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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第一章
6/43

6

 いつもと変わらない月曜日。更衣室で制服に着替え、まだ誰もいないフロアで簡単に自席のデスクの埃を取り、PCを立ち上げる。立ち上がるのを待っている間に先週の業務と今週の業務のスケジュールを頭で描く。


 「おはよう」


 「あ、おはようございます、あれ? 榎本サン。今日はどうされたんですか?」


 榎本サンは私のトレーナーだった人だ。厳しいが優しく頼りがいのある良いお姉さんだ。みんなの信頼も厚い。・・・だが、このフロアの人ではない。


 「いやねぇ〜、ちょっとあんたの顔見たくなってね」


 クフフと含み笑いをしている。この人のこの笑い方の裏には必ず何かある。その事をしっている私は榎本サンにジトッと目を向ければ


 「冗談よ冗談。なんかさー、人探しをしているヤツがいるって噂が聞こえてきてね様子を見に来たんだな」


 「それって、三木(あいつ)の話ですかね〜?」


 (まだ諦めていなかったのか。三木のやつ仕事しろっ!)


 「そうそう。先週残業してたらバッタリ出会った運命の人? らしくてね。くくく。で、見た事の無い美女だそうで、可愛い声で話しかけてきてくれてたんだって。くりくりお目目、奇麗な形の唇、引き締まった腰に奇麗な真っ直ぐな黒髪と白い肌。あたしは心当たりあるんだなー・・・」


 知りたい? と間をためる榎本サン。チラリと流し目をこちらに向けると


 「ズバリあんたでしょ」


 ふふん、どうだ、参ったか、的な目で見られても肯定するつもりはない。


 「何を言っているんですか、朝っぱらから冗談も休み休みにしてください。いつだったか、私にも三木サンが尋ねてきましたけど、そんな人は見ませんでしたよ」


 既に終わってる話だと思っていたのに。気づく人なんて居るとは思ってなかったのに、さすがは榎本サンとでも言うべきか。面倒な人に見つかってしまった。話題を逸らしたいのだが簡単に軌道修正された。


 「あっは! 探している張本人に聞くなんて、三木ってば案外節穴ね。で、あんたわざと論点をずらそうとするの止めなさい。三木が探している女ってあんたじゃないのかって聞いてんのよ」


 「は? 何をどう見たらそうなるんですかねー。榎本サン。ご覧の通り私はやぼったい前髪に黒ぶち眼鏡ですよ。男の人から声すらかけられことありません。幾ら里見サンが振り向いてくれないからって、私で遊ばないで下さいよ」


 「あんたね! (どうしてそのこと知ってんのよー!)」


 後半は小声だった。まだフロアには誰もいないが周囲をチラチラと気にしている。ま、それはそうだろう、何せ里見サンは私の上司だから。そろそろ出社するんじゃないかな。


 「はて、何でしたっけ?」


 「まー! 何て子なの。いい? この前のノー残業デーでこのフロアで残業していた女性社員は、あんただけなのよ」


 榎本サンは人差し指をブンブン振りながら自分の推理を展開する。


 「だからって直ぐに私っていうその結論は安直すぎます。案外、部外者かもしれませんよ」


 なかなかの折れない私に、榎本サンは(わざ)とらしく大きな溜め息をついてみせる。


 「はぁ・・・あんたさ、鏡見た事あるの? ないでしょ」


 「失礼ですね。毎朝見てます」


 「ふーん。あんた、前髪上げてみなよ。そんでその眼鏡、外してみれば?」


 そうきたか。このボーダーは死守せねばなるまい。厚い前髪と黒ぶち眼鏡は私の仕事用武装(トレードマーク)なのだ。崩すわけにはいかない。


 「嫌です。・・・何をニヤニヤしているんですか」


 「べ・つ・にぃ〜」


 私のデスクに両肘をついて、ふふふと奇妙な笑いをみせていた榎本サンが、いきなり私の眼鏡を取り上げ、前髪を押し上げた。


 (しまった、油断した!)


 「榎本サン! 揶揄(からか)わないで下さい!」


 「あははははは! やったね。気をつけなよその素顔、バレないようにね」


 負けたー! いつまでたっても榎本サンには勝てないのかー!


