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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第一章
8/43

8

 土曜日はそのまま蓮の部屋へ泊まり、翌日はそこから竹崎サンのお手伝いをするために会社へ行くことにした。

 そう言えばと思いたち、竹崎サンと余暉サンは? と尋ねると、どこかにいるだろう、という素っ気ない答えが返って来た。一緒に行かないの? と聞けば、どうしてそう気になるんだ? と面白くなさそうな顔になったのでそこで止めておいたが、何だか腑に落ちなくて、むーっと唇を尖らせて不機嫌な顔を作っていたら何を勘違いしたのか、パクリと口を丸ごと甘噛みをされてしまった。


 私は絡んで来る蓮から這々の体で逃がれ、着替えを要求した。





 蓮のクローゼットに私用の着替えが準備されていたのには驚いた。


 蓮の家族のどなたかのモノをお借りしたの? と尋ねれば、私用に準備されたものだそうで、家人の誰かが用意してくれたと言っていた。お礼を言わせてとお願いしたら、伝えておく、と言われ結局会えなかった。


 凄く普通に私が持っていそうな服で、もの凄く好みで、サイズもジャスト。もしかすると家が近いから持って来てくれたのかしらとも考えてしまったが、蓮の口ぶりからすると違うようだ。確かに見た事の無い洋服である。


 「そう言えば昨日着ていた服は?」


 「洗濯中だ」


 との答えが返って来た。そして、


 「預かっておく」


 と言われた。その方がいつでも気軽に泊まれるだろう? というのが理由だったが、一瞬変な想像が脳裏をよぎったがそれは無かった事にして、素直にお願いする事にした。




 「あ、お弁当どうしよう」


 家に帰らなかったので今日の分は作れないなと、ほんの少し残念に思う。すると


 「作るか? 材料ならあるぞ、多分」


 蓮が嬉しい提案をしてくれた。二つ返事で頷いたが、ふと気がついた。


 「ねぇ蓮、ご家族に迷惑じゃないかしら? キッチンなんて他人がズカズカと入って良い場所じゃないわ」


 「大丈夫。この家には私と瑠璃を邪魔するものなどいないから」


 (えっと・・・どういう意味かしらね?)


 自分が考え足りないのか蓮の言う意味が、微妙に分からずに悩んでしまったが結局は自分の趣味を優先させてもらうことにした。


 「ありがとう、蓮。美味しいものを準備するわ」


 「ああ、楽しみにしている。なぁ瑠璃。瑠璃が作る所を見ていてもいいだろうか?」


 「そんな事、わざわざ確認しなくてもいいわよ。あなたの家なんだし。でもただ見ているだけなんて楽しくないかも。手伝ってくれる?」


 「いいのか?」


 「ええ。二人で作るときっと楽しいわ」


 そういうことになった。

 蓮の部屋は母屋の奥にあり、キッチンに辿り着くまでには長い廊下を右へ折れたり左へ折れたりしてかなり歩いた気がする。


 「広いのね。都内でこんなに広い、しかも、平屋って見た事無いわ」


 「この家は道から少し離れているし、ほら、見て。周囲に木と塀があるからね、中が見れないようになっているんだよ」


 うーん、近隣の地図を頭に描きながらどこにこんなお屋敷があっただろうかと考えるが、全く該当しない。けれども、実際にこうやってあるのだから、きっと蓮の言うように、外から見えないだけなんだろうと納得する事にした。


 「広い。というかここは・・・」


 「台盤所(だいばんどころ)だ。今様(いまよう)ではないが、機能はあると思うのだが。とはいっても私は料理をした事が無いので、使い方はわからない」


 「台盤所(だいばんどころ)っていうの。初めて聞いたわ。こ、これは(かまど)っていうのかしら。火の・・・要慎(ようじん)? こっちは流し? 使った事の無いものばかりね」


 「使い方が分からないか? ならば人を呼ぼう」


 蓮が台盤所を出て人を呼びに行ってくれる。しばらくすると蓮は一人の女性を連れてやってきた。何となく誰かに似ている気がするが、思い出せない。

 女性は直ぐさま正座をし、両手をついて頭を下げた。


 (平伏(へいふく)って言うんじゃないかしらね、この形)


