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【書籍化】魔女軍師シズク  作者: 入月英一@書籍化
一章

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13/88

1-9

 よく晴れた青空の下、市街を一人歩いていく。

 通りは、いくつもの店舗が軒を連ね、客引きの声や、店を覗く人々の雑踏が途切れなく続き、大変な賑わいを見せている。

 ――この通りも、赤く染まるのだろうか? あの、ドレミ村のように……。

 通りを歩きながら、そう漠然と考えてしまう。


 そんな私と対象的に、道行く人々の暢気なこと。

 まだ、この都市に迫る危機を知らないのだから、無理もないけれど……。


 きっと彼らは、今日という日常が明日からも続くと、信じて疑いもしないのだろう。なんと、楽観的なことか。

 でも、まあ、そんなものよね。

 私も日本にいた頃は、彼らと同じく、いえ、彼ら以上に平和ボケしていたもの。


 しかし、幸か不幸か、今の私は残酷な現実を知っている。

 ならば、そんな今の私は、いったいどのように行動するべきなのか?

 少なくとも、その日が来るまで、傍観しているだけということはありえない。ありえないけれど……。

 困ったものね。名案が浮かばない。本当にどうしようかしら?


 …………取り敢えず、仕事部屋に戻ろう。

 そして、戻ってから、ゆっくりと考えればいい。うん、そうしよう。


 そう結論付けると――問題の先送りとも言う――私は、傭兵団屯所までの帰路に就いた。




「ああ、やっと帰りましたか。もう少し遅ければ、きっと書類が部屋から溢れかえっていたでしょうよ」


 部屋に戻ると、今まで一人で書類を捌いていたワイズが恨みごとを言う。

 まったく、開口一番がそれとは、この男のやさぐれ具合も中々のもの。商談で初めて顔を会わした時は、もう少し真っ当な性格をしていたのにね。

 

 嘆くべきは、フィーネ傭兵団事務方の仕事量。

 その環境は、あまりにもドス黒い。もしかすると、ブラックな職場が、人に及ぼす影響を図るに、良い実験場になるかもしれない。

 半分冗談、半分本気に、そのような益体もないことを考える。


「何です、心ここに非ずといった顔をして……。間違えても、過労で倒れたりしないで下さいよ。これ以上、仕事量が増えては堪りませんからね」


 ワイズは、隈を張り付けた瞳でこちらを凝視しながら、そんなことを言う。

 こちらの発言は、百パーセント本気ね。間違いない。


「はは、ずいぶん参っているね、ワトソンくん。そんな君に朗報よ」

「何です? ……朗報?」


 訝しげな表情を造るワイズ。その声音は警戒心に満ち満ちている。

 そんな彼に、明るい声で告げる。


「この膨大な仕事量から解放される……かも。ね、本当だったら、朗報でしょう?」

「解放される? ……いったい、何の冗談ですか、それは?」

「冗談じゃないわ。だって、職場そのものが、なくなるかもしれないもの」



 そう言って、にっこりと笑ってやる。ワイズは唖然とした表情を浮かべた。



****



 椅子に腰掛けながら、天井を見るともなしに仰ぎ見る。

 室内には、もう慣れっこになったインクと紙の匂いが充満している。むしろ、最近ではこの匂いに包まれていないと落ち着かない。……我ながら重病ね。


 部屋で一人考え込む。ワイズは既に部屋から追い出した。

 考えるのは、今この都市に訪れようとしている災いのことに他ならない。


 迫る隣国の軍団。この事態に対し、私にとってベストな展開とは?

 それは勿論、辺境伯軍が勝利すること。……可能性が著しく低いのが難点だが。


 まあ一応、それを実現できるかどうか、考察してみよう。

 考えるだけならタダだ。



 大軍を擁する敵勢に対し、寡兵を以てどう立ち向かうべきか?


