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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第四章
30/43

30

 「佐久間さん。すみません、今日の飲み会ですけど室長と私は少し遅れます」


 「まじで? どの位かかりそう?」


 「さっき社長に確認したんですが恐らく30分程度だと思います。飲み会があるって伝えたら、そんなに時間は取らせないよっておっしゃってましたし」


 「話しの分かる社長だな。分かった。その代わり絶対来いよ」


 「はい。楽しみにしていますから」


 金曜日当日、社長から蓮へ呼び出しの連絡があり、蓮は私を引き連れて社長室へと行く事になった。ただ、指定時間が終業時間近くで、そのため、少しばかり飲み会に遅れて参加することになってしまったのだ。しかし佐久間さんに遅れて行くと断りを入れたが、会場は会社からあまり離れていないのでそれほど遅れることはないだろう。



 社長とのミーティングを終え、きっかり30分遅れで蓮と私は会場に到着した。先に始めておいてと伝言していたので、すっかりみんな寛ぎモードで良い雰囲気になっている。


 「遅くなってすみません」


 挨拶するなり、蓮は各務さんと内藤さんという女性社員が、私は幹事の佐久間さんと斎藤さん(奥さん)に囲まれてそれぞれ席に案内された。そして改めて、ということで乾杯をする。既にアルコールが入っているだけに、乾杯の声も朗らかで楽しそうだ。


 「みんな楽しそうで良かったです」


 「あっはっはー。本当はね野田さんと室長が本当に来るのかどうかって、みんなすごく心配してたんだよ。二人してどっかしけ込んでんじゃないかってさ〜」


 「しけ・・・」


 「冗談よぉ。野田さんって律儀だもんね。約束した事は絶対守ってくれそうだし、万が一、室長が嫌だっていっても引っ張って連れて来てくれるだろうって言ってたのぉ〜」


 「あははは」


 斎藤さん(奥さん)は大分出来上がって来ているようだ。いつもサバサバと元気な斎藤さん(奥さん)だが、今の彼女は何割増かでテンションが高い。話を聞けば、妊娠出産子育てと、その間全然飲む機会もなく今日が久々の飲み会ということでちょっとばかり弾けているようだ。(ちょっとかな?)でも、誰に絡むわけでもなく一人朗らかに楽しそうなので良い感じではないかと思う。そういう人の側で私も楽しい。


 その代わり斎藤さん(夫)は、少し離れたところでお子さんの面倒を見ている。それを見て今日は旦那さんが時短だと言っていたなと思い出す。他にも三人の子どもがいてぐるぐると走り回っており、斎藤さん(夫)の周辺はちょっとした運動会のようだ。大人側の飲み会会場はアルコールのお陰でハイテンションにはなっているが、さすがに子ども達の前でヘベレケになっていては示しがつかないと気が引き締まるのだろうか、誰も悪い酔い方をしている人は居ない。もともとそういう人達なのかもしれないけれど、雰囲気が実に良いので安心する。


 私は改めて初めましての挨拶から入り、周りの人達とよく喋り、よく食べて、よく飲みすっかりお腹がいっぱいになった。座りっぱなしというのもあったし、気分転換も兼ねて斎藤さん(夫)ところへと遊びに行ってみる事にした。ずっとお子さんにつきっきりであんまり食べていないようにも見えるし、暫くの間だったら交代してもいいかなと。小さな子に触れる機会なんてあまりないので興味もあるし。


 「かわいいですねぇ。男の子ですか?」


 身につけている服から性別の見当をつけ問いかけると斎藤さんが顔を上げ教えてくれた。ちょっと疲れている顔をしている気がする。


 「ああ、そうだよ。もうすぐ12ヶ月になるんだよ」


 「元気そうですねー。それに全然人見知りしないで」


 赤ちゃんは斎藤さんの腕の中で目をクリクリさせながら物おじする事無くこちらを見返して来る。


 「そうなんだよ。こんなに沢山の人のところに来るのって今日が初めてなんだけど、全然泣きもしないからこっちが驚いているよ」


 あははと斎藤さんは目を細めて、仕事中とは違う父親の顔をして笑っている。


 「あの、抱っこさせてもらってもいいですか?」


 駄目元でお願いをしてみると意外にも快諾された。


 「ああいいよ。・・・ほら、綺麗なお姉さんだぞ、羨ましいなおい。俺の代わりにしっかり抱っこしてもらえ」


 そう言いながら斎藤さんは赤ちゃんを手渡してくれた。赤ちゃんは初めて抱っこすると言うと、斎藤さんが抱き方を教えてくれた。抱っこする前に腕を赤ちゃんの形にして待っているとそっとその上に降ろされる。ずっしりとした重さが腕にかかる。


