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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第五章
39/43

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 ~いつまでも かはらぬ御代に あひ竹のぉ

 ~世々は 幾千代 八千代ふるぅ


 「お祖母様、ご無沙汰しております」


 唄の段が終り手事(てごと)の間に久々に会う祖母に挨拶をすると、手は動かしながらも祖母はこちらを見てニコリと微笑む。あどけなさの残る表情だけれど見た目に騙されてはいけない。何せわたしの“祖母”なのだから。最近この祖母に関しても色々と思うところがあるのだけれど、それはいずれ聞いてみたいと思う。今は、なぜ祖母がここにいるのかが問題だ。大体祖母が姿を見せるときは何かお小言を言いに来る事が多いのだ。

 それにしても堂に入った見事な唄と箏だことと、超初心者のわたしは心の中で感嘆の溜息をもらす。どんなに練習をしても唄と箏が合わないのだ。唄は唄のみであれば大丈夫だけれども手が入ってくると途端に残念なことになり一つのフレーズすら合わせられないで毎日の練習には溜め息の連続というのが隠しようの無い事実なのだ。


 祖母は艶のある音色を響かせ初段、二段、三段の手事が続き再び唄が入る。


 ~雪ぞかかれる 松の二葉(ふたば)

 ~雪ぞかかれる 松の二葉に

 シャーン


 どうやったらこういう音が出るのかと、そっと溜め息を漏らす。


 パチパチパチパチ

 鳴り響くのはわたしの拍手だけーーー。

 祖母はこちらに笑顔を向けると丁寧に腰を折った。


 「八千代獅子ですね、お祖母様。どうしてこれを?」


 単に今、わたしが練習している曲だからという訳ではなさそうだけれど・・・。


 「もちろん貴女が練習している曲だからですよ。ぎこちなくて聞いていられないからお口直しに弾いて差し上げたの。どうかしら、私の偉大さが分かるでしょ? ほほほ」


 可愛らしい外見とは裏腹な歯に衣を着せぬ物言いはまさしく祖母その人だと妙に納得する。


 「もちろん素晴らしいです。だってお祖母様は御歳(おんとし)・・んぐ」


 「瑠璃! 女性に年齢の事を言ってはいかんと父上から注意されたぞ、気をつけた方が良い」


 正直に知っている祖母の年齢を口にしようとしたらいつの間にかやってきていた青蓮に口元を押さえられ早口の小声で注意をされてしまった。


 「おほほグッジョブですわ青蓮様。気の置けない関係であっても年齢を堂々と口にされるのは、少しカチンと来ますからねぇ。あらやだ私ったら。ほほほ。この子は全く大人としての配慮が欠けておりますわ。こんな孫でよろしいの? まだ人の界では結婚は成立しておりませんのでしょう? 今ならまだ間に合いますわよ青蓮様」


