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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第四章
32/43

32

 我が家から蓮の家までは大した距離でなく車で移動すると話が盛り上がる前に到着する。ま、話題によりけりだろうけど。

 タイヤから伝わる車の音が公道のアスファルトの音から石敷独特の音へと変わると敷地内へ入ったとが分かる。するといつものように外界から隔てられた感覚になり都内だというのに騒音が全く聞こえなくなる。


 車寄せで車を降りた私達は、竹崎さんの案内で屋敷内へと入った。

 婚約の日に案内された部屋ではなく、今日は築山を望む部屋に案内された。どうやら部屋から庭へ直接出られるようだ。

 いくらお金持ちといえど、部屋毎に庭の趣が違うなんてそうそうお目にかかれないだろうがこの屋敷ではそれが可能なようだ。歩いていてもきっと直ぐに全体像は掴めないだろうから是非ともいつか上空から見てみたい。

 などといろいろと想像し思いをつのらせ庭に気を取られ、ぼーっと外を見ていた。


 「(あるじ)を呼んで参ります。どうぞお寛ぎになってお待ち下さい」


 案内を終えた竹崎さんが部屋を出て行くと入れ替わりに佐美サンがお茶を持って入って来た。


 「こんにちは、佐美サン。今日は宜しくお願いしますね」


 「ようこそおいで下さいました。本日はお泊まりになられるとか、お出でを楽しみにお待ちしておりました。どうぞ何でも仰せ付け下さいませ」


 お茶とお菓子をテーブルに置きながら佐美サンが楽しそうに笑顔で話しかけてくれる。それでも昨日の今日決まった話で色々準備も大変だったかもしれない。


 「いらっしゃい。佐美の言う通りですよ。遠慮することはありません。ここはもうあなたの家でもあるのですからね」


 そう言って入って来たのは蓮のお母さんだった。今日は先日よりも一層艶やかな着物姿だ。人間離れした綺麗さは今日も健在だ。


 「やぁ野田さん。ようこそ。急にすみませんでしたね予定を変えさせてしまって」


 続いてやってきたのは蓮のお父さん。父と握手をしている。お義母様とお義父様もパーティ用の服装だ。さすがに蓮のご両親だけあって華麗さが別格で、こういうのを圧倒的な美というのだろう、とても華々しい。それでもお二人とも気取らずとても気さくに接して下さる。


 「いいえ、特にこれといって予定はありませんでしたし、お誘いいただいて嬉しいですよ」


 父親同士、また、ビジネスマン同士で気が合うのか最初から和やかな雰囲気だ。母親同士もまた互いの衣装を褒め合い、直ぐに子どもの話に移ってこちらも和気藹々といった様子である。


 「あの、お義母様、これ手作りのチェッロなのですが宜しければお納め下さい」


 タイミングを見計らい手土産を取り出して渡す。お義母様は「まぁ手作りなの?」と言ってとても興味を持って見てくれる。


 「綺麗な色ね。これは何なのかしら?」


 「ブラッドオレンジで作りました。無農薬栽培のものが手に入ったので折角ならばとアランチェッロにしてみました。あと、マーマレードも作ったのですがそちらはもう食べてしまって」