 「10kgくらいはありますか? 良い子ね。あ、笑ってますよ斎藤さん」


 「よっぽど嬉しいんだな。なんだこいつ、生まれてから最高の笑顔じゃねえかな。ちょっと写真とっとくか」


 ピロロンと何枚もお子さんを写真におさめている姿はまさしくパパの姿だ。実に微笑ましい。


 「あ、なんかうとうとしてますよ。寝ちゃいますかね」


 斎藤さんがあっという間に数十枚分のシャッターを切っている間に、赤ちゃんは私の腕の中で睡魔におそわれてしまったようだ。目が半眼になってそろそろ目蓋がくっつきそうだ。


 「斎藤さん、このまま抱っこしていますから、今のうちにしっかり食べて来て下さい」


 「さんきゅー恩に着るよ。10kgは超えてるから重くなったら降ろして寝かしておいていいからね」


 こうして斎藤さん(夫)と子守りを交代し、私は赤ちゃんを腕に抱いたままその寝顔を見つめた。


 (かわいいなぁ。ぷくぷくしてて、それにいい香り)


 赤ちゃん特有の香りだろうか、やさしいミルクのような何とも言えない匂いが私の鼻腔をくすぐる。香水は苦手だけれど、こういった匂いは大好きだ。思わず赤ちゃんの胸元に顔を埋めてクンクンと匂いを嗅ぐ。


 「あかちゃーん」

 「あっかちゃーん」

 「ちゃん」


 2〜3歳児くらいの他のメンバーの子ども達がぽてぽてとした走りで私の周りに集まって来た。どうやら赤ちゃんが珍しいらしい。


 「今ね、寝ちゃったの。見てー、かわいいわね。だから静かにお話ししましょうか」


 そう言うとコクンと頷いてくれる。良かった、ちゃんと通じてる。


 「ちっちゃいねー。ぼくのおててよりもちっちゃいよー」


 「そうね。お兄ちゃんのお手手は大きいね。いっぱい食べたからな?」


 「たべたよ。ぼくたちいっぱいいっぱーいたべた。おねえちゃんもたべた?」


 「ええ食べたわ。お姉さんもお腹いっぱいよ」


 子ども達はお行儀良く座り、ちっちゃい声で会話をしながら赤ちゃんを覗き込んでいる。お兄ちゃん達に囲まれて注目されているのに、むにゃむにゃと本格的に寝入っている赤ちゃんは目を覚ます事は無いようだ。見ているとこちらも眠くなって来る。


 「ぼくねむくなっちゃったー」

 「ぼくもー」

 「ねむいー」


 「いいわよ。こっちにおいで。お姉さんに寄りかかって寝なさい」


 赤ちゃんを揺らさないようにそっと立ち上がり、壁ぎわに移動する。そして、私は壁にもたれて座る。ついて来た子ども達は、いっぱい食べて今まではしゃいでいたせいか、スイッチがOFFに切り替わったようにすぐに眠り始めた。今やすっかり私は子ども達に囲まれて、子ども達の枕となっている。体温の高い子ども達がいるだけで私があったかい。


 (いいなぁ。赤ちゃん。いつか、私も産むんだよね)


 想定としては蓮との子どもで、子ども達の顔をみながら自分が母親になってこうやって抱き上げている姿を想像してみる。そして、つい、ちらっと蓮の方を見てしまった。

 蓮はそれなりに楽しそうに周りの人達に溶け込み話しをしているが、どうも各務さんがよろしくない。各務さんは蓮の右側に陣取りべったりとくっついている。どうやら写真を撮っているようだ。キャーキャーと黄色い声をあげながら蓮をペタペタと触りまくっているのが見えた。他の女の子達も各務さん程ではないにしろ隙あらば蓮の気を惹こうとしているのが見える。


 (ああ、気持ち悪いものを見てしまった・・・あーやだやだ)


 折角、赤ちゃん達を見て心が清められていたのに、汚れた大人達を見た気がしてすっかり落ち込んでしまった。私の気持ちに連動したのか、腕の中で眠っていた赤ちゃんがぐずり出す。


