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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第五章
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 「室長、好きです。奥さんという立場でなくてもいいんです。たまに会って下さるだけで良いんです。だから・・・」


 午後に他の部門で行われる会議に向かう途中の廊下でパタパタと走って来た社員に呼び止められた青蓮が目の前で告白を受けるという実にショッキングな場面に遭遇してしまった。最初は一緒に並んで歩いていたのだけれどたまたま知り合いに出くわし、すぐに追いつくからと言って先に青蓮を行かせ、1〜2分立ち話をした後に慌てて後を追い角を曲がったその先の人目につきにくい場所がその現場だった。やや奥まった廊下の一画で向かい合う二人の姿を見てしまいその衝撃的な場面に目の前が真っ暗になり歩を進められなくなった。


 「妻でなくて良いと?」


 青蓮の問いに女性はぱぁっと顔を明るくしコクコクと頷いている。どうやら青蓮の気を上手く引けたと思っているようで尚一層熱心に青蓮を見上げ言葉を続けている。


 「ええ、贅沢は申しませんわ。室長のためならば私、陰の存在でも良いのです。お疲れになった室長を大切に心から慰めて差し上げますわ」


 青蓮は背を向けているが相手の女性はこちら側を向いていて姿形がよく見える。わたしのような制服ではなく私服で多少露出が目立つが彼女に良く似合っている。お化粧もヘアスタイルも完璧で午後のこの為に昼休みを掛けて準備したと思われるようなその出で立ちは、佐久間さんの言葉で言えば「仕事する気あるのかこのやろう」とも感じられるが、よくよく女性を見てみれば各務さんと一緒にいた女性達のうちの一人だと思い出した。昨日は各務さんの勢いとそれに応戦するのにいっぱいで近くに居た彼女達のことはしっかり観察していたわけではないのだが、各務さんの連れだった彼女達は華やかな雰囲気を持っていたので何となくでも雰囲気だけでも記憶の片隅に残っていたのだ。

 そんな華やかな中の一人が目の前で青蓮に言い寄っている様は、正直言って心中穏やかではないけれど、二人のその姿が違和感を感じないほどには釣り合っていると感じ、わたしの中で穏やかではない感情が燻り始めた。

 仕事の能力だけで何とか評価を得ようと頑張り地味子として過ごしていた時期が長過ぎていたためか、“女性”という華やかな武器をこれ見よがしに振りかざす人に少しばかり気後れするきらいを知らず知らずのうちに自分の中に住まわせてしまっていたようだ。足を踏み出し「彼はわたしの婚約者です」と間に割って入るのも忘れ、うっとりとした表情で青蓮を見上げている女性を息を詰めてただ見つめる事しか出来なかった。

 立ち尽くすわたしとは反対に一歩前に踏み出し青蓮の胸に飛び込んだ彼女は甘い声で切々と語りかけている。


 「室長のご実家の足下にも及びませんがそれなりに資産を持っていて父もある建設会社の常務をしているのです。そうだわ、一度、別のところで私と会って下さらないかしら。そうしたら私が室長をどれほど満足させて差し上げられるか証明できますわ。もちろん私はいつでも室長の隣に立てるような相応しい教育を幼い頃から受けて来ていますの。もし、もし仮に奥様になられる方が何かの都合でご一緒できない場合には、直ぐにでも代わってお側に置いて下されるようなそんな教育を受けております」


 必死にアピールする彼女の肩に手を置きつつ、じっと彼女に視線を落としたまま無言でさり気なく自分から引きはがしながら立っている青蓮は、わたしが背後にいる事には気付いているようで《その場から動くな》と指示をして来た。何をしようとしているのか分からないけれど青蓮に言われるまでもなく別の意味で思ったよりも動けなくなっているわたしは《わかった》と伝え一歩後退して成り行きを見守ることにした。

 上手い具合に人一人分の陰があり、わたしはそこの壁にもたれかかるようにして立ち何とか踏ん張った。青蓮を信じているけれど、目の前で起こっている出来事を見ていると、ガクガクと体中の関節が震え出している気がし、膝がその中では最たるモノで、膝の力が抜けそうになっていて、かろうじて立っている状態なのだ。


