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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第五章
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 午前中、婚約の発表がなされたらしい。仕事中なのになぜ知っているかと言うとお義父様から、発表したからねーと連絡があったから。

 お義父様のところはどうか分からないけれど、こちらの様子はこれまた至って普段通り、だと思う。笑顔で挨拶をすれば笑顔で返ってくる。ただ予想はしていたけれども青蓮に好意を持っていた人達はちょっと微妙な様子だ(一部女性陣だが)。でも、こればかりは彼女達の気持ちに応える訳にはいかない。申し訳ないけれど彼女達には諦めてもらうしかないし、時間が解決するのを待つしかないだろう。感情はそうそう簡単に切り替えられるものではないし彼女達にあわせてわたし達の態度が変わる方がよろしくないし普段通りを心がける。


 時折、“人”の部長さんクラスの方々がやってきて青蓮と話をしていく。昨日までは1日に片手で十分足りるくらいの人しか訪れていなかったのに、今日は両手両足の指も必要になるようだ。(昨日までは青蓮から各部屋に足を運んでいる方が多かった。)

 ガラス越しに見ていると和やかそうだが、本当のところはどうなんだろう。チラチラと気にする素振りを見せると青蓮の方からも気にしなくて良いと“声”が聞こえてくる。《後で教えてあげるから》と“言って”くれるのは安心する。


 青蓮への取り次ぎ以外で特に呼び出される事も無いので自分の仕事を淡々とこなす事ができた。

 お昼近くになり、青蓮とわたし宛に少しずつ婚約に関するメールが飛んで来るようになった。ネットワークに入れる人であれば会社のメールアドレスは公開されているので検索できる。海外からはおめでとうとの言葉といつか我が国にもおいで下さいと書いてあるのがほとんどだった。とりあえず仕事以外のメールは保留にしておき、後で折りをみて返すつもりだ。

 忙しいと言えばそれくらいな感じで、重要且つ急ぎの案件は今日は特段なさそうで、そうこうしているうちにお昼になった。今日は自宅ではなかったしお弁当はなしだ。食堂にでも行くかと思案していたら斎藤さんがやってきた。


 「野田さん、よかったら一緒にランチに行かない? お弁当持って来ているなら持って行こうよ」


 「いいんですか? じゃ一緒にお願いします。室長も一緒かもしれませんがいいですか?」


 斎藤さんに聞き返すと、もちろん、と快い返事が返って来た。

 初のお誘いに心が弾む。青蓮に伝える為に室長室へ行くと誰かと電話をしている。こちらを見てすまなそうな顔をするので、続けてとジェスチャーで返すと全く反対の行動を取り電話の方を切ってしまった。・・・きっと用件は終わっていたに違いない、と思いたい。


 「電話中にごめんね。切っちゃって大丈夫だったの?」


 「ああ父上からだったから。用件があるのだろう?」


 お義父様、スミマセン。

 

 「うん、あのね、ランチなんだけど斎藤さんに誘われたの。青蓮もどお?」


 お誘いの言葉を伝えると、途端に端正な顔が悲しそうな苦しそうな曖昧に歪んだ。


 「あー・・・すまない。行きたいのはやまやまなのだが、たった今、父上に呼ばれてしまった。本当は瑠璃も一緒に連れて行こうかと思ったが、斎藤さんと一緒に行って来い。そうだ弁当、作っておいたから持って行くといい」


 がさごそとお弁当を2個取り出して小さい方を渡してくれた。


 「ありがとう! 凄く嬉しい。でも一体いつの間に?」


 「さあね。たまにはいいだろう? 瑠璃の家にいる時は瑠璃が作れば良いし、私の家にいれば私が作れば良い。どうだ?」


 あのキッチンに立って料理を作ったのだろうか? 以前のエプロン姿の青蓮を思い出し嬉しくなった。


 「うん。いいね。とってもいいわ。あなたって本当に素敵な旦那様だわ」


 受け取ったお弁当をぎゅっと抱きしめた。


 「瑠璃のためなら何でもしてあげたいんだ。さ、皆待っているようだから行くか。そのかわり明日は何があっても私も一緒に行くからな」


 「うん分かった。お義父様によろしくお伝えしてね」


 「エレベータまでは一緒に行こう」


 青蓮もお弁当を持ち一緒に部屋を出るようだ。

 

