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いつまでも かはらぬ御代に あいたけの 世々は幾千代 八千代ふる
雪ぞかかれる 松の二葉に 雪ぞかかれる 松の二葉に
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先日、一年間使い込んだ爪輪を取り替えた。お教室にやってきた楽器屋さんが何気なく手にした爪輪の素材に、慌てて食い付き「絶対に羊で!」と主張するわたしを不思議そうに「どうしてだい?」と見ていた楽器屋さんにこれでもかと力説し羊の皮で作られている爪輪をつけた。
ここはわたしのこだわりポイントで絶対に猫の皮なんて嫌なのだ。
当然、三弦(三味線)も嫌! お免状をとったらどうかしらと周囲から有り難くもお誘いを受けたけれど、その為には三弦も習わなくてはならないため丁寧に(心の中では絶対に嫌だ! と、頑にキッパリスッパリ)お断りをした。
なぜならば我が家にはにゃんずがいるので、それはそれ、これはこれと割り切る事ができないのだ。人間の皮でできたランプシェードなんて欲しく無いのと同じだ。同じなんです、ええ。
少し熱くなってしまったけれど、生まれながらにして猫のいる生活を送っているため、一人っ子のわたしにとってはにゃんずが兄弟姉妹の代わりでありその兄弟姉妹で作られた物なんか断固拒否する!
*
「ですから、嫌です。わたしは箏だけでいいのです」
プイッとそっぽを向いたわたしの前には、はぁと溜め息をついている祖母がいたりする。幼さを滲ませる姿ではあるがれっきとしたわたしの“祖母”である。人としての生を終え、既に鬼籍に入っているが、わたしが人間であった頃は夢の中で、青蓮と結婚したことで属性が変わった今では本当によく会うようになった。まぁわたしが普通の人であった頃は夢の中の出来事はすっかり忘れてしまっていたため、起きた後は祖母と会った事等覚えてはいなかったけれど。
すっかり記憶が戻っている今は祖母の事はよく覚えていて押しの強い人である事もしっかり理解している。
「瑠璃、折角なのにどうしてそう頑なのです」
はぁとこれまた盛大に溜め息を吐いて悲しげな目をわたしに向けてくる。
「嫌な物は嫌です。お祖母様もご存知でしょう? わたしの猫好きは! うちの子達がただただ道具にされるために殺されるなんて思うと・・・」
悲しくなってじわりと瞳が潤み、ウッと言葉に詰まる。想像だってしたくないのに!
「実際に有り得もしないのに、そんなことを言ってもねぇ。それに三弦は動物の皮って決まっているのよ」
「そんな事を仰るお祖母様は、クネヒト・ループレヒトに叱られればいいのよ! それに今は人工の皮だってあるもの!」
「ならばそれを使えばいいじゃないの?」
「い・や」
「猫の皮ってわけじゃないの。犬の方が多いのよ」
「お祖母様! ワンコだって同じです! ワンコ、ワンコが・・・お義父様が・・・」
当然わたしの脳裏にはお義父様のお手のポーズが浮かんでいる。ちなみに青蓮は最近はワンコではない気がしてわたしの中ではワンコイメージからはほど遠い。
「ん? 天帝様? いったいどう言う事なの?」
祖母が不思議に思うのは当然で、三弦の話から使用されている動物の話、それが天帝へとどうして繋がるのか理解できないだろう。
「ワンコは、ワンコはお義父様なの。・・・わたしの中では」
わたしの答えに目を見開いたかと思えば、途端、盛大にがっくりと肩を落とした祖母はしばらく浮上してこなかった。どうしたのだろうと心配しおずおずと顔を覗き込んだ。
「・・・お祖母様・・どうなさったの?」
「・・・」
わずかだが祖母の肩が震えているようにも見える。わたしが頑に祖母の提案を受け入れないからとうとう泣きだしてしまったとか? いや、でもそんな殊勝な性格の人じゃないし・・・。そんな可能性は万に一つもあり得ないとわたしの中では結論付いたが、なかなか顔を上げない祖母の行動は心配ではある。