 祖母はいつの間にか爪を外し手には扇を持って口元を隠しながら意味ありげに青蓮に視線を送っている。隠された口元はきっとニヤリの形だろう。


 「お義祖母様、それは心配ご無用でございます。瑠璃が何をしても何を言ってもその全てが私にとっては愛しく可愛らしく思えてなりません」


 そう青蓮が答えると持っていた扇をぴしりと畳み打って変わって鋭い視線を向けた。


 「おほほほ。恋は盲目とよく申しますが駄目なモノは駄目だときちんと言い聞かせて下さいませ。それが夫婦というものでございます」


 やはり祖母は小言を言う為に来たようだ。これから暫くわたしと青蓮は祖母の言う事を一言も口を挟む事も出来ずに黙って聞く羽目になった。


 「・・・ですから、瑠璃の暴走は青蓮様、あなた様にしか止める事は出来ないのですよ。それをよくもまぁやすやすと今回はお許しになってしまわれて私は悲しゅうございます」


 ピシリと言い放つ祖母に青蓮は首を傾げた。


 「・・・何の話をしているのだ?」


 祖母の話が大分具体的な何かを指して来ていて青蓮が首を傾げて質問を投げかけれれば、祖母は目をクワッと広げて一気に捲し立てた。


 「もちろん昼間の瑠璃の売り言葉に買い言葉でございますよ。この孫はよくもまぁ他の女子(おなご)に婿殿に対する思いを伝えよ、と申したではございませんか」


 「ああその事か、その事なら問題ない。私が断れば良いだけだ」


 拍子抜けしたとばかりにおっとりと答える青蓮に、祖母がペシンと勢いよく膝を叩き首を振っている。


 「甘い! 甘うございます! 二人ともですよ。そんな簡単に事が運ぶとお考えのところが実に嘆かわしい。他人(ひと)(もの)だと分かっていて手を出そうと言う輩は己のことしか考えておらぬものです。己の思惑通りにことが運べばそれでいいと思っておるのですよ。青蓮様が瑠璃以外の女子(おなご)(うつつ)を抜かされるような事は万が一にも無いと信用してはおりまするが、相手がどんな色仕掛けをしてくるか、どんな汚い手を使ってくるか分かりませぬゆえこうして心配しておるのでございます」


 肩で息をするほどに力んで祖母が力説する。心配してくれるのは有り難いのだけれど幾らもう既に身罷った人であったとしてもこちらが少々心配をしてしまうくらいに興奮している。


 「ふむ。色仕掛けか・・・。色仕掛けとは裸で迫って来たりすることか?」


 「青蓮様! そんな簡単な事ではございません。最近は巧妙な手を使ってくるとか。二人きりの場面を作り自らの服を破り襲われたと言ってのける者もおりまする。誰も目撃者がありませんから殿方はまんまと餌食となります」


 「ほほぅそれはまた、考えたものだ」


 これまた呑気な声で青蓮が答えると祖母は再びペシンと膝を叩き、ダマラッシャイと言わんばかりだ。


 「感心なさっている場合ではございません。そのようなこともあると申しております!」


 「分かった分かった。二人きりにならねば良いのだろう。瑠璃を常に伴っておれば・・・」


 「確かに瑠璃がいては青蓮様に女子(おなご)は近づいては参りませんから一つの案ではございますが、常に瑠璃が同行できるとは限りません。であれば随身を必ずお連れ下さいませ」


 「余暉(よき)か。なるほどそれは妙案だ、あいつも最近は暇そうだ」


 祖母と青蓮の二人で何か決まりかけていたけれども、どうやらわたしの気持ちは置いて行かれてしまっているようで思わず溜め息をついて祖母に訴えた。


 「はぁ、、、お祖母様、わたしは各務さんにきっちりと気持ちの整理をつけて前を向いてもらいたくて許したのです。ですから、少しくらいこちらも隙を作っておかねば彼女の未練を断ち切れません」


 「ならば瑠璃。もし青蓮様が言い逃れできそうにない状況になった場合、本当にあなた方が別れなければならない可能性もあること覚悟の上ですか?」


 ワントーン低い声で祖母が淡々と諭すように言ってくるけれど、そうじゃないんだとうまく言えない自分に歯がゆく感じる。


 「お祖母様、そんな事考えたくもありませんわ。でも、わたしは各務さんを信じたいのです。もちろん青蓮のことも」


 必死に祖母に訴えているがじっと見つめてくる祖母の目は厳しい色のままだ。心配してくれているのは有り難いのだけれど、わたしがまだ周囲に信頼を得られるような行動ができていない結果なのかもしれないと思えばこれまでの自分の行動を反省するべきなのかもしれない。でもいまは祖母を説得しなければならない。でなければ、この先誰に対しても説得など到底できないかもしれないのだ。


 「お祖母様。各務さんは青蓮への想いとわたしへの嫉妬でいっぱいなのだと思います。そしてそれが彼女を(かたくな)にしてしまっているのだと考えます。そんな彼女にいくらわたしが言葉を尽くしても聞いてはくれないと思います。そんな余裕がないと思うのです。彼女の心に届くのは青蓮の言葉だけだと思います。だから、青蓮から断ってもらった方がダイレクトに話が進むのと考えたのです。その届いた言葉で各務さんが冷静になってくれて一歩前へ進んでくれればと願っているのです」