 (駄目ね・・・、こんな場面、やっぱり見たくなかった・・・)


 気を抜くとホロリと涙が出て来そうで、弱気が心の中でもたげてしまいそうになり壁に寄りかかっていないと崩れ落ちそうだ。けれどそんな弱いところは相手の女性には見せたく無いというプライドも同時に台頭してきてその二つの感情が拮抗して体中がふらふらとしながらもかろうじて体勢を保っている。

 できるなら走り去りたいと思うけれど、これも自分の発した言葉の責任を負うことだと思えば、逃げ出す事もできず自分の気持ちと真正面から向き合うのがこんなに辛いものなのだと身に沁みて堪えている。


 「室長!」


 違う角度の廊下から清楚な雰囲気の和風美人が現れた。頬を薄らと染め白い肌がやや上気し可愛らしさと艶っぽさが同居する何とも言えない美しい人だ。先に居た女性の場所からはやや見え難い角度から現れた女性は青蓮に近づくとその陰に女性がいるのに気付いてぎょっとしているが、けれども決して自ら引く気はなさそうだ。真っ直ぐに伸びる黒髪が和風美人さんの芯の強さを表しているような、そんな気もする。


 「山根さん、な、何をなさっているのですか・・・こんなところで二人きりで・・・神威室長?」


 不安げな表情をし和風美人が青蓮の手を握ろうとそっと手を伸ばそうとするが先に居た女性に牽制され伸ばした手を一瞬引っ込めた。


 「花崗(みかげ)さん、あなたこそ何なの急に現れて。見て分からないかしら今取り込み中なの。どこかへ行って下さらない?」


 青蓮を巡って二人の女性の間で言い争いが起きた。先に居た女性ーー山根さんの強気に、和風美人ーー花崗さんは青蓮に助けを求めるように上目遣いで縋るように見上げている。花崗さんは守られるのに慣れている女性のようだ。そして男性を上手に扱える技も持っている。一見すると(たお)やかだが内実はしたたかな女性のようで隙あらば直ぐにでも青蓮に触れようとしているように見える。

 青蓮はというと、どちらにも味方をするつもりもなさそうだが喧嘩を仲裁するつもりもなさそうで時々首を動かして女性達と目を合わせているだけだ。けれどもその行為だけで女性達は自分の方を見てくれていると勘違いを起こしているようで言い争いが静まる気配は一向にない。そんな状況下で二人の女性はすっかり自分達の事に気を取られて周囲の変化に気付くのに遅れてしまった。


 わたしの隠れている場所を素通りして、というよりも全く気付かない様子で一直線に青蓮に向かって歩いて行く女性がいた。ショートカットを明るい褐色に染めた活発そうな女性だ。きっといるだけでその場を明るい雰囲気にできそうで、更にちらりと見えた横顔からはくりっとした大きな目の知的な印象を受けた。


 「神威室長! 何をなさっていらっしゃるの?」


 呼ばれた青蓮が振り返ると女性は笑顔を向け小走りになり青蓮に駆け寄った。側にいる女性達には目もくれずに青蓮だけを見つめている。


 「君は・・・」


 「新エネルギーの佐藤ですわ。これから我が部で会議にお出になるのでしょう? お迎えに参りましたの、さ、一緒に参りましょう」


 佐藤さんは物おじする事無くさっさと青蓮の腕に自分の腕を絡め女性達から引きはがそうとする。その動作はとても自然で躊躇いや遠慮は一切見受けられない。相手が当然断らないだろうと見越しているのだろう。だが佐藤さんは腕を絡めるだけではなくさりげなく胸を押し当てているのが見え、わたしの中でジリっと嫌な感情が体の奥底で沸き起こり広がってきた。佐藤さんは魅力的な笑顔で青蓮を見上げて「さあ行きましょう」と誘っている。けれど、そうはさせまいと、山根さんと花崗さんも負けていない。二人で反対の腕を掴むと青蓮を佐藤さんから引き離した。


 「ちょっと貴女達、神威室長がお困りでしょ。離しなさい!」


 佐藤さんが再びぐいっと青蓮の腕をひっぱると

 

