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さて、夏期休暇を一週間後に控えた土曜日。
今日も朝からお弁当を持って、会社の地下5階で作業をしている。
この頃になると未開封のものの量がグンと少なくなり、終りが近い事を示していた。その代わりに神経を使う登録作業がメインになっている。
撮影、来歴や由来、関係のあるサイトや似た様な品が無いか同時に探して登録していく。分類方法も一つ一つを竹崎サンに教わりながら、選り分けていく。これがけっこう骨が折れる。何せ、世界に二つとないような物ばかりである。間違えないように注意して登録をすすめていく必要がある。
「ところで竹崎サン。これらは今後どうされるのですか? このままここで保管するだけなんでしょうか?」
それはただの興味だった。この作業が終われば、もうこれらを目にする機会はそうそうないだろう。
「そうですね。今のところ次の世代へ引き継ぐ為に保管をしておくだけですね」
「あの、つかぬ事を伺いますが、税金とか、相続税とか、どうされているんですか?」
「もちろん払っておりますよ。まぁ数が数ですからな、相当な金額にはなりますが神威家にはその体力がありますのでね、金銭的な面では問題なく次代へ引き継げますよ、ね、蓮様」
何やら奥歯に物が挟まったような、含みのある言い方を竹崎サンが蓮へ向ける。
「ああそうだな。金銭的には問題ない。だが、一つだけ重大な問題がある」
(なんと。日の沈まぬ神威家にも問題があると)
これももの凄い興味本位で聞いてみた。
「そんなに難しい問題なの?」
「ああ、今の所難しいな。だが、近い将来、解決するかもしれん。私の努力次第だろうが」
「然様でございますね。蓮様、ファイト!」
「蓮が頑張って何とかなることならそんなに心配する事ないわね。頑張ってね蓮、私も陰ながら応援するから」
そう言うと、蓮と竹崎サンは微妙な顔をしていた。
「帰るぞ」
「はーい。それじゃ、竹崎サン、余暉サン、また明日」
竹崎サンと余暉サンに挨拶をして今日も蓮に送ってもらう。
最近は車ではなく歩いて帰るのだ。8月の日暮れ前の、日中よりはやや涼しくなっただろう中を、何をそう好き好んで歩くのかと言われれば、会社から我が家までは歩くにはほんの少し遠いのだが、車だとあっという間で少々物足りないそうだ。
ゆっくり歩いて帰れば、その分色んな話ができるからと蓮は言う。何を隠そう私も、一日作業した後にこのお散歩デート(?)で思い切り汗をかいて、シャワーを浴びる瞬間の爽快感が癖になり、このただ歩くだけの時間が好きなのだ。
私が後片付けをして身支度を整えると、蓮はさっさとお弁当の入っていたバッグを手に取り、空いている片方の手をスッと私に差し出してきた。これももう慣れたもので私も素直に蓮の手を握る。そして二人連れ立って、会社の1階から歩いて会社を出るのだ。
「ふわぁ、むっとするね」
社員のいないフロアは冷房は入っていない。1階のエントランスロビーでこの蒸し暑さは外がどうなのか思いやられる。アスファルトに蓄熱されていた熱の放出がこれから始まるのだ。足下からむせ上がって来る熱気を覚悟し、蓮と連れ立ってロビーを歩き出した。
「あああああああああああ!」
そこへ突如、断末魔にも似た叫び声が聞こえてきた。誰もいないホールに響き渡る。
足を止め、声のした方へ振り返ればそこにはーーー三木がいた。心做しか目がキラキラしている。
(土曜日に出勤?)