 必死だった。拙い言葉だと自覚している。けれど言いたい事が次から次に出てきて切れ切れになろうとも言葉にし祖母にわたしの気持ちを分かって欲しくて必死で語っていた。


 「全てあなたの推測のもとでの計画なのね。計画とは言わないかも。思いつきとしか思えないけれども、まぁそれは置いておきましょう。では瑠璃、もし相手が逆上したらどうするの?」


 「それは・・・」


 「瑠璃は幸いにも人のものを欲しいと無理に取ったりしようと考えない子に育ちましたからね、話せば分かると思うのかもしれませんが、それが通用するのは元来穏やかな性格の持ち主でしょうね。そういった人達には通じるかもしれません。ですが何が何でも欲しいと考える者もいるのですよ。里佳を覚えていますか? あの子もそういう子だったでしょう? こちらで強制的にコントロールしてしまったところはありますが、元来、放っておいたらあの子はどんな手を使ってでも手に入れようとするのですよ。それこそ命も取られかねないところまでなるでしょう。・・・私はね、あなたが大切なの。かわいい孫ですもの。青蓮様に思いを伝えるなんて機会をわざわざ与える事をしなくてもと思うのが本音なのです」


 心配でたまらないのです・・・。祖母はそう言うと袖で目元を覆った。


 「お祖母様、心配かけてごめんなさい」


 祖母の思いが痛いほど伝わって来てもう顔をあげていられなくなってしまった。謝る言葉も掠れ気味になってしまう。


 「二人とも落ち着いてくれ。各務については悪いようにはならないから安心していい。けして瑠璃を傷つけるようなことにはしない。そもそも私には瑠璃以外要らないのだから。愛人も一夜の関係も、そんな薄っぺらいものに依存せねばならないほど侘しい生き方はしておらぬ。そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、その分を瑠璃へ注ぎたいし我らの世界の事について考えたい。特に瑠璃はひとりにすると寂しがっておるからな、昔から目が離せぬのだ」


 俯いてしまっていたわたしの肩をそっと抱いて青蓮が祖母とわたし、二人に対して語りかけた。


 「そんなに寂しがりやじゃないつもりなんだけど」


 「いや寂しがり屋だ。その証拠に明け方、目が覚めた時に私の姿が見えないと狼狽えておるのは知っている。弁当を作る為に離れていた時も、あの時は其方が目覚めたのが分かったので直ぐに戻ろうと思っていたのだが父上に邪魔をされて一瞬戻るのが遅くなってしまった。戻ったとき其方は泣きそうになっていた。その顔は私の心を抉るのだ。其方が寂しげな顔をしているのは堪えられない。いつも笑顔の瑠璃が良い。其方の笑顔を守る為なら私は何でもしよう」


 そうだったのーーー。お弁当を作ってくれた日の朝、いつも側に居る温もりが無くて無意識に手で隣を探ってみたけれど何も触れられず、目を開ければ誰もいなくて寂しいと思ったのを思い出した。でもそれも一瞬の事でその寂しさを思い出さない位にすぐに青蓮が姿を見せて抱きしめてくれた。それはわたしが目覚めても寂しくないようにとの配慮だったのだと知り胸がいっぱいになる。


 「青蓮。いつもありがとう。わたし、あなたのお陰で強くいられるのね。これからも側に居て」


 「其方が望むならいつまでも、この命が果てるまで側にいる。その代わり、其方も私から離れるな」


 そっと額にキスをされる。


 「あなた方の互いを思う気持ちは分かりました。ならばもう何も申しません。ですがくれぐれも注意なさい。特に瑠璃。人を信じるのは悪い事ではありませんが己の欲望のままに動く者は巧妙にそれを隠したりするモノです。良いですね」


 「はいお祖母様。肝に銘じて今後は慎重に行動いたします」


 頭を下げてしっかりと祖母の言葉を胸に刻む。わたしの知らない事の方が多いのだと心しておかなければならないと祖母の助言を無駄にしないとその決意で自然と口元を引き締め顎を引く。