 「ふえぇ・・・ふえぇ・・ふぇぇえ」


 「あーよしよし。ごめんね。よしよし、よしよし。いい子ね、いい子」


 ちょっと抱き直してポンポンと背中を叩いてあやしながら話しかけていると何とか持ち直したようで再びふにゃふにゃと眠り始めた。心の中でガッツポーズをし、目を覚まさないようにゆっくり揺すり続ける。膝に寄りかかっている子達もこの程度の揺れくらいじゃ問題ないようだ。


 (私の感情もこの子達みたいに無垢になりたいものだわ)


 そっと溜め息を吐き、さっき見た物を記憶から追い出そうとして心を赤ちゃんに集中すると、少しばかり緩和された気がする。すやすや眠る赤ちゃんの胸元に顔を埋めると、規則正しい呼吸といい香りを感じる。このままこの会が終わるまでこうしていたくなった。腕の中で眠る赤ちゃんの胸に顔を埋めたまま目を閉じると子ども達につられてしまったのか、私もついウトウトとしてしまったようで、腕の重みを感じて慌てて抱え直した。


 なんとなく側に人が来た気配を感じて顔を上げると小早川さんがきていた。


 「ぷぷ。すっかり保母さんになってるー。瑠璃ちゃんってあやすの上手だね。いいママになりそうだ」


 そう言いながらジリ、ジリとにじり寄ってくる。純粋に赤ちゃんを見に来たんだろうか、そうでなければ非常にまずい。意外と積極的なんだなこの人。


 「小早川さん、あちらに居なくて良いんですか?」


 「君が居ないからつまんない。今日は瑠璃ちゃんともっとお近づきになりたいって思ってたのに」

 

 (まずい。全く身動きが取れない)


 「な、何を言っているんですか。もっと楽しんでくれば良いのに」


 「だから、君が居ないんじゃ意味が無いの。俺もここにいる」


 顔が引きつらないように気をつけながら、小早川さんに笑顔を向け軽く首を振ってみる。


 「子ども達が起きるまでいるんですよ。きっとつまんないでしょうからあちらで是非・・・」


 腕の中でムズっと動くのを感じ、ようやく寝た赤ちゃんと膝を枕にスヤスヤ寝ている子ども達を起こしたくないので声は極力小さめに声を出すと、聞こえなかったようで小早川さんは実に楽しそうにこちらを見ている。


 「いいなぁその姿。マジで奥さんになって欲しいなー。そうだねー子どもも3人位欲しいかなー」


 更にじりじりっと近づいて来る小早川さんに成す術無く心だけが焦る。救いなのは両脇に子ども達がいて寝てくれていることだ。子ども達を利用するようで悪いけどこのまま緩衝材になってもらおう、そう思っていたら、さすがというか大人の男の人の力でもって、小早川さんはひょいと寝ている子ども達二人を抱きかかえるとさっさと自分の場所と入れ替えた。要するに私のすぐ隣に小早川さんが座っているのだ。子ども達は転がされているがそのまま寝こけているようで気付いていない。


 「その姿勢辛いでしょ。僕に寄りかかっていいよ」


 肩を抱かれて引き寄せられる。抵抗しようにも赤ちゃんを抱いていて、まだもう一方に子どもが寄りかかっている状態では成す術が無い。ひぇぇ〜と心の中で盛大に悲鳴をあげつつも小早川さんに寄りかかる形になってしまった。


 「いえいえ、す、すみません。大丈夫ですから。重いですし」


 慌てて遠慮し体勢を元に戻そうとするも、いいからいいからという小早川さんの制止に私の腹筋背筋が限界だと言う。


 「全然重くないよ。むしろ全体重預けてくれていいよ、このまま支えになってあげるからさ安心してこっちにおいで。そういや野田さんって香水つけてないんだね。それに、もしかしてスッピン? ますますいいねぇ、その内に僕の匂いをつけて欲しいな」


 酔っているのか小早川さんは私の首もとに顔を寄せるとクンクンと匂いを嗅ぐ真似をしている。そして話す息がフワフワと耳や頬に当たり、距離の近さを一層感じさせ全然安心できない。助けてーと必死で心の中で叫んでも誰にも気付いては貰えないし、目を飲み会会場へ向けても誰もこちらを見ていない。いや見ている人は何人かいるけれどニヤニヤして見ているだけだ。そんな一人、各務さんと目があったけれど、フンという何とも嫌な笑いを浮かべてむしろ楽しそうに見ている。助けてくれそうにない気配100%だ。もうだめだと思ったその時、


 「私にも、その子を抱かせてくれないか」


 天の助けがやってきた!