そんな感想しか思い浮かばなかった。おそらく一週間後に迫った夏期休暇にもつれ込まないように、今日は出社してきたのだろう。
(やれやれ、お疲れ様だこと)
そして、私はようやく自分の状況に気がついた。
(武装解除して休日モードになっている今は、恐らく三木は私だとは気づくまい。現に、会社で何度も顔を合わせているが、未だに気づかれないのだから)
(これは、やばいかも・・・。早く立ち去った方が無難だわ)
チラリと蓮を見れば無表情に三木を見ていた。その蓮の手を引っ張り早く帰ろうと促す。
「ねぇ、君、ココで何をしているの? やっぱりこの会社の社員なの?」
三木は満面の笑みを浮かべ勢い良く走ってきて、隣にいる蓮をまるっと無視し私に声を掛けてきた。
「えっと、その、ちょっと、片付けを・・・」
「片付け? なら僕も手伝うのに。まだ作業はあるの?」
「え? ええ、まだ終わりませんが、そう急ぎではありませんので、ゆっくりやってるんです。だからお手伝いの必要はありませんから、お気持ちだけで。ありがとうございます。三木サンもお仕事頑張って下さい。では失礼します」
私は蓮を促してさっさとこの場を立ち去る事に決めた。
「ちょ、ちょっと待って!」
なんと! まさかの、出来事が。
三木が私の左腕を掴んでいる。余りにも驚いてしまったのでそのまま三木の顔を凝視してしまった。それがいけなかった・・・。
「僕の名前、知ってるの? 君、本当に可愛いね」
三木のキラキラ状態が強まった。
「改めて自己紹介するね、僕は三木哲也。ね、君の名前教えて? 部署はどこ?」
(やっぱり全然気づいてないの? この距離なのに)
どう言い返してやろうかとちょっと三木のアホ面を見ながら考えていたその時、8月だというのに冷い風が吹いてきた。
「なんだ貴様は、気安く私のものに手を触れおって。許さん」
それはそれは極度に悪い方の予感しかしない。
「この人誰?」
ようやく気づいたのか、三木が蓮を指差した。握っている蓮の手から、何かが出て来るのを感じる。
「わーーーーちょっと待って! 落ち着いて。ちょ、三木サン! 今日はちょっと大急ぎで帰らなきゃいけないんで、もう帰りますから。じゃ、さようなら」
私は全速力で蓮をひっぱりながら駆け出した。
「ちょっと待って!」
後ろの方で三木が叫んでいるが、この状況でよくそう言えるな! と腹立たしく思いながらも蓮をなるべく三木から遠ざけようと頑張った。しかし蓮を引っ張る方の手が重い・・・。
近くの公園まで走って、その勢いのまま木陰に逃げ込み身を隠す。しばらくして、追い掛けて来る足音は感じないのでようやく安心し、私はその場に座り込んだ。
「蓮、大丈夫? ごめんね、急に走ったりして。気分は悪くない?」
夕暮れとはいえ暑い盛りの時期に全力で走ったのだ、気分が悪くなる可能性だってある。現に私はもうフラフラだ。
「私は大丈夫だが、瑠璃が良くないようだな。息が上がっているし顔が赤い。それに、汗か?」
全身から汗が噴き出していた。
(きゃー! こんなドロドロした状況、見ないで欲しいんだけど)
「れ、蓮。私、喉がかわいたの。お願い、そこの自販機で飲み物を買ってきて」
そう言ってお財布を手渡すと、蓮はわかった、と言ってすぐに自販機のある方へと歩き出した。
「た、助かった。今のうちにタオルで汗を、拭い、て・・・、あ、あれ? 何か目が回る・・・」
地面に座っているのだが目の前がグルグル回っている。
「き、気持ち悪い・・・」
グッと目を閉じてめまいをやり過ごそうとしたが駄目だった。私はコントロールが効かずに上体を保てなくなってしまった。
(ひんやりして気持ちいい・・・)
何だかとても快適だ。肌に触れるサラサラとした感覚がとても気持ちいい。
ゆっくりと意識が浮上してきて閉じていた目蓋にも光を感じる。そっと目を開ければ、目の前に心配そうな蓮の顔があった。
「れ、蓮?」
「気がついたか。頭は痛くないか?」
ちょっと考えて首を振った。
「ううん、全然痛くないわ。私、どうしたの? どこにいるの?」
見慣れないリネンと嗅いだ事の無い匂いに、周囲を確認しようと体を起こそうとした。
「まだ起きなくて良い。瑠璃の家には今日は泊めると連絡しておいたからこのままここで休め」
(とめる? 止める? 泊める? 泊める!)
