33
天帝が戻った時、青蓮と瑠璃は池の中に居た。暴れる瑠璃を留めるべく青蓮は力を使おうとしているが、うまくいかないようだ。それもそうだ。今、青蓮が対峙しているのは天帝の庭にあった天帝の力を強くうけているモノなのだから。
青蓮の腕の中にいる瑠璃は吐血し既に意識が無く、それでも体が勝手に暴れている。よく見れば彼女の腹が奇妙に動いているのが分かる。
そんな意識の無い彼女の名を大声で呼ぶ青蓮の悲壮な声が、聞く者の心を酷く抉った。
「我が名に於いて命ずる。静まれ」
静かに天帝が言葉を発すると、瑠璃の腹の中に蠢いていたモノがピタリと動きを止めた。それと同時に瑠璃の体も動きを止め、青蓮の腕の中で力なくぐったりとしている。瑠璃の口から流れる血だけが池の中に溶け込んでいく。
天帝の命により静まりを取り戻したが、瑠璃は意識を手放したままだ。尚も青蓮は名を呼び続けるが彼女がそれに応える様子は見られなかった。
「天帝。・・・瑠璃様は・・・どうなされたのでしょうか」
震えそうになる声を抑え翁がそっと訊ねると、天帝はいたたまれない表情で微かに首を横に振った。そして池の中にいる青蓮に向かって呼びかけた。
「青蓮、瑠璃とともにこちらへ参れ」
だが青蓮にはその声が聞こえていないのか、動かない瑠璃の体を抱きしめたまま池から上がって来ようとしない。天帝はふぅっと息を吐くと水の中にいる二人に向かって手をかざした。すると二人の体がふわりと浮かび上がりそのまま屋敷へと運ばれて行く。
「翁。理一郎だけを呼べ」
「はっ」
短く答えると直ぐに姿を消した。
翁から知らせを受けた時、パーティもあらかた一段落といった雰囲気であったため、理一郎夫妻とともに戻って来たのだった。今は、神妃が藤花と理一郎の相手をしていることだろう。
天帝は自分の息子とその妻となるはずの娘の姿を見つめながら何やら思案していたが、静かに声を発した。
「青蓮、聞こえているか。瑠璃をそこへ横たえよ」
未だ口から血を流し意識の無い瑠璃を抱きしめたままの青蓮に呼びかけるが反応がない。
「青蓮」
「嫌だ! 父上、父上何故です・・。なぜ、瑠璃をこのような、この様な目にあわせるのですか!」
青蓮は瑠璃を胸に抱きしめたまま父である天帝を睨みつけた。そんな青蓮を天帝は静かに見つめ返す。
「青蓮。こうしている間にも、取り返しのつかない事になる。早々に言う通りにせよ」
「どういうことですか。これ以上、瑠璃に何をしようというのです?」
尚も言う事を聞かず瑠璃を抱きしめたまま、むしろ天帝から距離を取ろうと後ずさりをしている。
「ふむ、青蓮、冷静になれ。命がつきれば幾らそなたの妻であっても元には戻せぬ。いや、戻さぬ。其方、その事は重々分かっているだろう。・・・今ならまだ間に合う。言う通りにせよ」
天帝に諭され、ハッと青蓮は腕の中の瑠璃を見つめた。その姿は口から血を流したまま、顔色は土気色になりピクリとも動かずぐったりとしている。青蓮は瑠璃の胸に顔を埋めよくよく心臓の音を確認した。まだ脈はあるようだ。しかしそれも時間の問題と分かるくらいに弱々しい。いつ命の火がつきかけてもおかしくない状態であることは、少し冷静さを取り戻した青蓮にも理解できた。
「天帝様、理一郎様をお連れしました」
その時、翁が理一郎を連れて戻って来た。
理一郎はただならぬ雰囲気を一瞬で感じ取り、その場に立ち尽くした。
「・・・父上、申し訳ありません。取り乱してしまいました。瑠璃を、私の妻を、どうか・・・どうか・・・」
