4-4
皆さまは、三方ヶ原の戦いを御存じでしょうか?
上洛を目指す武田軍と、それを防がんとする徳川軍が刃を交えた野戦の名称である。
武田軍の侵攻に備えて、当初徳川軍は浜松城にて籠城。
ここで武田軍に対して籠城戦を展開する予定であった。
しかし予想に反し、武田軍は浜松城を素通り。
徳川軍を無視する形で、徳川の同盟者である織田領を攻撃する姿勢を見せた。
これに慌てた徳川軍は、浜松城を出て武田軍を追撃することを決意する。
だが、これは武田軍の罠であった。
織田領を攻撃するふりを見せただけであり、実際には三方ヶ原にて徳川軍を待ち構えたのである。
そう、徳川軍を浜松城から釣り出すための陽動作戦であったのだ。
結局、自軍より強大な武田軍と野戦となった徳川軍は惨敗。
戦巧者として知られる徳川家康の数少ない完敗の一つとして、史に刻まれることとなった。
さて、ここに一つ疑問が残る。
家康は、武田の陽動作戦に気付くことができなかったのだろうか?
後に天下人となる偉人が、あの家康が、その可能性を全く考慮しなかった。
そんなことが本当にあるのだろうか?
私見だが、おそらく家康は陽動の可能性に気付いていたに違いない。
それでも彼は浜松城を出撃した。それは何故か?
武田軍の行動が陽動であるなら捨て置けばよい。だがもし、真実織田領を攻撃するつもりだったら?
仮に武田軍が織田領を攻撃したとして、それを見過ごした徳川軍の立場は?
いったい徳川は、同盟者である織田に対して、如何なる言い訳ができただろう?
勿論言い訳のしようもない失態だ。徳川軍の面目は大いに潰れてしまう。
家康はそれを恐れた。
故に陽動の可能性を承知した上で、浜松城を出撃せざるをえなかったのだ。
今回のラティオ共和国軍の陽動作戦も、これと同じこと。
陽動の可能性に気付いても、敵は傍観することはできない。
必ずやオクキデンス城を出撃することだろう。
ならば、後は野戦にてこれを打ち破るだけ。
私たちはそのことだけに集中すれば良い。
私は馬に揺られつつ、この後の野戦に思いを馳せる。
戦の舵取りに関して言えば、ラティオ共和国軍は思い通り動かせる。
将軍たちは根回しにより抑えているし……。
何より、キリコ将軍の代わりに総司令官となったモスキーノ将軍は、急な大役にビビって、益々私に軍の動向を任せようとする始末。
幸いと言うべきか、何と言うか……。兎も角、共和国軍は自由に動かせる。
では、自由に動かせる共和国軍四万をどう使うか?
どのような野戦を展開すべきだろう?
彼を知り、己を知れば、百戦危うからず。
孫子の余りに有名な一節。
これを踏まえて考えてみましょう。
共和国軍は四万と兵の数で言えば、敵を大きく上回る。
しかし練度で劣り、その上、士気・統率面はガタガタ状態。
対するマグナ王国第七軍は、兵力は二万とこちらの半数。
しかし、その練度は高い。
特に騎士の国だけあって、騎兵隊の精強たるや!
最強との呼び声高い第二軍には劣るものの、それでも相当なものがある。
真正面からぶつかるのは危険だ。
戦史において、精強な寡兵が脆弱な大軍を打ち破った例は、枚挙に暇がない。
ああ、私たちもそうなる可能性が高いとも。
特に士気の低下が懸念事項だ。
緒戦でちょっと被害を出しただけで、動揺からの全軍潰走……なんてね。
そんなことになれば目も当てられない。
折角の兵の多さも意味が無くなる。
だったら、どうするか?
シンプルな解答は、真正面から敵を打ち破るのを諦めること。
……大軍の癖に、なんて消極的なことだろう。
まあ、それも仕方ない。
ただ、明らかな搦め手を試みようとも、敵に見破られかねない。
あちらは真正面からの正攻法に引き込もうとするだろう。
ならば奇襲か?
……視界の開けた野戦で、奇襲なんてどうやるというのか?
つまり、これも没である。
では冴えた解答は?
それを捻り出すのが、私の仕事ということになる。
まあ、こうして軍事行動に移っているのだ。
勿論、解答の目途は立っている。
後は実戦で、その答え合わせをしましょうというわけだ。
さて、採点の程はどうなるかしらね?