 この展開に非常に困って私も座った方が良いかなと、目の前の女性に倣って座ろうとした時、


 「お初にお目にかかります瑠璃様。このように御前に呼んでいただき甚だ嬉しく存じます」


 名前に様までつけられ、これまでに経験した事が無いほどに丁寧に挨拶をされちょっと気後れをする。父の仕事の関係で時々挨拶に連れ出される事もあるが、こんなに丁寧に対応をされたのは初めてで、大慌てで正座をして頭を垂れた。


 「は、初めまして。野田瑠璃と申します。昨晩泊めさせていただきました。お世話になりました。ありがとうございました」


 そう言うと今度は女性の方が慌て出した。


 「そ、その様な・・・、めっそうもございません。私に頭を下げるなどいけませぬ。どうぞお顔をお上げ下さいませ」


 女性の必死の説得に蓮も加わった。


 「瑠璃、頭を上げよ。瑠璃が頭を下げる必要は無い」


 「駄目よ蓮。そんなわけにはいかないわ。礼には礼をもって、よ。それに私の方が年下だわ。教えて貰うのに頭を下げないなんてそんな道理って無いわよ」


 「瑠璃様からそのようなお言葉を賜るとは・・・、姉達が申しておりました通りのお方でいらっしゃいます。末代まで我が家で語り継がせませす」


 目の前で女性がハラハラと大粒の涙をこぼし始めた。それは次第に激しくなり嗚咽まじりになった。


 「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですか? 蓮、何が起こっているの?」


 突然泣き出した女性に私はどうしていいのか分からず、会話が微妙だなぁと思っていた事も忘れて蓮に助けを求めた。


 「これ、瑠璃が困っているだろう。泣くのは止めよ。これらの使い方を瑠璃に教えるのが仕事だぞ」


 蓮の取りなしでようやく台盤所の使い方を教わる事が出来た。いや、実は、隣に現代風のキッチンがあったのを蓮が知らなかっただけという落ちがあった。


 「これなら使えるわ」


 女性ーーー佐美(さみ)サンというらしいーーーに、食材をあれこれとお願いすると、どこからともなく用意され作業台に並べられた。私はというと、その間に予め教えて貰っていた場所から、ボールやその他の道具類を、取り出そうとしていたらあっという間に佐美サンに横からかっさらわれた。

 仕方なく、食材を切ろうとまな板を準備をしようと手を伸ばせば、それも攫われてしまう。


 (ぬおー。この展開は何なの?)


 佐美サンは私には道具一切を持たせてくれる気はないようだ。印象としては意地悪をしている訳では無く、また、信頼されていないという訳でも無く、この場合『(かしず)く』という言葉がぴったりと当てはまる気がする。その様子は佐美サンの私を伺う目がとても好意的なものからして、そう感じる。

 この様子だと、十中八九、最後まで何にも触らせてくれる気はないだろう。だが、唯一得意と言える趣味だ。このままではストレスが溜まってしまう。


 「あの、佐美さん。大丈夫ですよ。私がやりますから、どうぞ休んでいて下さい」


 「瑠璃様のお手を煩わせるなど、そのようなわけには参りません。何なりとご命令を」


 いや、命令ってそんな立場ではありませんし、と言いたいところをグッと我慢し、この状況を打開する為に何か良い手が無いかと思案し、キッチンの中に視線を漂わせれば、蓮の姿が視界に入る。


 そういえば手伝うと言っていたなと思い出し、佐美サンに蓮様のエプロンを持ってきて欲しいとお願いした。すると、人って驚くと本当に目が大きくなるんだなと思うくらいに、目を見開いてフリーズしていた。


 おーい、と目の前で手を振り、佐美サンに正気に戻ってもらいエプロンを取りに行ってもらった。少しフラつていたようだが大丈夫だろう。


 その間に蓮に何を食べたいか聞いてみると「最初に食べたチキンがおいしかった」と言うので、ハーブ類を色々探っていたら、お目当てのエストラゴンは見当たらず、その代わりにナツメグ、クミン、セージを引っ張り出して違う風味をつけた。


 「手際がいいな」


 「でしょ? 毎日やってるもの。料理、好きだし」


 「好き?」


 「うん、好き」


 ようやく料理が始められてご機嫌に笑って答えると、


 「・・・」


 突然、会話が途切れる。


 「ど、どうしたの?」


 振り返って見れば蓮は目を閉じ、口をぐいっと真一文字に結び、手をグーにして固まっていた。口は微かに動いている。


 「好きって言った」


 「はい? どうしたの?」


 蓮の声が小さくてよく聞き取れない。


 「瑠璃が好きって言った」


 「あのー・・それは、料理が好きっていったの」


 「その好きには、瑠璃のとても良い感情が込められている」


 「まぁ、そうね。本当の事だもの。蓮のことも好きよ」


 今度は蓮の眉根が寄る。困った顔?