声を震わせ必死に耐えている青蓮の様子を見てようやく理一郎が我に返る。
「天帝様、青蓮様、そこにいるのはもしや瑠璃なのですか?」
全身ずぶ濡れで、力なく横たえられている人影を目にし理一郎の声が震えている。その声に答えるように青蓮がゆっくりと顔をあげると、瑠璃の顔も理一郎から見えた。口から血を流し土気色に変わった顔色は、既に事切れているようにも見える。
「血? 血が? る、瑠璃!? 瑠璃!!!! 一体、一体これはどういうことなのですか!」
さすがの理一郎も娘の姿を見て我を失いそうになり、二人に噛み付かんばかりの声をあげる。
理一郎はふらふらと瑠璃の側へ駆け寄り、近くにいた青蓮を掴み理由を求めるが青蓮は憔悴し力なく首を振るだけだった。代わりに口を開いたのは天帝だった。
「理一郎、良く聞け。そなたの娘はまだ大丈夫だ。だがギリギリのところで保っている。訳は後で話す、今は娘を助けるのが先だ、良いな」
天帝は理一郎と青蓮を交互に見ながら言い含めると、横たわる瑠璃の側へと移動した。
そして先ほど青蓮がしたのと同じように瑠璃の体に手をかざし、何やら口の中でモゴモゴと唱えると、ゆっくりと手を瑠璃の腹の中へと沈めて行く。
「!!」
普通だったらあり得ない状態を目の当たりにし理一郎が信じられないといった様子で驚愕の表情を浮かべ、ガクンと膝から床へ落ちて行く。それを支えたのは青蓮だった。力なく崩れ落ちそうになる理一郎の体を支え静かに座らせた。
「理一郎すまぬ。全ては私の力不足だ。責めは幾らでも負おう。だが、今は父上を信じて瑠璃が助かるのを待ちたい」
青蓮は静かな声で理一郎に語りかける。それを聞いた理一郎は力の無い目を青蓮へ向け、かろうじて残っていた理性を総動員しギュッと目を閉じ「はい」と一言だけ答えた。その顔はひどく苦悶に歪み眉間に深い皺を作っている。ひとり娘の命の火が消えかけている今、願うのは一つだけだ。
どうか、どうか目を開けて欲しいーーー。
天帝は瑠璃の体内から“瑠璃”を取り出した。かつて神人が飲み込んだ時の様子とは異なり、深い青に金色の星をちりばめたような見事な“瑠璃”が天帝の手の中にあった。そして天帝は時を置かず再び瑠璃の体の中に手を入れるとグルグルと中でかき回し始めた。すると呼吸をしているかどうか分からなかった瑠璃の呼吸が戻って来た。その様子を認めると天帝は静かに手を引き抜いた。
その後も変わらず瑠璃の呼吸は安らかでスースーと寝息を立てているようだ。ゆっくり胸が上下するのを青蓮と理一郎の場所からでも見て取れるようになった。
「青蓮、理一郎、間に合ったぞ。もう大丈夫だ」
気のせいか天帝の顔もホッとしているようだ。だが何よりホッとしているのは父親である理一郎と、青蓮であっただろう。二人は横たわる瑠璃の側に近づくとそっと覗き込んだ。
「顔色も元に戻っている」
青蓮がそっと瑠璃の顔に手をあて優しく撫でると寝息がふわりと手に当たるのを感じた。たったそれだけにも関わらず青蓮は喜びに心が弾むのを感じ、同時に安堵感を覚える。なぜか頬を水が伝うのを感じるが、そんなものどうでもいいとでも言うように、むしろ視界を歪ませるそれを邪魔そうに雑に手で拭っている。その様子を間近で理一郎は見ていた。
