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ひとり・・・。
広い湯船に入りうーんと伸びをする。温泉に来ているみたいで開放感があってとても気持ちがいい。
パシャパシャと子どものようにはしゃぐとまではいかないがそれでも手足を伸ばしても十分過ぎるほどの広い浴槽で泳がないはずがない。しかも自分以外誰もいないのだ。正確には泳ぐ真似をしただけだけれど対岸まで3〜4かきして辿り着き縁に腕を出して一休みする。ほぅっと一息吐きぼんやりと湯気の間に目を彷徨わすと、さっきまでの会話が頭の中に蘇った。
*
お義母様から今日はこちらに泊まってねとリクエストされていたので、二人して会社から真っ直ぐ青蓮の家に戻って来た。
いつも変わらないお義母様と正反対にお義父様といえば食事の間からずっとワクワクな様子を隠そうともせず婚約発表後に婚約パーティ等というものも企画していると話しがあった。良いかな? どうかな? と喜色満面の顔で言われればNOとは言えない。面倒くさいなどと言える筈も無い。飼い主と遊びたくて期待して玩具を持って来たわんこに対し玩具を取り上げしっしと相手にしない意地悪の性格でもない限りお義父様の計画には反対する理由も無い。むしろ積極的に乗っかってしまうだろう。そういうことで青蓮とも確認し合い首を縦に振った。
いつか青蓮が犬に見えた事があったように、ふっさふさがぶんぶんの幻影がお義父様の背後に見え隠れしている気がする。
「お手」
「わわん♪」
「ほほほ。瑠璃ちゃん面白い芸ね。私にも教えていただけるかしら是非やってみたいわ」
「・・・」
思わず出てしまった言葉は取り返せない。けれども、お義母様はお手をしているお義父様をみて大変にご満悦のご様子。場当たりに適当にお義母様にお手のポジションを譲り、少しでも薄める為にお義父様に話題をふる。
「どんなパーティになるのですか?」
わたしの隣では青蓮が黙々とわたしの手を丁寧にナプキンで擦っているのが気になるが邪魔にはならないので好きにさせておく。
「今回の婚約パーティはちょっとばかり公的な感じでちょっとばかり人が多く来るね。でもそんなに派手にはしないさ。うちの会社関係とその他だけでいいだろうしね」
なんですって!?
思わず顔が強ばる。
うちの会社関係とその他だけでいいしねって会社は国内外問わずってことですよね?
その他って何でしょうか?
最近知った会社関係、関係会社、関連会社、協力会社などなど色んな名称で分類されていたけれど一体何社あるんですかと言いたくなるし、いったい全体何人の規模のパーティになるんだろうと気が遠くなる。
わたしの両親は予想していたのだろうか?
「その代わり、結婚式についてはきちんと考えて人は呼ぼうと思っているんだけどいいかな。そしてその後は嬉し楽し恥ずかしの新婚旅行だー! わーい楽しいな。あ、残念ながら僕は一緒には行けないよ奥さんがいるからね、寂しがらないでね。どうしても我慢できなかったら呼んでくれても良いよ。直ぐに駆けつけるからね。青蓮、顔が怖い。海外の会社とか見てくると良いよ〜全然違うからきっと楽しいよ」
結婚式については様々な思惑もあるでしょうし特に異論はありませんが、海外の会社とか見てくると良いよ〜って、気楽におっしゃいますが何カ国回ることになるのでしょう?
何泊しなきゃいのでしょうか?
その間、会社はどうなるのでしょうか?
お義母様がいなかったら一緒についてくるつもりだったんでしょうか?