「・・・っくくくく・・・」
「?」
喉で何かが引っかかっているような咳き込むのとは違う喉を鳴らしたような喉の奥で何かが蠢くような声ならぬ声が祖母から聞こえてくる。その声がだんだん大きくなるにつれ肩の震えも大きくなってきて、ついには・・・
「あーもう! あっはっはっはっっはっは! あーーーー! おっかしー! ワ、ワン・・・」
「え?」
膝を自ら激しくパンパンと打ち鳴らしながら大きな口を開けて大笑いしている祖母の姿を見るのは初めてで、あっけにとられてしまった。
祖母の笑いは止まらない。
終には涙を流しながらの大笑いになり、いつも背筋をピンとはっているはずなのに、膝を崩し手をついて体が捩れるような笑いをあたりに響かせている。祖母は帯の上に手を置き、見るからに苦しそうだ。全速力で走ったら途中でお腹が痛くて走れなくなるくらいではないだろうかと推測する。
「お祖母様、お祖母様。どうなさったの? 一体なにがそんなに・・・」
「ひぃ・・・はぁ・・・わわわん、あはははははははは。ワン、ワンコ、ワン・・・」
言葉にならないほど呼吸が荒くなっている。既に身罷っている人ではあるが呼吸がまともにできていないようで心配になる。しかし、ここは無理に話しかけず祖母が落ち着きを取り戻すまで待つしかないだろう。よほどの事が無い限り笑いは止みそうに無い。
滅多に見る事の無い祖母のこのような姿が珍しいので観察するのも良いのかもしれない。
「むぅ・・・どうしたものかしら」
それにしてもわたしとの会話でそんなに笑える内容があったかしらと、頬に手をあてて考えるが全く思い当たることがない。
笑い転げる祖母を眺めていると、頭で認識するより先にジワリと全身の皮膚が愛しい人の訪れを感じたようだ。体がふんわりと最も良く知っている温もりと香りに包まれた。
「楽しそうだな。どうしたのだ?」
背後から抱き竦められているのに頬にかかる息が近く自然と自分の頬がぽぽぽぽと熱くなるのを感じ、息のかかる方に顔を向ければそっと口づけられた。
「笑い声が聞こえて来たのだが、一体何がおこっておる?」
どうやら青蓮は祖母の大きな笑い声に引き寄せられて来たようで、わたしは祖母に目を向ける。
「青蓮。お祖母様のね笑いが止まらないの」
困ったように答えると、青蓮はわたしの正面で体をよじって笑っている祖母に目を向け、やはり珍しい物を見る表情になった。普段無表情がデフォルトの青蓮が、つっと口角をひきあげたと思ったら
「これはこれは、世にも珍しい事だな。まさかこの様な場面に遭遇するとは思わなかった。いやいや希有なことだ」
言いながら面白そうにしている。
わたしは青蓮の言葉に同意だという意味を込めてしっかりと頷いてみせた。
それにしても、背を向けて笑っている祖母は青蓮が来た事が分からないのだろうか。普段だったら何をしていても直ぐに挨拶をする祖母が、肩で息をしながらまだ落ち着いていない。祖母に声をかけようとすると青蓮からやんわりと止められた。どうやらまだ見ていたかったらしい。それ程までに面白い光景ということか・・・。
青蓮が現れ暫くしてようやく祖母の笑いも落ち着いて来た。
「こ、これはこれは青蓮様、ぷぷぷ、んっん、失礼しました」
何度も大きな呼吸を繰り返し発作のような笑いが出なくなった祖母が改まって青蓮に挨拶をするが、ちらりと青蓮の顔を見た時に思わず吹き出してしまい、すかさず咳払いをし、居住まいを正して誤摩化したのだが全然誤摩化せてなかった。
「して、どうしてそのように笑っていたのだ? 何ぞ楽しい事でもあったか?」
興味津々なことを隠そうともせず青蓮はすかさず質問を繰り出した。祖母もきっと質問されると分かっていたのだろう、咳払いをするとふぅっと大きく呼吸をし口を開いた。
「瑠璃に折角だからとお免状をとればとすすめ、そこから話が発展し三弦の話をしていたのでございます。でもどうしても習いたく無いと言うのでほとほと困っていたのでございます。そこで問い質しますと使われている素材が嫌だと申します。私の時代はまぁ猫でしたけれども今は犬が多いという話をしたのでございます。ぶふっ・・・っぷぷぷ」