 緊張感を漂わせていたそんな中、ふいに空気が緩むのを感じ顔を上げれば祖母がこちらをじっと見ていてふぅっと笑みを零したように見えた。


 「言いたい事はそれが一つでした。それはもういいでしょう。そしてもう一つは、婚姻のお祝いを申し上げるためですよ」


 今まで目を三角にして怒っていた祖母は、すぐに表情を変え今度は笑みを浮かべている。そして居住まいを正すと両手をつき頭を下げた。


 「青蓮様、瑠璃様、この度はご成婚おめでとうございます。お二人の末長いお幸せを、お祈りいたしております」


 丁寧に語られた言葉のひとつひとつに真心が込められているのが“見え”、祖母がいかにわたしの結婚を喜んでいるのかが伝わってきて胸が熱くなる。


 「祝いの言葉、嬉しく思う。私はようやく瑠璃を娶れてこんなに幸せな事は無い。そなたの孫である瑠璃を終世大切にすると約束しよう」


 「お祖母様、ありがとうございます。青蓮と共に歩んで参ります。これからもどうぞお見守り下さい」


 祖母に倣いわたしも両手をついて頭を下げる。そっと目頭を抑えたのは祖母からの言祝ぎに涙が溢れそうになったからだ。


 「瑠璃様、もう私に頭を下げてはなりません。あなた様は私の主となられました、お立場をしっかりと念頭において行動してくださいませ」


 「(あるじ)だなんて・・・。お祖母様、こうやってプライベートな時はいいではありませんか。できればこれまで通りの関係でいたいのですけど・・・。ね、青蓮構わないでしょう?」


 慌てて青蓮に助け舟を求めると、青蓮は目を細め頷いてわたしの言葉を認めてくれた。


 「構わない。そんなに堅苦しく考えなくても良いだろう。まだ、我らの世界を作った訳ではなく父上の世界で修行をしつつ間借りしているのだから。そう堅苦しい態度はまだ先にまでとっておいてくれ」


 青蓮と一緒にお願いをすれば、最後には祖母も渋々折れてくれ「ではこれまでどおりビシバシいたします」とニンマリとした可愛くない笑顔と嬉しくない言葉をくれた。


 ーーー少々早まったかと思った瞬間だった。


 

 ***



 「野田さん、ちょっと邪魔してもいい?」


 隣の席の佐久間さんが椅子に座ったままスススと滑りながらやって来た。その声は小さく他の人に聞かれないようにしているようで、わたしが頷いて了の意思を示せばあちらから声をかけて来たにも関わらず何かしら戸惑いがあるようだ。目的が分からない以上、無理矢理追求するよりもじっと待って佐久間さんが心を決めるのを待つのが賢明と判断し相手が口を開くまで黙って待つ事にした。なんとなく見れば佐久間さんの目はどこか沈んでいるような不安もあるようなそれに呼応するように口は堅く引き結ばれて何やら深刻な雰囲気を醸し出している。とは言っても佐久間さんが言おうか言うまいかと悩んでいた時間は長くは無くせいぜい瞬き数回分といったところか。とうとうまごつきながらも佐久間さんが口を開いた。


 「ちょっとね、チクるようでさ言い難いんだけど一応耳に入れておこうと思ってね。余計なお世話かもしれないんだけどさ・・・」


 前置きが長いのはわたしに話す内容としてどうかと色々考えあぐねていたようで、でもここは言わなきゃいけない場面だと己に言い聞かせてようやくようやくようやく話してくれた。

 どうやら青蓮が女性社員から告白を受けていたのを見た話で、それが今日だけで2回見たというのだ。佐久間さんが不幸にも出くわしてしまった限りでは二人とも違う女性だったようで青蓮が一人になったところをすかさず現れたといった感じだったそうだ。まるで待ち伏せでもしていたかのようだったと。確かに青蓮が一人きりになる時間は殆ど無い筈でタイミングは難しいだろう。そういうところをすかさず狙うということであれば、常に青蓮に付き纏っていると考えられる。