 「・・・ご忠告、ありがとうございます」


 榎本サンの手から奪回した眼鏡を慌ててかけ、前髪をさささっと整える。


 「はぁ、しっかし、あんたさ、どうしてその顔を生かさないかな。彼氏くらいすぐに出来そうなのにねー。本当にいないのかねー」


 榎本サンが私のデスクに肘をつきつつ下方向から私の顔をのぞきこむ。つい、反射で目が泳いでしまった・・・


 「ん?」


 ヤバい・・・


 「え?」


 バレたか・・・


 「まさか・・・」


 バレた・・・


 「えええええええええええええええ! いつから!? 相手はだ・・・むぐっ」


 「しーーーーーーーーーーーーーっ!」


 必死に榎本サンの口を塞ぎ目で訴える。これ以上声を上げるな、と。私は尚も手に響く声に、声には出さずに「さ・と・み・さ・ん」と口だけで榎本サンに伝える。そしてニヤリと自分でも分かる位の嫌な笑いを浮かべてみた。

 すると榎本サンは急に静かになり、うんうんと小刻みに顎を動かしている。それを見てようやく私は榎本サンの口から手を外した。


 「いいですか、お互いの為です。私は榎本サンが里見サンの事をどう思っているのか知りませんし、榎本サンは私の事は知らない。いいですか?」


 この条件に榎本サンはかなり不満そうだ。むーとした顔をして何か考えている。


 「あ、そういえばー、野・田・サ・ン、この前の借り、返してくれても良いよ。その話でチャラにするけど」


 この前の借り。それは、思い出したくもない私と年下の女性社員の事だろう。就業中に仕事そっちのけで遊びの話に夢中になっていたので注意をしたところ、それを逆恨みしてある事無い事、私の悪口を吹聴して回っていたのを榎本サンがいつのまにか沈静化させてくれたようだ。


 (うー・・・。榎本サンの口の堅さは知っているけど、相手が相手だし、うかうかと話をしていいものだろうか・・・悩ましい・・・)


 「この前、落ちた消しゴムを拾ってあげたじゃない」


 「私の恋愛話は落ちた消しゴム程度の価値しか無いんですか!」


 「あはははは、冗談よ冗談。でも勘違いしないでよ。まぁ話したくなければ話さなくていいんだけど、話したくなったら私はあんたの話は聞くつもりだから。わかった? 一人で抱え込むと恋愛って簡単にネガティブなスパイラルに突入よ」


 心配してくれていたんだとわかり、素直に頷いておいた。何せ、もうじき30歳にはなるが恋愛経験ゼロ。未知の領域へ今更だが足を踏み出すのだ、確かに不安ではある。私が蓮の事を好きになったら、初恋になってしまう。


 (は、は、初恋!?)


 ぽん! と顔から湯気が出そうな恥ずかしさに教われる。榎本サンに視線を会わせないように俯きながら、


 「そ、その時は、宜しくお願いします」


 「あらまぁ、赤い顔しちゃって。初心(うぶ)だわねー。うん、素直でよろしい。じゃ、うまくやんなさいよ、恋愛初心者君」


 きゃはははという笑いを残しながら、榎本サンが去って行った。


 (つ、疲れたー)



  *



 今期は夏期休暇がある。この会社では一人あたり二週間取得できる。有給等を組み合わせて更に延長も可能だ。仕事との兼ね合いもあるけどね。

 入社当時、他の会社へ行った子にその話をしたら本気でうちの会社への転職を考えていた。


 (今年は何をしよう・・・あ、片付けしよう)


 悩む間もなく、こうして私の今年の夏休みは集中して蔵の掃除をすることに決めた。

 この時点で蓮と一緒に過ごすという選択肢は、恋愛初心者の私には全く考えに至らなかったのは仕方が無い。


 連続して二週間も取れるので海外へ行く人が殆どという噂も聞いた事がある。楽しい事を目標にみんなどことなく浮かれているが、集中力も増す時期でいつもにも増して仕事へ対するやる気が高くなる。


 (ほんと、動機付けって大事よねー)


 そう、しみじみと感じる。


 そんな矢先、どうやら来期に組織変更が行われるという噂が流れてきた。とは言っても一社員に過ぎない私にとっては、へーそうなんだー、くらいの話でしかない。関係あるのは管理職以上だろう。それと、移動になる人、か。