 「何するのよ! あなたには関係ないの。先にひとりで行けば良いでしょう」


 二人の女性がぎゃいぎゃいと応戦する。互いに名前を呼び合って喧嘩をしているのでこの三人は知り合いらしい。確かに同じグループにいそうなあか抜けた人達だ。


 青蓮を挟み三者三様の持論を展開し如何に自分が青蓮に相応しいのかを言い争い始めた。わたしは、というと、早く青蓮の腕を解放して欲しいと沸々と嫌な気持ちが沸き起こってくるのを押しとどめるのに必死になっていた。青蓮に触れて欲しく無かったのだ。


 (やめて、青蓮に触らないで・・・)


 そんなわたしの気持ちが通じたのか青蓮が何気に腕を引き抜いてポンポンとジャケットの袖を叩いている。


 女性達の、互いに知っている者同士の喧嘩は遠慮がなく聞くも堪えない内容が時々飛び出したりしている。

 青蓮は喧嘩を見つめているが全く興味がなさそうでやはり止めに入る気はなさそうだ。そろそろ周辺にも声が響き渡り更に影響が出るのではないかとそちらの方が心配になって来た。


 「まぁ何ごとかと思ったら、神威室長ではありませんか。こんなところで何をなさっているの?」


 何となくどことなく聞いた事のあるような鼻にかかる甘い声が割って入って来た。見れば異様に目が大きくぱっちりとしている女性が口角を上手に上げた笑みを浮かべてやってきた。


 「如月さん!」


 あ・・・。

 つけまつげさん。

 平田さんが話していたがっつり付けまつ毛さんがそこにいて、他の女性達同様にうっとりと青蓮を見ている。

 ・・・あれ? 秘書室にいた人ともいう?

 何度かお義父様の社長室に行った際に、時々見かける人のようだ。年上のある意味厳しい先輩秘書達の陰に隠れそれほど印象はないけれど青蓮に対して好意を持っているのだけは感じている。ま、それは彼女だけではないので特にどうこう思ってはいなかったというのが本音で、秘書さん達はお義父様のいらっしゃるところでは常に緊張を強いられているようで、青蓮に対して現を抜かすような暇などなく思い切った行動はできないようで、少なくとも社長室のあるフロアでのわたしの警戒レベルは高く無かった。そんなこんなでわたしや青蓮とはこれといった接点がなくて、各務さんのお友達だったのかと初めて知った。


 ここでようやく気がついたけれど、人数的にひょっとすると青蓮に告白した女性達が勢揃いしているんじゃ・・・。


 《せ、青蓮、ひょっとして全員集めたの?》


 《そうだ。瑠璃はまだそこでじっとしていろ》


 気が抜けた・・・。

 青蓮ってば何をしているんだろう・・・。

 気が抜けたせいでズルッと崩れ落ちそうになるが目立って彼女達に気付かれる訳にはいかず頑張って壁にもたれかかる。


 最後に合流した女性ーー如月さんもまたジリジリと青蓮に近寄り隙を見て青蓮に触れようとしている様子が伺える。青蓮がうまく躱しているから実現はできていないけれど、いつか青蓮に触れるんじゃないかと思えば、触らないでと言いに出て行きたい衝動に駆られてしまい、一歩足を踏み出そうとした。

 ーーー実際には出られなかった。足が動かなかった訳ではない。そうでなくて、物理的にどうやら囲われているらしい。試しに手を空に出してみると柔らかな壁のような感触にあたり、やはり何かがある事が分かった。


 《私がそちらへ行くまで出るなよ。そこにいれば誰にも見咎められない。少しの間辛抱してくれ》


 すぐさま青蓮からの声で、これは青蓮が張った結界だと分かった。そしてここにいる全員が何らかの形で青蓮に集められた人達であり、このフロア自体が既に青蓮の支配下にあるのだとこの時初めて知った。


 こうして見ていれば、四人全員が昨日各務さんの後ろにいた人達なような気もする。


 わたしは各務さんに対してだけ言ったつもりだった。各務さんの気持ちは最初から知っていたし、黙っていた後ろめたさもありフェアじゃない気がして気持ちを伝えたければ伝えて良いという意味だったのに・・・。全く関係ないとわたしが気にも掛けていなかった人達がこうやって名乗りをあげて知らないうちに堂々と青蓮に迫っているなんて。・・・驚きもあるけれど、同時に各務さんの気持ちを考えるとかなり複雑な思いだ。