ハラハラと涙を流しながら、瑠璃の手を自分の頬にあて、安堵からの微笑を浮かべている青蓮の姿を見て、理一郎は罵る言葉などとうに消え失せてしまった。理一郎にとっては大切な一人娘には違いないのだが、その娘に一番を見つけるようにと言ったのは理一郎と藤花だ。理一郎にとって藤花が一番であるのと同様に、瑠璃にとっては青蓮が一番で青蓮にとっても瑠璃が一番になった。この二人の間には親でさえ簡単に踏み入れられないほどに互いを認め合い必要としているのが伝わって来る。例え、石が取り出されてしまった今でも青蓮にとっては瑠璃が大切であることには変わらないようだ。きっと瑠璃が目覚めるまで、この青年は片時も離れはすまいと理一郎は確信した。ならば、父親である自分は二人を見守る事に徹しようと決めた。
そう言えばと思い出す。天帝が瑠璃の体内から“瑠璃”を取り出していた。その後、あらゆる事はどうなるのだろう。
「天帝様。娘の命を救っていただきありがとうございました。娘はこの後どうなるのでしょう。その石はどのようになさるのですか?」
「そなたの娘は大丈夫だ。問題ない。青蓮が目覚めるまで寄り添うだろう」
天帝の言葉に理一郎はほっと胸を撫で下ろした。
「そなたの祖先である神人が飲み込んだただの石が、このように立派な“瑠璃”に戻った。元々は我が庭にあった“瑠璃の泉”から削り出したもの。元の姿に戻った今、そこへ戻りたいと願っておる。これまでは静かに眠っておったのだが、恐らく、その指輪の影響を受け目覚めたのだろう。自ら外へ出ようとして瑠璃の体内を傷つけてしまった。先ほど手を入れてみた所、臓器がことごとく壊されておった。石が体内で暴れた結果だ。そのせいで瑠璃が命を落とす所だった。すまぬ、理一郎。この様な目に遭わせるつもりは毛頭なかった」
真摯な態度で天帝が頭を下げるのを見て理一郎は首を振った。
「娘はもう大丈夫なのでしょう? 確かに本人は苦しい思いをしたかもしれませんが、見て下さいあの二人を、青蓮様を」
理一郎の目線の先を追えば、涙を流しながら瑠璃の側にいる青蓮の姿が目に入った。
「青蓮がのぅ・・・」
涙を流す青蓮の姿に天帝はひどく驚いている。まるで初めて見たかのようだ。だが、すぐにほっとした表情に変わった。
「あれは、あれの心はほぼ戻っておった。だが、泣くという感情がまだだったのだ。不幸中の幸いというか、このような場面で取り戻すとはのぅ。幼き頃はピーピー泣いておったのに・・・。そうか、そうか」
目を細めて天帝が青蓮と瑠璃を見ていると、青蓮が天帝へ顔を向けた。
「父上、瑠璃はいつ目覚めますか」
「今は失った体力を戻している最中だ。中が随分とやられておったからな。そなたの力を注ぎ、一眠りすれば自ずと目が覚めよう」
「では部屋へ移動させます」
そう言って青蓮は自らの腕に瑠璃を横抱きし部屋へ戻って行った。丁寧に丁寧に壊れ物を扱うように慎重に抱え上げる一方で、腕の中の瑠璃を見るその目は愛情で溢れている。
「ふ。あいつめ、わざわざ自ら運ぶか」
青蓮の姿を見て天帝が笑う。それを見て理一郎が不思議そうに訊ねた。
「なぜお笑いになるのですか?」
「我らは手を触れずとも問題なく移動させられる。だから自らの体を使って運ぶ必要はないのだがな。だが青蓮はそれをしなかった。よほど君の娘は、大切な存在なのだろう」
「そう言う事でございますか」
理一郎も納得したようで一緒になって笑っている。
「・・・これから、あの二人はどうなるのでしょうか」
「ふむ。全ては瑠璃が目覚めてからだ。・・・悪いようにはならないから安心しろ。お前も少し休め」
「はい」
***
随分長い時間、池の中に入っていたことと大量の吐血により瑠璃の体が冷たいままだ。手早く濡れた衣服を脱がせ一緒に湯船に入る。
