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1-7

 石造りの傭兵団の屯所。その中で、事務方に与えられた一室。

 そこで私は、今日も今日とて、机に向かう。インクで汚れた手で、サラサラと羽ペンを羊皮紙の上に走らせていた。


 現在作成しているのは、傭兵団の出納帳である。

 そこに記された数字は、大きな黒字を意味していた。それは、劇的に改善された経営状況を、如実に示している。


 私は満足気に頷くと、書類の最後に署名を入れた。


「うーん、最高だね。君もそう思うだろう、ワトソンくん?」

「それは、誰のことですか? もし、私に言っているのなら、気分は最悪ですよ」


 私の問い掛けに、低い声で否定の言葉が返ってくる。


「あら、そうなの? それは、残念」


 どうやら、私の唯一の部下は、機嫌がよろしくないようである。

 まあ、だからといって、私のご機嫌さは陰りもしないが。


 何せ、先日の騒動の結果、私の給金額は実に、四ニ〇シリカ――傭兵団内三位の給金額――まで跳ね上がったのだから。

 その上、面倒事を押しつけることのできる、便利な部下まで手に入れた。


 これで、ご機嫌にならないわけがあるだろうか、いやありはしない(反語調)。


 いやいや、しかし、本当に上手く事態が転んだものだ。

 部下の不機嫌な横顔を眺めながら、私は先日の騒動を思い返す。




 ワイズとの商談を介して、商人都市に一滴の毒を垂らした効果は、……抜群すぎて、ドン引きした。


 商人とは元々、己の利益に忠実で、その為なら平気で人を騙す連中である。

 そんな彼らの心に垂らされたのは、一滴のぎわく。その毒を吸い上げ、養分として育ったのは、凶々しい大輪の花。

 ――その名を猜疑心と言った。


 薄氷の上に立つような信頼関係は、脆くも崩れ去ったのである。



 その結果は、うん、筆舌に尽くし難いところだが……。

 敢えて一言で表現すると、大恐慌?

 いやー、雫反省、超反省。てへペろ☆

 ホント、疑心暗鬼に駆られた商人たちは、それはもう酷い有様だった。


 その騒乱を流石に捨て置けぬと、腰を上げたのが、商人都市を牛耳る大商会たち。

 彼らは、予想外の奇手をもって、事態の収拾に当たった。


 何と、諸手を上げて降参し、素直に事の真相を尋ねてきたのである。

 面子も何もかも投げ捨てて――当然、最早考慮に値しない、エルゼ商会の儲けなど、まるっと無視して――までの奇策であった。


 都市を代表する大商会連と、一介の傭兵団との間に対等な、いや、明らかに傭兵団に有利な秘密契約が交わされたのである。

 その内容は、次の通りであった。



 フィーネ傭兵団は、事の真相を商会連に開示する。


 エルゼ商会は、格安てきせい価格でフィーネ傭兵団に商品を卸す。


 フィーネ傭兵団は、団員個人への販売価格を大幅に切り下げない。


 商会連は如何なる意味でも、フィーネ傭兵団に報復行動をとらない。


 商会連、傭兵団共に、契約に関して秘匿すること。



 この契約が無事締結された直後、大商会連の名において、知るべき筋には、今回の騒乱の真相が明かされた。

 だからと言って、商人たちが完全にこの話を信用したかといえば、勿論そういうわけでもない。

 しかし、何とか冬の湖の底から、薄氷の上に這い上がることはできたのであった。


 ここに、商人たちを混乱させた騒乱は、一応の収束を見たのである。




 秘密契約は、大いに傭兵団に益をもたらした。

 途方もないぼったくり価格から、適正価格で商品を買えるようになった。その上、団員個人の購入金額は、そこまで安くなっていないのだから。


 秘密契約における、個人団員への販売価格を大幅に切り下げない、という項目は、商会連からの希望であった。


 いくら、商会連、傭兵団上層部が口を噤んでも、団員が購入する武器や酒の類の価格が極端に下がれば、人々に不信がられるのは間違いない。

 何かがあったのだと、馬鹿でも分かるというものだ。


 そのため、団員個人の購入金額は、以前のぼったくり価格よりは、多少はマシといった具合である。

 つまり、そこから導かれる結論は――。


 転売ウマウマ、である。


 差額で、傭兵団の秘密資金とも言えるものが、積み上がって行く寸法だ。

 そりゃ、私の給金額も跳ね上がるというものである。

 傭兵団が得る利益に比べれば、四二〇シリカなど、はした金に過ぎない。


 その収入に、傭兵団上層部は大喜び。給金の上がった私も、同じくにんまり。

 私の交渉の結果、酒や武器が多少安く買えるようになったと、一般団員も喜び、私に感謝している。――本当のことは、何一つ知らないまま。


 とどのつまり、八方上手く収まり、大円団。

 えっ!? エルゼ商会が大損しているですって? ……何を馬鹿な、適正価格で物を売って、損するわけないじゃないですか、やだー。


 ゴホン、ゴホン。まあ、それでもしいて、貧乏くじを引かされた人間を探せば……。いたな、ワイズとかいう不憫な男が。



 秘密契約によって、商人たちは傭兵団への報復行動を禁じられている。

 つまり、怒りの矛先を私には向けられないのだ。

 なら、どうしようもない感情は何処に向かう?

