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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第四章
31/43

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 昨夜の帰り道、二人並んで歩きながら蓮が教えてくれた。私と蓮が出会うきかけになった荷物の整理がようやく終ったそうだ。とりあえずは、と言葉が付け加えられてはいたが一カ所だけであの膨大な量を整理したのだ。凄いとしか言えない。聞けば竹崎さんが、もし私が見たければDBを持って来ようかとおっしゃっているそうで、ここは是非と頷いておいた。でも、お願いして見せてもらうのに来てもらうのも何だし、お義母様にも時々はご挨拶に伺いたいしということも言うと、蓮の家に行く事になった。


 ということで本日蓮のお家へ行くことになり、そのまま泊まる事になった。


 父と母は午後からパーティがあるそうで遅くなるというし、心置きなく出かける事にした。手みやげを何にしようかなと考えていたら、蓮からアランチェッロが良いとリクエストがあった。確かに作っておいたけれど余所様に差し上げるような目的で作った訳じゃないんだけど、と言えば、美味しかったから良いんだと蓮は言う。お義母様はそういった手作りのものを好まれるとか、覚えておこう。

 お菓子類はお義母様の最も得意とされるところだから持って行くのは躊躇するし、甘いアランチェッロなら食後にでも丁度良いかもしれないと思い直してキッチンに下りて準備をする。


 私と蓮が何となくお泊まりの準備をしていると、お昼近くになってスタイリストさんや美容師さん方がやってきた。母の準備をするためだ。佐用サンの姿が見えないから母に付き添っているのだろう。


 「佐奈サン、今日、お母さんはどんな装いになるのかしら」


 「今日はドレスをお召しになるようですよ」


 着物のチョイスが多い母がドレス? 思わず一瞬手を止めてしまった。ちなみに、私はブランチのサンドイッチを準備中。ライ麦パンを佐奈サンが買ってきてくれたので薄くスライスしているところだ。余談だけれど、このパン、実に美味しい。しっとりとしてずっしりとして少し酸味があるのがこれまた良い。うちの近所のお店では滅多に店頭に置かれない代物でレアものなのだ。普通は1個幾らの値段がつくのに、このパンだけはグラム単位の量り売り。1gあたり約1.5円のものを800gくらいの大きなパンを丸ごと購入してもらうのが私の楽しみ。そのくらい美味しいパンなのだ。

 話を元に戻して、母のドレス姿はいつ以来ぶりだろう。そのくらい滅多に無い事なので驚いた。


 「とても素敵なドレスですわ。ぜひ楽しみにお待ち下さい」


 佐奈サンが楽しそうに教えてくれた。一体何があったんだろうか。いや、久々のドレスだし正式なパーティだしそりゃ作るだろうけど、色々考えても埒が明かないので佐奈サンの言う通りに楽しみに待つ事にして目の前のサンドイッチに専念する。


 「佐奈サン、美容師さん達は何人いらしてるの?」


 「はい、3名ですわ」


 「分かったわ。ありがとう」


 ドレスアップが終わったら、お茶でもしてもらおう。折角の美味しいパンを皆で堪能すれば更に美味しさも増すというものだ。ふと、隣から良い香りがして来た。佐奈サンがスコーンを焼いてくれたようで思わずお腹がぐーっと鳴ってしまう。それを聞いた佐奈サンが、ほほほと笑いながら粗熱を採る為に網の上にスコーンを並べている。


 「美味しそうなにおいねー。早く食べたいわ」


 「冷ました方が落ち着きますから、少しお待ち下さいね。ほほほ」


 キッチンの作業台には、次々に素敵なものが準備されていく。ハムや卵、ウインナーが綺麗にプレートに飾り付けられている。そしてこれもまた佐奈サンが飾り付けたフルーツ、スープやサラダなど。それに色々なジャム。これらを食堂に並べれば完了だ。いいにおい、早く食べたい。


 「いいにおいだ。早く食べたいな。我慢できない」


 「蓮。危ないから離れてちょうだい」


 私の気持ちと同じ事を言いながら、ちょうどサンドイッチを切っていたところに蓮が後ろからお腹に手を回してくっついてきた。そして私の肩に顎をおいて覗き込んでいる。両手は自由に動くけど、これじゃ暑苦しいし重い。振り払おうとふんふんと上半身を揺らしてみれば、離れまいとお腹に回された腕に力が入る。今気がついたけどお腹を撫でられている。どういうことよー!


