞ!」
「違いない!」
そうして、兵たちが陽気に笑い出す。
かくして、宴が催される。
古城での最後の夜は、陽気に更けて行った。
****
千マルスの先まで届けと、雄々しく喇叭が吹き鳴らされる。
早朝の蒼穹に、華々しい音色が鳴り響いた。
同時に城門が開け放たれる。
そして騎兵を先頭に、城門から兵たちが順次出て行く。
そして不自然なまでの静けさを以て、門外で矢印のような陣形を整えていく。
坂を下った先で古城を包囲する敵兵たちは、こちらの意図を察したのだろう。
あちらも急ピッチで迎撃準備を整えていく。
ほどなくして、槍兵たちを先頭に槍衾が形成された。
彼らの構える槍の穂先が陽光を照り返してくる。
僕はその眩しさに目を細めた。
敵味方共に動かず、睨み合う。
嵐の前の静けさとはこのことか。
些細な音を立てるのも嫌うように、じっとしたままその時を待つ。
そう、今この瞬間、敵味方問わず誰もがその合図を、僕が口にする『全軍突撃』という掛け声を待っているのだ。
剣を鞘から引き抜く。
その刀身をゆっくりと天へと掲げた。
「無念だ。ハインリヒ、俺は結局お前に勝てないのか……」
誰にも聞こえない小声で、そう呟く。
唇を噛みしめた。
そして苦い思いを振り切る様に、終わりを告げる声を上げる。
「全軍突撃!!!!」
天高く掲げた刀身を、勢い良く振り下ろした。
走る、走る、戦場を死兵が駆け抜けていく。
脇目も振らず、ただ愚直なまでに真っ直ぐ突き進んでいく。
先頭を走った騎兵たちが、我が身を省みず槍衾に突撃した。
開いた血路を後続の兵が、己が命を代価に押し広げる。
その血路を進む。進む。倒れ往く戦友を省みずに。
ただ、ただ、真っ直ぐに。
余りの勢いに、敵兵たちが泡を食う。
優勢な筈の敵軍に確かな動揺を与えていた。
だが、その代償は余りに大きい。
一人、また一人と、櫛の歯が零れ落ちる様に戦友たちが脱落していく。
後どれほどの時間、走っていられるだろうか?
もう限界かな?
そろそろ良いかもしれない。十分に頑張っただろう。
そんな気持ちで、敵陣の真っ只中、ふと遠くに視線をやる。
「うん?」
何だ、あれは?
いやいや、そんな馬鹿な。
信じられないものを見た。
うーん、でも待て、ありえないだろう。
僕は諦めの良い方だと思っていたのに……。
存外そうでもなかったようだ。
こんな、都合の良過ぎる幻を見てしまうなんて。
「殿下! 殿下! あれを御覧下さい!」
ライナスが狂ったような喜色の表情を浮かべ、一点を指差す。
おいおい、本当に? あれは幻じゃないのか?
僕の視線の先に、ライナスの指差す先に、僕らを押し潰さんとする敵兵たちに襲いかかる兵らの姿があった。
「リルカマウスちゃん、君ってやつは!」
敵兵に襲いかかっている兵らの旗印、それは、第七軍の旗印とアヴリーヌ伯爵の旗印であった。
なんてタイミングで現れるんだ!
まさか、図っていたわけじゃないだろうな?
ありえる、ありえるぞ! 僕に恩を売りつける気だな!
だが、許そう。よしよし、いくらでも恩に着て上げようじゃないか!
「諸君あれを見よ! 援軍だ! 援軍が来たぞ! もう一息頑張れ!」
今まさに倒れんとしていた兵たちが息を吹き返す。
一方、敵側の混乱は留まるところを知らない。
いける! 僕たちが内側から、援軍が外側からの猛攻!
期せずして、挟み打ちになっている。
思わぬ事態に、敵側の対応も鈍い。
いけるぞ! このまま敵兵を喰い破って――
あれ? どうしたのだろう?
不思議なことに右手に握りしめていた剣を取り落としてしまった。
何故だ? いや剣なんてどうでもいい。
このまま馬を駆けさせ……。
何だ? 視界が……ぼやける。
「――殿下!」
唐突に暗転する世界の中、ライナスの悲痛な叫び声を聞いた。