 「・・・何だか今度は違う気がする」


 ついでにさらりと言っみてた事にしっかりと気づいている。


 「ふぅ、もう言葉遊びよね。でも、蓮の事を好きなのは本当よ。だから、もし、蓮が他の女性の所に行っちゃったらきっと悲しくなると思う」


 そんな経験した事も無いくせに、もし、だったら、なんて想像しながら使うもんじゃないな、と少し胸が痛くなった事で後悔した。


 (きっと嫌な顔をしているに決まってる)


 思うように表情筋を動かせていない気がして、きっと(いびつ)な印象を与えそうだ。そんな顔を蓮に顔を見られたくなくて、くるっと背を向け下ごしらえの続きに取りかかった。


 (美味しくなれー。美味しくなれー)


 心の中で呪文のように唱え、さっき感じた痛みを忘れようと塩こしょう、香辛料やハーブをワシワシと両手で揉み込む。すると、後ろから優しく抱きしめられた。すっかりこの一ヶ月でなじんだ匂いが鼻腔をくすぐる。そして同じように気づかないうちに蓮に寝食されている心にも気づいた。でも、嬉しいはずなのに、涙が出て来る。


 (いけない。材料の中に入ってしまう。これ以上塩分はいらないわ)


 涙が落ちそうになり慌てて蓮の方に向き直り、顔を蓮の胸につけるとグリグリと蓮の服で涙を拭いた。


 「こら。服に顔をこすりつけるな。顔が赤くなるだろう」


 「いいの」


 「どうした?」


 ここで“何でも無い”って言えるほど強くもないし経験も無い。その先の展開が予想付かないから、素直に言葉にする。


 「ん・・・。多分、私、蓮の事、凄く好きになっている気がする。さっき、ちょっとだけ蓮が他の女性と一緒にいる所を想像したら凄く悲しくなってしまったの」


 蓮の胸に顔をつけたまま答える。


 「そうか。だが、それは現実にはあり得ないから安心しろ」


 ポンポンと私の頭を撫でてくれる。


 「ん。でも、もし、蓮が入社してくると、きっと皆が放っておかないわ。そんなところ、もし見ちゃったら、どうなるんだろう。この時点でさえ不安な気持ちになるのに立ち直れないかも」


 いつになく私は弱っている気がする。普段の私だったら、きっと、鼻で笑い飛ばしながら会話をしているはずだ。


 「瑠璃。仕事は仕事だ。それは仕方が無いだろう? だけど、極力瑠璃の嫌がる様な状況にはならないように気をつける。だから、瑠璃も同じだ。瑠璃がもし他の男と一緒にいたら、私も嫉妬で狂いそうになるかもしれない。くれぐれも気をつけてくれ。男性社員が一人も居なくなったら、会社が揺らぎかねない」


 (なぜそういう発想になるのか信じられませんけど)


 「・・・ええ。分かったわ」


 「大丈夫だ。互いに気をつけていれば悪いようにはならない」


 「うん」


 両手が汚れている為に蓮を抱きしめられないけれど、代わりに一方的に蓮に抱きしめられるのも悪くないなぁと蓮の胸に顔を埋めながら考えていた。その時、


 「瑠璃様、エプロンをお持ちいたしました・・・。失礼いたしました」


 佐美サンは瞬きする早さで蓮のエプロンを置いて出て行った。


 「気を遣わせてしまったわね」


 「いいんだ。この屋敷にいる者達で、私と瑠璃の邪魔をするものはいないからな」


 その言葉通り、そこから先は誰一人としてキッチンに近づく人はいなかった。


 そこからは蓮と二人でお弁当作りに精を出す。いつもの工程に蓮の手が加わり、いつもとほんのちょっとだけ形の違う御菜(おかず)達ができあがった。


 「うん、美味しいね。蓮は料理の才能もあるのかも」




 私がいつも使っているお重が綺麗に洗われておいてあったので、それに四苦八苦しながら詰め合わせる。実はこれがまたいつも一苦労なのだ。でも意外や意外、蓮はとてもうまくそれをこなしてみせた。まるでどこにどう入れれば全てが上手くまとめあげられるのかを、予め知っているかのようだ。彩りも美しい。