 青蓮の言葉どおり三つ巴ならぬ四つ巴を展開している。互いが抜け駆けをしているつもりだったのか、どうして貴女達がいるの、なんていう言葉も聞こえてくる。一人が加わった事でさらに賑やかになった廊下には遠巻きに人が見に来ている。中途半端な、いや、肝心要のところを繋げたフロアにいるこの人達は不思議なモノを見ているような表情をしているが、舞台中央に立っているのが青蓮を中心とした女性達という構図に半端無く興味を惹かれているのがわかる。一体どういう基準で空間を繋げ人を集めているのか・・・わたしには全く分からない。


 《もう、もう止めて青蓮、皆が集まって来ているわ。あなたの立場が・・》


 《もう少しだ。もう少しだけ我慢してくれないか》


 何を待っているのか、青蓮は引く気はなさそうだ。

 四つ巴の内の一人、ショートカットの女性ーー佐藤さんは他の女性を青蓮から引きはがすべく苦心惨憺しているがなかなか上手くいっていない。それもそのはずで青蓮が、言い方は悪いけれどのらりくらりと躱しているせいでもある。

 付けまつ毛の女性ーー如月さんは体の前で腕を組み青蓮が少し視線を外した隙に他の三人を冷たい目で見て時々女性達に対してやんわりと悪態を吐いているし、和風美人ーー花崗(みかげ)さんは目に涙を浮かべながら青蓮へ助けを求めるように上目遣いで、最初にいた女性ーー山根さんは相変わらずの強気の姿勢で他の三人に対峙している。


 ただただ溜め息しか出て来ない。


 青蓮に対しては“女性”を出し、友人だったはずの人達に対しては嫌悪や蔑み・・・、もう、ただ見ているのも嫌になった。見たく無いと思い目を瞑れば彼女達の声が更に強調され想像が膨らみ頭の中がパンクしそうになる。祖母の言っていたわたしの知らない現実(こと)がこんなにも嫌なものだったなんて・・・。

 ギリギリと脳みそを締め付けるような砕くようなイメージが自分を壊していきそうでその恐怖に捕われて思わず自分自身を抱きしめ、中から追い出したくて頭を振る。

 本当なら青蓮にこそ抱きしめてもらいたいと思うのだけれどその彼は目の前で女性達の標的となっている・・・。


 あ・・・。


 わたしの発した言葉の為に青蓮が自ら的になってくれていると気がついた。

 わたしは彼を見なくちゃいけない。彼の姿をしっかり脳裏に焼き付けておかなければーーー。


 それに既に幾重にも青蓮に守られているのだと、この場では自分で乗り切るしか無いのだと言い聞かせ自身を奮発させる。


 見たくないものを、目を逸らしたいものを、本当ならばぎゅっと目を閉じていたいのを、直前で心を持ち直した後はしっかりと青蓮の姿を見つめる。大きな背中が頼もしくあの背中にわたしが守られているのは隠しようの無い事実で、幼い頃からの想いが弾け自分の夫としての青蓮への温もりに代わる。


 《大好き。大好きよ青蓮。ありがと》


 《どうしたしまして、かな。私も大好きだよ瑠璃。もう少しだ、もう少し待ってくれ》


 繰り返し待つように言われ了と答える。

 矢面に立ってくれているのは青蓮だけれど、わたしも一緒にその場に立っているつもりで顔を上げ青蓮の姿を目に焼き付ける。

 その姿を見ながら思う事は、気概もあり包容力もあり誠実で素敵な旦那様だということだ。自分には過ぎた人だと思うけれど、身を引く気も誰にも渡す気はないし、こうやって庇ってくれている青蓮を、いつかわたしも彼を庇えるようなそんな強さを身につけたいと心に刻む。


 青蓮の立ち姿を後ろから見ていると新しい登場人物が姿を現したようだ。


 (各務さん・・)


 このフロアは青蓮の率いる部門があるため各務さんがいるのは全くおかしく無い。きっと騒ぎを聞きつけてやって来たのかもしれないが、青蓮と、彼を取り囲む女性達を見て明らかに強ばった顔をした。