 「うむ。あのジャムは美味しかった。そのチェッロも実に美味だった。母上、瑠璃の料理は絶品です」


 我が家で一番多くマーマレードを食べた蓮がうんうんと頷いて率直な感想を伝えてくれるが、率直すぎて恥ずかしい。


 「そ、そんなことないわ。蓮だって今日のズッパイングレーゼ、とっても美味しかったわ」


 「え? この子が料理をするの?」


 お義母様が目を見開いている。かなり衝撃的な事実だったようで「え?」という顔のまま静止している。


 「はいお義母様。蓮はとっても器用で以前も夕食を作ってくれたり、それがとても美味しいのです」


 「そうですわ。蓮君のお料理はおいしゅうございますの。素敵なご子息ですね」


 母も一緒になって蓮の料理を褒めると、体勢を立て直したお義母様が蓮に向き直った。


 「(わたくし)にも作ってくれるわね?」


 「なぜです。母上は父上に頼めば宜しいのでは?」


 お義母様に対して蓮は思い切り素っ気ない返事をしている。あんまりだ。


 「ちょっと蓮。そんな言い方ってないわ」


 そう注意をすると蓮は不思議そうに私を見て言った。


 「私は瑠璃のために作っているのだ。瑠璃が喜んで瑠璃が笑顔になってくれるのが嬉しいから作るのであって、それ以外に作る理由はない」


 思わず蓮の両方のほっぺたをむにっと摘まみ上げてしまった。ほっぺが伸び切った状態でも美形は美形だ。何だかムカつく。


 「にゃにをふる」


 抗議の目をして蓮が見ているが、生憎と手を緩めるつもりは無い。何なら罰として獣耳(けもみみ)でも着けてやろうかと内心で思うが似合いそうで止めた。


 「気持ちは嬉しいけど、そんな事言うなんて嫌いよ。きっとお家ではお料理したことないんでしょ。私は蓮の料理をお義母様にも召し上がっていただきたいわ」


 「・・・瑠璃が、そう言うなら」


 ようやく蓮がウンと言った。


 「この子ったらどこまでも瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃんなのね。困った子。瑠璃ちゃん、暑苦しい子でゴメンナサイね」


 「いいえ、気持ちは本当に嬉しいですから。時々、こうやって突拍子も無い事を言う時はありますけど、全く駄目ってことはありませんし、お願いすると色々お手伝いをしてくれますし」


 「・・・本当に変わったわね。信じられないわ」


 私から見たらどう変わったのか分からないけど、幼い頃から一緒のお義母様が驚かれるくらいには蓮の性格に変化があったのだろう。・・・本人は涼しい顔をしているけど。


 「ねぇ、瑠璃ちゃんのチェッロ、いただいて良いかしら。折角なら皆さんがいらっしゃる時に一緒にいただきたいわ」


 お義母様のリクエストでチェッロを振る舞う事になった。さっきの暴言に対する罰として蓮に作ってもらう。もちろんお願いしてだ。好みに合わせてストレートでも良し、炭酸水で割るも良し、一人一人の好みに合わせて蓮が作ってくれる。そんな蓮の姿を見て再びお義母様が驚いている様子が端から見ていて面白い。そして蓮からグラスを手渡されたお義母様はうっすら涙を浮かべているように見えた。


 「とっても美味しいわ。甘さも私の好みよ、ありがとう瑠璃ちゃん。またぜひ作って欲しいわ」


 「お望みなら幾らでも」


 喜んでもらえてとても嬉しい。これぞ冥利に尽きるというもの。

 蓮は庭に出ている父親達の所にグラスを運んでいったままで戻って来ないので、私は母親二人のところで女性の話に加わっている。お義母様の関心はやはり蓮にあるようで、さっきの料理の話やうちでの蓮の様子を聞きたがった。蓮も最近は滅多にこちらに戻っていないようでお義母様が心配されているのだろう。

 私と母は代わる代わる普段の蓮の様子を話して聞かせた。やはり何歳になっても親から見たら子どもは子どもってことなのかも。お義母様の雰囲気から蓮の事を心配する様子がひしひしと伝わって来て、私ももっとこちらに遊びに来なきゃなと思った。


 「奥様、そろそろお時間にございます」


 竹崎さんがパーティへ行く時間だと教えてくれる。


 「あら、私はこのままここでお喋りしている方が楽しいわ」


 そう言ってお義母様と母が笑っている。その様子を竹崎さんは目を細めて見ていたが、今度は父親達の方へと声をかけに行ったようだ。目で追っていると何やら外にいる3人が深刻な表情をしている。一体何を話しているのだろうか。こちらの女性陣と比べると随分温度差を感じる。あの様子からだと絶対に楽しい話をしていないだろう。そこへ竹崎さんも加わり他の3人同様に厳しい顔になった。

