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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第一章
3/43

3

 再び土曜日。

 私は張り切り過ぎてお弁当を作ってしまった。どこで食べられるかは分からないが、作業の途中で適当な場所を教えて貰えばいいと考えていた。


 「おはようございます!」


 「ああ、おはよう。お待たせしたね」


 ビルの地下二階で私は竹崎サンと合流した。竹崎サンは大きなブリーフケースのようなものを手にしている。


 「おや、今日は大きな荷物を持ってきたね」


 先に竹崎サンが私が持っているものに目を向けた。


 「はい。お弁当を作ってきたんです。後で一緒に食べましょう」


 そう言うと、竹崎サンは目を丸くした。


 「わざわざ作ってきてくれたの? 僕の分も? 嬉しいねぇ」


 飲食禁止だなんて言われたらちょっと凹むかもと思っていたが、それは無くてホッとした。外で食べるよりもお弁当の方が体には良いからね。


 「ふぉっふぉっふぉ、お昼の休憩が楽しみだよ。さてと、じゃ、早速行きますか」


 「はい。竹崎サンも大きな荷物ですね」


 歩きながら私はその手に持っている荷物について尋ねた。


 「これはね秘密道具だよ。開梱が終わったら使うから楽しみにしていて」


 楽しそうに竹崎サンは言った。


 今日も開梱作業を始める。

 ひたすら開梱して中に入っているモノを丁寧に慎重に気をつけながら取り出し、棚に置いて行く。時々、気分転換も兼ねて不要になった箱を扉の外に運び出す。ひたすらこれの繰り返しだ。だが、急がば回れ。一つ一つ根気づよくやっていけば、いつかは最後のひとつに必ず辿り着く。


 午前中一杯で50mくらいある棚の一段目は埋まったかな。品々が並んでいるのを見ると作業が捗った気がするが、実際には棚は数え切れない程ある。ちょっとだけ気が遠くなった。


 「やあ、そろそろ休憩にしよう。僕のお腹が早く食べたいって鳴ってる」


 竹崎サンのお腹をなぐさめる為にも、私たちはその部屋を出て移動した。そして連れてこられた部屋はまるでキッチンスタジオみたいだ。

 大きなキッチンとアイランドの作業台があり、その先には大きなダイニングテーブルが鎮座している。思わず興奮してしまう。


 「わぁすごい。何ですかここ? すごい大きい設備ですね。全然汚れてない」


 誰かが使っているのだろうか、奇麗に磨かれていて埃ひとつない。


 「色々作業する事があってね、大勢で食べられるようにと作られたんだよ。災害の時にも役立つしね」


 「なるほど色々と考えてあるんですね。さすがです」


 家のキッチンの何倍だろうか。うちのキッチンも結構広いとは思っていたのだけれど、ここは規模が違う。 


 「さてと、この辺りにしよう」


 竹崎サンの示したダイニングテーブルの一角に、私は持ってきたお弁当を広げた。その間に竹崎サンが手を洗ってきて早速テーブルにつく。


 「美味しそうだ。これ瑠璃ちゃんが一人で作ったの?」


 「はい、料理は好きなんですよ。いい気分転換にもなるし、楽しいんです。だから私が家にいる時には、料理はもっぱら私が担当しているんです、さ、どうぞ召し上がれ。お口にあえばいいんですけど」


 家から持ってきたプレートとカトラリー一式を渡す。


 「いただきます。お世辞抜きで美味しいよ。独り占めできるとはいい気分だ」


 「良かった。家族以外に作る事は滅多に無いので、素直に嬉しいです。いただきます」


 私も両手を合わせて食べ始めた。

 食べながら竹崎サンはぽつりぽつりと話を聞かせてくれた。竹崎サンは創業家に代々仕えている家だそうで、創業家の色んな事を取り仕切っているそうだ。だが、最近は息子さんにその役目を継がせるべく仕込んでいる最中だそう。


 「瑠璃ちゃんは作業が丁寧で助かるよ。この作業は早さよりもいかに品物を壊さないで並べるかが大事だからね」


 竹崎サンの言葉に胸を撫で下ろした。丁寧にやり過ぎて作業が遅れているなんて注意されたらどうしようかと思っていたから。


 「そうそう、今日の午後から息子が手伝いに来るから、多少は楽になるよ瑠璃ちゃん」


 「そうなんですか。頼りになる息子さんで良かったですね」


 そう話していると竹崎サンのスマホが鳴り出した。すまんね、と断りを入れて竹崎サンは電話に出た。どうやら今、話題にしていた息子さんからのようで、こちらの場所を教えていた。


