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 木製のコップの中から湯気が上がる。その湯気と共に、ほんのりと漂う香り。

 それは、出涸らしのものでは味わえない、良質なものであった。

 

 コップの端に口を付け、ゆっくりと手に持つそれを傾ける。

 猫舌と、何より貧乏性の為、ちびちびと中身を飲み下していく。

 その温かみに、ほー、と吐息が漏れる。


「いやー、ホッとするね」

「……中堅傭兵団の一事務員には、過ぎた贅沢ですね」


 お茶を楽しむ私のことを、恨めし気に見ながら嫌味を言ってくるワイズ。

 でもお生憎様、そんな嫌味を歯牙にかけないほど、今の私はご機嫌なのである。


 確かに彼の言う通り、今飲んでいるお茶の茶葉は決して安いものではなかった。

 しかし、今回の自分の働きに対するご褒美と思えば、ささやかなものだ。


 ちなみに、ワイズの分はない。当然でしょう?

 おめーの茶ねぇから!


「へー、いい香りがするね」


 唐突に開かれたドアの音と共に、来訪者の声が室内に響く。

 現れたのは派手な帽子を被った青年、コンラート副団長であった。


「ねぇ、僕の分は無いのかな、リルカマウスちゃん?」

「……逆に尋ねますが、どうしてあると思ったのですか?」

「ないの?」

「ありませんね」


 にべもなく言い切る。おめーの茶もねぇから!


「それは残念。まあ、ゆっくりお茶を楽しむ暇もないわけだけどね」

「そうですか。それでは、どうぞ仕事をしに行って下さい」


 相手の言葉尻に乗り、早々に部屋から追い出そうと試みる。


「はは、他人事みたいに言っているけど、君もいっしょにだからね」

「…………何も聞いていませんが?」

「そりゃ、誰も言ってないからね」


 平然とのたまう、いかれ帽子野郎。

 ……つまり、新しいお仕事か。どうして、こうも唐突なのだか。

 出かかった文句を、喉元で押し留める。勿体無いが、残ったお茶を一息に飲み干して、立ち上がった。


「それで? 今度の仕事はいったい、どういうものでしょう?」


 まあ、副団長同伴という時点で、ロクなものではないでしょうけど。


「ああ、謁見だよ」

「はい?」

「だーかーら、謁見。王都から戻ったメデス辺境伯にお会いするのさ」

「はぁぁああああー!?」


 執務室に、女子にあるまじき低音の絶叫が木霊する。それは、ドスの利いた可愛らしくない声だった。

 というか、私の声だった(某吸血鬼男子調)。



****



 その謁見室には、何人もの男性が集まっていた。

 そのほとんどが、武人然とした屈強な男ばかり。

 一等、見事な鎧姿の壮年の男性は、メデス辺境伯に仕える、ウェルテクス騎士団の団長。その周囲には、騎士団の幹部たち。

 その他にも、辺境伯と契約を交わした各傭兵団の団長や幹部たちが揃う。


 つまり、この場に集まっているのは、メデス辺境伯軍の主要人物たち。

 ……場違いすぎるでしょう。どうして、私がここにいるの?

 今すぐにでも、隣の気狂い帽子野郎に問い質したいところだが、そうもいかない。


 何故なら、一番上座に座るメデス辺境伯、その人の御前だからだ。


「よく集まってくれた。各々大儀である」

「滅相もありません、辺境伯閣下!」


 メデス辺境伯が労いの言葉をかける。その言葉に対し、一同を代表して、騎士団の団長が答え、深々と頭を下げる。

 他の武官たちも、それに倣い頭を下げていく。


 私も頭を下げながら、ちらりと、上座に座る辺境伯を観察する。

 

 年の頃、四十ばかりだろうか? 流石に、積み重ねた年齢のせいで、下座に立つ武官たちのように、生気に溢れた人物ではない。

 むしろ、どこか、疲れたような印象さえ感じさせる中年男性であった。

 その上、気難しそうな顔立ちをしている。


 しかし、どういうわけか、その瞳や表情に、どこか理知的なものを感じさせる人物でもあった。

 人間性はともかく、有能な人物であるのかもしれない。

 少なくとも、勝手に抱いていた、暗愚な為政者という貴族のイメージとは、懸け離れた御仁であるらしい。


「一同、頭を上げよ。騎士団長、まずは、マグナ王国の動向を報告せよ」

「はっ! マグナ王国との国境付近に、マグナ王国軍が集結しつつありと、騎士団の斥候が確認しております。また、マグナ王国王都にも、後詰の軍団が終結している由」


 騎士団長の言葉に、謁見室にどよめきが起こる。

 メデス辺境伯は神経質そうな表情で、右手を一振りする。そうして、どよめきを静めると、再び口を開いた。


「やはり、先日の国境侵犯は単発的なものではなかったか。……威力偵察か、露払い、あるいは、その双方か。……騎士団長、敵軍の規模は如何ほどか?」


 辺境伯の再度の問い掛けに、騎士団長は先程のように即答しない。

 暫しの時間を置いて、絞り出すように報告する。


「……国境付近の先遣隊、いえ、先遣軍だけでも、二万近く。後詰の本軍は、それ以上の数になるとの見通しです」


 再度上がるどよめき。それは、先程の比ではない。

 メデス辺境伯も、今度ばかりは自然に治まるのを待つ構えのようだ。

 あるいは、辺境伯自身も、あまりの事実に色を失っているのかもしれないが。


「先遣軍だけで二万だと!? 我らの三倍以上ではないか!」

「いや、リーブラの市民から、成人男性を徴収すれば……」

「……それでも、敵方の半分にも届くまい」

「更に、後詰の本軍が来るのだぞ」

「いったい、どうすれば………………」


 そこかしこで、悲観的な発言が飛び交う。


 あらら、これは随分と、まずそうね。

 武人として、なんとも情けない醜態を見せる男たちを眺めながら、心中で溜息を吐くと共に、現状の厳しさを認識する。

 