 このチャンスを逃すまいとすぐさま頷いて、蓮に私のすぐ近くに来るようにと指示を出す。斎藤さん(夫)に教えて貰った通りに指示を出すと、蓮が私の腕に重ねるように腕を出してきたので、起こさないようにそろりと赤ちゃんを受け渡した。

 この赤ちゃんは大物で、クレイドルである持ち手が変わってもぐっすり眠ったままだ。蓮のしっかりした腕だからか、信頼できる人だと本能で分かっているのだろうか。私は蓮の腕の中でスヤスヤと眠る赤ちゃんのほっぺをツンツンとつつき、そして自由になった両腕を上にあげて伸びをした。


 「うーん、やっぱり重かったんだなー。あちこち伸びて気持ちいー。小早川さん重かったでしょ。ありがとうございました」


 十分伸びをした後、膝を枕に寝ている子をよいしょと抱え上げ、固まってそろそろ痺れを感じていた膝を組み替えた。自然と、小早川さんから離れる。何だか隣から舌打ちが聞こえて来たような気がしたが気にしない。

 2〜3歳児はそれなりに重いけれど、一人くらいならば暫く抱っこしていても問題ないし、子どもも私の服をむんずと掴んで離れようとしないのでそのままの姿勢を保つ。全体重が増え若干不安定気味ではあるがそこは腹筋と背筋を使って何とか保っている。

 そんな私を支えるように蓮が隣に座った。自然に蓮に寄りかかれる位置で正直言ってとっても助かる。蓮はほれっと腕を下げて見せてくれると、なんと赤ちゃんは目をパチリと開いていたが、泣きもせずご機嫌な様子だ。私と目が合うとニコリと笑っている。


 「ご機嫌なの? 嬉しいの? 可愛いわねぇ」


 人差し指で顎をコチョコチョとくすぐると、キャッキャと声を出して笑ってくれる。抱っこしている蓮へと顔を向けると、赤ちゃんにつられ蓮も優しい笑みを浮かべていた。このまま暫く蓮に抱っこしてもらっても大丈夫そうだ。とても上手に抱っこしているし、蓮も特に何も言わないので、私は蓮の横で赤ちゃんと遊ぶという絶好のポジションを確保していた。小早川さんに目を向けると、その先の塊がもぞもぞ動いている。小早川さんによって少し離れた所に移動させられた子ども達が目を覚ましたようで、起き上がるとキョロキョロと周囲を見回して自分達の置かれた場所を確認したのか、こちらに目を向けるとトコトコと歩いて来て、一人はあぐらをかいている蓮の膝の上で丸まった。もう一人は私と小早川さんの間に入り込み私の足に寄りかかり小さな腕を私の腰に伸ばして掴んだ。


 「あらあら、室長と野田さんの子ども達みたいね〜」


 すっかり出来上がった斎藤さん(奥さん)とほろ酔いな感じの竹田さん(奥さん)がやってきて自分達の子どもと私達を見比べてふんふんと頷いている。酔っ払いさんの思考はどうなっているのか想像もつかないけれど赤ちゃん同様にお母さん達もご機嫌なので、まあ良いとしよう。


 様子を見に来たのだろうが、赤ちゃんを抱っこするのかと思いきや、なぜか斎藤さん(奥さん)と竹田さん(奥さん)は小早川さんにタックルをする。そして小早川さんの両脇を抱えて、抵抗する小早川さんを強制的に飲み会会場へと連れ戻していた。


 残るは私と蓮と蓮の抱っこしている赤ちゃんと、スースーと寝ている子ども達だけになった。この最強のバリケードを破ろうとする強者はもういないようで、予約時間いっぱいまでその状態だった。時々本物のお父さんお母さん達がやってくるけど、渡そうとする度に子ども達は愚図り始めるので諦めて最後までベビーシッターを引き受けた。その方が楽しいというのもあるがこれは言わない。


 「瑠璃は、どう思う?」


 蓮は赤ちゃんを見つめながらそう聞いてきた。


 「ん? どうって赤ちゃんの話?」


 そう聞き返すと、黙って蓮は頷いている。


 「かわいいわとっても。それにこの子達もね」


 「瑠璃は・・・、欲しいか?」


 「そうね、いずれは産んでみたいわね」


 私の膝の上で寝ている子どものほっぺをプニプニと触れながらそう言うと、隣から大きく息を吸い込む音が聞こえた。そして躊躇いがちに、確認するかのようにゆっくり一言一言区切りながら蓮は言葉を発する。