 読唇術でもあれば何を話しているのかくらいは分かったかもしれないけど、残念ながらそういう特技は持ち合わせていないので後で聞いてみようと思う。


 外で開催されている会議をちらちら眺めていると竹崎さんが離れて行った。車の手配をするのだろう。それを合図に男性陣がこちらに戻って来た。最初に戻って来たのは蓮だった。蓮はまっすぐに私の所へ来たかと思うと何も言わずに抱きしめる。いつもと少し違う雰囲気にどう声をかけていいのか戸惑ってしまった。


 「蓮・・・、どうしたの?」


 思い切って声を掛けるが蓮は返事をしない。むしろますます腕に力を込めている。本当にどうしたのだろうか。


 「瑠璃ちゃん、気にしなくて良い。悪いが少し好きにさせてあげて」


 代わりにお義父様が答えてくれたが理由は聞けずじまいだった。仕方なくお義父様の言う通り蓮の好きにせることにした。

 両親達の前で蓮に抱き竦められるのだが蓮の様子がおかしいので恥ずかしいどころではなく、それよりも心配で仕方が無い。慰めるつもりで腕が回る範囲でそっと蓮の背中を撫でてあげる。

 暫く続けていたらようやく蓮が上体を起こした。すかさず顔をのぞき込むがいつもの表情と何ら変わらない気がする。でも何かが気になり、もっとよく見ようと蓮の前髪をよけると今にも泣きそうな顔をしている。ただ涙が出ていないだけで・・・。


 「蓮・・・」


 「すまない。もう大丈夫だ」


 こういう時は思い切り泣くのが一番良いと思うのだけれど、いつかの時もそうだったけど、私じゃ泣かせてあげられないのかなと、蓮のそんな表情を見ていてこちらも悲しくなる。


 「さて、我々は出かけましょうか。竹崎がヤキモキして待っていますからな」


 蓮とは反対に軽やかな声でお義父様が声をかけると、父は母を、お義父様はお義母様をエスコートして部屋を出て行く。


 「蓮、私達はお見送りしましょう」


 そう言うと蓮も軽く頷いたので、私は蓮の手を取り玄関へ向かって歩き出した。私達が玄関に辿り着いた時には四人とも車に乗り込んでいた。


 「いってらっしゃいませ」


 私が声をかけると四人ともこちらを見て笑顔を返してくれた。


 「瑠璃ちゃん、ゆっくりしててね。それじゃね」


 竹崎さんや佐美サンも一緒にお見送りをしている。


 「あれ? 竹崎さんは同行なさらないのですか?」


 「ふぉっふぉっふぉ、私はこの家にいて初めて仕事ができますからな。旦那様がいらっしゃらない間が腕の見せ所なのですよ。今日は露草(つゆくさ)という者がお供しておりますから問題ございません」