 (この時期に移動になったら大変よねー。その点私は異動要員ではないから楽だわ)


 お客様との絡みは無い事は無いが、前線にいるわけではない。会社と前線にいる社員の間に位置して双方の交通整理をしているようなものだ。何せ前線にいると社内的作業が後回しになりがちで、どうしてもフォローする立場が必要になり作られた役である。


 この立場は私にとってはかなり居心地が良い。やりがいも感じているし、何より最近は自信も出てきて“縁の下の力持ち”を、一人静かに自称している。誰にも言ったりはしないけど。将来的な展望も僅かながらに考え始めているし、正直言って、仕事が段々面白くなってきている時期であることには間違いない。

 だがそう思えるまでの時期が長く辛かった。空回りする事もしばしばで人間関係というかチームワークを大事にするという意味も若い頃には実感として持てなかった。


 苦節6年。

 ようやく先輩達の言う意味が実感として分かってきた今日この頃、このままこの部署で自分の置かれた立場を極めてみようと心に強く思っている。


 (負けるな私、頑張れ私。幸か不幸か、思いがけず何となく彼氏もできたようだし、人として更なる成長も可能かもしれない!)


 こうして月曜の朝は自分への叱咤激励から毎回始まる。


 定時退社日の楽しみができたせいで、一週間の仕事にメリハリができた。前半は週半ばにある定時退社日を目標に、後半は週末の作業を楽しみにできるようになった。


 (いいわよね、こういうの。やりがい、充実、ああ、いい響き)


 一人、脳内劇場を展開しながら新しい一週間が始まった。



  *



 「なに、三木のやつ、まだ探してんの?」


 「そうらしいっすよ。その情熱を仕事にむけりゃーもっと上手く行くんじゃねーかって思うんですけどねー。何せ自分がちょんぼして発生した残業がきっかけで彼女と知り合えたらしくって、無駄に引きずってやがるんですよ」


 「意外と執念深かったか、軽そうに思えたんだがな」


 あれから月が変わり今月はいよいよ怒濤の夏期休暇が待っている。会社全体がしっかり休めるようにいよいよ集中が高まっているそんな中で聞こえてきた久々の話題に思わず溜め息を漏らした。


 「なー、野田サンも呆れるよな。ってか、しつけーよ。いい加減会えないんなら諦めればいいのにさ」


 「ですね」


 (どんなフィルターつけてるんだ三木!)


 うんうんと賛同しながら、別の人物の顔が頭の中に浮かんでいた。


 神威(しんい)蓮。

 この会社の創業家の人間として、来期から入社することが確定したと言っていた。入社すると直ぐに経営企画室なる部署に入ることも決定済みで、今はそのための準備作業をしているとも言っていた。

 恐らく少し前に流れた組織変更の噂は蓮をスムーズに入社させるためのものなのだろう。


 そこまでして入れたい人物なのかと最初は思っていたが、今では納得している。

 竹崎サンの作業を手伝いながら蓮に対して感じた事は、出来るヤツは何でも出来る、だった。蓮は体系的に物事を考える事がとてもうまい。全体を通して、どこをどうすれば効率良くできるのかを常に考えていて、しかも楽しんでいる。そして、憎らしい程に人を使う事が上手なのだ。


 あの宝物達を分類し、登録するのは最初は会社でも事務要員の私が担当してツールを作っていたのだけれど、蓮はそれを更に改良してくれた。


 「なぁ瑠璃、ここは、こういう風にしたらもっと使いやすくなるんじゃないだろうか?」


 指摘を受けた場所は私も気づいていた所で、別に私がやれば良いんだしこのままでいいかな、なんて適当に思っていたところでもあった。指摘を受けて、


 「んー。やっぱりそう思う?」


 「気づいてたのか」


 「ええ。でも、大した手間でもないし、私がやればいいかなって思ってやらなかったの。別に面倒じゃないし」


 「いやいや瑠璃サン、今後は私や竹崎も使う可能性が出て来るし、是非とも使いやすくしてくれたら助かる。ついでにかっこ良くしてくれたら嬉しい」


 忘れていた。

 この作業は私だけの作業じゃなかった。私が全部やればそれで万事OKだとすっかり思い違いをしていたことに気がついた。自分さえ良ければなんて考え方は、何て烏滸がましい・・・。穴があったら入りたい。