 わたし達が一緒に出来て来たところを見て、斎藤さんが盛大に勘違いをした。他二人の女性(平田さんと岡部さん)も嬉しそうだ。


 「室長も一緒に?」


 「いや、私は社長室に呼ばれた。瑠璃を頼む」


 三人ともちょっとだけ残念そうだったけれど、明日も誘ってくれれば一緒に食べるという青蓮の言葉に急浮上していた。絶対ですよ、と約束がなされ翌日もわたし達は斎藤さん達とランチをすることが決まった。

 エレベータホールまで一緒に行き青蓮は上へ、わたし達は下へ向かうエレベータに乗った。


 社員食堂にやってきた。日頃お弁当なので滅多にここに足を踏み入れる事は無い。それこそ入社してから両手の指の数、あったかどうかだ。久々にこのランチ独特の喧騒の中に来て少しばかり気後れしている感がありどこを見れば良いのかついキョロキョロしてしまった。慣れているのか斎藤さん達はスタスタと空いている席を確保しわたしに座っているように言うと、自分達はランチを取りに去って行った。

 わたしはお弁当を置き斎藤さん達がランチを持って来るのを待つ間、暇つぶしにスマホをいじり以前お弁当を詰めていたときの青蓮の写真を写し出した。


 (この時は“青蓮”のことは知らなかったのよね・・・こっちでは。青蓮は本当に辛抱強く側に居てくれたわ)


 あの時は佐美さんが驚いてたけれど、青蓮のエプロン姿はやっぱりとても似合っていて、でもどこかしら初めて感が出ていて微笑ましい。この時はお重に詰めるのだけをやってもらった。画像を指で捲るとその時のお弁当の画像も出て来た。実に美しい。確かに美しい上手と思っていた記憶はあるけど改めて見てもやはり上手だった。


 「お待たせ。あら、なにを見ているのかしら? これ野田さんが作ったの?」


 最初に戻って来たのは岡部さんだった。持って来たのはオムレツのセットだ。美味しそうなふんわりした卵の存在感に思わず惹かれる。わたしは岡部さんに見えるようにスマホをさし出し説明をした。


 「中身はわたしが作ったんですけど、詰めたのは彼です。上手なんですよーこれがまた」


 岡部さんはどれどれとわたしの手の中のスマホをじっくりと見始めた。


 「ほんと綺麗に入っているわ。重箱に詰めるのって結構難しいのよね。さすが室長って感じの詰め方ね。他にはないの?」


 そう言って勝手に画像をめくっている。


 「なになにこれ! きゃー! 極レア写真じゃないの!!!」


 ババっとわたしのスマホを一瞬で奪い取り食い入るように画面を見つめている。わたしの記憶が正しかったならば岡部さん(奥さん)は、きりっとした才女という感じだったはず。発言もまさしくそんな感じで、こんなきゃっきゃというイメージじゃない。でも意外なくらいに岡部さんだと納得した。


 「なにを騒いでいるの? 岡部さんってそんなにはしゃぐ人だったっけ?」


 わたしと同じ感想を言っているのは平田さんだ。テーブルに置かれたトレーには、おおお親子丼だ! とろとろ感が半端無く胃袋を刺激する。


 「見てよこれ。ほらー」


 無理矢理といってもいいくらいにわたしのスマホを平田さんへ向けた。まるで、この紋所がって言いそうになるくらいに様になっている。その画像を見た平田さんもまた「ひゃっはー」なんていう(一応驚いているんだろう)声をあげている。そこへ最後の斎藤さんが戻って来た。トレイを手に持ったまま平田さんの後ろに回り覗いている顔が「え?」ではなく「え”?」というのがぴったりだ。ちなみに、温泉卵みたいなゆるゆるの卵が乗っかっている。器から見てドリアと見た。