 ……それは、私の商談相手であった、ワイズに他ならない。


 素人の小娘に、いいようにやられた商人の面汚し。

 それが、騒乱後のワイズに対する評価である。

 その評価を聞いた私は、あいつ一生冷や飯食らいじゃん、ざまー、と嘲笑していたのだが……。

 その翌日、本人が私の前に現れて、びっくりした。


 すわ、闇討ちか、と肝を冷やしたものである。


 もっとも、彼の目的は復讐ではなかった。彼の言い分はこうである。

 曰く『商人として生きられなくなった。責任を取れ』。


 私が即答で、彼の言い分を受け入れたのは、言うまでもない。

 何せ、傭兵団の事務方は、極端な人員不足なのだから。


 こうして、ワイズの傭兵団入りが決定したのである。




「おーい、ワトソンくん、お茶持ってきてー」

「……………………」

「ワトソンくーん、聞こえてるー?」


 みしり、と確かに、彼の羽ペンが悲鳴を上げる音を聞いた。

 そして時は止まる。沈黙が、室内を支配した。

 長考の末、男はすくりと立ち上がる。どうやら、怒りを押し殺すことに成功したらしい。


「お茶を淹れてきます。……それから、私の名前はワイズですので」


 そう言い捨てると、室内から出ていくワトソンくん、もとい、ワイズ。

 

 ふむふむ、たいがいのことは嫌々ながらも、従うか……。

 事務能力も高いし、悪くない駒を入手したものだ。

 ……忠誠心はゼロを通り越し、マイナスに突き出しているかもだけど。


 まあ、一つぐらい玉に瑕があっても、良しとしよう。


 私はもう一度、満足気に頷くと、新しい書類に取り掛かった。



****



「まったく、とんでもない騒ぎに巻き込まれたものだ」


 そう、唸るように声を発しながら、ドサリとソファに腰掛ける男。

 彼は、赤茶の髪を掻きながら、溜息を零す。


「まあ、まあ、最終的に儲かったわけだし、いいじゃないか、団長」


 何より楽しかったしね、と言葉を締めくくったのは、向かいのソファに腰掛ける、派手な帽子を被った男であった。


「コンラート、何を暢気なことを」


 赤茶の髪をした武人然とした男、ライナスは、向かいで軽薄な笑みを浮かべる男、コンラートのことを、ジロリと睨みつける。

 その睨みを、肩を竦めることで、受け流すコンラート。

 ライナスはもう一度、溜息を吐いた。


「そう溜息を吐くものじゃないよ、団長。良い拾い物だったじゃないか、彼女。団長の慧眼には、感服するよ」

「……俺は、受け入れる気はなかった。あの娘を受け入れるよう勧めたのは、お前だろう」


 その言葉を受けて、コンラートは意味深な笑みを浮かべた。


 ライナスは、不可思議な少女との出会いを思い返す。

 あの時、ライナスの問いに少女が即答した直後、目の前の男は口笛を吹き、次いで、こちらに一瞥の視線を投げた。


 言葉にしなくても、その視線の意味が、何であったのかライナスには分かった。

 それぐらいには、目の前の男との付き合いは長い。


 ライナスは無意識に周囲を窺い、その後トーンの変わった声音で語りかける。


「あの娘を貴方の身辺に置いて、本当に良かったのですか? 得体のしれない娘だし、何より、あの娘の容姿は……「ライナス」」


 コンラートは、ライナスの言葉を遮るように言葉を重ねる。

 その一瞬、軽薄な笑みは鳴りを潜め、理性的な表情が顔を覗かせる。

 ライナスは、その表情に言葉を飲み込むしかなかった。


 ライナスの様子に満足気に笑うと、再び軽薄な表情に戻るコンラート。


「そう心配はいらないさ、団長」

「……何を根拠に言っている、コンラート?」

「根拠? ないよ、そんなもの。……ただの勘さ」

「勘、か」

「はは、馬鹿にしたものでもないよ。僕の勘は良く当たるんだ」


 そう言って、愉快そうに笑うコンラート。

 対照的に、ライナスは不満気な顔を隠しもせず、押し黙る。



 とある日の、傭兵団トップ二人の会話。雫の預かり知れぬ所で、どうやら彼女は、傭兵団から排斥されずにすんだようであった。

 


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