色々突っ込みたいけれどそこはグッと我慢する。でないと話が進まない。
「なにを心配そうにしているのかな? あ、大丈夫。プライベートジェットあるし乗り放題だよ〜。瑠璃ちゃんもそんなモノ使わなくてもどこでも行けるようになったけどね、でも、不便な方法も体験しておく事が大事なんだよ。うんうん。そうだそうだこれは言っておかないきゃ。一応国境ってのが人の世界にあるからね。縄張りってやつ。これ勝手に越えて入るとさすっごーく怒られるからそこは注意してね」
怒られた事があるんでしょうか、そんなにしかめっ面をされているということは。
それに、飛行機を不便な方法をおっしゃいますか。そうですか。確かにわたし達は時間や場所なんか関係ありませんけど、飛行機は人にとっては最高に便利な乗り物なんです。
いちいち律儀につっこみをしているが全ては心の中でだ。
キャッキャと楽しそうなお義父様とお義母様を横目に見ながら、うちの会社の規模でその跡継ぎの婚約っていうのは、さすがに大変な事なんだとつくづく思い知った。そして回転の速いお義父様についていかれない自分に少々不安を覚えている。
大丈夫なのだろうか、わたし。
在席している国内の会社だけでも全然分かっていないのに・・・。お義父様方とわたしって全然違いすぎる。本当に本当に本当に本当に本当に大丈夫なのかしら。
“人”を卒業してめでたく青蓮と同じ種族になったのにちいっとも意識が変わらないし変われない。不安だ。でも、
「何から何までありがとうございます」
心の奥底から感謝の言葉を述べる。二人の気持ちはきちんと伝わっている。
お義父様とお義母様は一瞬ぽかんとされていたが、すぐにキャハハと笑い出した。
「やだな瑠璃ちゃん。我らにとっては最高の暇つぶしじゃないか! 楽しくて仕方が無いんだぞ。いいかい? 瑠璃ちゃんはまだ人としてというか一会社員の立場から見てるだろう? もっとこう広い広いところを見ようじゃないか。高い高い位置から見てご覧よ。人の世界なんてちっぽけなもんだ。目の前の事だけを追い掛けていると息切れするのも早くなるけどね、息切れしそうになったら全体を見てごらん。全然違うものが見えてくるよ。一人一人考える事やスピードに違いはあるけどね、所詮、人って大差ないんだってことが分かってくるよ。青蓮、君の責任だ。もっと違うアプローチも必要だぞ」
わたし自身のことなのにどうして青蓮のせいにされるのか理解できなかった。きっとそんな顔をしていたのだろう。青蓮にもあっさりと見破られた。
「瑠璃はまだ人から我らの種族に変わったばかり。まだまだ人の気が抜けぬのは仕方の無いこと。あまり気にする事は無い。私がちゃんと導くから信じてついておいで」
青蓮に抱きしめられ背中を撫でられると幾分かは落ち着いた。だが甘えたままで良いのだろうかと同時に思う。
「信じるわ。わたしも青蓮と同じところから見てみたいもの」
そう答えると、青蓮は双眸の奥から滲み出る優しさや愛情を隠そうともせずわたしを見つめている。絶対に会社では見せないその表情に視線を外す事ができないでいると青蓮の顔が近づいて来た。
「げほげほ。あー、今はそこまでね。ともかく、面倒な事にはならないよ、なんせ僕が主催者だからね。明日から色々忙しくなるけど細かい事は気にしないで君等もぜひ楽しんでくれればいいさ。理一郎と藤花さんにもそう伝えておいたからね。みんなで楽しもう! おー!」
お義父様のひとりシュプレヒコールが決まり、散会となった。
*
ちゃぽん。
何度かお湯を手ですくってこぼす。指の間から零れ落ちるお湯がサラサラと流れ落ち水面に波紋を描くのが面白い。
お義父様は高い位置から広いところを見ようよとおっしゃった。
それがお義父様やお義母様のどっしり感というか落ち着きの理由なのかなと思いめぐらすが、きっとそれだけじゃないだろう。
ああしなさい、こうしなさいと言われる事は無いけれど、わたしが学ばなければならない事が沢山あるはずで。けれども考えても思っても一朝一夕にはうまく行く訳でもないということも分かっている。ああ、頭の中がグルグルする。
湯の中に顔を半分つけて溜め息を隠すようにぶくぶくと泡を吐き出した。
近くに知っている気配がわたしの糸に触れた。気配を感じるというよりも、何と言うかこう自分を中心に放射線状に見えない糸が張ってあってそれの一本に引っかかったという言い方の方がしっくりする。そしてそれを相手も分かった事が分かる。要するに誤摩化せないのだ。