 「ゴメンナサイ。この下に穴を掘ってもいい?」


 「どうした?」


 「ひとりよがりになってた自分が恥ずかしいの」


 ペコっと軽く頭をはたかれ、


 「それは考え過ぎだ。地下10階近くなんて掘ったらもう水が出て来るしな。ま、冗談はさておき、でも、良いと思った事は挑戦してみても良いんじゃないか? 見知らぬ誰かが自分達が作ったモノを使って感動してくる様子を想像したら、楽しくないか?」


 「え? まだこの下に広がっているの?」


 「まあね。秘密だけどね」


 内緒だよ、と蓮は優しく微笑んでくれた。そして、落ち込んでいると思われたのか、慰めてやると言って思い切りキスをされた。


 若い頃の私だったらきっと自分の作ったモノに手を加えられたら軽く憤っていたかもしれないなと思う。その頃から考えたら、今の私の、何と丸くなった自分よ、と驚いてしまう。

 まぁ、正直言って、今でもそういうきらいが無い訳ではないが、少なくともこの蓮との作業においては、あの一件以来、蓮や他の人の考えに素直に耳を傾けるようになった。そして求められるままに自分の意見を言うようにもなり、蓮と竹崎サン、余暉サンとの関係が更に良くなった気がした。


 意見を言い合えて、それを互いに受け止めて考えて行く事が、こんなにも自分に充実感を与えてくれるとは、もうすぐ30歳になるのに初めての経験だった。


 そうして作り上げた改良版システム“as one8号”は、とても使い勝手の良いものである。手間が一つも二つも省けると余裕ができる。ついでだからと、蓮は全世界の大学や図書館、資料館や博物館等で似た様な品々の調査を始めてしまった。私も面白くてついつい引き込まれ、あーでもない、こーでもないと参加している。


 仕事のパートナーとしてはとても充実しているのだが、一方で、恋人としては実は恋人らしい事は何一つ無く(抱きしめられてキスはよくされているけど)、私が恋愛初心者なせいかそれで満足してしまっている。二人きりで過ごすのは、もっぱら定時退社日に会社から家まで、土日は送迎をしてくれる行き帰りの短い時間だけだ。でも私にはそれが心地よく、当たり前のこととしていつの間にか受け入れいていた。


 最近になって気がついたのだが、蓮といると心身共に武装しなくてもいいのだ。


 出会った初日に告白されたりキスされたり胸を触られたり抱きしめられたりした時には泣きそうだった。知識ばかり豊富な頭でっかちで、面倒な事になるのが嫌だからと、どうやって逃げようかという思いしかなかったのだが、初日に家まで送ってもらった時には親公認で付き合う事になっていた。


 そういえばと思い出せば、蓮は最初から私を見る目が優しかった。これを言うと自惚れもいいかげんにしなさいと言われると思うが、私の事を好きだと目が言っていた気がする。私がいくらネガティブな事を言っても、それを真正面から受け止めて反論してくれた。両親にも正々堂々と会って許しを貰ってくれたし、だから、私も真剣に付き合ってみようと思ったのだ。

 互いを知らないから無理と言ったのに、知らないからこそ付き合ってと言われ、真剣に付き合うという宣言通り、非常に真剣に私達の関係を大切にしてくれているのは、もの凄く理解できた。


 そんな完璧なように見える蓮に対し一つだけ苦情を言うならば、嫉妬深いということだ。


 それはまだ恋人となって一ヶ月にもなっていない付き合いの中ででも身にしみている。


 作業中に余暉サンと二人きりでいた時、データをまとめる方法を竹崎サンと相談していた時、ネットで思わず可愛い猫の動画を何度も繰り返し見てしまった時等等、決まって蓮は不機嫌になる。そしてその後、相手に対し攻撃をすると私の身の確保をする。ちなみに動画に夢中になっていた時には、ニコリと笑ってそのままパタンとディスプレイが閉じられた。


 余暉サンと竹崎サンはそんな蓮の事を心得ているようで、そこの所はうまく回避してくれるので事無きをえているため私の心理的ダメージは軽いが、これがもし知らない人に対してだったらと考えると、ぞっとする。


 一ヶ月半後には蓮がこの会社にやって来る。その前に、三木には是非とも早々に諦めて欲しいと切に願うのである。

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