 「蓮の才能って凄いわ。私には真似できない」


 「才能は人それぞれだ。適材適所というのだろう? 出来る者が出来る事をやればいい。互いに補いあうことで上手く回るようになる。瑠璃が作り私が詰める。完璧な組み合わせだ」


 苦手意識のあったお弁当の詰め方だったが、蓮の言葉に救われた。自分の出来る事を精一杯やろうとも思った。


 蓮は手を休める事無くお重に詰め込んで行く。エプロン姿に菜箸を持った蓮は、いつもと違う雰囲気を醸し出しているが、とても絵になる。


 「ねぇ蓮。その姿を写真に撮っても良い?」


 「構わないが、何か構えが必要か?」


 「いいえ、そのまま続けてて」


 スマホで何枚か撮影をしてみた。




 蓋をする前に湯気を取る為、綺麗に詰められたお重をしばらく作業台に並べておく。その間に残りのもので、簡単に蓮と私の朝食用サンドイッチを作り二人で食べた。


 蓮にお弁当を包んでもらい、私はその間にさっとキッチンを片付け、会社へ出かける準備が整った。


 何か書くものないかな、と蓮に言えば筆が渡された。なぜに筆? と思ったけれど、たまたま近くにあったものかもしれないので、頑張って筆を使って佐美サンに簡単なお礼の手紙を書いてみた。


 「渡しておいてね」


 蓮に手渡そうとすると、作業台を指差して


 「ここに置いておけば、大丈夫だ」


 (そうねぇ、まぁ仕方ないか)


 今から一緒にでかけるし、きっと責任感の強そうな佐美サンのことだから、私が使ったこの部屋のお掃除に来るかもしれない、と思い、作業台の上に佐美サンへと書いた手紙を置いておいた。


 「今日は一晩中、泣いているかもしれんな」


 ぽつりと蓮が呟いた。





 蓮の屋敷は本当に大きくて驚いた。そして先ほど会った佐美サン以外の誰とも会わなかったのにも驚いた。それにも関わらず屋敷内は美しく整えられ、庭も情緒溢れる景色を浮かび上がらせている。思わずうーんと唸ってしまったほどだ。