この能力も青蓮と夫婦になってから身に付いたモノで誰かというのも特定できてしまうのも良いのか悪いのか・・・、当然、誰が来たのか分かっている。困ったものだ。慣れないし。
相手は今ジタバタしても既に手遅れな距離にいる。ここはゆっくりと湯船の中を移動し端っこに寄って相手の出方を待つしかないとスススと湯の中を移動した。
「なにを考えておる? 考え過ぎは体に毒だ」
浴室に一気に知っている気が満ちたと感じた途端、一糸まとわない(ここは浴室だから当たり前なんだけど)青蓮が入って来た。わたしは凝視する勇気は、まだない。湯気に紛れるように顔を背け視線をそらしながら効果はないだろうけど抗議をする。
「青蓮。わたし、入浴中なんですけど」
「分かっている。だから来たんだ」
「・・・(ぶくぶくぶく)」
「何と言った?」
「別に」
分かってやって来ている人になにを言っても無駄というもの。隙を見て退散しなければとそのタイミングを待つ事にした。顔を背けたまま慎重に気配に気をつけていると、チャポと極々極々近くで音がした。
「逃げる気だったな」
「きゃぁ」
しっかり集中していたのに瞬時に距離を詰められ背後からお湯の中で抱っこされてしまった。
「青蓮! やめて!」
きゃーきゃー騒ぐわたしを物ともせず青蓮は動きを封じる。カプッと耳たぶを噛まれてしまった。チリッとした痛みを感じて暴れるのを止め不満を青蓮にぶつけた。
「もう! 離して! わたし、上がりたい。こうしてたらのぼせちゃうもの」
「恥ずかしがるような仲ではないだろうに」
「・・・恥ずかしいモノは恥ずかしいの。仕方ないでしょ」
自覚がある。きっとわたしの顔は真っ赤な筈だ。青蓮の顔をまともに見れない。
「湯の中にいて直接は見えておらぬ。気にし過ぎだ」
言われてみればそうなんだけど、夫婦なんだけど、あんなことしちゃっているけど、それとこれは別なの。動き出そうとしたのが分かったのか青蓮はわたしの肩に顎を乗せると「好きだ」と言う。耳にかかる息とそのたった三文字でわたしは動けなくなってしまった。
「ずるいわ」
「ずるくない。本当の気持ちを言ったまでだからな」
チュッとキスをされる。
降参だ。まったくもって降参。もう抵抗する気力すら残ってない。顔を直接見なくて済むように青蓮の肩にもたれかかった。
「瑠璃の悩み事に解決策等とそういった事を細々と言うつもりは無い。だがこれだけは言うぞ。ーーーもっと私を頼れ。二人で新しい世界を創るのだから」
「・・・それが言いたくてこんな事したの?」
「悩んでいる事が吹っ飛んだだろう?」
「確かに青蓮がお風呂に入って来てからは全くもって悩むどころじゃなくなったわ」
今度はわたしから青蓮の肩に触れるだけのキスをした。見上げると青蓮からオデコにキスのお返しをされた。
青蓮の突飛な行動にわたしがこんなにも困惑しているのに当の本人は至って普通の涼しい顔だ。いや、徐々にその目に熱を帯びて来ているよう。その目を見続けていたらヤバい気がする。ーーーわたしにも伝染しそう。さりげなく視線を外し青蓮の肩にもたれかかるーーーと、お風呂の蒸気とはまた違う熱い吐息が肩にかかった。来る。青蓮の次の行動を予測し、心だけは構えておく。
「瑠璃、別のところにーーー行こうか」
ほのかな期待を抱いているのが恥ずかしく顔を伏せたまま頷いた。
*
気がつけばきちんと服を着て、足下には無数の“瑠璃”が敷き詰められているところにいた。いや、足下だけじゃない。よく見れば頭上も右も左もあたり一面をぐるっと“瑠璃”に取り囲まれている。
「きれい・・・」
溜め息とともに心から素直に言葉がでた。思わず口をついて出た自然な感想だった。
「こんなに沢山の“瑠璃”なんて初めて見たわ」
「これは“瑠璃”ではない。父上が創った星達だ」
星盤に立体的に写し出されていた宇宙を思い出した。あの時はどこか綺麗なお人形でも見るような感覚で眺めていたが、今はその宇宙のまっただ中にいて、無音な空間で大迫力のプラネタリウムを見ているようだ。自分もその星達と同等な気持ちになる。
「本物の星なのね?」
「そうだ。先日は星盤に写し出されたものを見たが、実際にこうやって目の当たりにすると・・・圧巻だな」
「本当にそうね。綺麗だわ」
どこまでもどこまでも果てしなく眼前に広がるこの空間に心が震え自然と涙が出て来た。この星達のこれらの星達の幾つかに確実にわたし達と同じような生命体が息づいているんだーーー。そう思うと一つ一つの星の輝きが尊く畏敬の念が沸き上がる。