意識のあるうちはきっと瑠璃は恥ずかしがるだろうが青蓮に躊躇はなかった。
佐美が瑠璃の世話を申し出たが青蓮は断った。誰にも触れさせたくなかったというのもあるが、一度は失いかけた瑠璃を取り戻すことが出来た今、一瞬でも後悔したくないと思ったのだ。それよりも一緒にいて肌に触れ、自分がいかに瑠璃の事を大切に思っているのかを伝えたい一心で、いわゆる神の力でもって瞬時に様々な事が出来るけれど、それをせず、わざわざ自ら手をかける事を選んだ。
「瑠璃・・・、すまなかった。側にいたのに瑠璃にだけ、ひどい苦しみを味あわせてしまった」
意識の無い瑠璃の世話をしながら、つい先ほどの出来事を思い出し青蓮はひとり顔を歪める。天帝が取り出した“瑠璃の欠片”が青蓮にはどうしても掴めなかった。掴もうとすると手からするりと零れ落ち、石が青蓮の手を逃れようと余計に動き回った結果、瑠璃をますます苦しめてしまったことを思うと心が破れそうになる。
湯の中でそっと瑠璃のお腹に手をあてれば、天帝が二度も手を差し込んだにも関わらず傷一つ残っていない。本当に石が取り出されたのかどうかすら疑わしいが、青蓮にはわかる。もう“瑠璃”はこの中にはない。今は天帝の手の中にあり、二度と瑠璃が傷ついたり苦しんだりする脅威は無くなったはず。
そっと瑠璃の頬に唇をあて優しく愛撫をする。早く目覚めて欲しい、その目に自分を映し微笑んで欲しい。そして心から湧き出る激しい愛情を早く瑠璃にぶつけたいーーー。
程よく暖まった頃合いを見て風呂からあがり丁寧に瑠璃に着物を着せる。そして一緒に褥に横になり、いつものように腕の中に抱いて目を瞑った。
***
右も左も分からない暗闇の中にいる。誰もいない、父も祖母も、ーーー青蓮もいない。
「誰か。誰かいないの? 青蓮?」
こんな事は初めてだ。誰もいない、何も見えないこんな状況でひとりぼっち。世界が一瞬で消え去り一人残されたようだ。
「誰か!!! 青蓮!」
大声を上げても木霊すら返って来ない。言葉を発するすぐ側から闇に吸い込まれて行くようだ。一筋の光も見えず、自分の手足すら見えない暗闇の中で、もう、ここから出られないのかもしれないと感じ、瑠璃の両の眼からポロポロと涙が零れ落ちる。
何か手に触れるモノはないかと我武者らに手を伸ばしても空を切るだけで何も掴めない。とうとう瑠璃は両手で自身を抱きかかえるようにその場にうずくまってしまった。
「・・・青蓮。わたし、会いたい・・・あなたに会いたい・・・あなたの側に居たい」
そう呟いて、いくほど時間が経っただろうか。静寂過ぎて却って耳が痛くなるような暗闇の中に一人でいるはずなのに、じわりじわりと慣れ親しんだ温かさが全身を覆っていくのを感じるようになった。
「青蓮、そこに居てくれるのね。温かい・・・あなたの温かさを感じるわ」
そして温もりだけでなく名を呼ばれているのも感じる。暗闇の中で一人じゃないと思え希望の灯火がぽっと心の中に灯ったのを感じた。目を閉じ、温もりと呼ぶ声をより身近で感じるように全神経を集中すれば、体がすぅっと闇に溶けて行くような感覚を覚えた。
***
目蓋越しに明かりを感じ意識がそちらへ向くと今度は自分ではない温もりを感じる。会いたいと希った人が側に居るのを感じ早く目を開けたくて、彼の顔を見たくて気ばかりが焦りうまく目を開けられない。自分の体なのに言う事をきかない体に苛立ちが募る。
「瑠璃?」
頬にふわりと息がかかる。
「・・ん・・」