「それがどうして其方が笑う理由なのだ?」
不思議だと首を捻る青蓮が祖母に視線を向けると、祖母は再び肩を震わせ始めている。
「お祖母様お祖母様。ここでお笑いになられますとお話が続きません」
再び突入しそうだった祖母の膝に手を置き気持ちをこちらに向けさせ落ち着かせる。
「そ、そうですね。これは失礼しました。コホン」
スーハーと深呼吸をして祖母は話を再開した。
「その、材料が猫だと瑠璃は自分が飼っている猫達と重ね合わせて嫌だと言い、い、犬、犬だと、わ、ワンコが・・・ワンコ。あは・・・はぁはぁはぁ・・・。その、瑠璃の中ではワンコは天帝様だと言うのです。ぷぷ、、、うぷぷ・・・ワンコ、天帝様がワンコ・・・ぷぷぷ・・・」
あ・・・。そこ・・・。
きっとわたしの知るお義父様の姿と祖母の知る天帝の姿が全然全く一致していないのだろう。
祖母に対してお義父様はどのような態度で接していただいているのか実際に目にしていないので分からないけれど、この様子だときっと真面目で威厳のあるお義父様であるのかもしれない。見目も麗しいし黙っていれば理想的な天帝だ。失礼。
そうなれば確かに天帝がワンコだと言うわたしの言葉に過剰反応して大笑いしたのも、何となく頷ける、・・・かもしれない。
「失礼」
と断りを入れ祖母はクルリと背を向けたかと思うと再び笑いの度ツボに入って行ってしまった。我慢させるよりも思い切り発散して笑ってもらう方が良いかもしれないので放置だ。まずは青蓮へ謝らないと。
「青蓮。ごめんなさい。わたしのせいみたい。それにあなたのお父様のことをワンコだなんて言ってごめんなさい」
「いやかまわぬ。父上はワンコ属性だ。先日の瑠璃がしてみせた『お手』が母上のブームでな、たびたびお手をされていては、父上は一度も流す事無くすかさず反応を返している位だ。二人とも気に入っておられるようだ。私も時々父上に耳やら尻尾やらが見える気がすることがある。瑠璃は父上の皮が剥がれるのが嫌だと言ってくれているのだろう? 何も悪い事を言っている訳ではない、気にするな」
いやお義父様の皮を剥げるとは思わないけれど、犬→ワンコ→お義父様という流れで、つい・・・とは言えず。
珍しくポンポンと頭を軽く叩かれ笑顔の青蓮と視線が会うと、自分の頬がポッ熱を持ったのが分かった。頭をぽんぽんとされるとこんなに気持ちがいいと初めて知ったのと青蓮の笑顔に胸がきゅんと鳴ったのが同時で珍しくもドギマギしてしまった。
いつも四六時中一緒にいるのに、どういうわけか頭をポンポンされただけでこの自分の反応が信じられない。
「顔が赤いな? どうした?」
頬に大きな手が添えられると何故か更に顔に熱がこもる。少し冷たい青蓮の手が火照る頬に心地よいけれども、心配そうな青蓮の目が間近に迫って近くでまじまじと見られているのが我慢できなくなり自分から青蓮の胸の中に飛び込んで顔を隠した。
「ど、どうした?」
頭の上から慌てた声が聞こえてくるが顔を上げられない。
「なんでもない」
「何でも無い訳ではないだろう? 本当にどうしたのだ?」
わたしの肩に手を置いて顔をのぞこうとする青蓮の胸にますます顔をすりつけると呟いた。
「・・・素敵だから」
「ん? 何と?」
モゴモゴと話す声は聞き取り難かったのか、青蓮はわたしの頭を撫でながら聞き直す。
「青蓮が素敵だなって思って・・・。どうしてか胸がドキドキしてるの。か、顔が、赤くなってるのが自分で分かってるから、こうやって隠れているだけ。だから、見ないで」
言い終わると、体に腕を回され優しく抱きしめてくれる。
「瑠璃が私を好いていてくれるのは実に嬉しく思う。瑠璃は本当に愛いな」
頭の上に青蓮の頬がつけられたのがわかった。青蓮は無理強いすることはせず、わたしが落ち着きを取り戻すまで、抱きしめていてくれた。