 真っ先に思い浮かぶのは籠城戦だ。

 城攻めにおける攻者三倍の法則という言葉は、歴史に疎い人でも、聞いたことぐらいはあるのではないだろうか?


 城に籠る守兵は、敵勢に対し圧倒的なアドバンテージを得る。

 寡兵にとっては、そのアドバンテージが命脈を繋ぐ頼みの綱となるだろう。


 もっとも人によっては、援軍の当てのない籠城戦は自殺行為だと、非難するかもしれない。

 しかし、これは間違った意見だ。


 古今東西、援軍の当てなく籠城し、結果、助かった事例は枚挙に暇がない。

 その肝となるのは、兵糧だ。

 籠城戦における兵糧攻めといえば、守兵側が受けるものというイメージが強いかもしれない。

 しかし、現実はその限りではない。


 現代に比べ、農作物の生産量、また、その輸送能力が大きく劣る中世では、潤沢な兵站線を築くことは至難の業だ。

 殊更に、自国を遠く離れた遠征軍にとっては尚のこと。


 実際、戦史において、包囲側が籠城側より先に兵糧が尽き、撤退を余儀なくされたという事例は、驚くほど多い。


 そして幸いなことに、リーブラは商流の拠点だけあって物資は豊富だ。

 先に兵糧が尽きるのがどちらかは、論ずるまでもない。だけど……。



 今回、籠城戦を採るに当たり、不安要素も多い。


 一つ目が、この都市の防衛能力だ。

 商流の拠点、アルルニア王国北部最大の都市だけあって、その規模は大きいし、一応都市をぐるりと囲む防壁といった備えもある。

 

 しかし、そうはいっても、純粋な軍事拠点である要塞ではないのだ。その防衛能力が、いったい、どこまで信用できるものか?

 ……甚だ疑わしいのよね。過信すると、痛い目を見そう。


 そしてもう一つは、人の問題だ。

 辛く厳しい籠城戦を越えるには、城内の人心を一つにし、団結して耐え忍ばねばならない。

 しかし、防衛に当たる兵は、騎士団に、各傭兵団、それから市民兵か? ……見事なまでの寄せ集め集団。団結心など、どうして期待できよう。


 最悪の場合、敵の調略によって内応者が出かねない。

 うん、容易に想像できる。敵に内応した裏切り者が、城門を上げて敵を招き入れる様が……。

 そうなれば、抵抗らしい抵抗もできぬまま、デットエンドまっしぐらだ。


 最悪の予想に頭が痛くなる。思わず右手で頭を押さえた。……駄目ね、籠城戦は。



 さてさて、籠城戦が駄目なら、それ即ち、野戦を行うことになるわけだけど……。

 うん、投げ出しちゃ駄目ですかね?


 ははは、と乾いた笑いが漏れる。

 脳裏には何故か、元プロテニス選手が『諦めるなよ!』と、熱く吼えるビジョンが浮かんだ。


 でもね兄貴、戦争は数なんだよ。

 寡兵で以て、大軍を野戦で打ち破る? いったい何処の軍記物だ!



 はあ、ベストな展開が実現困難であるなら、次善策を採るしかない。

 即ち、これまで貯めた金銭を持って、尻尾巻いて逃げ出すのだ。更にドサクサに紛れ、金目の物をネコババしようかしら?


 自分一人助かろうとする。ドレミ村の時の再現ね。

 ……何という人間の屑か。しかしそれでいい。だって、私は、私自身が一番可愛いのだから。


 それでは逃亡計画を練るとしよう。

 顎に手を添えて、思考に没頭する。さて、逃げるのはいつがいい?

 ……きっと、早過ぎても、遅過ぎてもいけない。


 大軍が迫りくる現状。当然、辺境伯軍上層部は、逃走兵が出ないか目を光らせていることだろう。

 今逃げても捕まる。しかし、敵軍に完全に包囲されてからでは遅過ぎる。


 なら、最良のタイミングは、敵軍が目と鼻の先まで迫った時。

 そのタイミングなら、目前の敵に気を取られ、小娘が一人こっそり逃げ出しても気付かないでしょう。

 その際に、何か金目のものもついでにネコババする。うん、いいね!