 「ちょっと・・・、あなたたち! ・・・あなたたちここで何をしているのよ!」


 「あ、茜・・・」


 「各務さん・・」


 肩を怒らしながらズンズン歩いてやってくる各務さんは不機嫌さを隠そうともせず女性達に向かって威嚇する。


 「あなた達全員ココで何をしているのって聞いているのよ!」


 ようやく自分達の状況に気付いたのか争いを続けていた女性達はピタリと口を閉じ気まずそうに各務さんを見返しているが、気まずそうにしていたのはほんのわずかな間で直ぐに開き直ってしまった。


 「何って見ての通りよ。茜には関係ないから戻って仕事してたら」


 一人がそう言うと他の三人も頷いている。一瞬でタッグを組んだように見えたけれどそれも長くは続かない。やっぱり目が会うと互いに牽制しあっているようだ。


 「あなた達こそ! 職場はこのフロアじゃないでしょ! 用なんて無いんだから仕事に戻りなさいよ!」


 そうなのか、彼女達はわざわざココに来たんだ。ーーー青蓮に会う為に。青蓮の業によって鉢合わせをしたように見えるけれど、ここに足を運ぼうと思わなければそうならなかったのかも。


 「・・・茜ばっかりずるいのよ」


 「そうよ偉そうに何なのかしらね。私がどのフロアに行こうと茜には関係ないでしょ。茜の許可がないと社内を自由に歩いてはいけないって言うの?」


 各務さんは口々に不満を言う女性達に多少タジタジになりながらも持ち前の勝ち気さでもって言い返している。


 「・・・許可なんか要らないけど、けど、あなた達の仕事場とこのフロアは何にも関係ないじゃない! なんでこんなところにいるのよ。しかも室長を取り囲んで! 室長に何を言ったのよ!」


 「あら、私は次の会議の担当部門でその担当の一人なの。室長を呼びにきたのよ」


 というのは佐藤さんでそう言いながら再び青蓮に歩み寄り腕を取ろうとするが各務さんのひと睨みで立ち止まった。

 山根さんはとことん開き直った様子で、怒りを表している各務さんに何の遠慮もする事も無く言ってのけた。


 「何を言ったって良いじゃないの。それこそ茜には関係ないことよ!」


 「大体、室長の事を好きな人ってあなただけじゃないんだから!」


 その言葉に一瞬怯んだ各務さんに聞こえるように青蓮が口を開いた。


 「そうだ、私の事を好きだと付き合ってくれと彼女らは言って来た」


 ぽそりと呟き青蓮は爆弾を投下した。それを聞いた各務さんは女性達に対して掴み掛からんばかりの勢いを見せる。


 「何ですって! ちょっとどういうことよ! 何であんた達が室長に告ってんの! 友達だと思っていたのに酷いじゃない!」


 「私だって室長の事を好きになったんだもの仕方ないでしょ。そもそも茜だけじゃないってことよ。みんなそうだわ」


 女性達が頷いている。全く悪いとは思っていないようだ。


 「確かにな。彼女を含め今日だけで4人から告白されたからな」


 再び青蓮が呟くと女性達も各務さんも目を見張り言葉を失っているようで動きもピタリと止まってしまった。いち早く気を取り戻した各務さんが恐る恐る口を開く。


 「し、室長、それは、どういう・・・」


 「さあな、どういうことかは私は知らん」


 各務さんの質問を遮ると、青蓮はぐるりと周囲に視線を走らせる。


 少し離れたところでこちらの様子を窺うようにして立っている女性達の姿が見えた。ひょっとするとだけれど、彼女達も青蓮が集めたのかしらと思いつく。きっとその通りだろう、青蓮が彼女達を見ればザワザワとした黄色い響めきがおこり彼女達の表情がうっとりと緩むのが見えた。青蓮は彼女達にも話を聞かせたいのかそこにいる全員の注目を一身に集めた上で口を開いた。