 「早速やってきたようだ。この部屋で合流することにしたから、もう少ししたらやって来るだろう。食べながら待っていよう」


 私たちは食事を続けた。


 「ここのキッチン使っても構いませんか?」


 そう尋ねれば、笑顔で頷いてくれた。そこで、お湯を沸かし持ってきた個別包装になっている珈琲を淹れ竹崎サンに渡した。


 「いやぁ美味しかった。久々に美味しいものを食べたーって思ったよ。ごちそうさまでした」


 竹崎サンは満足そうにお礼を言ってくれた。私はちょっと恥ずかしかったが全部食べてくれた事が嬉しくて思わず年甲斐も無くハニカンでしまった。


 「おーい、おやじーいる?」


 そこへ竹崎サンの息子さんがやってきた。


 「おう、いるぞ。入って来い」


 「よ、遅くなってすまんオヤジ。あれ? 君は?」


 ふわふわの猫っ毛の男性が入って来た。私は立ち上がって自己紹介をした。


 「初めまして野田瑠璃と申します。少し前から竹崎サンのお手伝いをしています。宜しくお願いします」


 「そうなんだ。はじめまして。オヤジからは何も聞いてなくて、いや、ビックリしただけだから。俺は余暉(よき)。呼び捨てで良いよ」


 気さくに余暉サンは笑いかけてくれた。全体的に色素の薄いふわふわ揺れる髪と、可愛らしい笑顔でひよこみたいでかわいいな、と思った事は言わない方が良い気がして、それについては言わない事にした。


 「何? 食事してたの? ってか、これってお弁当? まさか瑠璃ちゃんのお手製?」


 余暉サンはお弁当に驚いているが、一方で竹崎サンを見れば何やらニヤニヤとしている。


 「はい、私が作りました」


 「なんだと! オヤジ! もっと早く連絡しろよな!」


 余暉サンは何に怒っているのか、竹崎サンに詰め寄る。


 「ごちそうさまでした。うまかったぞ。実に美味だった。もう一つも残ってないけどな。ふぉっふぉっふぉ」


 「ちくしょー。何でオヤジが先越すかなー。もうちょっと(あるじ)思いだと思ってたんだけど!」


 この親子の会話が私の知らない内容になってきたので、余暉サンにも珈琲を入れるべく席を立った。そして、尚も言い争いをしている親子の間に割って入り、余暉サンに珈琲を渡す。


 「はい、どうぞ」


 「あ、ありがとう」


 「いいえ、どういたしまして。どうぞ落ち着いて下さい。もし、明日お手伝いにいらっしゃるのであれば、明日も私は来ますのでお弁当を作ってきますよ」


 「え? 本当に?」


 「はい。正直言って、外食って苦手でお弁当派なんですよ、会社でも」


 「・・・苦にならない?」


 「全然。趣味ですし。というより、家族以外に食べてもらうのは初めてだったので、ドキドキだったんですけど、さっき竹崎サンに全部食べてもらえて、美味しいって言ってもらえて本当に嬉しかったから、また作りたいって思っていた所なんです。最低限、自分の分は作りますから、一人分を作るのも2〜3人分を作るのも工程は同じですし、遠慮は無用ですよ余暉サン」


 「そ、そお? じゃお願いしようかな」


 そう言う事でようやく余暉サンが落ち着いた。


 今日の最後に、その余暉サンからお弁当の量を増やせる? と聞かれたので頷くと、ちょっと考えて4人分と言われた。きっとお手伝い要員が増えるんだろうと思い快く引き受けた。


 「おい余暉、ずうずうしくないか? 瑠璃ちゃんも無理しなくていいんだからね」


 と、竹崎サンは心配そうに言ってくれたが、いつも家族分を作っている私としては特に問題なく、むしろ沢山作る方が料理は美味しくできるからと伝えると竹崎サンは複雑そうにも嬉しそうにお願いしてくれた。お弁当代を出すと言われたが、趣味なので、と言う事で無しにしてもらった。