 二人の反応になぜか岡部さんがしたり顔になっている。そのスマホはわたしのなんですけどねとこっそりつっこみを入れるがどうでもいいことだった。


 「室長のプライベート写真? しかもエプロン。男エプロン。エプロン男子! これだけでご飯10杯は食べられるって子、絶対にいるわよ」


 ここにいる人達が旦那さん持ちで良かったとほっとした。


 「ってか、野田さん。さっき室長室に入るまでお弁当持ってなかったじゃない。どうしたのそれ?」


 わたしの前に鎮座しているお弁当箱に皆が釘付けになった。


 「あ、これは今日は彼の家から出勤してきたので彼が作ってくれました」


 「きゃー! きゃー! 何この高揚感! ちょっと早く開けて見せて」


 そう言って自分のスマホを取り出してカメラ機能を立ち上げている斎藤さんが今にもよだれを垂らしそうに待っている。わたしも中身を知らないので少しわくわくしている。リクエストにお応えしてお弁当を開いてみせた。


 「うおー! これが手作り? 愛妻弁当ならぬ愛夫弁当。言いにくいわね。でもま、そうよね。しっかし・・・全くもって羨ましいわ。お弁当も作ってくれるまめな旦那さんなんて。最近お弁当男子が増えて来ているとは聞いているけど、うちの旦那なんて包丁すら握らないんだから」


 褒めつつ愚痴をこぼしながら数枚シャッターを切っていた斎藤さんは最後にその画像をどこかへ送信していたようだ。

 お弁当の中身は玄米を混ぜたご飯に野菜の煮たものや焼き魚など彩り良く入っている。食欲って見た目も大事なんだなと青蓮の作ってくれたお弁当を見ながら感心しきりだ。わたしも斎藤さんの次に撮影をして保存した。


 「みなさん、冷めちゃいますよ。食べながらお話しましょう」


 折角のオムレツや親子丼やドリアは熱々のうちにふーふーして食べるのが絶対に美味しいに決まっている。わたしはお弁当で既に冷めているけど、ぜひとも美味しいうちに美味しくいただいて欲しく、わたしもさんざん美味しそうな卵料理に胃袋が刺激されていてお腹が空いているので早く食べたいというのもありそういうことになった。


 「(ふーふー)ってかさー、やっぱプライベートだと顔つきが違うわね。(はふっ)」


 「皆さんがそうおっしゃるならそうかも知れませんね」


 「野田さんは近くに居過ぎて(ふー)きっと(ふー)分かんないのよねきっと。(はぐっ)」


 「確かに生まれてから(もぐもぐ)、四六時中一緒ですからね(もぐもぐ)」


 「(んぐ)美人は三日で飽きるっていうけど、そこんとこどうなの?」


 「顔ですか? それこそ全く気にしていません。物心ついたときから見慣れている顔なので。(もぐもぐ)。むしろ人は中身ですよ。皆さんの旦那様もそうでじゃありませんか?(はぐっ)」


 「まーねー。顔の善し悪しなんて二の次になっちゃうわね確かに。(ふーふー)でも表情は見ちゃうわ。でしょ?(ふー、はぐっ)」


 「(んぐ)そうね。子どもを見ている時とか“パパ”になっているーって思うわね(もぐもぐ)」


 「あら平田さんの旦那さん、結構怖そうなんだけどやっぱりお子さんの前だと違うの?(もぐもぐ)」


 速攻で質問をした斎藤さんの質問はわたしも聞きたかった事で隣の岡部さんも頷いているので平田さん以外全員がそう思ったのだ。何せ平田さんの旦那さんは黙って無表情だと厳つく見えてしまう体質の人だから。いや、良い人である事は分かっている。