 昨日軽い熱中症で倒れてしまったのもあり、今日は蓮の運転する車で向かう。車を使うと本当にあっという間に会社に着いた。


 地下二階の駐車場に行けば、既に竹崎サンと余暉サンが待っていてくれた。


 「おはようございます」


 「やぁおはよう。今日は朝から一緒なのか? もしかして、どこかに泊まったの?」


 余暉サンの鋭い指摘に、昨日倒れた事を話そうとしたがその後のお風呂での出来事も一緒に思い出してしまって、やたらとしどろもどろな説明になってしまった。


 「ほほぅ、蓮様のお部屋にね。ということは蓮様・・・」


 「まだだ」


 それだけで竹崎サンと蓮の間の会話が成立した。いや、分かりますとも、私も分かったし。きっと余暉サンも意味が分かったはず。


 「なーんだ」


 余暉サンは残念そうだ。なぜ、残念そうなのかは聞きたくなかったので、あえて聞かなかった。





 本日も淡々と、しかし着実に作業は進んで行く。そして終に開梱作業が完了した。


 「やったー! 終わったー! お昼にしましょー! ひゃほー!」


 両手を上げて万歳をしてみた。腰がー腕がー背筋がー、伸びて気持ちよい。


 「それにしても相当な量になったな、ここだけでもこの数だ」


 蓮がフロア全体を見回して確認をしている。


 「ここだけでも?」


 「そうだよ。ここは4カ所目かな、小物ばかりをここに集めた。他の所はもっと多いよ。しかも大型ばかりだし。おやじ、恐らくこれで終了だよね?」


 「うむ。そのつもりだが、次回は発掘され次第ってところだろう、ふぉっふぉっふぉ」


 「どれだけ溜め込んでいるんですか神威(しんい)家は」


 「私に言うな父に言ってくれ。私だってこのような作業、したくてしている訳じゃない。長年父が溜め込んでしまったものを仕方なく整理するはめになっただけだ」


 「うちと同じだー。ふふ。どこも同じなのね、ちょっと安心したわ」


 「そうだったな。瑠璃ちゃんは整理法を学びたくて手伝ってくれよったんだったな」


 「はい、随分と勉強になりました。ありがとうございます」


 「いやいやお礼を言うのはこちらの方だ。で、どうするね。来週からは二週間の夏期休暇に入るのだろう? 暫くはこちらは登録だけだから、それほど人手はいらない。旅行にでも行ってくればいい」


 「二週間の夏期休暇? 旅行?」


 竹崎サンの言葉に蓮が反応している。


 「あはは、竹崎サン。前にも言いましたけど、私デートする相手はいません、あ、今は、いますけど。夏期休暇も家の片付けをしようと思っていたんです。まとめて休める時の方が一気に片付けられていいかもって」


 「そうかそうか。しかし、若い娘御が家の片付けで終わるとはのぅ。色気の無いことだ」


 竹崎サンはウンウンと頷きながらも意味深な視線を蓮へ向ける。


 「ふふ別に無理しているわけじゃないのでご心配なく。行きたい所も特にありませんし、家で大人しくしています」


 「ちょっと待て。瑠璃。その話、私は聞いていないぞ」


 とうとう蓮が割って入ってきた。


 「ん、そう言えば話ししてないわね。来週末から二週間の夏期休暇に入るのよ」


 「私は? 私と過ごすという事は考えてはいないのか?」


 蓮は不本意だという言葉を顔に張り付かせている。


 「あ、そういえば、そうね。蓮はいつもどう過ごしているの?」


 「・・・瑠璃。私の存在はその程度なのか。できれば私は一日中瑠璃とくっついていたいと思っているのに」


 「蓮? 卑猥な事は考えてないわよね?」


 「・・・。我慢すると、昨夜、約束したではないか」


 蓮の目が泳いだのは見過ごさなかった。


 「なーにー? 蓮様ってばお預けなの?」


 余暉サンが楽しそうに絡んで来た。


 「瑠璃ちゃんってさ、本当に身持ちが固いね」


 「本当にって、あなたは私の何を知っていてそう言っているのですかね、余暉サン」


 半眼になり余暉サンを見ると、すいっと視線をそらされた。


 「なに其れくらいで丁度よいのだ。ご自分の意志をしっかりと貫かれよ。誰が何と言おうと、自分の身は自分でしか守れぬのでの、ふぉっふぉっふぉ」


 「瑠璃の事は私が守る。竹崎は心配しなくてもいい」


 直ぐさま蓮が竹崎サンに反論をしているが、竹崎サンも負けてはいない。この二人の会話はいつ聞いても面白い。


 (竹崎サンってば、全然蓮の事を主って思ってないわよね、ぷぷぷ)


 「ご自分が一番危ういのではありませぬか? 夕べ、何があったか存じませんが、無体な事はなさいませんように」


 長年仕える身の成せる技か。蓮の一連の行動を知っているぞと言わんばかりだ。


 「・・・分かっている。瑠璃が嫌がる事はしたくはない」


 眉間に深く深く皺を寄せて、まるで蓮は打ち(ひし)がれているようだ。なぜ・・・?


 「(ちっ、めんどくせー。さっさとやっちまえばいいのに)」


 「こら余暉。余計な事を申すな。失礼したね瑠璃ちゃん。こやつ、あとで重々に分からせますからな、ふぉっふぉっふぉ」


 余暉サンが横を向いて何やらゴニョゴニョ言っていたのは分かったが、何を言ったか聞こえていなかった。竹崎サンの反応を見る限りでは、あまり好ましくない発言をしたのだろう。


