1-12
夜空を裂く弓矢の風切り音。剣と剣がぶつかる金属の音。兵たちの悲鳴と歓声。そして、濃厚に立ち込める血の匂い。
戦場の真っ只中で、馬を走らせる。
混乱状態の敵先鋒に構わず、素通りする。
目指す先は、もっと奥。障害となる者だけに剣を振るいながら、先を急ぐ。
……千載一遇の好機だ。これを逃す手はない。
ここで、誰の目にも明らかな戦功を上げる。後の展開のために。再び世に、華々しく名乗りを上げるために。
そのために必要なのは、アドルフ・フーバー将軍の首級ただ一つ。
手綱を握る手に、思わず力が入る。……いけない、いけない、落ち着かないと。
「コンラート副団長! 友軍から突出し過ぎでは!?」
後ろを追いかけてくる部下の一人が、疑問の声を上げる。
はあ、全く……。説明する時間も勿体無いというのに。
「勝勢に乗って、敵将の首を獲りに行くのさ。……恐ろしいかい?」
「それは…………」
「恐ろしいなら仕方ない。僕一人で行くから、君たちは引き返しなよ」
「べ、別に恐ろしくなど……!」
その言葉を聞き、口角がつり上がる。想定通りの答えだ。
今回直率する兵たちは、傭兵団の中から腕のある者、そして、それ以上に自尊心の高い者たちを選りすぐってきた。
今みたいに言えば、引き返すとは言えないような連中だ。
無駄な意地と見栄。まあ、それも理解できなくはないけど……ね。
今は、それを利用させてもらおう。
「それは良かった。では、英雄になりに行こうか」
更に、彼らの自尊心を擽るような言葉を与えてやる。
興奮したのだろうか、顔を紅潮させる男たち。……単純だねぇ。
さて、説得も済んだことだし、先を急ぐとしようか。
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その光景を何と評すべきだろう。
壮絶、苛烈、鬼気迫る、あるいは、英雄的な奮戦であろうか。
彼の将軍は、全身を赤に染めながらも、未だ馬上で剣を振るい続けていた。
齢五十近い年齢を感じさせぬ、その戦いぶりはまさしく、猛将の呼び名に恥じぬもので……。
敵味方問わず、畏敬の念を抱かずにはいられない、そんな姿がそこにあった。
「ふ、副団長」
自分を呼ぶ部下の声が震えている。無理もないね、これは流石に。
「悪いが、将軍の相手は僕に譲って貰うよ。君たちは、周囲の敵を頼む」
「は、はい。御武運を」
明らかにホッとした顔つきになる部下たち。本当、分かりやすい連中だ。
「はっ!」
気勢を上げ、馬を駆けさせる。
目標への距離が、見る見る縮まる。赤い修羅の姿が、もう目の前に。
ぶるりと、体が震える。恐怖故か、それとも、武者震いにか。
どちらであろうと関係ない。これからやることに、変わりはないのだから。
自らに近づく新手に気付いたのであろう。フーバー将軍が馬首を返し、こちらを睨み付けてくる。
そして、将軍もこちらに馬を駆けさせた。
「はぁぁああああ!」
互いの馬が擦れ違う。その刹那、奔る二条の銀閃。両者が一点で交わる。
甲高い金属音。闇夜に火花が散る。
「ぐっ!」
あまりに重い剣撃。体ごと弾かれそうになるのを、何とか堪える。堪えるが、それでも上体のバランスが、僅かに崩れる。
駄目だ、駄目だ、体勢を整えろ! 避けろ、避けろ、返す刃が……くる!
「うおっ!?」
飛ばされる羽付き帽子。頭ギリギリを、剣がすり抜けていった。
ぶあっと、汗が滲み出る。やばい、死んだかと思った。
互いに一旦距離を取る。左手に巻き付けた手綱を操り、円を描くように、乗騎をゆっくりと歩ませる。
張り詰めるような緊張感。隙を窺おうと、敵の姿を注視する。
…………隙なんかないね。何だ、この親父。いったい、幾つだよ。
もっと、こう、心身の衰えとかさぁ。
はあ、逃げ出したい。無性に逃げ出したいけど、そうもいかない……か。
ええい、ままよ。なるようになれ!