 私達の位置からは見えないけど確かに運転手さんが乗っている。車の姿が見えなくなると私達は揃って家の中に入り、私と蓮はそのまま蓮の部屋へと向かった。

 久しぶりに入ったけれど以前と全く変わらない。いや、当然と言えば当然ですけど、本人が全然この家に戻っていませんからね。


 「蓮様、よろしいでしょうか」


 竹崎さんがやってきたようだ。蓮が入るように言うと竹崎さんが手にPCを持って入って来た。


 「瑠璃様、お陰様でようやく出来ました。まだ全てではございませんが、とりあえず、会社の地下にある分は入っておりますのでどうぞご覧になってください」


 「ありがとうございます竹崎さん。お忙しいのに。大変だったでしょう」


 「私一人だったわけではございませんし、瑠璃様にもお手伝いいただいて大変助かりました。ありがとうございました」


 「いえいえ私はほんの数える程度で、・・・でも私にはとてもいい経験になりました。お陰で家の家財の整理ができましたし、あ、蓮の手伝いがあったからこそなんですけどね」


 にっこり微笑めば竹崎さんも目を細めて笑っている。・・・ちらっと蓮を見たのは気になるけど。


 「然様でございますか。蓮様も瑠璃様の事には手を抜かれませんからな」


 「竹崎。余計な事は言わなくていい。用が済んだら立ち去れ」


 「蓮ってば、わざわざ持って来て下さったのに。もう・・・」


 失礼な事を言う蓮の襟首を握ってグイグイと揺さぶると、竹崎さんが止めに入った。


 「構いませんよ瑠璃様。蓮様は恥ずかしがっていらっしゃるだけですからな。長い付き合いですから、それくらい心得ております。では、ごゆっくり」


 ふぉっふぉっふぉとあの独特の笑いを残し竹崎さんは去って行った。


 「蓮、さっきのお義母様の時といい竹崎さんの時といい、どうしてそう突き放したような言い方なの?」


 「そうか?」


 「そうよ。もう少し優しく言ってあげると良いわ。だってみんなあなたの事を大切に思ってくれているんですもの」


 「そうか。瑠璃がそう言うならそうしよう」


 「あなたは私が言わないとそうしないの?」


 「私は瑠璃がいればいいからな」


 「・・・困った人ね」


 全く私以外に興味が無いと言う言い方に、はぁっと溜め息がもれる。


 「それより着替えたらどうだ。家にいるのだからいつものようにリラックスする姿の方が良くないか」


 「提案はありがたいんだけど持って来てないわ」


 「ある。瑠璃のサイズは全て知っているから準備しておいた」


 はい? 今、何かものすごく問題な発言を聞いた気がするんですけど。顔が引きつるのを堪えていると、おいで、と蓮が言うので続きの部屋のそのまた続きの部屋にある扉の前までやってきた。


 「ここは瑠璃の服が入っているから好きに使え」


 開いた扉の先には更に部屋があって女性物の服がぎっしり揃っていた。


 「細かな事は佐美に聞くが良い。あの者が嬉々として準備しておったからな。呼んでくる少し待て」


 蓮がその場を離れてしばらくすると佐美サンがやってきた。


 「瑠璃様、お気に召していただけましたでしょうか」


 キラキラ笑顔で佐美サンが、何か期待した顔で私を見ている。こ、この顔に対する正しい回答は・・・プレッシャーがかかる。


 「え・・・ええ、ありがとうございます。こんなに準備していただいて嬉しいです」


 そう答えると、佐美サンは喜び一杯の顔になった。


 「それはようございました。出来る限りお好みのものを揃えたつもりではございますが、いかんせん細かな所までは行き届かず相済みません。下着類はお好みも、つけ心地もございますし、様々なものを取り揃えました。どうぞお好きなものをお試し下さいませ」


 そう言ってみせてくれた下着は、先ほど初めて知った自分のサイズが置いてある。


 「あの、素朴な疑問なのですが、このブラのサイズは・・・」


 「それは蓮様から伺いまして準備いたしました」


 蓮!!!?


 「そ、そ、それは本当ですか。いつですか?」


 「はい。一度こちらへお泊まりいただいた後だったかと記憶しております」


 「はい???? ・・・あ」


 確かにあの日は全裸を見られたけど(深い仲になったわけじゃないけど)、だけど、どうして私より正確なサイズを蓮が知っているの!

 あの時の状況を思い出しひとり悶々とのたうち回る様子が奇怪だったのか、佐美サンが心配そうにこちらを伺っているのに気がついて体勢を元に戻す。


 「瑠璃様? いかがなされましたか」


 「はっ。あ、いい、いいえ、大丈夫です、ダイジョウブ、ははは、あははははは・・・」


 最後は乾いた笑いになってしまったけど、ちょっとショックだっただけです・・・。


 佐美サンからも、改めて、ここにあるものは全て私用に準備したものだから好きな物を好きなだけ御召し下さいと勧められ、若干気が遠くなる。しかも見れば見るほど私の好みのものばかりで驚かされ、蓮のデフォルト無表情に騙された感が否めない。あの無表情で私の好みをよくよく観察していたのだ。だけど蓮のことだから、単純に私の喜ぶ顔を見たいだけな気がする。ーーーきっと、純粋な好意なのだろう。


 一瞬、着替えるのをよそうかと思ったけど、着替えなければ何かしらまた準備しかねない雰囲気を感じ、お客様にはお会いできないけど家で寛ぐにはフォーマル過ぎない物を選び手早く着替えた(佐美サンは手伝う気満々だったけどそこはお礼を言ってお引き取り願った)。