「ふふ。別のところにってココだったのね。とっても素敵な場所だわ。連れて来てくれてありがとう」
「どこだと思ったんだ?」
悪戯が成功したような笑顔で青蓮は楽しげだ。
「もう少し瑠璃の意識と体が落ち着いたら今度はお爺様の世界へ行ってみようか」
青蓮からのとても素敵な提案に一も二もなく頷いた。
「ええ。ぜひ行ってみたいわ。そしてお爺様にもお会いしたい・・・」
「ああ、瑠璃が行けばきっと喜ぶと思うぞ」
「追々で良いからお爺様のお話も聞かせてね」
「私の知っている限り教えてやる。父上の父上だけあって一筋縄ではいかないがな」
「でも尊敬できる方、なのでしょう?」
「そうだ。父上から時々聞くだけだったのだが、色んな武勇伝をお持ちだそうだから楽しみにしていると良い」
そう言って青蓮は綺麗な笑顔になる。そして周囲の星々に顔を向け直した。それは話が移り変わるその瞬間だった。
「この世界は父上の創造された我ら家族の家であり、父上の実験場でもあり、父上の暇つぶしの場でもあり、子育ての場でもあり、我らの学びの場でもある」
確かにそのとおりだ。お義父様もそうおっしゃっていたし、そう思ってわたしは頷く。
「この星達の中にも地球と同じように生命が息づいているところもある。父上は主に地球におられるが、それは姿を見せるのが地球だけであって、決して他の星達を放置しているのではない。同じように全てを平等に見ておられる。全て、同時に、な。父上はこの世界全てを常に気にされてはいるがそれだけでありそれだけではなく、平等ゆえ冷たいと感じる部分があるかもしれないがそれだからこそ素晴らしい。息づく者達の自らの行いで星が滅ぼうとも“見て”おられる。しかしその星に生きた者達がいた事はお忘れにはならない。彼らの営みを“見て”愛しいと愛でておられるからだ。我らからみれば遥かに短い時間しか生きぬ者達であっても父上にとってはかわいい存在なのだ。だからこそ自然とその意を感じたこの世界に自然発生的に生まれいでる知的生命体達も生まれた星の違いはあれど、何らかの独自の意味を見いだし納得し消えてゆく。ーーー私も美しいと思う」
平等だからこそ、か。
「そんな父上だからこそのルールをお持ちだ。それを破る事、すなわち父上にとってはズル以外の何ものでもない己を欺く行為として嫌悪される。実際に私はその一つを破りその為、長い年月をかけ罰を受け償って来た。だが父上は救いも用意していてくださった。父上の最も大切にされている“瑠璃”はこの世界の見本であった。父上の大切にされている“瑠璃”を受け継ぎ、名をも持つ其方を与えて下さった。そんな其方が涙を流してくれたように、我らも我らの子等が感動して涙を流すような世界を創りたいと、共に創って行きたいと切に思う。ーーー瑠璃、これからの永い時を二人で思いを重ねて行こう、其方の思いは全て私が受け止めるから安心して良い」
青蓮の言葉に涙が止めどなく流れ落ちもう止める事は出来なかった。わたしは愛されているんだと必要だと思われているんだと全身で感じる。そして青蓮は、わたしが心の内で思いめぐらせている事をわたしから言うのを待っているんだと心に強く感じた。
「ありがと、青蓮。いっぱい甘えるし頼るけど・・・宜しくお願いします」
温もりを感じたくて青蓮の胸に飛び込み匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「まだ始まったばかりだ気負わず私に頼れ。その方が私も嬉しい。自己満足だが・・・頼りにされていると思えると嬉しいのだ。そういう瑠璃が愛おしくてたまらなくなる。いつも以上にという意味だ。私はいつだって瑠璃との会話を待っているのだから・・・。これから何度でも言う。私を頼れ」
青蓮はわたしをしっかり受け止め優しく甘やかすように言葉を紡ぎ出す。そっと囁かれる言葉や息づかいにいつしか悩みは悩みでなくなった。わたしには青蓮がついていてくれる。ついていてくれるだけじゃない。行動を起こし呼び掛けにこたえてくれるという。
「わたしが気後れしているの悩んでいるの知っていたのね?」
見上げ青蓮に問いかけると頷き返してくれる。
「・・・全部聞いてくれる?」
「当然だいくらでも聞く。ではこれから移動をして互いの事を深く理解し合おうか・・・、何せ私はまだまだ瑠璃を知り尽くしてはいないようだからね」
今度はわたしの勘違いではなく、宮に戻り青蓮の言葉通りわたし達はもっと仲良くなった。