 平田さんはお箸を置いてお茶を含んだ後、落ち着いた声で話し始めた。中休みするようだ。


 「違うわよぜんぜん。パパーって子どもが言うと全力で甘やかすって感じよ」


 「うわ。親ばか?」


 斎藤さんと岡部さんが同時に同じ台詞を発した。

 わたしは平田さんの旦那さんのことを思い出しその場面を想像するが全く浮かんで来ない。この前の飲み会でもそんな姿を見てないし。


 「そうなの。私だってビックリなんだから。子どもが生まれるまで私もまさかそうなるとは思ってなかったわ」


 「蓋を開けたら子煩悩なパパさんだったと」


 平田さんはしっかりと頷いて穏やかな笑みを浮かべて言った。


 「本人もかなり驚いていたわよ自分の変化に。生まれたばかりの子どもを抱いて泣いていたしね。まぁ超難産で私が死にかけたらしいってのもあったからかもしれないんだけどね、あはは」


 「そうか。赤ちゃんの誕生のめでたさの日と同時に母親が命を落とすかもしれない可能性が最も高い日ってこと忘れてました」


 「そうよー。私もあの時危うくお花畑を見ちゃうんじゃないかと思ったわよー。今は笑い話にできるんだけどね」


 「そういうのもあってきっと平田さんの旦那さんは色んな意味の涙を流したんだと思うわ。あなたが命をかけて生んだ子ですものね」


 しみじみと岡部さんが言葉にすれば、当時の事を思い出したのか平田さんが言葉に詰まっていた。今にも泣きそうになっているんじゃないかと気が気で無いがこういう時どう声をかけていいのか分からない。

 それに強面な平田さん(旦那さん)が泣くなんてよほどのことだったのだろう。下手したら平田さん(奥さん)が死んじゃう可能性もあったってことだし無事に生まれてくれた安心感と奥さんが生きていてくれた嬉しさーーー。顔が強面でも子煩悩で奥さん煩悩で平田さんの旦那さんが心根の優しい人である事には変わらない。


 「そういう岡部さんとこはどうなのよ」


 斎藤さんが話題を岡部さんにふると、小鼻を膨らませている表情が何となく不満そうに見える。岡部さんはフーと勢い良く息を吐き出すと


 「うちはさー女が私ひとりなのよ。うまいこと男同士タッグ組んじゃってって感じよ。旦那が歳の離れた息子って見える時があるわ」


 どうやら不満そうに見えたのは旦那さんに対しての不満だったようだ。


 「なにそれー! この前、そんな感じじゃなかったのにねー」


 「人の前だと妙にしゃきっとしちゃってて、見せないわよ」


 お母さん方のお話は尽きるどころか盛り上がる一方で横から口を挟む隙もない。けれども、実に面白可笑しく話してくれるので相づちだけでも十分会話に参加している気になる。

 青蓮の作ったお弁当に舌鼓を打ちながら楽しい会話が近くで展開され実に楽しい時間になった。

 お母さん方はもの凄い勢いで喋りながらも、ほとんど喋っていないわたしと大差ないスピードで皆さん食べ終わるようだ。わたしは三人のランチを見ながら今日の夕飯のことも考えていた。





 ランチを食べ終わり時間もまだ余裕があるのでカフェに移動する事になった。とは言っても同じフロアである。食器を片付けて来るのを待ち移動すると、ちょうど人の入れ替わりのタイミングなのか窓際に空いているソファがあった。わたしが座って席をとっておくことにして先に買って来てもらうようにお願いし、ひとりソファに座り窓の外を見ながら待っていると知っている声に名前を呼ばれた。