 

 着替え終わり部屋へと戻ると蓮も着替えたのか同じように寛いだ服に変わっていた。


 「蓮、色々準備してくれてありがとう」


 「礼など無用だ。私がしたくてしているのだから。とても良く似合っている」


 この際、下着のサイズなんて細かい事など忘れよう。(こだわ)りすぎると心が狭くなる気がするとそう自分に言い聞かせた。


 「こちらへ」


 蓮に言われ側へ行くと既に竹崎さんが持って来てくれたPCが立ち上げられていた。


 「わぁ・・・凄い。何なのこれ。これがあの地下にある分だけなの?」


 「そうだ。ここに座れ」


 私はありがとうと言って蓮の隣に座った。量が量だけに自動再生機能を使う事にした。ややゆっくりと再生される画像達に目を見張る。一度見た事がある物もあるが画像となって改めて見るとその芸術的な様がやはり本物だと感じる。


 「素晴らしいわ。どれもこれも本当に。溜め息しか出て来ない。あ、これ、うちにあったのに似てるわ」


 急いで持って来たPCを立ち上げる。


 「これよ、これ。ね、似てると思わない?」


 「そうだな。ひょっとすると対の物かもしれない」


 「対の物? まさか出所(でどころ)が同じってこと?」


 「・・・可能性があるってだけだが。詳細はもっと詳しく調べないと分からないな」


 確かにそうだ。蓮の家と我が家に何の関係があるのか聞いた事無い。うむむと唸ると、流れている画像に目を戻す。時々、極稀に家にあるものを似たものを見つけたが、それらは何となく見流した。

 あまりに数が多くて全て見る前に徐々に睡魔が侵入してくる。我慢して首を振ったりして意識を保とうとしていたのだが、とうとう、うつらうつらとしているのが蓮に知られたようで、そっと体を引き寄せられる。


 「眠いのだろう? このまま眠れ」


 ささやく蓮の声を聞きながら意識が深く深く沈んで行くのを感じた。



  *



 目の前には愛しい男性がいる。わたしを見て優しく微笑んでくれている。


 「青蓮(せいれん)


 「瑠璃。やはり酒が効いたようだな」

 

 「お酒? そんなに飲んでないと思うわ」


 「ズッパイングレーゼのシロップとチェッロだ。瑠璃の許容範囲を超えたのだ」


 言われてみれば確かに。デザートとして食べたのでそれほどアルコールを感じていなかったけど、チェッロに使ったスピリタスウォッカ(アルコール96%)を加えたら、わたしにしては沢山摂取した方だろう。眠くなってしまっても仕方が無い。


 「“私”は、お昼寝ね」


 「私は瑠璃の寝顔を見るのと、こちらでこうやって会うのと悩んだが、今日は少し違う事をしてみようと思っておるのでな、予め其方に説明をと思ってこちらに来た」


 「何をするのかしら?」


 くいっと首を傾け青蓮を見れば、彼は至極真面目な顔で答えた。


 「瑠璃の記憶を取り戻すため、先ほど天帝(ちちうえ)に許可を貰ったことを試すのだ。瑠璃の父上にも許可は得た」


 「さっき外で話をしてたのはそれだったの?」


 男同士三人で庭で真剣に話をしていた様子を思い出す。


 「そうだ。瑠璃の存在は天帝(ちちうえ)の下にあるため、勝手に私がどうこう出来るものではない。天帝(ちちうえ)に断りを入れる必要があるのだ。それを今日、今から試そうと思う」


 「いいわ。教えて、何をすれば良いの?」


 青蓮の説明によると、現世へ戻る際に泉に入らないようにすること、要はそれだけだった。“私”が目覚める直前、強制的に青蓮が“わたし”を自分の結界に導くという。

 “わたし”は蓮の作った結界を通り、日頃父が行っているように自身の体へ直接吸い込まれるようにイメージすること、だそうだ。


 天帝へその案を申し出た際、及第点一歩手前と言われたそうで「試してみるのは良いけど、成功するかもしれないけど一時的だ」とそう言われたそうだ。そして、その際、わたしの体調に十分注意することと、違和感を感じたら中断し、直ぐに眠らせ天帝を呼ぶようにと言われたそう。