 「もー、お腹を触るのは止めて。蓮。本当に邪魔なの。危ないし離れていて。佐奈サンを手伝ってあげて」


 真横にある蓮の顔にコツンと頭を当て横目でじっと見つめると蓮はヤレヤレといった表情を見せたが、何を思ったのか私の耳たぶをパクリと口で遊び始めた。歯を立てるのではなく唇でパクパクと甘噛みされとてもくすぐったい。

 

 「くすぐったい、ほら口を開けて」


 肩口に向けてサンドイッチの具材を持って行けば、パクリと蓮の方から食べにきてくれモグモグと咀嚼を始める。その振動が肩に直接感じる。


 「それを食べたら離れてね」


 「嫌だ」


 「嫌だってどういうことよ。佐奈サンを手伝って」


 「・・・」


 私の肩に顔を埋めるようにし反応を示さない蓮に、私はナイフを置いて向き直った。蓮の腕の中に囲われ至近距離で見つめ合う形になる。手が汚れているから触れられないけど、間近にある蓮を見つめながらお願いをすることにした。


 「手伝って欲しいの、お願い手伝って」


 「わかった」


 何だか分からないけど途端にご機嫌になり快くお手伝いを受けてくれる気になったようだ。触れるだけの軽いキスをしてようやく離れてくれた。近くで見ていた佐奈サンも慣れたもので、てきぱきと指示をしてくれ、蓮も素直に言われた通りに食堂へと運んでくれる。いや、本当に助かる。あとでお礼をしよう。


 (正しくお願いって言えば何でもしてくれるのかしら)


 ふとそんな事を思いながら、試しに色んなお願いをしてみようかと思う。


 サンドイッチを盛りつけ作業台に移す。人数分のカトラリーやプレート、紅茶用のカップなどを取り出して並べておけば流れ作業で佐奈サンと蓮が次々に運んで行ってくれる。お陰であっという間に準備万端整った。

 佐奈サンが連絡をしてくれたのか、ヘアスタイルを整えた母と美容師さんたちがやってきた。


 「そのヘアスタイル素敵ね、とても似合ってるわ」


 洋装に似合うように整えられたヘアスタイルはゴージャスかつエレガント。このヘアスタイルに似合うようなドレスってどういうものだろうと、とても期待が高くなった。母はありがとうと微笑みながら父の隣に腰掛け、一緒にやってきた美容師さん達もテーブルにつかせるとそれを合図に佐奈サンと佐用さんが料理をサーブしていく。私はまだキッチンにいる蓮を呼ぶために一旦席を離れた。


 「蓮、食事が始まったわよ。・・・どうしたの?」


 蓮は一人でキッチンに立ち、何か作っているようだ。隣に行って覗き込むとなんと素敵なデザートを作っている。


 「美味しそう」


 「私でも作れるズッパイングレーゼを作った。簡単だからな」


 そう言うと、できたての温かいカスタードクリームを指ですくって私の口の中に入れてくれる。シンプルな材料で上手に作ってあって実に美味しい。ちょっと指の口の中の滞留時間が長い気もするけど。


 「おいし〜。これ全部食べたいくらいよ。ますます料理の腕上がってるわ、蓮ってば完璧すぎるわよ。これでますますお婿さんにしたい人が増えるわね」


 女子力ならぬ男子力が半端ない。エプロンも良く似合うし、いつぞやは何も手につかなくなった私に代わって夕食を作ってくれたし、お弁当の盛りつけもやってくれたし、そのどれもがセンスの良さを感じさせるものだ。

 ガラスの器にスポンジやカスタードが綺麗に重ねられた層が見える。フルーツも別盛りで好きなだけ食べらるようにしたらしい。ベリー類が美味しそう。食後に出すからと言うので、冷蔵庫に仕舞うのだけは手伝った。