 「あ、あの、聞こえていませんでしたし、ほどほどで・・・」


 「お優しいですな瑠璃ちゃんは。私がもう少し若かったら、交際を申し込んでおりましたぞ、ふぉっふぉっふぉ。いや実に残念」


 「竹崎!」


 「冗談ですよ、蓮様」


 「あはは、竹崎サンだったら良いですよ」


 これはその場のノリというものである。軽い気持ちでそう応えると、竹崎サンの顔が一瞬で強ばったように見える。


 「・・・じょ、冗談でございますよね?」


 「え? 何か問題でも? ふふふ」


 「ばか! 蓮様の嫉妬深さを思い出せ!」


 余暉サンも何やら慌てている。

 ひゅーっと足の先から凍る様な冷気が感じる。これは比喩ではなく実際に寒いのだ。


 「瑠璃。私と言う者がいながら竹崎などと。竹崎、お前の命は今夜限りだ。近しい者どもに挨拶をしておけ」


 どうやら蓮がフルスロットルで怒り出そうとしている。竹崎サンの顔が今まで見た事の無い程に引きつっていて、蓮の勢いが冗談ではない事を意味している。


 「ちょ、ちょっと蓮! 相手は竹崎サンよ。貴方のお家で長年お仕事されている方でしょう? 私が悪のりしちゃったのが悪いの、竹崎サンを責めるなんてお門違いよ!」


 こんなに怒っている蓮の姿は初めて見た。夢中で蓮に抱きつき暴走を止めようとするが、怒りを湛えた目で竹崎サンを睨みつけるのを止めてくれない。


 「蓮! 私を見て!」


 少し頑張って蓮の胸元を掴み揺さぶると、ようやく蓮が私を見下ろした。いつもなら優しい色になるはずなのに、今の蓮の目は怒りに支配されている。


 「このぉ、分からず屋!」


 私は無我夢中で蓮の首に腕を掛け、身長差もあってぐいっと引き寄せる。そして、力任せに唇を押し付けた。


 (蓮、蓮、落ち着いて、お願いだから、冷静になって)


 無我夢中で蓮の唇を食み、舌先で唇をつつく。きつく結ばれていた蓮の唇が次第に解け隙間が出来ると、私は自分の舌を押し込んだ。もしかするとこのまま噛まれてしまうかもしれないけれど、それは自業自得と覚悟をした。そして、いつも蓮からされるように舌を動かす。


 (蓮、蓮。お願い。お願い。蓮、大好きなの、あなただけが、私の全て)


 蓮の事を想い、(つたな)い動きで舌を動かし続けていれば、その内に蓮の舌が僅かに応えてくれた。


 (蓮!)


 私はギュッと閉じていた目を開けると、そこにはもう怒りの色が消えた目が私を見ていた。謝ろうと離れようとしたが、それは蓮によって許されなかった。主導権を完全に蓮に奪われて、私は蓮のなすがままに身を任せるしかない。


 初めてキスをされた時とは比べ物にならない程に、私は蓮に翻弄されるのが好きになっていた。


 最近ではたったキス一つで色んな表現があるんだなと分かるようになってきた。今の蓮のキスは自分の怒りを鎮めるキスだ。そして私が誰も見ないように、蓮だけを見るようにと乞い願うキス。蓮の思いが伝わって来るのと同じく、私のさっきの思いも蓮に伝わったはずだ。


 私も蓮に応えようと無我夢中になる。酸欠のためか頭の芯からジンジンと痺れる感覚にとらわれた。徐々に頭がぼんやりとしてくる。


 (れん、せい、れん、好き、大好き、青蓮)


 蓮の激しかった動きがピタリと止まった。そして今度は優しく優しく包むように私の唇を食む。

 痺れる頭で蓮の名前を呼ぼうと私は口を開いた。


 「せいれん」


 私の思っていた音とは違う音が口からこぼれ出た。


 「ちが、違うの。私、(れん)って言いたかったの」


 慌てて訂正をすると、蓮は見間違えようの無いほどの愛情を瞳に湛えて私を見ていた。


 「いいんだ、いいんだ」


 蓮はそう言うとしっかり私を腕の中に捉えてしまった。

 トクトクという蓮の鼓動が聞こえて来る。規則正しいその音は私を安心させる。ずっと以前から聞いたことがあるような、そんな錯覚すら覚える。


 「蓮、好き」


 「ああ。私も好きだよ瑠璃」


 いつまでそうしていただろうか。私は蓮の腕の中がとてもしっくり来る事に気がついていた。


 「蓮のここ、とっても居心地が良い」


 「そうか? 遠慮は無用だ。ここは瑠璃だけの場所だからな。これまでもこれからも」

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