「はあっ!」
再び乗騎を駆けさせる。風が、露わになった髪を巻き上げる。
互いの距離が再度縮まっていく。
木々の合間をすり抜けて、月光がコンラートの顔を照らした。
「なっ!? 馬鹿な、貴方は……!」
目と鼻の先、驚愕の声を上げながら、目を見開くフーバー将軍。
その動きが硬直する。その隙を逃さず、僕は、右手に握った剣を――。
「閣下!」
悲痛な叫びに、はっとする。後ろを振り返ると、フーバー将軍が馬上から崩れ落ちていくところだった。
一瞬、頭が真っ白になった。心臓が煩いほどに鳴り響いている。
えっと、僕は、フーバー将軍を……やったのか。
「おのれ、よくも閣下を!」
武人らしからぬ、知的さを感じさせる風貌の男――参謀だろうか?――その男が怒りに声を荒げながら、こちらに突貫してくる。
その怒りは本物だが……。しかし、残念ながら腕が伴わない。彼の振るう剣の軌道を見切る。
そして、容易くその剣を弾き落とした。
「ぐぅ!」
呻き声を上げる男。その首筋に、剣先を突きつけた。
「指揮官を討ち取り、勝敗は決した。潔く投降しろ」
一応、投降を勧めてみるが……。こちらを睨む瞳の中には、憎悪の炎が燃えている。
とてもではないが、命乞いをする人間の目ではない。……これは、無駄な説得だったかな。
「見縊るな、小僧! 指揮官を討ち取られ、のうのうと生き伸びる幕僚などいるものか!」
「そうか。ならば……」
「待て! わざわざ、貴様の手を煩わせるまでもないわ! マグナ騎士の最期を見るがいい!」
そう言うや否や、腰の短剣を抜き放つ男。瞬間、警戒するが、その刃はこちらにではなく、男の首元へと奔る。
舞い散る鮮血。男はゆっくりと、馬上から崩れ落ちた。
「ひいっ!」
「な、なんだ、こいつら!?」
同時に上がる、戸惑い交じりの声。その声につられ、周囲に目を向ける。
先程自害した男と同じく、将軍の幕僚と思われる男たち、彼らが一斉に自刃する姿が、そこにはあった。
指揮官と運命を同じくする……か。フーバー将軍の人望も大したものだ。
フーバー将軍は、猛将と呼ばれる気質の持ち主だけあって、部下に厳しい御仁だ。
それ故に、彼を煙たがる兵も少なくない。しかし、古参の兵たちからは慕われる将軍だった。
何故なら、彼は部下に厳しい将軍だが、それ以上に自分に厳しい人で……。
何より、部下に厳しく当たりながらも、同時に、部下をこよなく愛する将軍だった。
長く、彼と共にあった兵たちは、そのことをよく知っていたのだ。
僕も……俺も、そんな彼のことが、嫌いではなかった。
この場での戦闘は終わった。しかし成すべき仕事が、まだ残っている。
……気乗りしない仕事だが、やり遂げねば。
乗騎を、将軍の遺体の傍まで歩ませる。そして、ゆっくりと下馬すると、将軍の死に顔を見下ろした。
このように異国で屍をさらすなど、無念であっただろうか?
あるいは、将軍のことだから、多くの部下を死なせてしまったことを恥じ、自身を責めながら死んだのかもしれない。
「……フーバー将軍、少なくとも恥じる必要はない。卿の此度の敗戦は、相手が悪すぎた。ただ、それだけなのだから」
こんなことを伝えても、何の慰めにもならないだろうけど……。
それでも、言葉に出さずにはいられなかった。
遺体の傍らに膝をつく。左手で将軍の頭を押さえると、長剣から持ち替えた短剣の刀身を首筋に当てる。
一瞬の逡巡の後、覚悟を決めて一気に刀身を入れていく。
そして、胴体と首を切り離した。
手に酷い感触が残る。胃液が逆流し、吐き出してしまいそうだ。だけど、まだ我慢しなければ……。
左手で将軍の髪を握り締める。そして騎乗すると、首級を高々と天に掲げた。
「フィーネ傭兵団のコンラートが、フーバー将軍を討ち取ったぁぁああああ!!」
千マルスの先まで届けと、声を張り上げる。
その声が、戦いの終わりを告げる合図となった。