 これで終りだと蓮が満足そうに頷いたので、二人で食堂へと向かった。


 「遅くなってゴメンナサイ」


 蓮を連れて戻り初めましてと美容師さんたちへ蓮を紹介する。こちらへ顔を向けた美容師さん達の動きがピタリと止まっている。あ、そうね、そうよね。蓮に驚いたのね、いきなり連れて来てゴメンナサイね。恐らく3人とも蓮に見惚れて食事をするのを忘れてしまっているようだ。父も母も苦笑いをしながらその様子を眺めている。なるべく3人の食事を邪魔しないようにと蓮を父の近くに座らせ、距離を取る事にした。


 「食事が終わったら蓮が作ったデザートがあるの。楽しみにしてて下さいね」


 おーい、こっちへ戻っておいでーと彼女達の間近で手を振りながらそう説明すると、更に目がキラキラと輝き出した。


 「お料理もお出来になるんですか? 素敵すぎる」


 そういう呟きが聞こえて来る。そうでしょう、そうでしょう、蓮は何でもできちゃうんですよ、と内心彼女達に同意したけれど、蓮の話題はここまでだ。黙々と食べている蓮の様子を気にしながら私は話題を変えることにした。


 「お母さん、ドレスにしたって聞いたわ。珍しいわね」


 そう言うと母と父が顔を見合わせた。ん? 意味深だ。


 「お父さんにいただいたプレゼントにあわせたくてドレスにしたのよ、とっても素敵に出来上がったわ」


 プレゼント? 一体いつの間に・・・。あ。エメラルド?


 「もしかして・・・」


 私が口にしようとした時、母が被せるように口を開いた。


 「ふふ、あとでね。お楽しみよ」


 そう言う母がとても幸せそうに見えて、母自身もとても楽しみにしているんだと思った。私は頷いて楽しみにしている事を伝えた。


 蓮の作ったズッパイングレーゼが運ばれて来た。運んできたのは佐用サンと佐奈サンでそのままサーブもしてくれる。切り分け装われたズッパイングレーゼにフルーツが沢山乗せられ目の前に置かれる。みんなズッパイングレーゼの出来に感心し、感嘆の声や溜め息を漏らしている。冷えた事で少し引き締まったようにも見えるズッパイングレーゼは、お腹がいっぱいでも入りそうだ。


 「おいし。蓮、これ本当に美味しいわ」


 そう言うと蓮は珍しく照れたように頬を緩めている。


 「瑠璃はあまり食べないようにな。シロップに酒類が多めに入っているからな、すぐに酔っぱらうぞ」


 「大丈夫よ。これくらい平気。また作ってね」


 「ああ、気に入ったのならいつでも作ってやる」


 私達はズッパイングレーゼを堪能し食事を終えた。美容師さん達も満足のようで、どんなお店よりも美味しかったとお褒めの言葉をいただき作り手達も満足した。


 あとは母のドレス姿を見れば今日のこの家での予定は終了する。出来上がるまでの間、お茶を飲みながらリビングで待つ事にした。


 「瑠璃、一緒にいらっしゃい」


 お茶の準備をしていたところに母から呼ばれ、一緒にドレッシングルームに連れて行かれる事になった。


 「お母さん、どうしたの?」


 「あなたもお化粧の仕方を習いなさい。正式なものはこうやって美容師さんにお願いをすればいいけれど、結婚するし、お化粧できるようにならないとね」


 あとはよろしく、と言うと母はマッサージを受ける為にカウチに横になった。


 なるほどスッピンも限界があるというのか。良い機会かもしれない。予め話が出来ていたのか美容師さんの一人が私の席を準備して待っている。宜しくお願いします、と頭を下げて腰掛けた。