 ……何を持っていこう? 傭兵団の財産に思考を巡らす。

 なるべく重荷にならないものがいい。……まずは金貨よね。……後は、換金の問題もあるけど、宝飾類?


 ……宝飾類か。宝飾類といえば、あの気狂い帽子も、その大きな手に瀟洒な指輪をしていたな。

 そう、大きな手、大きな手。『期待している』と、私の頭を撫でた大きな手。


 瞬間、脳裏にあってはならない考えが過りそうになる。

 ッ、別にあんなことで、絆されたりはしない! しないけど……。


 私は再度、逃げ出そうとしている居場所について考え直す。


 私を傭兵団に迎え入れた団長。私に期待していると言う副団長。それから、ワイズという都合の良い下僕の存在。

 また、その他の団員達も、先日の商会との遣り取り以来、私に好意的だ。


 私は今、得難い居場所にいるのでは?

 仕事量だけは勘弁してほしいけど、それ以外では、人の悪意に晒されることもなく、何より給金が余りにおいしい。


 ここから逃げ出して、新天地でも、同様の居場所を築けるだろうか?

 ……そんな保証はどこにもない。

 むしろ、ドレミ村のように、余所者として不遇な人生を送ることになるのでは?



 簡単に捨てられるものじゃない……か。

 だったら、最後まで足掻くべきだ。本当にどうしようもなくなるまで。それから逃げ出しても遅くはない。


 そう、他でもない、可愛い可愛い自分の為に、簡単に逃げ出すべきでない。

 だったら……!


 考えろ、考えろ、考えろ! 歴女の意地を見せろ、私!


 再び、辺境伯軍が勝利するための方策を模索する。



 寡兵での野戦。当然、真正面から挑んでも、蹂躙されるがオチ。

 ならば、真正面からではなく、絡め手を。敵軍の意表を衝くような作戦を……。

 そう、予想外の事態に混乱する敵軍に痛打を加える。おおむね、この筋で作戦を考えていくべきか……。


 さて、敵軍の意表を衝くと簡単に言ったものだが……。

 そのために必要なのは、効果的な奇襲? 狡猾な罠? ……あるいはその両方?


 何か良い手本はないだろうか?

 ……奇襲による大逆転劇といえば、桶狭間? ……いや、あれは偶然に助けられた部分も多分にある。

 そんな不確かなものに命は賭けられない。必勝とまでは言わなくても、十中八九勝てるような作戦でなければならない。


 なら、お手本にするのは、一度限りでなく、幾度も寡兵で以て大軍を打ち破った、打ち破り続けた戦術だ。

 しかし、そんなものがあっただろうか?


 …………思い出せ、思い出せ、思い、あっ!


 いつかの『史学研究同好会』での会話が思い出される。

 三枝先輩と最高の野戦家について議論した会話を。島津と李靖、両者が幾度も大軍を破った戦術を!


 ッ、だけど……。


 思わず顔を歪めてしまう。

 戦国の鬼島津と、大唐の軍神。私なんかが、彼らの真似事を? ……最早、乾いた笑いすら漏れない。


 狂気の沙汰だ。でも、それしか思い浮かばない。だったら……!