思い当たった言葉に思わず反動で起き上がった。途端に、目眩が襲って、ついしかめ面になってしまった。
「ほら無理するんじゃない。軽く熱中症になっていたんだ、まだ体を休めないと」
優しく蓮が体を支えて、そのまま横にならせてくれた。
「ありがとう。ここはどこなの?」
「私の部屋だ」
「蓮の!?」
「ああ、そうだ。会社から一番近いのはうちだからな。公園で倒れている瑠璃を見つけて運んで来た」
そうだった。酷い目眩があって、そこから先はブラックアウトしていたのかーーー。
「ありがとう。お陰でもう大分いいわ」
「どういたしまして。でもまだ目眩がしているのだろう? ゆっくり休め。そうだポカリを飲んでおくと良い」
蓮はキャップを外して渡してくれた。寝ていて飲みにくいので、ちょっとだけ起き上がると直ぐに蓮が支えてくれる。私はそのまま甘えコクリコクリとポカリを喉に流し込む。途中、上手く飲み込めずに口の端から流れ出てしまった。慌てて拭く物を欲しいと蓮に言うと、蓮は私の顎に手をかけて口元から胸元に掛けて流れ出た筋に唇を這わせた。
「これでいい。もっと、流しても良いぞ」
「な、、、な、、、何て事するの! 私、走ったばっかりで汗すら拭いてないのに! 早くうがいして」
(そうよ、汚れているに舐めるなんて!)
「それなら大丈夫だ。体が熱かったらな、冷やす為にシャワーを浴びせた。だから安心して良い」
「・・・今、何ておっしゃいました?」
「ん? だから瑠璃の体は責任を持ってちゃんとシャワーで冷やした」
「だ、誰が?」
「私が」
「ええええええええええええええええええええ!?」
あまりの衝撃的な事実に私は手に持っていたペットボトルを取り落としてしまった。
「え? ああああああああ! きゃーーーーーーー! ごめんなさい!」
蓮のお布団は水浸しになり、結局、総取り替えをすることになった。私も濡れてしまったのでその間にもう一度お風呂に入るように仰せつかった。
この単衣も誰に着せられたのかーーーきっと蓮しかいないけれどーーー、帯を解きながら、失神してから蓮の部屋で気がつくまでの出来事に思いを馳せてみる。
(蓮は公園で倒れた私をココまで運んで来て応急処置をしてくれた。で、服を脱がせ、シャワーを浴びさせ、着替えさせ、お布団に寝かせ・・・、ひとりで大変だっただろうなぁ。それなりに重いしね、ありがたいことだわ)
帯を解き単衣を脱いだら、その下には何も付けてなかった。
(やっぱり穴掘りたい)
中学の授業であったプールの時間までしか、他人に肌を晒した事が無いのに。
(全部見られたってことよね? 結婚前なのに・・・もうお嫁に行けないかも)
激しく身悶えするが、見られてしまったことはどうしようもない。腹を・・・腹をくくって・・・くくって・・・無理!!!
(どういう顔をして蓮に会えば良いのよ!)
10人ほどがゆったりと入れるような湯船から、木桶にお湯を汲み頭からかける。今はもう殆どやらなくなったが、祖母が亡くなる前は何かの折りに禊と称して、何回か強制的に参加させられていた。それを思い出しながら何度も頭からザブザブと湯を被る。
(あの時は正真正銘“水”だったけどね)
いま浴びているのが水でないからか、全く無心になれない。さっきから答えのでない考えに堂々巡りをしている。ふと目を上げれば硝子にぼんやりと映った自分と目が合った。
ナイスバディというわけでもなく、強いて言えば普通な体格で、自慢する所も無い。
「はぁ・・・・見られちゃった・・・こんな姿・・・見られちゃった・・・」
頬を涙が伝う。何が悲しいと言う訳ではないが、何だかもう何もかもが情けなくて涙が止まらない。
「ひっく。うぇ・・・」
とうとう桶を脇に置き手で顔を覆って泣いてしまった。
「どうした? 何がそんなに悲しいのか?」
背後からそっと抱きしめられた。こんなタイミング良く来てくれるなんて。
「蓮・・・」
「ん?」
「れれっ蓮!?」
「どうした瑠璃」
「なにやってんの!」