 「これだけは言っておこう。私にとっては瑠璃以外は恋愛の対象ではない。仮に他の女が裸で迫って来ても抱く気にすらならんだろう。一夜だろうが一回だろうが、浮気だとか愛人だとかそんな無駄なことに費やす時間や労力は持ち合わせておらぬ。安易過ぎかつ不毛だ。どうしてもなりたければ他をあたれ。・・・そもそも娼婦と愛人、何が違うのだろう。私にとっては同一のものとしか思えぬしすすんでそんなものに成り下がりたいという物好きがいるとは思えぬが一生表舞台に這い上がるつもりがないのだろうか。家畜以下の扱いか物としてしか扱われず陰でヒトに知られる事無くひっそりと死んで行くだろうに・・・。最後は余談だったな、そういう事を言いたいのではなかった」


 思わず話し過ぎたと言う様子で青蓮が軌道修正をする。しかし最後の言葉はまるで目の前で見たような妙な説得力があった。ひょっとすると久遠の時を生きる青蓮は、これまでにそういう場面を幾度となく見て来たのではないだろうか。青蓮の表情から推測するにきっとそういう場合、ハッピーエンドとはほど遠い事の方が多かったのかもしれない。


 「私にとって瑠璃は無くてはならない存在。未来永劫変わらぬ愛を瑠璃だけのために捧げる」


 堂々と宣言する青蓮に対して、口をへの字に曲げた各務さんが激しい口調態度で立ち向かう。


 「だったら、野田さんが他の人に気持ちが向いたらどうするんですか!」


 その言葉に青蓮は歪んだ笑みを張り付かせ「ハン」と顎をしゃくってみせた。その様は完全に相手を侮蔑していて、そんな様子を見せる青蓮なんて初めてで、わたしの知っている青蓮と同一人物なのかどうかさえ怪しい気がするほどに似つかわしく無い。


 「私が振られるとでも言いたいのか? そもそも瑠璃の心が他の者になど向く筈が無い。瑠璃が生まれてからずっと、ずっと大切に守り私だけを見るように刷り込んできたのだから。瑠璃の身も心も文字通り私のものだ。逆もまた然り」


 青蓮は低く凍るような声で答えていたが、最後はうっとりするような甘い雰囲気を滲ませている。それが気に入らないようで各務さんは尚も食って掛かろうとギュッと両の拳を握り締め何かに堪えているようだ。


 「でも! それでも絶対そうならないって保証はありません!」


 ハアハアと肩で息をするほどに一気に言い切って感情が高まっている各務さんを見ながら、一方で感情のこもらない冷ややかな目で青蓮は口を開く。


 「仮に、これは可能性の全く無い言葉遊びとしての例えだが、瑠璃がこの世にいなければ私は誰とも結婚しない。誰も選ばない。当然誰にも情け等掛けぬ」


 「そんな・・・室長、私だって野田さんになんか負けていません。何が違うって言うんですか!」


 泣きそうな顔寸前の各務さんは気丈にも質問をぶつける。


 「瑠璃は瑠璃、お前はお前だ。簡単な話、お前は瑠璃ではないのでお前を選ぶ理由は未来永劫無いという事だ。まぁ、私が瑠璃を選ぶ前だったら可能性は完全な0(ゼロ)ではなかったかもしれないが、私は選んだ・・・28年前にな。もし」


 そこで言葉を区切り一呼吸つけると今度は雰囲気をがらりと変え青蓮は言葉一つ一つに怒りを込めて吐き出した。


 「瑠璃を傷つけたり力づくでどうこうしようとする者がいるとするならば私も全力で瑠璃を守るし当然そんな輩には男女問わず手加減はせぬ」


 女性達は青蓮の出す気に圧倒されたようですっかり言葉を無くしただただその場に立ち尽くしているし、あれほど勝ち気だった各務さんですらワナワナと唇を震わせながら蒼白で言葉が出て来ないようだ。代わりに他の誰かの問いかける声がした。


 「も、もし取引先で、その様な要求があったらどうなさるのですか」


 誰とも知れない質問に青蓮も視線は宙を漂わせながら独り言のように答えている。


 「そのような質問をするお前は馬鹿か? 仕事をやるから寝ろというのに何の意味がある。長い目で見てみろ。そいつの気が変わったりそいつ自身が挿げ替えられた場合、すぐに全てが覆る。浅慮なヤツほどそう言う事を言いたがるものだ。ならば答えは一つ。そいつを切るだけだ」