 蓮の様子がおかしかったのは“悔しい”と思ったそうで、私を抱きしめる事で必死に耐えていたそうだ。


 青蓮はきっとわたしの知らないところで、色々と情報を集めているはずで、今でもわたしの通る泉を必死になって探しているはず。

 残念ながら、わたし自身が一番の情報源であるはずなのに未だ泉の情報を得られないでいる。何かしらアクションを起こそうとすると、それを阻むように水流によって強制的に現世へと戻されてしまうのをひたすら繰り返しているだけだ。青蓮にかかる負担はいかばかりかと、申し訳なく思う。


 「青蓮、本当にありがとう」


 青蓮の気持ちは痛いほど分かる。わたしだって同じ気持ちだ。

 期限が近いと分かっているのに、及第点一歩手前と言われるくらいに近づいているのに、それが答えではないということ、それが解けない限り、もしかするとわたしと青蓮は引き離されてしまう可能性がある。どれも推測を超えないけれど天帝のお言葉から推察するに、最終的な結論は・・・そういう事なのだろう。


 「わたしも頑張るわ。あなたの側に居たいから」


 雰囲気から、“私”の目覚めのときが近づいて来ているのを感じ気持ちを引き締めて青蓮に身を任せる。


 「瑠璃は瑠璃のまま、あちらでも会いたい」


 「ええ、わたしも。ちゃんと青蓮って呼びたいわ」


 ゆるゆると何かに引きずられる感覚がある。いつもならそこに引き込まれるのを任せているのだが、今日は違う。青蓮に導かれるように、直接自分の体に吸い込まれるイメージを強く持つ。泉には決して入らない。ーーー徐々に徐々に意識が遠くなる。



  *



 「瑠璃。瑠璃」


 誰かが私を呼んでいる。


 「瑠璃、起きて」


 私の目覚めを促すように背中を擦られたり、頬や唇に柔らかいものが触れるのを感じる。優しく優しく触れられる部分から“愛しい”という想いを感じる。


 「ん・・・」


 ゆっくりと目を開ければ愛しい人の顔が見える。


 「青蓮(せいれん)。おはよう」


 「・・・瑠璃!」


 「どうしたの?」


 「私が誰か分かるか?」


 「何を言っているの、青蓮でしょ?」


 おかしな質問をするのねとクスクスと笑えば、青蓮もまた笑顔になる。


 「覚えて・・・、覚えているのだな。泉は通らなかったのだな」


 嬉しそうな青蓮の顔をじっと見つめ、彼が言った言葉の意味を考える。


 「そう・・。ええ、ええ、覚えているわ。こちらの世界では初めましてになるのかしら、吾が背」


 「瑠璃」


 わたしは初めて意識を持ったままこちらの世界にいる。蓮も青蓮として認識できるし、もちろん幼い頃から一緒にいたという記憶もある。


 「青蓮、うさぎさんは元気かしらね」


 「あやつは殺しても死なぬほどに図太いからな。月の兎のくせに瑠璃の事が気に入ってやってくるのだ。猫共が追い払っても追い払っても、それでもしつこくやって来るだろう?」


 「でも大けがをしたのよ。心配はするわ」


 「月の兎は月の光を浴びれば一瞬で元に戻る」


 「そうなの。安心したわ」


 「わたしの記憶が元に戻れば、天帝は婚姻を認めて下さるとおっしゃったそうね。これで大丈夫かしら」


 「そう・・・、願いたい。ただ、先ほども申したが、天帝(ちちうえ)は一時的なものだとおっしゃった。どのくらいの一時的な長さなのか、私では分からぬのだ」


 青蓮の悲しそうな顔を見ていると、わたしも悲しくなる。少しでも彼の気持ちを和らげたくて自分の唇を青蓮の唇に重ねれば、すぐに青蓮は返してくれる。柔らかく、さっき目覚めを促してくれた時のように優しくキスをしてくれる。本当ならこのまま青蓮に全てを任せたいけれど・・・。