 「あら、野田さんじゃない。ひとりなの? 室長は?」


 振り返ると立ち止まってこちらを見ている各務さんと数人の若い女性社員がいた。視線はわたしの周囲を定まらずに動いていて何かを探しているようだ。


 「室長は社長室です。わたしは斎藤さん達が珈琲を買いに行ってるので待っているんです」


 そう答えると各務さんは急に口角を降ろすと眉をしかめフンと顎を突き出した。声もワントーン低くなっている気がする。


 「・・・私の事、嘲笑(わら)ってたんじゃないの?」


 いきなり何を言い出すのかと首を傾げると、各務さんは眉の間の皺を深くして実に不愉快そうだ。


 「嘲笑(わら)うって何をですか? 正直言って仕事上も含め各務さんとはまだあまりお話をしていませんし、嘲笑(わら)う理由がありません。おっしゃっている意味が分かりませんので何の事なのか教えていただけます?」


 各務さんの事を嘲笑(わら)う要素について全く心当たりがないので率直に訊ねてみれば、もうそれはそれは不機嫌最高潮と言わんばかりの、いや、既に不機嫌が服を着ているといってもいいだろう。口をへの字に曲げ苦々しくトゲトゲしい視線をこちらに向けている。


 「初日よ。私が室長の奥さんの座を狙っているって影で嘲笑(わら)ってたんでしょ。その頃にはもう婚約してたんでしょうし?」


 ああ、確かに。恋のライバルあらわるかとは思った。だけれど、それは嘲笑(わら)う要素ではない。少なくともわたしはそう思っている。


 「そんなこと全く考えてませんよ。それに彼がモテるのは今に始まった事ではありませんから慣れています。それこそ一緒にわたしがいるのにも関わらず突進してくる人も居るくらいで」


 「へー。何よそれ自慢なわけ? かっこいい彼氏と財産までついてくるんだもんね。そりゃ余裕よね」


 各務さんが一体何が言いたいのか分からない。


 「余裕とは何でしょうか。わたしはわたしの立場で学ぶ事が多くて全く余裕なんてありません。むしろ悩みは右肩上がりです」


 これは本音だ。慣れない体の仕様に心がついて行かないし、将来を見据えた考えを青蓮と本格的に話し始めたばかりでまだまだ雲を掴むような感覚なのだ。でも、青蓮は根気強くわたしをサポートしてくれるというし、わたしもそんな青蓮に甘える宣言をしたばかり。


 「まぁせいぜい浮気とか不倫とかされないように気をつける事ね。捨てられて泣くのはあなただし」


 またしても各務さんから驚きの言葉が出て来て虚を衝かれた。暫く言葉の意味を考えた後、心の中で大声で叫んでしまった。


 《青蓮が浮気をする? あの青蓮が?》


 《っ!》


 あっけにとられるとはこの事か・・・。


 「・・・彼に、一番遠い言葉で驚きましたが、そこは安心して下さい。そういう事は決してありません彼は浮気も不倫もしません。とても真面目なんです。常にわたしのことを気にして寄り添ってくれています」


 昨夜の事を思い出し自分が言っている言葉が正しいと、落ち着きを取り戻した。


 「ふん、どうだかね。室長がそうでも周りは愛人でも良いってそれこそ一夜限りでも良いって人もいるってわかんないわけ? 野田さんっておめでたい人ねー。せいぜい寝取られないように気をつける事ね」


 見下し馬鹿にして、わたしの事を対等と見るつもりもないだろうということは分かっているが、不思議と腹を立てるほどに感情がこみ上げて来ない。そのそも第三者に何と言われようと青蓮の言葉以上に、良い意味でも悪い意味でも、わたしを揺さぶる事がないからだ。


 (あら? わたし、こんなに落ち着いていられるのね、不思議不思議)


 自分がこんなに落ち着いていられることが不思議で、違和感を覚える。

 少し前の自分だったら悪意のある言葉には言い返していたような気もするけど、どちらかと言えばそっちのほうがしっくり来る気がするが、わたしも成長したってことかしらと考える。そしてつい数日前の自分を思い出そうとするが遠い記憶になっていて沸き上がる筈の激しい感情が上がって来ない。