 「なんかさ不気味っていうか異常っていうかおかしいと思わないか? 君たちの婚約が発表された途端なんだぜ。俺の感覚だとさ婚約した相手に告白するってあり得ないんだけどさー。ったく諦めろってーの」


 佐久間さんが唇を尖らせブツブツ文句を言っているが、確かにおかしいとわたしも思う。


 「まぁ俺が心配するのも筋違いなんだろうけど何か嫌なんだよね。個人的感情を全く持ち込むなとは言わないけどさ、少なくとも会社ではあんまそういう風景は見たくねーなーって思うんだよ。何をしに会社に来ているんだって思うわけ。俺はさ、なけなしなんだけど一応プライドもって仕事しているつもりなんだよねー。まぁ平たく言うと、そういう状況を目にすること自体がウザくってさ、せめて目につかないところでやれって言いたくなるんだよね」


 「すみません」


 「いや、野田さんを責めている訳じゃないんだよ。君たちは婚約者って立場はあるけど少なくとも公私混同しているようには見えない。ウザいのは恋愛感情を絡めて仕事場にいる奴らだよ。ああいうのは面倒くさいんだよねー、感情ってさ絡むと何にも良い事無いもんなー」


 状況が分からないからこの場でどうこう言えないけれど、どうも昨日のわたしと各務さんのやりとりが関係している気がしてならない。お祖母様に言われたように、売り言葉に買い言葉で軽率なことをしたのかもしれないと悔やんでしまう。佐久間さんには後で青蓮と相談して対応策を考えると伝え、教えてくれたお礼を言うと早速青蓮の部屋に向かった。


 「青蓮、ちょっといいかしら?」


 断りを入れ佐久間さんから聞いた話をすれば、青蓮は事実だとあっさり肯定した。今日だけで既に4人から告白されたという。そのいずれに対しても、その場で直ぐにキッパリと断ったそうだがしつこく追いすがる者ばかりで辟易し面倒なのでそういう輩がいる場所はあらかじめ避けて通ることにしたと言う。


 「各務さんからは?」


 「まだない」


 各務さん以外の人達がそういう事をしているのかーーー。ふと昨日の各務さんとのやりとりの時、数人の女性社員も一緒にいたなと思い出す。しかし彼女達は各務さんの友人だろうからまさかそう言う事はしないだろうと思うけど・・・。


 「ごめんなさい。こんな展開になったのはわたしのせいだわ。何がどうなってこうなっているのかは分からないけど佐久間さんもおっしゃっていた通り他の社員に対して迷惑になっている気がする。わたしの方で早々に対処する・・・」


 まずは各務さんから昨日一緒にいた人達の事を聞いて、もし今回の関係者ならばよくよく言い含めようと心の内で算段をつけていると、わたしの思考を遮るように青蓮が手で(くう)を切るようなジェスチャーでわたしの意識を自分に向けさせる。


 「待て。利用できるかもしれん、少し泳がせておこう」


 「どういうこと?」


 「まぁ見ててくれ。きっと上手く行くと思うぞ」


 挑むようにニヤリと笑ってみせる青蓮になぜそんなに自信があるのか不思議に思うが、それよりもわたしの失敗を肩代わりしてくれようとしているようにしか思えず、思わず弱気な言葉が口をついて出てしまった。


 「ねぇ青蓮・・・、わたしを甘やかさないで。昨夜お祖母様からも指摘があった通り今回はわたしの不用意な言葉でこういう事態になってしまったの。叱るならきちんと叱って。でないと、わたし・・・駄目になってしまう・・・」


 自分でそう言いながら、ひしひしと昨日の言葉を取り消せたらどんなにいいかと、何を思い上がっていたんだと昨日の自分を罵ってしまう。力が入り過ぎてぎりっと唇を噛んでしまい口の中に少し鉄の味が広がった。