 「はぁ・・・今は、今はここまで。一時は無理にでも瑠璃を私のものにしようと思っていたが、私は天帝(ちちうえ)にも認められたい。だから、その時まで待っていてくれないか」


 「ええ。もちろんよ」


 青蓮は優しく抱擁すると再びキスをする。今度のキスはただ触れるだけのキス。でもとても嬉しい。顔を離し、わたしと青蓮は互いに見つめ合う。わたしが“私”である時に感じない気持ちを今は持っている。産まれた頃から一番身近にいてずっとわたしを守ってくれている人。わたしをひたすら待ち続けてくれた人。“瑠璃”を持つのがわたし出よかったと本当に思う。





 「・・・翁が呼んでおる。客が来たようだ。瑠璃はここで待て、直ぐに戻る」


 わたしは頷いて部屋を出て行く青蓮を見送ると、青蓮は戸を閉める時、ちらりと振り返り笑みを返してくれた。


 



 待っている間、画像を再生しながら見ていると、意外と早く青蓮が戻って来た。とても嬉しそうにしていて手に何か持っている。


 「瑠璃、出来上がったぞ。指輪だ」


 現世の私がリクエストした“瑠璃”の指輪、婚約指輪を手にし青蓮が戻って来たのだ。


 「宝石屋さんだったのね」


 「ああ、実に良い仕上がりだ。着けてみるか」


 青蓮はケースを開け指輪を見せてくれた。青い可憐な花がそこにあった。


 「睡蓮だ。模して作ってもらった」


 「素敵だわ。綺麗な青い石かと思ったけど、こうして見ると何よりも素敵。それに青い睡蓮はあなたの名前ね青蓮」


 早くつけて欲しくて手を差し出せば、既にそこには正式なダイヤモンドが鎮座している。二人で顔を見合わせて笑い合う。考えた末、ダイヤは右手の薬指に移動させた。そして、空になった左手を差し出すと青蓮は睡蓮の指輪に口づけを落とし、わたしの手に取りゆっくりと差し込んでくれた。


 「なんて素敵なの。いつもあなたと一緒にいられるのね」


 わたしの指に花咲く可憐な青い花を見つめとても幸せな気分になった。

 その時ーーードクンと体内から聞こえた気がした。まるで、胎動のように波うつように体の中心から四肢へと広がり、徐々に強まるのを感じる。


 「・・っはっ・・あ・・・」


 「どうした。瑠璃?」


 「わ、わか、、わからない・・・あう・・いた・・っ」


 体の中心で何かが確実に蠢いている。熱い? 痛い? これは一体何?

 時間を経る毎に胎動にも似た動きが体の中で強くなり、自分の意志の及ばない何かに体を支配されていくようだ。


 「せ、れん・・・、わ、たし、何か、おかしい、、、体に何か、いる、みたい・・・あああああ」


 「体の中に何かいるんだな。少し我慢しろスグに取り除く」


 青蓮はわたしの体に手を触れ体内を探っているが思うように行かないらしい。苛立ちを見せた青蓮は、珍しく舌打ちをした。


 「確かに何かあるのを感じる。掴もうとするが私の手をすり抜けるようだ。くそっ一体どうなってる・・・。翁。すぐにここへ来い」


 青蓮の声に反応したのか直ぐに竹崎さんこと翁が現れた。


 「お呼びですか青蓮様。・・・こ、これは、、、青蓮様。どうなさったのですか!」


 翁が驚くのも無理は無いだろう。この時、わたしの体は感じる胎動と同じく体の色が変化しようとしていたのだから。そして痛みの位置が分かった。まさしくお腹だ。腹の中を何かが這いずり回り、外へ出ようと腹を突き破ろうとしているような感覚がある。