 (だって、所詮、気持ちの持って行き様が無くて、わたしに対して八つ当たりでキャンキャン吠えているだけで、・・・あれ? やっぱりわたし、成長したかな? 《青蓮、どう思う? これって変化よね?》)


 知らず知らず青蓮に問いかけていた。


 《良い変化だな。瑠璃らしい変化でとても良い。言っておくが瑠璃が信じてくれているように私は瑠璃以外の女はいらない》


 すぐに脳内で青蓮の声が返って来て、一瞬目をパチクリとしてしまう。


 《・・・青蓮なの? さっきのってやっぱり呼びかけちゃったってことよね?》


 《そうだな。私の瑠璃に対してのチャネルは常にオープンだからというのもあるだろうな。しかし、やはり嬉しいぞ》


 《そうなんだ。お話し中だったのでしょう? 邪魔してごめんなさい》


 《構わぬ。どちらかと言えば父上が邪魔だ。父上から婚約発表後のさしあたっての動きなどの説明があっただけだ。そちらは何をしている? 浮気などとよからぬ言葉が聞こえて来たが》


 《・・・ああーえーっと、カフェにいるんだけど、ちょっとね、揉めてるの。あ、そうだ。青蓮。このまま繋げてて良いかしら?》


 《構わない。私と瑠璃は文字通り一心同体だからな》


 意図しないことで青蓮と意識の上で繋がってしまい、ついでなので後での説明の手間を省くため各務さんには申し訳ないけれどこのままにする。

 まだまだ同時並行でのやりとりが出来ない不器用さで、目の前でやりとりされている内容には会話を挟めていなかった。が、聞く事は聞いていた。こんな内容だった。ほんの少しだけ時間を遡る。


 *


 「なーにーを気をつけるって? 妙な事を言うんじゃないの! そもそも室長がそんな事する訳無いでしょ。ひがみもたいがいになさい各務さん。大人ならおめでとうの一言くらい言ったらどうなの。同僚なのよ」


 青蓮とのやり取りで一時中断をしていたわたしの代わりに(?)斎藤さんが応戦してくれていたのだ。


 「言えるわけ無いじゃないそんなこと!! 斎藤さんには私の気持ちなんて分からないのよ! なによ幼なじみじゃなかったら、私が先に出会ってたら絶対に私を選んでくれた筈だわ! 私の方が可愛いし頭だって悪くないもの!」


 何かデジャヴを感じる発言に、はていつだったかと思いめぐらす。その間に、平田さんと岡部さんも戻って来て加勢中だ。


 「前向きなことは良いんだけど過剰なのはいけないわね、謙虚さも大切よ」


 「ほんとすごい自信ねー。自分に自信があるのは良い事だけどそれは自分の中にしまっておきなさい。他人と比較してどうこうというものでもないって」


 「何なんですか平田さんも岡部さんも! 野田さんより私の方が劣っているとでも思っているんですか?」


 二人に諭されて逆に血が上ってしまった各務さんの声が大きくなる。


 「・・・だからね、優劣をつける必要がどこにあるの。冷静に考えれば分かる事でしょ。落ち着きなさい」


 「落ち着いているわ! 子ども扱いしないでよ! 野田さんより私の方が絶対に相応しい筈よ! チャンスすらないなんてあんまりじゃない」


 各務さんが大声を張り上げているお陰でこちらに衆目が集まってしまっている。同じ部署の中で尾を引くようないざこざはあまり宜しくない。同じ部署の中じゃなくてもそうだけど。


 そこまで言うのならば訊ねるしか無い。


 「では各務さん単刀直入にお聞きします。各務さんは一体どうなればいいと、どうしたいとお考えですか?」


 「何よ随分余裕ね。聞かれたから答えてあげるわ。私はあなたと室長が別れれば良いと思っている。そして私が室長の隣に立ちたいとも思っているわ」


 言い切った各務さんを真正面から見つめ頷いた。その頷きの意味が分からず、各務さんはわたしを睨みながら訝しそうにしている。それもそのはずで、青蓮と時々会話をしていてその拍子に頷いてしまったのだから。失敗失敗。この時は《ふざけるな!》と青蓮が怒っていたのだ。