****
ラティオ共和国軍の転進を知るや、妹のリリーたち籠城派の意見を封殺して、オクキデンス城を出撃したのが二日前。
現在、我が第七軍はラクエウス平原に到達。
そこで、ラティオ共和国軍と相対することとなった。
眼前には、布陣を済ませこちらを待ち構える四万の軍勢の姿。
「……やはり、敵軍の転進は誘いだったようですな」
司令部の一員、作戦主任参謀のダマー少将が呟く。
「予想できたことだ、少将。しかし……。いやに挑発的な布陣をしてくれる」
ダマー少将の呟きに応えつつ、敵布陣を見やる。
共和国軍は中央に主力である歩兵集団を、そして両翼に騎兵を配していた。
少しでも戦史を齧ったことのある者なら、ある戦を想起するに違いない。
「確かに……。古の戦、スプレンディウスの殲滅戦を彷彿とさせる布陣ですな。あの様子を見るに、予想よりも敵軍は混乱していないのかもしれません。如何します、閣下?」
ダマー少将が問い掛けて来る。
いや、司令部内の全ての視線が、軍団長である俺に問い掛けてきていた。
布陣を見るに、敵軍は真っ向からこちらを迎え撃つ気だ。
しかも、こちらに破れるものなら、破って見せろと言わんばかりの布陣。
……確かにダマー少将の言通り、敵の混乱は少ないのかもしれん。だが……。
「望むところだ。私は、我が騎兵隊の精強さを信ずる。舐めてかかった共和国軍を後悔させてやれ! 我が軍も両翼に騎兵を配する! 敵軍を包囲殲滅するぞ!」
「はっ! 我ら第七軍一同、必ずや軍団長の期待に応えます!」
自身の決意の表明と、味方を鼓舞するため檄を飛ばす。
それに、参謀長であるバッハ中将が威勢良く応える。
「よろしい。ならば、急ぎたまえ!」
私の呼びかけに、優秀な参謀たちが即座に仕事に移る。
彼らに任せていれば、大過なく布陣を移行させるだろう。
「閣下、少し宜しいでしょうか?」
「うん? どうしたダマー少将?」
ダマー少将が声を顰めて、傍に寄ってくる。
何事かあっただろうか?
「……お嬢様のことです。お嬢様の騎兵大隊の配置は如何しましょうか?」
「ああ。それがあったか……」
声を顰めて近づいてきたダマー少将の行動に得心する
この戦、騎兵の務める役割は大きい。
騎兵の働きが、戦場全体の勝敗を左右することになる。
必然激戦になるだろう。
そして、妹のリリーは一個騎兵大隊を任される大隊長である。
だが、妹のリリーは、まだ本格的な戦場に出たことは無い。
実質これが初陣といってよい。
それが、いきなりそのような激戦に放り込まれては酷だろう。
「ギュンター少佐の大隊は後方に配置。予備兵力とする。……伝令には、ダマー少将、君が直接行きたまえ。貴官の言葉なら、強情な少佐も納得しよう」
苦笑しつつ、そのようにダマー少将に命令する。
あの妹が、予備兵力という名の安全圏に引っ込めと言われて、簡単に納得するとは思えないが……。
ダマー少将に、一つ骨を折ってもらうとしよう。
「はっ! かしこまりました!」
「うむ。任せたぞ」
敬礼を解くと、ダマー少将が司令部を出ていく。
じいやの健闘を祈るとしよう。
やれやれ、決戦前にこのような気苦労をしている場合ではないな。
慌ただしく動く部下たちの姿を見るともなく見ながら、物思いに耽る。
この戦勝てるだろうか?
勝てる。勝てる……筈だ。それが偽りない俺の思いだが……。
楽観的になっていないか?
……根拠なく勝てるというわけじゃない。
この戦い、中央が崩れるより先に、両翼の騎兵隊が敵騎兵を破れるかが鍵だ。
それは、決して不可能ではない。
第二軍までとは言わないが、我が騎兵隊も自慢できる練度だ。
勿論兵数差はあるが……。
敵と味方では、軍内での歩兵と騎兵の比率も違う。
我が軍の方が騎兵の比率が高い。
つまり、騎兵だけに限れば、そこまで圧倒的な兵数差というわけでもない。
十分練度の差で覆せる数のはず……。
そう、客観的に見ても、十分勝算がある。
妹や、一部の将校が慎重論を唱えるのは、戦況よりむしろ、司令官である俺の力量に不安を覚えているからだろう。
まったく情けないことだ。
まさか、こうまで身内に不安がられるとはな。
野戦決戦を唱えたのが父上なら、きっと将兵は迷わず戦場に赴いただろう。
……仕方ない。俺には軍団長としての実績も何もないのだから。
だが、それも今日までだ。
この戦で勝利を飾り、将兵に安心を与えられる将軍になってみせる。
決意を胸に、相対する敵軍を睨みつけた。