 「お化粧はどの程度なさいますか?」


 私の担当になった美容師さんからの質問で、化粧ポーチを持ってきて見せたると驚かれてしまった。


 「たったこれだけですか? 他には? 携帯用だからという訳ではございませんか?」


 「他には持っていません。ここにあるのが全てです」


 「ちなみに基礎化粧品は?」


 「えっと、卵の薄皮の化粧水を手作りで」


 「えええええ?」


 何重にも驚いているようだ。そんなに変だったかしら。


 「それでこの肌なのですか? 乾燥しないのですか?」


 「乾燥はオイルを使っています。アルガンオイルとかホホバオイルとか」


 「たったそれだけでこの肌質を保っているのですか? あの、つかぬ事を伺いますが、月々にかかる化粧品代の費用っておいくらですか?」


 「え? そういうの考えた事ありませんでした。卵の薄皮は毎日使う卵からだし、抽出するのはウォッカとかジンとか40度以上のアルコールで、それは父のを拝借するし、あ、これは内緒でお願いします。オイル類やパウダーは無くなったら買う感じなので月に(なら)してみると1,000円くらいかしら? 正確には分かりませんが」


 思い出しながら一つ一つ答えていると、美容師さんが大きく溜め息を吐いた。


 「卵、、、ほぼ毎日使うのに、何だかもったいない事している気がして来たわ」


 愕然とした表情で美容師さんが呟いている。


 「でも体質に合わない場合もあるかもしれませんから。現に私、一度市販品でかぶれてしまったの。だから手作りしようかなって思って」


 「いえ美容師たるもの試してみますわ。さて、では早速始めましょう。瑠璃様はどこか気になる箇所はございますか? シミは、無い。皺もない。というか黄金比?」


 始めましょうと言った割には、美容師さんは指で私の顔の上を測っているし、一人でブツブツと何か話しているが単語しか聞きとれなくて言っている意味が良く分からない。他人からこんなにも専門的に見られた事が無いので何か問題があるのかと不安になる。


 「何か問題でも? ひょっとして病院に行った方がいいとか?」


 「い、いえ。むしろ何にもなくて・・・」


 「ん?」


 「し、失礼しました。お化粧ってマイナスな部分をカバーするのが一番早いんですけど、瑠璃様はこのままでも十分です。従いまして、アイメイクを中心にお化粧いたしましょう」


 「ポイントメイクってやつですか?」


 「はい。そうですね、雰囲気はそうですね、可愛らしくしてみましょう。よく見ていて下さいね」


 道具の使い方や角度など、見ている間にみるみる自分の顔が作り替えられていくようだ。ほんの少しのラインや、色使いや、ちょっとしたことで顔の印象が変わって来た。


 「とてもキュートですよ。口紅も塗りましょうね。さ、できました、いかがですか?」


 「たれ目になっちゃったわ」


 アイメイクで如何様(いかよう)にも印象が変わるなんて。自分の顔が自分でないみたいでとても不思議に思い、まじまじと鏡を見て驚いているとひょっこり母の顔が並んだ。


 「あら〜、随分可愛くなっちゃって。蓮君も惚れ直してくれるかもよ」


 「変な事言わないで、・・・その先が怖いから」


 「あらあら何を怖い事があるのですか? お二人ともとても仲の良い雰囲気で微笑ましゅうございましたよ。とても羨ましいですわ」


 「そうですわ。私共も随分沢山の方々にお会いする機会がございますが、お二人のように見目麗しいカップルの方にはお会いした事ございません」


 口々に褒められるけれど居たたまれない。褒めるなら蓮だけにしてほしい。


 「あら、この子ったら顔を伏せていると思ったら顔が赤くなっているわ」


 「お母さん、もうやめて。身の置き所がないの、消えてなくなりたいくらいよ」


 「まあまあ、そんな事言わないの。堂々となさい。あなたは蓮君の隣に立つのよ。あなたがそんな調子なら蓮君の足を引っ張ってしまうわ。付入られないように堂々と胸を張りなさい」


 母に言われて背筋をピンと伸ばし顔を上げると、今度はスタイリストさんがやって来た。


 「お胸、サイズはおいくつですか?」


 「え? 胸? どうしてですか」


 「少し違和感を感じまして。下着はあったものをおつけでしょうか」


 「い、一応測ってもらって購入しました」


 「そうですか。・・・念のために一度採寸させて下さい。サイズは変わりますからね」


 半ば無理矢理立たされ強制的に服も剥がされ下着も取られ、いくら女性ばかりだといってもこれは恥ずかしい。心の中で早く終わってーと叫びつつ、大人しくスタイリストさんに為されるがまま鏡の前に立つ。アンダーとトップを測られる。