 もう誰も何も言わない。静まり返る中、青蓮の言葉だけが響き渡っている。怒鳴ったり大声を上げている訳ではないのに、むしろ静かに話をしているのに凛とした言葉が周囲に響いている。


 「私の妻は私が選ぶしもう選んだ。籍はまだ入れておらぬが私と瑠璃は既に夫婦として生活しているしその事は一族郎党も認めている。それに横やりを入れるなど甚だ以て非常識としか言えん」


 そこまで言ってすうっと目を細めた青蓮は最後にこう呟いてその場を立ち去った。


 「私の事は諦めて、そう長く無い命を有意義に使え」



 ***



 わたしは一部始終を見ていたし聞いていた。青蓮の最後の言葉が何を意味するのか分からないといった様子な各務さんと女性達は、視線があった途端に互いに嫌悪感を表しながら口喧嘩を始めたのも見ていた。


 青蓮の姿が彼女達の前からフェードアウトしたと思った瞬間、ふっと視界が変わった。


 「瑠璃」


 気がつけばさっきまで女性達に対峙していた青蓮がわたしを抱きしめていて、途中怒気を孕んでいた声色もいつもの優しくて甘い音に代わり、労りあやすようにわたしの名前を呼んでいる。わたしは向き直りギュッと力一杯抱きしめ知らず知らず指先まで神経を集中し青蓮の温もりを求めていた。


 「ありがとう、青蓮」


 女性と二人でいたところを見た時の体中を巡る震えとは違い、今は大きな喜びで体中が震え青蓮の胸に縋った。青蓮の言葉は各務さんと女性達に対する牽制抑制であるのと同時にわたしには深く大きく暖かなものとして心に沁み入り嬉しさが込み上げて日頃会社ではおよそしないこんな大胆な事をさせてしまう。


 「ありがとう、嬉しい、・・・ありがとう」


 嬉しくて嬉しくて嬉しい! そんな感情をどう表していいのか分からなくてひたすらありがとうと嬉しいを繰り返すと、頭の上から青蓮がヒントをくれた。


 「感謝は行動で示してくれるともっと嬉しいのだが」


 わたしは青蓮の首に腕を掛け引き寄せつつ伸び上がり唇を合わせる。何度か優しく食むのを繰り返していると青蓮の腕に力が入り途端に主導権が奪われてしまった。折角塗った口紅が禿げるとか誰も見てないかな等という心配はその時はすっかりどこかへいってしまって青蓮の望むままに応えていた。



 ***



 「お前等そこで何を言い争っている。仕事のトラブルか?」


 露草ことダイレクターの安達さんの声が聞こえてくる。ぶっとい声がずんとお腹に響くようでその声を聞いた各務さん達が黙り込んだらしい。一瞬で静寂が戻って来た。


 「おい返事くらいしろ。何をしに会社に来ているんだ? 仕事か? 遊びか?」


 全てすっかり分かっている上で訊いている安達さんはなかなかどうして良い役者だ。それに対して打って変わって騒いでいた者達は蚊の鳴くような声で答えている。


 「し、仕事です!」


 「そうか、ならばすぐに仕事に戻れ。会社はプロフェッショナル以外はいらんからな遊びの感覚で居られては甚だ迷惑だ。それに時間は有限だ。だらだらやって残業するくらいなら就業時間中にみっちりやれ。仕事がなければ俺がくれてやる」