 「青蓮、、、何かが出て来ようと、してる、み、たい。はぁはぁはぁ、、苦しい。痛い・・・」


 我慢するが痛みが強くなり自然と涙が零れ落ちてしまう。


 「瑠璃の中に何かがいる。そいつが瑠璃を苦しめている。それを取り去ろうと試みたが私の手をすり抜けて掴めぬ! 父上に連絡を!」


 手早く翁へ説明をすると、翁は険しい表情で頷き短く言った。


 「はっ! すぐにお知らせいたします」


 「ああ、頼む」


 そんなやり取りを青蓮と翁がしているところで、急に私の中の痛みが止まり、どこからか声が聞こえてきた。


 「・・・呼んでるわ。行かなきゃ」


 青蓮の腕を振り切り部屋を飛び出そうとするが、素早く青蓮に止められる。


 「瑠璃。誰も呼んでなどおらぬ。どこへ行くというのだ。瑠璃、眠るのだ」


 青蓮には何も聞こえてないの? わたしには誰かが呼んでいるように感じているのに。そしてわたしの中にあるモノもそこへ行きたいと思っている。その感じは徐々にわたし自身の思いに書き換えられるようだ。呼ばれる声以外考えられなくなる。


 「行かなきゃ、行かなきゃ駄目なの」


 (眠っちゃ駄目なの・・・)


 頭の中にイメージが浮かんだ。


 (水・・・水のあるところへ・・・あの場所へ・・・)


 無我夢中で頭の中に広がるイメージの場所へ行きたいと強く願うと不意に体が軽くなった。青蓮に拘束されていたのが無くなったのだ。


 「ここは、どこ?」


 わずか先に蓮の家が見える。


 「ということは、ここは庭の池?」


 水の冷たさに意識が少し戻ったが、すぐに体の中から湧いて来る声とイメージに占められてしまい夢中で水の中に潜って行く。何度も何度も水を飲むのが分かるが、それでも体が水中へ進む事を止められない。


 「瑠璃! どこだ! 瑠璃!」


 遠くでわたしを呼んでいる声がする気がするが、今のわたしにはさほど重要には感じない。それよりも呼ばれるその場所へ行かなきゃという思いの方が強い。


 「げほっ、げほっ」


 何度も水を飲むけれどそんなことに構っていられない。より深く水の中へ行かなきゃとしか考えられずひたすら水を掻き前に進もうとするが、四肢がだんだん痺れてきて思うように動かない。けれど呼ばれる方へと沈んで行くままに身を任せる。もう、呼吸はできない・・・行かなきゃという思いだけに支配されそれ以外考えられないまま体が沈んで行く。


 「瑠璃!」


 不意にわたしの体の周りに空気が満ちて呼吸ができるようになった。水の中にいるのにまるでガラスの器の中にでも入ったかのように周囲を囲まれてしまった。そしてそのまま体の沈む方向に逆らうように、水面へと引き上げられていく。

 水面に出た時、知っている顔があった。青蓮は信じられないものを見ているかのような驚愕の表情をしていて、水に濡れるのも構わずザブザブと自らも池に入ってわたしの側へとやってきた。

 見えない壁が消えわたしは青蓮の腕に横抱きにされる。青蓮と目が会い、ふいに眠らされる、と身構える。するとわたしの中の何かが鋭く反応しのを感じ、ブワっと何かが沸き上がってきた。


 「離して! 離して! 行かなきゃ!」


 「どこへ行くというのだ。瑠璃!」


 再びお腹の中で何かが暴れ始めた。あそこへ行かなきゃとその思いが強く強く滲み出て、わたしの体を出て行こうとする。


 「はうっ・・痛い、痛い痛い痛い! やめて! 出て行かないで! 待って! いやー!」


 我武者らに体を動かすが、わたしの体の自由を奪っている何かが邪魔をして動けない。行かなきゃとの思いが増々強くなる。


 「呼ばれているの、一つ、一つになりたいって。やっと、やっと元に戻ったのに・・・、元の場所に戻りたいのに!!!! 離して!! げふっ」


 突如激しい痛みとともに口から大量の赤い液体が出て来た。一瞬で目から光が奪われ何も見えなくなった。


 「瑠璃! 何と言う事だ!」


 もう、意識を保っていられない・・・最期に、愛しいあの人の顔を見たい・・・


 せ、いれ、ん・・・

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