 パンと、両手で頬を叩き、気合を入れる。そして思考の海に沈んでいく。



 ――島津の釣り野伏せ。寡兵を更に割って伏兵を二隊配し、残る囮役が敗走を装いながら敵兵を引き摺りこむ。

 そして、まんまと釣られた敵勢を、伏兵が左右から攻撃。混乱した敵勢に対し、囮役も反転攻勢。最終的に、敵軍を三面包囲下において殲滅する戦術だ。


 ……負けた振りをして敵を引き摺りこむ。一見簡単な作戦に見えるかもしれない。しかし、よく考えてもみて欲しい。

 囮役は、ただでさえ少ない兵から、更に分割した少勢だ。下手をしなくても、負けた振りどころか、本当に一瞬で総崩れになりかねない。


 こんな無茶な作戦を可能としたのは、屈強なる薩摩隼人という精兵の存在だ。

 翻って、辺境伯軍はどうか? ……ただの寄せ集め。逆立ちしても、薩摩隼人の真似事などできっこない。


 つまり、島津の釣り野伏せはボツ。だったら、李靖将軍の戦術?



 ――大唐の軍神、李靖。唐王朝黎明期に活躍した偉大な将軍。長い中国史の中でも、最高の将軍の一人として名高い人物。

 彼が得意としたのは、騎兵の機動力を活用した奇襲戦術である。


 彼はまず、軍団を精強な騎兵と、それ以外の別働部隊に分けた。

 その結果、精強な騎兵のみで構成された部隊は、常識外の機動力を得る。そう、敵軍の想像を遥かに超えるほどに。


 その神速を以て行軍距離を稼ぎ、本来ではありえない短時間で、敵の後背、あるいは側面を衝く。

 予想外の、全く備えのない方角から攻められた敵軍は、寡兵相手といえど混乱し、一時的に潰走状態となる。


 ……これだけでも十分な奇襲戦法と言える。しかし、そこで終わらないのが、軍神の軍神たる所以だ。


 なんと彼は、潰走状態に陥った敵軍の逃走経路を読み切り、別働部隊をその逃走先に伏せるのだ。

 潰走状態に陥った敵軍、そこに放たれる伏兵による一撃。それを以て、敵軍に更なる被害と混乱を与える。

 そして最後には、後方から追撃してきた騎兵と挟撃し、息の根を止める。


 戦争芸術と言ってもよい、その鮮やか過ぎる戦術を以て、彼は自軍より強大な敵軍を幾度も破って見せた。


 さて、この戦術はどうだ? 辺境伯軍に模倣することは可能か?

 ……確かに、辺境伯軍は、ウェルテクス騎士団という騎兵隊を有している。その数は三千余りと多くはないが、練度はなかなかのものだという。

 敵の索敵にかからぬよう大きく迂回し、敵の後背もしくは側面から奇襲をかける。……それ自体は可能だろう。だけど――。


 どうやって、敵軍の逃走経路を読むというのだろう?


 そう、そこがネックだ。

 潰走状態の敵軍なぞ、混乱の余り、道理に合わない行動を取るのでは?

 それを予測する? 本当にどうやって?


 私は大いに頭を悩ませた。


 そもそも、バラバラに逃げ出されたりしたらどうするの? ……そんなことになれば、敵軍を一網打尽にできない。

 まさに、お手上げ侍だ。テレッテッテ~♪


 ……ゴホン。何とか良い手立てはないものかしら?

 ………………駄目だ、何も思い浮かばない。あまりにも、難易度が高すぎる。


 伏兵を諦める? 騎兵隊の奇襲だけでは不十分か?

 ある程度の痛手は与えられるでしょうけど……。ある程度でしかない…よね。


 その後、態勢を整え直した敵軍に、結局は踏み潰される。

 つまり、一矢報いて、それで終わり。そんな自己満足は真っ平御免よ!


 やっぱり、止めの一撃がいる。

 だけど、私は軍神じゃない。逃走経路を読む、きっとこれは無理だ。


 なら、根本的に発想を変えろ。

 読むのが無理なら…………逃げ先を固定する? …ッ、それだ!


 アハ体験とはこのことか!

 まるで、頭の中にあった霧が晴れたかのような心地だ。しかし、実現のためには……あれだ! あれが必要不可欠だ!



 私は勢いよく椅子から跳ね上がると、部屋の外へと駆け出して行った。


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