 「瑠璃の言う通り私は其方の言う事ならば何でも叶えたいと思っているのは確かだ。それに加えただただひたすら甘やかしたいと思っているのも事実。できることならば今直ぐにでも(ぐう)に戻り腕の中に閉じ込めて二人だけで過ごしたいとも思っているがまあそれは余談だが、泳がせてみようと考えたのは、これまで告白してきた奴らは互いに牽制し合っていて三つ巴四つ巴を呈しているのだ。その意味するところは単純に相打ちを狙えるのではと思うのだが、瑠璃ならこの状態をどう思う? 敵の敵はやはり敵であり味方の振りをしているヤツほど本当の敵だと見たのだが」


 なるほど。だが本当にそんなに上手く行くのだろうかと考えた事が青蓮にも分かったようで、わたしの不安とは逆にますます笑みを深くしてどす黒い笑みを浮かべているのだ。これはわたしを安心させようとかそういう意味合いではない気が・・・、青蓮の本来の性格が滲み出ている気がする。悪戯好きがつきつめるとこんな風になるのかもしれないと感じるのはあながち間違いではない気がするのだ。それはこれから付き合って行く上でおいおい分かって行くのかもしれないけれど、あとでお義母様かお義父様に聞いてみようかと心のメモに書き留めることにする。


 「相打ちはいいとして、わたしの気にしているところは他の社員へ悪影響が出そうだと、いえ既に出ているわ。それはどうするの?」


 ちらりと佐久間さんの顔が浮かぶ。


 「ならば一両日中に終わらせよう。瑠璃が思い悩むのは私の本意ではないからな」


 まかせろと自信ありげに約束してくれ頼もしく感じるのだけれど、そんなに簡単なことなのだろうかと首を捻ってしまう。青蓮はこの先に起こりうる何かが見えているのだろうか。だとしたら祖母の言っていたよろしくないパターンは避ける事ができる・・・、はずだ。


 「お祖母様のおっしゃっていた懸念が現実のものにならなければいいのだけれど」


 「ああ、それは無論だ。そんな隙を与えはせぬから安心していろ。瑠璃の望むままの結果を見せてやろう」


 ああもう、そんな蕩けるような顔をしてーーー。《お願いだからそんな顔を他の女性(ひと)には見せないでね》と声に出さない声で呟くと《瑠璃が嫉妬するのか、なかなか良いものだな》なんてのが聞こえて来た。


 「青蓮」


 静かに睨むと《すまない》と言いつつもますます嬉しそうで、この状態の青蓮にわたしが何を言っても無駄だというのを思い出しがっくりと力が抜けてしまった。ここは素直に立ち去るに限ると思い立ち「無理はしないでね」と言って部屋を後にした。


  ***


 お昼休みは前日の約束通り斎藤さん方と青蓮も含めてランチだ。青蓮が一緒にいることで食堂でのランチは周囲の視線をビシバシ感じてしまうがそれは斎藤さん達も同じようで苦笑いを浮かべながらも「室長だからねー」「さすが室長」などと納得し、むしろその状況を楽しんでいるようだ。話題は当然というか、昨日の各務さんとのやりとりについて心配してくれているようでほぼそれに関することだ。


 「というか新たな展開なんだけど。室長、あの人何の用だったのか聞いてもいいですか? 女子社員に話しかけられていましたよね?」


 平田さんがちらりとわたしに視線を寄越し、すぐにまっすぐ青蓮へ視線を向けている。眼光鋭くまではいかなくても嘘や誤摩化しは聞きたく無いから、みたいな無言の圧力を感じる。


 「逆に聞きたいのだが今日は4人から告白されている。場所がどこかわかれば大体思い出せるのだが」


 「4人から告白?」


 「はぁ?」


 「何それ」


 三人の反応を伺いながらわたしは御菜(おかず)をパクリと口に放り込んで黙って咀嚼していると青蓮は先ほどと同じ説明をしている。その説明に岡部さんがピンと来たような顔つきになり、はぁぁ・・・と大きな溜め息を吐いた。