 「国内のサイズだとG65ですね」


 「G? Eの間違いじゃ」


 「いいえGです。それだと、このブラは小さいですね。だから胸の形が崩れて見えたのです。是非とも買い替えをお勧めいたします」


 「はぁ」


 「あら、随分と育ったのね。目立たない服ばかり着ているからそんなに育っているとは思っていなかったわ」


 母も興味津々で私の胸を見ている。


 「愛されているんですね。羨ましいです」


 「ち、ち、ち、ち、違います。そんなんじゃないわ」


 「そんなに恥ずかしがられなくても。あんなに素敵な男性が恋人だなんて、本当に羨ましいですわ」


 スタイリストさんが本気の羨ましいオーラを出しているように感じるのは気のせいか?

 私は今の自分の状態を思い出し慌てて服を身につける。そして上から胸を眺めて見ると何となく胸に段差があるような気がする。これが崩れているってことなのかしら。


 「ほら、この線ですわ。お胸がきちんとカップに入り切っていない証拠です。殿方から見られるとちょっと卑猥にも見える可能性がございますからお気をつけ下さいませ。殿方は女性のそういった箇所には目敏いですからね」


 卑猥・・・ええええ? そんな目で見られるなんて絶対に嫌だ!


 「今、ブラ、お持ちではありませんか?」


 「ございますとも。ありとあらゆる事を想定して持参しておりますから」


 得意満面、よくぞ聞いてくれましたとスタイリストさんが胸を張っている。


 「それ下さい」


 「はい、では直ぐに準備いたします、少しお待ち下さい」


 助かった。いつもじっくりと私を見ている蓮の事だ、きっと気付いているのかもしれないと思うと顔から火が出る思いだ。

 スタイリストさんが出してきてくれたブラは多種多様なデザインやカラーが揃っていた。さすが言うだけあって想定の範囲が広範囲だ。これなら出張先で何があってもカバーできるだろう。


 「お母さん」


 「ええ良いわよ。必要ですものね。それ全部下さる?」


 「はい。問題ございません」


 い? 全部? 取り敢えずのものを選ぼうと思っていたんだけど。


 「時間短縮よ。どれも素敵なものばかりじゃない。蓮君も喜ぶかもよ」


 「何でここで蓮が出て来るの。蓮は喜びません」


 「あらそうなの?」


 「知らないわ!」


 ドレスを着ながら母が不思議そうに首を傾げている。私はスタイリストさんが用意してくれたブラに付け替える。


 「ぴったりだわ。おさまりが良いですね」


 体によくフィットしてとても楽な気がする。更に服を着てシルエットを見てみると先ほどの段差がなくなり見た目がスッキリしている。これがプロの仕事ってやつかと感心した。


 「さあ、こっちも完了よ。どうかしら?」


 ドレス姿の母が得意そうにこちらを見ている。


 「完璧ね。着物も良いけどこっちもとっても素敵だわ、お母さん」


 体のラインに沿ったシルバータフタのフルレングスのドレスで母の魅力が存分に表せている。娘である私も驚く程のボディラインだ。

 ジャケットを脱げばトップはチューブトップで薄い色のシルバータフタをたっぷりと流線状に皺を寄せ流してある。スカート部分は濃い色の鋼色が入ったタフタでマーメイドタイプ。ジャケットはショート丈で襟部分の折り返しがトップの色と同じで非常によくまとまっている。


 「これは、お父さんが惚れ直すわね」


 「然様でございますね。本当に美しいですわ奥様」


 「ありがとう。公の場でこんな格好するのは久しぶりだけど自信持っちゃうわよ」


 「大丈夫というか本当に驚いたわ。アクセサリーはどうするの?」


 全くアクセサリーがついていないのに気がついて訊ねると、母は含み笑いをしている。着ける様子がないようで、ここには置いてないのかもしれない。スタイリストさん達に細かい調整をされて準備が終わったようだ。