答えたいのに口も動かせない。漏れるのは掠れたうめき声だけだ。でも相手には伝わったのか確信に近い口調で名を呼ばれる。
「瑠璃、瑠璃」
上手く開かない目蓋の上に柔らかいものが触れるのを感じる。それは目蓋から頬に移動しながら最後に唇に到達した。思わず薄く口を開けると、チロッと何かが触れてくる。徐々にそれは生き物のように唇を分け入ってとうとう中に入って来た。
キスされているーーー。
頭では分かったが、上手く応える事が出来ずに相手に翻弄されつづけている。相手の舌に押されぎみになりそれを押し返そうとチロリと舌を動かせば、その微かな反応に更にキスが深くなった。
「んふ、、、はぁ、く、るし、い、、、くるしい、わ」
とうとう息が苦しくなり、はふっと大きく口を開けると同時にようやく目蓋も持ち上がり、視界いっぱいに愛しい人の顔が入って来た。
「・・・会いたかった、青蓮」
自分でも知らず知らず笑顔になる。暗闇の中で一番会いたいと思った人が、その人が泣き笑いのような顔でわたしを見ていた。いや、本当に泣いていた。ぽろぽろと青蓮の眼から涙が零れ落ちている。その様子があまりにも美しく、わたしはゆるゆると手を伸ばしその涙に触れた。濡れた指先がキラキラと光が反射して宝石のように見える。濡れた指先を口に含むと少し塩味がした。
「あなたの泣いている顔、初めて見たわ」
そう言うと青蓮は不思議なものを聞いたような顔をして首を傾げた。
「泣く? 私は泣いているのか?」
この人は自分が泣いているのに気付いていなかったのか。止めどなく流れ落ちる涙を拭いてあげたいけれど身近に何もない。寝ている体勢では尚の事、拭いてあげられない。
「青蓮、こっちへ来て」
少し考えて自分の袖を掴み青蓮の涙を拭いてあげた。袖口が濡れたのを見た青蓮は驚いている。わたしは手を伸ばし青蓮の頭を引き寄せ抱きしめた。
「心配かけちゃったのね、わたし。ごめんなさい」
「心配は・・・した。だが、それは私が悪いのだ。瑠璃を守れなかった。瑠璃を危険な目に遭わせてしまった・・・すまない」
顔は見えないけど青蓮の声が震えているようだ。青蓮の頭から手を離すと、声が震えていた理由がわかった。また青蓮が泣いていたからだった。青蓮の眼から零れ落ちる涙がぽたりぽたりとわたしの頬を濡らす。
「ふふ。青蓮は泣き虫さんだったのね。それにとっても感情豊かだわ」
わたしの顔が濡れたのを今度は青蓮が拭ってくれる。
「起こして」
そう言うとわたしの体の下に腕を入れ支えながらゆっくりと上体を起こしてくれた。
「大丈夫か? 痛みはないか?」
心配そうに顔をのぞき込む青蓮に笑顔で「大丈夫」と答えると、ほっとした顔になった。
「私に寄りかかるが良い」
すぐ隣に青蓮も座りわたしたちは互いに体を預け合い寄り添った。青蓮が体に手を回してくれると、ほっと安心する。
「さっきまで暗闇にいたの。真っ暗で、月隠りの夜よりも暗くて自分の手すら見えなかったの。声を出して叫んでも誰も答えてくれなくて、このまま一人でここを彷徨うのかもしれないって怖くなった」
さっきまでいた場所を思い出しゾッとしてぶるりと体が震える。青蓮は優しく背中を撫でてくれ、それが一人ではないと実感する。
「でも一番怖かったのは、あなたにもう会えなくなるんじゃないかって思った時だったわ。それが何よりも怖いと思ったの。必死で名前を呼んだけど・・・うっ・・」
二人でいる今でも想像しただけで恐ろしくて、涙が溢れ止められない。青蓮の腕の中にいるという安心感がなければ、泣き崩れてしまっているか、自我の崩壊をおこしているだろう。