「何って、お前の事が心配で。シャワーでいいと言ったのに・・・。湯の中で倒れたらどうする」
「・・・そりゃ、まぁ、そうかもしれないんですけど! どうして抱きつく必要があるの?」
「それは瑠璃が泣いていたからだ。私としては瑠璃が泣いているのが苦しくて、瑠璃の悲しみを取り去りたくて。泣かないで瑠璃」
「蓮・・・」
「瑠璃」
「・・・離して」
「嫌だ」
「大声上げるわよ」
「いいぞ」
「な・・・。は、恥ずかしいの! もう、分かってよ! 私、誰にも裸を見せた事無いのに」
「なら、私が最初で・・・最後の男だな」
蓮が最高の笑顔を見せる。それだけを見れば全くイヤらしさは感じないのに、この状況では全然説得力がない。気のせいか、どさくさに紛れてなで回されている気がする。お腹をフニフニするのはちょっと止めてもらいたいところだが、他の部位に移動されるともっと困る。
蓮の笑顔は普段だったら見ていて嬉しいはずなのだが、今は少し腹が立つ。
「どうしてそう言い切れるの? 私と貴方が別れてしまったら、そうならないじゃない」
意地悪を言いたくなり、つい、口先だけの言葉を放った。
硝子越しに見える蓮の表情がみるみる無表情へと変わる。その表情すらただただ美しいと思えるのに、どう言う訳か般若に見える。私はようやく己の過ちを自覚した。
「別れる? は! そんな事はありえない。仮にそうなったとしたら、私は世界中の男どもを根絶やしにするだけだ」
ちょ、ちょっとヤバい。何だか蓮の様子がおかしい。私は無理矢理身体をひねって蓮の方へと向き直る。
「私の話も仮の話よ。そんなに怒らないで!」
自分達が裸で抱き合っているという状況も忘れて私は必死に訴えた。
「仮の話でも、分かれる話など聞きたくない!」
般若顔のまま蓮が私を睨みつける。だけどここは私だって引くわけにはいかない。
「だって、この状況・・・。蓮が私を離してくれないからよ。私、結婚するまでは嫌なの。将来の旦那様になる人に操を立てるとかじゃなくて・・・いや、それもあるけど、その・・・、今の所、蓮が旦那様になる可能性がすごく高いけど、なし崩しにそんな関係になんてなりたくない! もっと私たちの関係を大事にしたいの」
そうだ、そうだ。私は軽々しく肉体関係になるのは嫌なのだ。改めて自覚してしまった。
「・・・結婚したらいいのか?」
眉根を潜めて蓮が尋ねる。
「当然でしょ。だって結婚するってそう言う事をするのとイコールなんだし、大好きになった人とならきっと・・・大丈夫だと、思うし」
どことなく蓮の表情がゆるむ。
「すまない瑠璃。なし崩しにそんな関係になろうとしていた私を許してくれ」
(やっぱり、そうだったのか)
素直に項垂れてしまう蓮は本当に子犬のようでかわいいと思ったが、腰と背中に回された手の感触と、その・・・、互いに触れているところの肌の感触が自分の置かれている状況を思い出させた。途端に、それまでの虚勢が一気にしぼむ。
「くしゅん」
ずっと洗い場にいたのでくしゃみがでてしまった。
「いかん。少し冷え過ぎている。このままでは瑠璃が風邪をひいてしまう。ちょっと待て」
そう言うと、蓮は私を横抱きにし一緒に湯船に入った。
「何もしない。じっとしてて」
蓮に抱えられながら湯船につかっているが、先ほどの、何もしないという言葉通り、蓮は何もして来ない。
「熱すぎないか?」
「大丈夫」
「これでいい。先に上がれ」
私の体が程よく温まった所でそう言うと、私だけを湯船から上げた。
「ありがと蓮。お先します」
脱衣所で体を拭き、置いてあった新しい単衣に袖を通していると、浴室から激しい水の音が聞こえてきた。まるで滝行のようだ。ちょっと心配になったがそっとしておく事にした。
濡れた髪をタオルで包み、蓮の部屋に戻った。
寝室に入ると私が汚したお布団は取り替えられ、糊の効いた綺麗なリネンが目を引く。蓮のサイズだからかかなり大きなお布団だ。こんなに大きなものもあるのねーと初めて見るサイズに驚いたが、その中に飛び込んでゴロゴロしたらさぞ気持ち良さそうだ。だが、家主よりも先に寝るのも何なので、次の間で待つ事にした。