 「さて、アクセサリーを着けに行きましょうか」


 母に促されて一緒にドレッシングルームを後にする。どこへ向かうのかと思いきやリビングだった。


 「おお、藤花(とうか)!」


 父が大慌てしている。いや、興奮しているのか? カシャンと勢い良くカップをソーサーに戻しながら立ち上がった。和やかに微笑んで立つ母の下に父が駆け寄るとマジマジと眺めている。母の事が大好きだというのは常日頃の言動で知っていたけど今日の父はまた格別だ。多分、今は母以外視界に入っていない。

 身長差があるので母が父を見上げている形でそろそろ離れないと母の首が痛くなるかもしれない。お化粧で若く見えるけど30歳近い娘がいる人だぞ等と心配をしていたらいつの間にか私の隣には蓮がいて拘束されてしまった。


 「瑠璃、どうしたんだ? 顔が違う」


 真正面からマジマジと、間近でじっくりとそれこそ穴が開くほど見られている。


 「あ、これ? お化粧を覚えなさいってお母さんから指示があって美容師さんに教えて貰ったの。似合う?」


 パチッとウインクをしてみせると、何だか困ったような変な顔をしている。じっと見つめていると眉の間に皺が寄って来た。


 「・・・変かしら?」


 「変じゃない。変じゃないんだが・・・」


 「けどなに?」


 言い淀む蓮に理由を求めると珍しく蓮の頬に朱がさしているように見える。


 「・・・可愛すぎる。可愛過ぎるのだ! はっ、まさかこれで会社に行くつもりか?」


 「ええそうよ。来週からはきちんとお化粧するわ。お客様もいらっしゃるし、・・・秘書さん達にも注意されたし」


 そう説明すると、蓮は小刻みに頭を振って嫌だ嫌だと言っている。


 「瑠璃は化粧などせずとも魅力的なのだぞ。それが、こんな、こんな、更に輪をかけて可愛くしてどうする。私の気持ちも考えてくれ」


 たったお化粧をしただけなのに、蓮は悲壮感たっぷりに言い縋る。そんな風に言われても、困る。


 「蓮君。お化粧は武装するのと同じよ。婚約して結婚しようっていう女性なら少しくらいお化粧しないとね」


 父の包囲網からスルスルと抜け出て母がこちらにやってきた。父が残念そうな顔でこちらを見ているぞ。


 「義母上(ははうえ)・・・。困ります。これ以上、私は誰にも瑠璃を見せたくはありません」


 私はむぎゅっと蓮の腕に挟まれている。力強い腕の中で蓮の私への想いはひしひしと伝わって来るのだけれど、気持ちは嬉しいのだけど、それだと一緒の目標を見て進む事ができない。


 「瑠璃がお化粧するのは蓮君のためでもあるのよ。・・・でも、あなたが気に入らないのならしかたないけど」


 「気に入らないわけではありません。これ以上、瑠璃を男どもの目に触れさせたくないだけです」


 「理由はそれだけね。ふふ。瑠璃の事を大切に思ってくれるのは嬉しいけど過保護過ぎるのも問題よ」


 「しかし!」


 「あなたがしっかり瑠璃を守ってあげて。そうすれば大丈夫でしょう?」


 意味深に母が目を細めて蓮を見ると、蓮は私を抱き直して胸を張って答えた。


 「それはお任せ下さい」


 「よろしくね」


 蓮のその答えを聞いて母は笑みを深め満足そうだ。


 「藤花、瑠璃のことは蓮君に任せておいていいからこっちへ」


 母が蓮とばかり話しているのが気に入らないようで、珍しく父はイライラしているようだ。素直に母が父の下に行くと、父は取り出したケースの蓋を開ける。するとそこにはエメラルドが煌めいていた。やはり父は準備していたか。しかもこんな効果的な方法で渡すとは、さすがだ。