続きを話したくても喉に息が詰まりうまく声が出て来ない。そんな様子のわたしに青蓮は「焦る必要は無い」と落ち着かせるように体を撫でていてくれる。お陰で早々に落ち着きを取り戻す事が出来た。
「・・・絶望しそうになった時、わたしの体を包み込む温かさを感じたわ。そしてわたしの名前をあなたが呼んでいるのも聞こえて来たの。一人じゃないって、近くに青蓮がいるって思ったら目が覚めて、本当にあなたがいた。・・・会いたかったわ青蓮。あなたが連れ戻してくれたのね、ありがとう」
すぐ側にある青蓮の顔を見遣り微笑むと、青蓮は苦渋の色を浮かべている。
「・・・違う。瑠璃を助けたのは父上だ。私は何も、何もできなかった・・・。瑠璃を苦しめる事しか出来なかったんだ」
「違わないわ。だって暗闇で感じた温もりは知っている人の温もりだった。いつもわたしを抱きしめてくれるあなたの温もりだったの。それに、わたしを呼ぶ声もあなたの声だったわ。ーーーあなたが、わたしを連れ戻してくれたのよ。わたしにはハッキリ分かるわ。父でもなく母でもなく、もちろん天帝でもないの。あなただった、青蓮」
わたしの言葉を否定するかのように首を振る青蓮は、悔しそうで、辛そうで、何とも言えないほどに悲しげだ。わたしは青蓮の頬に口づけをして、ある決意をもって向き直った。寄りかかっていた姿勢をおこし、居住まいを正しまっすぐ青蓮へ視線を向ける。
「青蓮。お願いがあるの」
わたしの緊張する気持ちが伝わったのか青蓮も顔を引き締めている。
「どうした。改まって」
「状況が許すのであれば、わたしをあなたの側に置いて下さい。ずっとずっと一緒に居たいの。その為なら何でもするわ、お願いします」
まっすぐに青蓮の目を見ながらお願いを口にすれば、青蓮は全く反応を示さない。不安になり、ついぽろりと言葉をこぼしてしまう。
「だめ?」
「だ、駄目なものか。それこそ私の本望だ。何があろうと離したりせぬ。其方と共に居られるのなら何もいらぬ。其方さえ居れば良い、何もしなくていい」
再び泣きそうな顔をした青蓮は、でも今度は涙を流す事は無く嬉し泣きのような複雑な表情になった。わたしも青蓮の答えにようやく安心した。
「ありがとう、嬉しい。その代わりといっては何だけど・・・わたし自身だったらあげられる。貰ってくれる?」
その言葉が終わらないうちに青蓮に抱きしめられる。あまりの強い力に驚きはしたが、ポンポンと叩けば直ぐに分かってくれた。
「瑠璃、代わりというのは礼のことか? そう言う意味では不要だ。私の側に居てくれると言う其方の言葉だけあればいい。もとより誰にも渡さぬし、瑠璃以外いらぬ。・・・それよりも本当に良いのだな? 後悔はしないな?」
顔を覗き込みわたしの覚悟のうちを確認しようとしてくれている。本当に青蓮は優しい人だ。
「しないわ。ずっとずっとあなただけを見て来たの。あなた以外考えられないもの」
そう答えると再び優しく抱きしめられ、青蓮の呼吸が荒くなるのを感じる。
「出来る限り優しくしたいと思う。だが・・・怖かったら言うのだぞ」
「こ、怖くても平気。だって、青蓮だから」
「ようやく、私の、私だけのものにできるのだな。嬉しすぎるのも困りものだ。自分を抑えられそうにない」
「大好きよ、青蓮・・・。何があっても、この気持ちは変わらないわ・・・ん・・・」
荒々しい口づけとともに、シュルっと衣擦れの音がしたかと思えば、体を締め付けていた帯が青蓮によって解かれた音だった。