 「平田さんが見た子って昨日各務さんと一緒にいたうちの一人じゃありません?」


 「そーいえばそーだったかもー。少し派手目でねツケマがっちりの子が居た気がする」


 いたんだそういう人。各務さん以外の人は少しあやふやでつけまつげバッチリかどうかまでは確認できていなかったので現時点で誰なのかというのは確定できない。青蓮も首を傾げ誰かを思い出そうとしているようだ。《む。何だか面白く無いと思うのは何故。青蓮が誰かの事を思い出そうとしているのを、青蓮の頭の中にあるその人を消したいと思うのは嫉妬しているのかしら?》青蓮の頭を(はた)きたい衝動に駆られるのを必死に抑えていると《瑠璃はかわいいな》と呑気に響いてくる声がある。ちらりとその声の主を見れば、(ぬし)はこちらをじーっと見ていて《嫉妬する瑠璃もかわいい》と尚も言いながら微笑んでくれる。


 「あー・・・ごちそうさまだわねー」


 「ほんとほんと。室長の野田さんを見る表情がねイイネ、他の人達には絶対に勝ち目がないとどうしてわからんかねー」


 「室長にこんな顔させれるのは野田さんだけなのにね」


 三人とも揶揄(からか)っている訳ではなくあくまでも客観的な視点から(のたま)っている訳で、青蓮もそのことは分かっているようで彼女達の言葉にうんうんと頷いている。


 「取り巻きが何人居たのか正確には覚えてないけどさ、本丸(各務さん)は知ってんのかね?」


 「さあねー。昨日のやりとりはあくまで各務さんだけだと思ってたんだけどね」


 「これ幸いに漁夫の利を狙おうってんじゃないの? あーやだねー。仲間内でのそんなこと」


 喋りながら全く落ちないスピードで食べる彼女達はもう終盤だ。わたしも置いて行かれまいとセッセと御菜を口に運ぶ作業と咀嚼し吞み込む作業を頑張っていると事もあろうか喉に詰まらせると言う不祥事に見舞われてしまった。慌ててお茶を手に取り口に含むが上手く通って行かない。胸をドンドンと叩くが何をそんなに頑張っているのかわたしの喉につっかえている物体は動こうとしない。


 「どうしたの? 大丈夫? 落ち着いてゆっくり含むのよ」


 わたしの異変に気付いた斎藤さんが目をまん丸にしてお茶の追加を手渡してくれる。けれどもどうしても詰まりが取れずにだんだんと苦しくなってきて俯くのもしんどくなってきていたそのとき、背後からお腹に手が回されグッグッと素早く突き上げられる。2〜3度繰り返されるとケホケホと咳が出てつっかえていた食べ物が押し出されて戻って来た。背後にいた人の手がわたしの口に伸びて来てその物体を受け止めてくれた。


 「はぁはぁはぁ苦しかった、あ、ありがとう、ございます」


 「大丈夫か?」


 背中を撫でてくれる手は青蓮だ。一連の処置もすべて青蓮が行ってくれたのだろう。涙目になりながら顔を上げると青蓮は心配そうに顔を寄せてくる。大丈夫と頷いてみせるとぎゅっと抱きしめられてしまった。


 「心配した」


 「ごめん。・・・助けてくれて、ありがとう」


 この時ばかりは抵抗することなく青蓮に素直に身を任せた。


 「良かったわ室長がいてくれて。野田さん、ゆっくりお茶を飲んで」


 斎藤さんが手渡してくれたお茶を一口飲むとふぅっと落ち着きをとりもどした。


 「お騒がせしてすみません」


 「いやいやいや無事で何よりよ。室長ってば行動早くてビックリしたわ。うちの旦那にも見習わせるわ!」


 斎藤さんの宣言に平田さんも岡部さんも力づよく頷いていたので今後彼女達の旦那様方は応急処置などを学ばせられるのだろうと推測できた。その後は応急処置の大切さについての話題でひとしきり盛り上がっていた。そんなわたし達を少し離れた所で睨みつけるように見ている人達の事については、わたしは殆ど気付かなかった。

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