 これはいくらわたしがどうこう言っても無理だろう。どんなに言葉を重ねてもどんな態度でも火に油を注ぐだけだ相手が“わたし”という理由だけで。ずるいやり方かもしれないけれど青蓮からきっぱり断ってもらう方が彼女も納得するかもしれない。


 「各務さん。わたしもあなたより劣っていると思っていません。ですが、確かに各務さんにもチャンスが必要かもしれません。どうですか、ここは彼に思いのたけを伝えてみれば。その結果、もし彼が各務さんを選んだとしたらわたしは諦めましょう」


 《・・・っ! 瑠璃!》


 《青蓮、ちょっと待って》


 「・・・随分な自信ね。いいのね。後悔しても知らないわよ」


 「後悔はしません。わたしは彼を信じています。わたし達の繋がりは他人にどうこう言われて切れるようなそんな脆いものではありませんから。でもね、これだけは言っておきます。彼が何らかの答えを導き出した時、それがあなたにとって面白くない事であったとしてもきっぱりと諦めて下さい。その努力をして下さい。いいですか?」


 「ふん、偉そうに。もう社長夫人にでもなったつもりなのかしら? そっくりそのまま返すわ。今に見ていなさい」


 わたしは返事は返さず静かに目を閉じた。


 《青蓮・・・。そう言う訳なんだけど対応をお願いしてもいいかしら? わたしが幾ら言っても彼女は冷静にはなれないわ》


 《全く面倒なやつだな。だが引き受けた、瑠璃の判断は間違ってはおらぬ。思い詰めている相手に何を言っても無駄だ。こちらのことは安心していなさい》


 《変な頼り方をしてごめんなさい》


 《いや、むしろ隠さず話してくれた事、嬉しく思う。二人で乗り切ろう》


 青蓮にありがとうとお礼を言って、ふぅっと溜め息を吐き目を開けた。こういう時にはこの力は非常に便利だ。各務さんには悪いけれど。


 「各務さん、室長はお忙しい方です。現に今も社長室に呼ばれて行ってます。あまり先延ばしになさらないように」


 「どう言う意味よ」


 「婚約発表の後は婚約パーティが予定されていますから。告白をするのであればお早めにということです」


 早く決着をつけたくてわざわざ各務さんをけしかけるような事を言ったが、結果が同じなら引き延ばすのは各務さんにとっても辛い期間を過ごす事になる。それに各務さんがわたしにのみ憤っているだけならまぁ構わないけれど、個人的な感情で仕事場の雰囲気が悪くなるのだけは避けたい。できれば各務さんにも落ち着きを取り戻してもらってメンバーとして頑張ってもらいたいのだけれど・・・。こんなにあからさまに嫌な感情を剥き出しにする人には、協働作業は難しいかもしれない。

 そこには当然わたしが別の部署に移るという選択肢はなく、あまり先々の事を考えても仕方ないがある程度は覚悟しておくべきだろうーーー。


 最後にフン! と顎をしゃくり各務さんはお友達と一緒に出て行った。


 「何なのあれ。チュー学生か! 幼すぎるわね。各務さんってあんな子だったの?」


 「うちの子だって時間をかけて話せば理解するのに」


 「まー、初日からあんな感じではあったわよ。初日のランチの時には既に舞い上がっていたわ。室長は顔良し家柄良し性格も良いみたいだし、彼女にとって連れて歩くには良いんでしょう。過去の恋人達が霞んで見えるって言ってたしね。私にとっては料理が出来てお弁当作ってくれるってのがダントツの高ポイントなんだけどね」


 「言えてるー!」


 斎藤さんの視点に岡部さんと平田さんが激しく同意を示した。

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