 「私の、私との子、ということで、良いんだよな?」


 「当たり前でしょ。それ以外いないでしょ? どうしてそんな事を言うの?」


 まさかそういう確認をされるとは思わずに、子どもがずり落ちるのも構わずに蓮に向き直る。慌てて抱き直したけれどね。


 「ふむ。小早川となかなか良い雰囲気だったようなので、・・・確認をしたまでだ」


 蓮は躊躇っているようでもあり、自分がそう言う事を言うのに何となく抵抗があるようだ。


 「ちがっ、あれはっ」


 きちんと言い訳をしようとしたけれど、直ぐに蓮に遮られた。


 「分かっている。ちょっと言ってみただけだ。最初から見ていたから瑠璃が嫌がっていたのも分かっている」


 「もう、いじわるね。それよりもあなたの方こそ、楽しそうだったじゃない」


 やられっぱなしじゃ、腹の虫が承知しない。


 「ん? 何の話しだ?」


 「さっきよ、さっき、その・・・もう、何でも無い!」


 さっきの蓮と各務さん達との状態を思い浮かべると口に出すのも嫌なんだなと改めて認識し思わず口調が強くなってしまう。


 「何でも無くはなかろう。言ってみろ。瑠璃の、その、嫉妬の原因を」


 「なっ! 違うもの。ぜんっぜん違うもの。私はこの子達と一緒にいて楽しいもの」


 言い当てられ面白くないので、ツーンと外方(そっぽ)を向いて蓮と顔を合わせないようにする。


 「私と一緒にいるよりも楽しいのか?」


 「ノーコメント。そもそも比べる対象ではないもの」


 「素直ではないな。まぁいい。瑠璃も嫉妬するのだと分かったからな」


 くっくっくと含み笑いをしている蓮を睨みつけるが、全然効果なさそうだ。


 「何よ、さっきから! 何だか今日の蓮って意地悪な気がするわ」


 「意地悪もしたくなる。あんなものを見せつけられてはな。くそ、私のものだというのに軽々しく触れおって」


 蓮は蓮で嫉妬していたんじゃないの、と思わずクスリと笑ってしまう。


 「何と言われた? 小早川がしきりと瑠璃に話しかけておっただろう?」


 「ああ、えっとね・・・」


 正直に言うべきか躊躇したけど、でも誤摩化すのが一番混乱を招くからと母や榎本さんから忠告は受けているのでここはありのままを話した。案の定、超不機嫌モードに突入していたけれど場所が場所だけにグッと我慢したようだ。このまま放っておいても良いんだけど、私も同じ事を言われたら絶対に嫌な気分になる、だからきちんと自分の気持ちを話そうと思った。