 まあ、彼らの反応も無理はない。

 辺境伯軍の兵力は、騎士団が三千余り。各傭兵団を合わせた数も、ほぼ同数。総勢、六千前後といったところ。

 先遣軍だけで、二万と聞かされれば、尻ごみするのも頷ける。



 そんな騒然とした謁見室の中で、一人の男――いずれかの傭兵団の人間――が、上座の前まで進み出る。

 そして、徐に口を開いた。


「辺境伯閣下! 恐れながら、御質問をお許しください」

「よい、申してみよ」


 辺境伯の許しを得た男は、一礼すると、再び口を開く。


「閣下は援軍要請の為、直接王都まで出向かれたと聞いております。……国王陛下は、何と仰せであられたのでしょう?」


 この男の問いに、ざわめきが一瞬で静まる。

 謁見室に集まった全ての者が、辺境伯の答えを、固唾を飲んで見守る。


 幾重もの視線は、重圧をもってメデス辺境伯に押し寄せる。

 それを受け、辺境伯の顔が歪んだ。ただでさえ、神経質そうな表情が、一層酷くなっていく。

 ……これは期待できそうにないかな。


「……我らが王陛下は、急ぎ、諸侯に援軍の兵を挙げるよう、呼びかけると仰せだ。……ふん、命じるではなく、呼びかけるとは、なんとも泣かせるではないか」


 そう言って、首を横に振る辺境伯。

 そこかしこで、呻き声と、落胆の溜息が漏れた。


 

 北のマグナ王国と違い、アルルニア王国は、中央集権的な国家ではなかった。

 アルルニア王国の国内情勢は、10世紀における、フランス王国の黎明期を思い浮かべれば、分かりやすいかもしれない。

 ……分かりやすいのは、ひょっとして歴史好きだけかしら?


 黎明期のフランス王国と同じく、アルルニア王国は、王権が弱く、多数の有力諸侯が幅を利かせる、地方分権的な国家である。


 無論、有力諸侯とはいえ、王の要請を真っ向から反対することは難しい。

 しかし、何かと理由をつけ、煙に巻くぐらいは平然とやってのけよう。

 兵の準備を遅らせたり、その規模をできる限り縮小したり、あるいは、重病の振りでもして、そもそも軍を起こさない諸侯までいるかもしれない。


 果たして、どれほどの諸侯が、メデス辺境伯の為に、必死に兵を挙げてくれるものだろうか?

 ……きっと、その数は極めて少ないに違いない。


「援軍は間に合うまい。少なくとも、敵先遣軍の来襲には。……そう思って、行動する方が賢明であろうよ」


 メデス辺境伯が、そのように締め括る。謁見室には重い沈黙が落ちた。

 辺境伯は、暫く、押し黙る武官たちを眺めると、再び口を開く。


「突然の話だ。すぐに対策を申せと言っても、無理があろう。……明朝、軍議を執り行うこととする。各々、それまで意見を纏めよ」


 そう言い残すと、メデス辺境伯は、真っ先に謁見室を後にする。

 武官たちは、慌てて頭を下げると、辺境伯を見送る。


 そして頭を上げると、それぞれ、隣に立つ男と囁くような声で相談する。

 その顔は、一様に暗い。


「辛気臭いし、とっとと退散しよう、団長、リルカマウスちゃん」

「ああ、そうするか」


 コンラート副団長が提案し、ライナス団長が頷く。

 三人連れだって、謁見室を後にする。

 廊下に出ると、コンラート副団長が、大袈裟に深呼吸をした。


「はぁー。まったく、息が詰まるかと思ったよ」

「コンラート、お前な」


 コンラート副団長のそんな様子に、ライナス団長は呆れ声を上げる。

 私は二人の背中を見ながら、廊下を歩いた。


 そして、一つ目の角を曲がった時、コンラート副団長の背中に問い掛ける。


「コンラート副団長、どうして私を、謁見室に連れて行ったのですか?」


 コンラート副団長は、その問い掛けにピタリと足を止める。

 そして、ゆっくりと振り返ると、返事をよこした。


「うーん、何となく、そうした方がいいような気がしてね」

「はい?」

「つまり、僕の勘が、そう囁いたのさ。リルカマウスちゃんを連れて行けってね」

「はあ、勘ですか」


 呆れた。本当にこの男は……。

 胡乱気な瞳で副団長を見やる。彼は、そんな私に微笑んだ。


「君なら、とんでもないことをするんじゃないかと、そう感じるんだ。エルゼ商会との商談の時のようにね」

「何です、それ。荒唐無稽にもほどが……」


 思わず言葉が止まる。私の声を止めたのは、大きな手の平。

 あろうことか、私の頭を無造作に撫でてきやがります。


「あっ、な……」

「期待しているよ、リルカマウスちゃん」


 そう言うと、再び歩き出すコンラート副団長。ライナス団長も横に並ぶ。

 一方、私は床に根を生やしたかのように動けない。


 暫し、呆然。そして再起動――。


「乙女の頭を、気安く撫でるんじゃねーー!!」



 廊下に、怒号の叫び声が響く。なんとも、下品な物言いであった。

 というか、やっぱり、私の声だった(某吸血鬼男子調)。


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