 「藤花。これを君に」


 父はネックレスを取り出し母の胸元に飾った。後ろに回らずにわざわざ向かい合った形で母を腕に抱き込むようにして留め金を留めている。そこに深いツッコミはするまい。大ぶりのエメラルドを中心に大小様々な石が綺麗に並べられてそれはそれは見事な形だ。父は一歩上体を引いて母を眺めて満足そうに頷いている。満足するまで眺めた後、再びケースを手に取り母に向ける。母も嬉しそうにケースからイヤリングを取り出し耳に着けていく。胸元を飾る石よりも小振りだけれど見事な色と透明感のエメラルドで更に母を美しく彩っている。最後に、父がポケットから小さなケースを取り出すと指輪が出て来た。同じエメラルドの指輪だ。どれだけ母の事が好きなのよと心の中で突っ込んでみたけど目の前に展開されている事実は覆らない。父は指輪を手に取ると母の指に差し込んだ。これぞエメラルド尽くし。けれどもどれも必要不可欠と思える程にバランス良く、また実に母によく似合っている。

 母は「ありがとう」と父にお礼を言い、なんと、母から父の胸に寄りかかった。そして父のなんとも至福な表情。初めて見た。あのエメラルドは私が教えた後に準備していたやつで、見事なまでに効果的で、母の為にというよりも父の為に準備されていたのだ。


 そこでハッと思い出す。この場面を写真で残さねば。スマホで両親の姿をパシャパシャ取りまくった。今の私は昨日の子どもの写真を撮る斎藤お父さんのようだ。父が何やら言いたそうにこちらを見ている。分かっていますって、ちゃんと送っておきます、との意味を込めて頷いてみせると、父もうんうんと頷いたの見てこちらの意図が伝わった事を確認する。父のスマホやPCの中身は見た事が無いけれど今度見せてもらおうかしら。


 「お父さん、今日のお母さん、いつも以上に綺麗ね。気をつけてね」


 「任せておけ」


 視線を母から外さずに父は答えている。話している相手の目を見ようって父が教えてくれたんですけどね。まったく大人ってこれだから。


 そこへ佐用サンが美容師さんの片付けが済んだとのことで、一緒に入って来た。


 「まぁ奥様。何と見事な! これが完成形でございますね。見事でございます」


 入って来るなりスタイリストさんが開口一番感嘆の声を発した。褒め上手だなと思うけど、実際に素晴らしいのでお世辞ではないはずだ。


 「ふふ、ありがとう。あなた方のお陰で素敵になったわ」


 「いいえ私どもはほんの少しお手伝いをいたしただけですわ」


 謙遜するスタイリストさん達に父も大満足だと褒めている。


 「いいや君たちの仕事は実に素晴らしいよ。完璧な仕事だった」


 まぁここまでしてもらえればそうでしょうとも。


 「恐縮です。では私どもはこれにて失礼いたします」


 美容師さん達が去った後、佐用サンが母のバッグを持ってやって来た。これで完璧。いつでも両親は出かけられるだろう。ちなみに父はブラックタイだ。


 「車は?」


 「はい。それが・・・」


 「どうした?」


 「実は竹崎さんがおいでになっておりまして」


 「竹崎さん?」


 「はい。蓮様のご実家の家令の方です」


 「そうか、ならばすぐに通して」


 佐用サンと入れ替わりに竹崎さんが入って来たが、どうしたのか今日はスーツ姿だ。


 「ご無沙汰しております野田様。本日は我が主より伝言を携えて参りました」


 竹崎さんの言葉に父も母も驚いている。お義父様からの御遣いだからスーツなのだと直ぐに分かった。


 「蓮、何か聞いている?」


 「いいや、竹崎、父が何と?」


 「はい。本日のパーティですがご一緒にいかがでしょうか、との事でございます」


 「ああなるほどね。神威さんも出席なさるのか。良いんじゃないか。藤花構わないだろう?」


 「あなたが宜しければ私は特に」


 そうか私の両親が出席するのに蓮のご両親も出席なさるのか。だから竹崎さんがお迎えにきてくれたのね。


 「ご準備がよろしければ我が家へお連れするようにと言付かっておりますが、よろしいでしょうか」


 「ああ構わないよ。ちょうど終わった所だ。なら、君達も一緒に行くか?」


 そう言う事で一家総出で蓮の家に移動する事になった。私と蓮は急いで着替え荷物を取って来た。とは言っても自家製アランチェッロとノートPCだけだけど。当然あの婚約指輪は着けて行く。

 後を佐用サンと佐奈サンにお任せし、私達は竹崎さんの運転する車で神威家に向かった。

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