 「馬鹿ね。私の事、信じないの?」


 「信じている。だが、それとこれは別物だ。嫌な物は嫌だ。瑠璃を妻にできるのは私だけなんだ。瑠璃は私のものだ」


 「うん分かってる。私もあなた以外の人との結婚は考えられない。・・・だから仕事で小早川さんの事をいじめちゃ駄目よ」


 「ふん。それはあいつ次第だ」


 蓮の嫉妬深いのは大分慣れたとは言え、過去の経験から今は最大限に怒っているんだろうなと感じる。静かにしていてるようで激しさは変わらない。我慢しているだけだろう。

 それよりも小早川さんとの事を見ていたなんて、私が蓮を見ていたのと同様に蓮も私を気にかけてくれていたのだろうと思うと腹の虫もすっかり快適な場所へと移動したようだ。


 「れーん?」


 赤ちゃんを抱っこしている蓮の顔を下から覗き込んで名前を呼ぶと、


 「なんだ」


 いまだ不機嫌な感情を燻しつつも返事を返してくれる。


 「そんなあなたも好きよ」


 蓮は目を見開き一瞬息を飲んだようだった。



  *



 「今日はありがとうね。お陰で久々に楽しめたわ」


 お母さんお父さん達がすっかり寝てしまったそれぞれの子ども達を抱きかかえながら帰り支度をしている。


 「それは良かったです。私もベビーシッターの方が楽しかったかも。子ども達みんな可愛かったし大満足ですよ」


 抱っこされたまま寝続けている子どもの温もりが名残惜しくて、最後のスリスリをする。いいにおい〜。


 「それにしても子守り上手ね」


 「学生の時、ベビーシッターのバイトしてましたからね。小さい子の扱いは他の人よりは慣れていると思いますよ、赤ちゃんは初めてでしたけど」


 「そうなんだ。じゃ、また、頼もうかしらね。赤ちゃんは室長が得意そうだし」


 「いつでもどうぞ」


 「それにしても室長もずっと子守りしているなんてね、人は見かけによらないってよく言うわ。ほんと信じられない」


 「気に入ったんじゃないですか?」


 「どっちかしらね。子どもかしら? 野田さんかしら?」


 「え?」


 「何でも無いわ。とにかく、ありがとね。じゃ、また来週」


 最後の挨拶を今日の幹事の佐久間さんがし、また来週と言いながら散会した。三々五々に散って行く。私も皆を見送り、挨拶をして帰る事にした。


 「野田さん、送って行くよ。駅まで?」


 加藤さんがこちらへ駆け寄って来る。


 「あ、加藤さん。いいえ、私、徒歩通勤なんですよだから大丈夫です。それよりも他の人を送ってあげて下さい。あそこ、やばそうですよ」


 女子が二人程、歩道にうずくまっているのが見える。加藤さんはちらりと視線は向けたけど直ぐにこちらに向き直った。


 「徒歩なんだ。じゃ、家まで送るよ」


 「駅とは反対方向ですよ。それじゃ加藤さんが遠回りすぎますからお気になさらず」


 やんわりと遠ざけたいのだけれど、尚も食い下がられそうだ。その時、最大級な黄色い声が聞こえて来た。


 「しつちょー! しつちょー! わたしぃ、もう歩けませんから〜、駅まで送って下さいよぉ〜」


 各務さんが甘えた声を発しながら蓮におねだり全開中だった。既に蓮の腕に自分の腕を絡ませて撓垂(しなだ)れ掛かっているのが見える。女子の武器を最大限に使っているのも見える。それを見て何とも言えない気分になり思わず溜め息をこぼしてしまった。


 「あー、やだねー、見え見えなんだよ。あーいう風にはならないでね野田さん」


 その姿を見ながら加藤さんが不愉快そうに顔を歪めている。同意を求められているのかどうか分からないけど、同僚だしあまり大っぴらに、そうですねとは言えず、はははと乾いた笑いを返しておいた。


 「野田さんの家ってどのへん?」


 加藤さんの質問に大まかな説明をすると、眉間に皺を寄せている。それもそうだ。また会社に向かう方向なのだから。殆どの人はこのまま、会社に背を向けて駅へ向かうはずなのだ。


 「ふふふ。だから大丈夫ですって。どの駅を使ってもものすごーく遠回りになることは約束できますからね」


 「ちぇー。俺、今日は野田さんとゆっくり話しをしたかったのにさベビーシッターとかしてるんだもんなー。俺も行こうと思ったらさ、小早川に先に行かれちゃってさ、あちゃーって思ってたら、今度は室長が行っただろ? んでもって、小早川は斎藤さん達につかまって連れ戻されてたし。子ども達相手じゃさ手も足も出せないっちゅーの。結局、全然話す機会無くてちょっと残念。だから送りながら話したかったんだけど」


 あらら、加藤さんは下心を隠そうともせずに正々堂々と正直に話してくれる。その態度に全然嫌らしさを感じなくて人として感触が良いように感じる。


 「まだ仕事は始まったばかりですしその内お話できる時間もできるんじゃないでしょうか。今日のところは、気持ちよく解散しましょう」


 「そうだな。そうしようかな。・・・ざーんねん。でも本当に一人で大丈夫? 野田さん」


 本気で心配してくれる加藤さんに、私に代わって蓮が答えてくれた。


 「大丈夫だ問題ない。加藤、代わりにこいつを頼む。駅に行きたいそうだ」


 離れない各務さんをずるずると引きずったまま蓮がやって来て、そのまま各務さんを加藤さんへ押し付けた。


 「私の家も向こうだし徒歩圏内だから、野田さんは私が送って行く。じゃ、あとは宜しく」


 今度は私が蓮に腕を掴まれ、引きずられるようにその場から引き離されて行く。後ろの方では、加藤さんの「ほら行くぞ。本当は立てるんだろうが」という声と、各務さんの「何よ、もう!」という怒った声が聞こえている。私はちらりと振り返って、加藤さんと各務さんに会釈をして蓮とともに家路についた。

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