テーブルの上には書類が置いてある。きっと私が寝ている間に蓮が何か作業をしていたのだろう。風で飛んだのか、見れば床の上にも散らばっている。流石に拾ってあげようと思い手に取ると、来期の組織変更についての内容だった。好奇心から思わず読んでしまいそうになったが、まだ詳細は一般社員には公表されていないものだけに、ぐっと我慢をしてテーブルの上に裏返しておいた。
書類が気になり、つい手に取りたくなるのを我慢するため、簾をめくり縁側に出た。立派な簾と縁側の間を心地よい風が通り抜け、都心とは思えない静かな場所に自分がどこにいるのか一瞬分からなくなった。
縁側に座り庭を見ながらギュッギュと髪の水分をタオルに移して行く。肩甲骨の下あたりまで延びた髪はかなり水分を吸っているようだ。髪の水分が幾分か抜け軽くなった頃、ようやく蓮がお風呂から上がってきた。
「瑠璃。どこにいる?」
「ここよ、蓮」
出て来た蓮も単衣の着物を身につけている。着慣れている、と思った。非常に良く似合っている。お風呂上がりで上気した肌の色、濡れた髪が更に蓮を奇麗に見せている。ぽぉっと見てしまっていたらいつの間にやら唇を塞がれていた。
「そんな顔していると襲いたくなる」
蓮はもう一度軽く口づけた後、私の持っていたタオルを手に取り黙ったまま丁寧に私の髪を拭いていく。本当に気持ちがいい。うっとりと目を閉じて蓮のしたいようにさせていた。
「瑠璃」
「なあに?」
「聞きたい事がある」
「ん、なあに?」
「あの三木って男なんだが、どう言う関係なんだ?」
直前の出来事が衝撃的すぎて忘れていたが私の倒れる原因となったやつだ。その事を思い出し、三木に対してもの凄く腹が立った。
当然三木の事は隠す事も無いので説明する。
「隣の部署の人でね一ヶ月位前かな、緊急対応で仕事を手伝ったの。でもその時は、滝本サンというマネージャーさんからの依頼で三木サンとは直接関わりはなかったわ。全部終わった後で、たまたまあの仕事は三木サンのだっていうのを知ったの」
「だがやけに瑠璃に執着していたように見えたが」
「それは、私にもわかりません」
ここ最近の三木の行動を思い出してウンザリした。
「そうか・・・。くれぐれも一人になるんじゃないぞ。あいつが近づいてきたら直ぐに逃げるんだ、いいね」
さっきの現場を思い出しているのか蓮の声色は固い。
「はい。でも蓮が心配するほど私はモテたことありませんから安心して。現に、蓮以外の人とは付き合った事無いし」
「・・・瑠璃、危機事態の発生を予防するためのリスクの分析方法は必要だぞ」
蓮の言いたい事は何となく理解できた。
「はい。じゃ、私も言いますけど、蓮も他の女の人によそ見しないで下さい」
「分かってる。それだけは絶対にないから安心しろ」
いつか私の両親に堂々と宣言したように言う蓮をちょっとだけ揶揄ってみる。
「絶対って言葉は軽々しく使っていい言葉ではありません」
ふふんという表情で蓮を見れば、穏やかな目をしながらもどこか勝ち誇った様な顔をしている。
「軽々しくは使ってない。この場合の絶対は絶対だ。状況に応じて変わる様なものではない、絶対の真理だ。私は瑠璃以外に惹かれない、これは絶対。わかった?」
「でも私、結婚するまで関係を持つのは嫌なんですけど、それでも大丈夫なの?」
「それでも、だ。お前を抱けないからといって他の女で済ますなんて事はあり得ない。そんなに軽々しい気持ちで瑠璃の事を扱いたくない。お前は私にとって唯一無二の存在なのだから」
蓮は力強く、ほんのり甘い言葉を紡ぐ。私はその言葉の中に蓮への想いを強めた。
「蓮・・・嬉しいです。信じますよ、その言葉」
「信じて瑠璃。だから瑠璃も私だけを見て。そして、いつか、私の事を好きだと言って欲しい」
「ん・・・」
私は初めて自分から蓮の首に腕を回し口づけをねだった。蓮は嬉しそうに目を細めて私のリクエストに十分すぎる程に応えてくれた。