 「失礼します」との声とともにパタパタと廊下を走り去る音が聞こえたので安達さんのお陰で無事解散したようだ。わたしと青蓮は顔を見合わせ苦笑した。


 「安達さんには迷惑をかけっぱなしね」


 自分の発言一つでこんなにも揺れ動く女子達の動向が信じられなくて、同時にその対応をしなければいけなくなった安達さんに対して申し訳なさでいっぱいになる。


 「私の役目でございますから」


 いつの間にかやって来た安達さんは恭しく頭を垂れていた。


 「ありがとうございます安達さん。変な事ばかりさせてしまって申し訳なく思っています」


 青蓮の腕から抜け出し深々と頭を下げて謝罪の気持ちを表せば珍しく動揺した声を出した安達さんが新鮮だった。


 「瑠璃様、お気遣いは無用に願います。人間の動向に目を光らせるのが私の天帝からの命にございますれば」


 「でも小学校の教師みたいなことまでさせちゃって・・・」


 「あれはあの者共の程度の問題です。現に切り替えの出来ている者の方が多ございます。あの者共も短い命をもっと有効に使えば良いとは思いますがね」


 青蓮やお義父様方とまではいかないまでも安達さん達も地球上に自然発生して生まれでた人間達よりは遥かに永い時を生きる人達だ。その立場から見れば各務さん達のような人の人生はあっという間に終わるし、その短い一生の中の更に短い今の時間はとても大切に過ごした方が良いと思うのは自然なことなのだろう。けれども・・・


 「彼女達にとって恋愛はそれはそれは大切な事なんですよそれこそ仕事以上にね。いわゆる子孫を残すためのとっかかりですから。それでも、いつか気付いてくれるとは思うんですけど」


 庇うつもりは全くないけれどつい最近まで人間だったわたしとしては各務さん達の行動は分からない訳ではないし、むしろ分かるからこそ今回こういう提案をしたつもりなのだ。


 「なるべく早く気付いて欲しいところですな。昨日の今日ではございますが既に公に苦情が出ております」


 昨日の今日で苦情って一体何をやってくれているのだろう! これはちょっと気になるくらいの話ではなさそうだ。その原因となったわたしの言葉の重みがずしりと伸し掛かって来た。


 「え!? 申し訳ありません!」


 「瑠璃様は彼の者に機会を与えるとおっしゃっただけでございますれば、瑠璃様のせいではございません。都合の良いように曲解をし分別のない行動をしている者がいるためでございます。それに天帝からは仕事をする気のない者は飛ばすか辞めさせるかするようにと言われておりますのでこれを機に現在選別しております。加えて本当に真面目に仕事に取り組みたい者を我が社に入れて欲しいとのことで、トライアル雇用で年齢性別学歴等問わずに受け入れをしたいとも仰せになっておいででございます」


 急に現実に引き戻された。


 「お義父様の度量の深さには頭が下がりますね。ひょっとしてこの一連の騒動はその選別のツールに使われています?」


 「はい。それはもう当然、絶好の機会でございます。我が社が成り立っているのは仕事に対する意識意欲の高い者が多いというのが特徴ですから。その為に、学歴を重ねたいと言う者には取得できるようサポートしておりますし、体調が思わしくなければ雇用を続けながら早く治るように医療機関とも連携をとっております。その他にも、我が社の一員としてプロ意識の高い者にはそれぞれの状況に応じたサポートを行っております」


 「頼もしいですね」


 改めて自分の所属するこの会社の、お義父様が以前おっしゃっていたお話の素晴らしいさを誇らしく思った。


 「例えこの件がきっかけで居なくなった者がいたとしてもそれはその者の責任でございます。ですから瑠璃様、何の気兼ねもなさらずお過ごし下さい」


 「ありがとうございます安達さん」


 「私からも礼を言おう露草。これからも励めよ」


 「は。ありがたきお言葉。精進いたします」


 そう言うと安達さんはすぅっと姿を消してしまった。



 安達さんが立っていた場所を見つめ立ち尽くしていると青蓮から肩を抱き寄せられそのままさっきの状態にまで戻ってしまった。


 「ん・・、はぁ、せいれ、ん。・・・か、かいぎ、会議わすれ・・・ん、わすれ、てない? んん」


 口を使って話す時は唇を離さなければ声を出す事は出来ない。青蓮はわたしの口をすっかり塞いでしまい、わたしは声を出せなくなってしまった。代わりに青蓮から思念が流れてくる。


 《大丈夫だから、必ず間に合わせるから、だから今はこのままで》


 返事をしようにも考えられない。どういうわけかキスをされていると、そもそも考える事すら難しいのだ。青蓮は二重の意味でわたしの口を封じ、思考力さえも奪った。


 わたしには抵抗する気力はもうない。


 だって今のわたしはわたしからキスを求めるほどに青蓮のことを愛おしく頼もしく思っているのだから。

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