 日曜日。

 ちょっとだけ重くなったお弁当の入ったバッグを持ち会社へとやってきた。いつも通りに地下2階で竹崎サン親子を待つ。


 「お待たせ。おはようこのバッグ持つよ」


 そう言って最初に入ってきたのは余暉サンだった。ありがたくバッグを渡す。


 「ふふふ、楽しみだね今日のお昼」


 「いや、今からそんな期待されれてもそんなに豪華なモノは作ってきていませんからね、ハードル上げないで下さい」


 「なに言ってんの。オヤジってね滅多に美味しいって言わないんだ。それが昨日は連呼してただろ? 気にならない方がおかしいっての」


 そう言って余暉サンはニヤニヤしているが、今日のお弁当の中身を知っている私としては、勝手に上げられて行くハードルに戸惑いを感じる。何せこの会社の創業家に直接雇用されている人達だから、きっとそれなりの物は食べているのだろうから。


 「そうだ。今日、一人増えるから、あとで紹介するね」


 やはりお手伝い要員が増員された。そうだろうな、あの量を、ちまちまやっていたら軽く2〜3ヶ月はかかるんじゃないかと思う。


 「おはよう。お待たせしたね。さ、行こうか」


 竹崎サンが少し遅れてやってきた。


 「あの、お待ちしていなくてもいいんですか?」


 私がそう尋ねると、着いたら連絡が入る事になっているから大丈夫だよ、というので早速三人で作業に取りかかった。


 出して置いて片付ける、単純な作業を繰り返す。だがどうしても作業はゆっくりとしか進まない。扱う品々は国宝級とも言える逸品揃いで、取り扱いにはなかなかに気を遣うのだ。


 (甘いモノが食べたいなー。今日はおやつにマフィンを焼いてきたから楽しみだなー)


 なんてちょっとだけ脳内で気分転換をする。


 そろそろお昼に近づいたので、開梱して不要になった箱を部屋の外へと運び出した。一つ目の扉を出て、二つ目の通路に面している扉を出る。そこでちょっと握力が弱くなっていたのか、手に持っていた箱を落としてしまった。バラバラと落ちるのを見届け、溜め息をつきながら再び一つに纏める。そして、よいしょっと持ち上げるとあら不思議、手に持っていないように軽い。いや、それ以上に私の手から箱達が離れて行く。


 「え?」


 「持つよ。重いだろう」


 私の手から勝手に離れて行く箱達に驚いて固まっていたところで、後ろから男性の声がした。とっさに振り向くと背の高い男性が箱を手に立っていた。


 (うわ、なんなのこの人外でハイスペックな人は。人造か?)


 圧倒的な美形は・・・正直怖い・・・。人なつこい目をして見られているが、顔が引きつりそうになる。だがここは経験の成せる技、“秘技営業スマイル”を張り付かせる。


 「ありがとうございます。助かります」

 

 ペコリと頭を下げてお礼を言った。


 「お礼は要らないよ。むしろこちらがお礼を言う立場だ。ありがとう、竹崎を手伝ってくれているんだろう、瑠璃」


 (え? 私の名前?)


 「・・・会いたかった」


 「ぶほっ」


 超絶美形サンに手加減無しに抱きしめられる。


 「ぐ・・・ぐるじい・・・ギブ、ギブ!」


 かろうじて動く手で超絶美形変態男サンの体をぽこぽこと叩く。本気で息の根が止まるかもと感じ、ふと両親の顔が脳裏を横切りそうになったが、寸での所で解放された。いや、解放はされていない。肩で息をしながらこの超絶美形変態暴力男サンに尋ねた。


 「えっと・・・あの。私の事をご存知なんですか? あ、もしかして、余暉サンが言ってた、今日から来られるというお手伝いの方ですか?」


 そう私が尋ねれば男性はぷっと笑いだした。


 「そうだね。そのとおり。お手伝い要員だ。よろしく、私の事は(れん)と呼んで」


 満面の笑みで自己紹介をされるが、顔が近すぎて、怖い。


 「蓮サン、野田瑠璃です宜しくお願いします」


 両手で蓮サンというこの男の人の胸を突っ張りながら、改めて自己紹介をした。


 「・・・蓮だ。蓮だけでいい」


 「え、いや、初対面ですし、流石にちょっと無理です」


 無理な注文を言うこの超絶美形変態暴力我儘男サンは、私の拒否に怯む事無く、むしろ積極的に名を呼べと迫って来る。


 (元々抱き寄せられていて近いのに、更に近づいて来ないでー!)


 「慣れればいいんだな? では素直に蓮と呼んでくれるように、互いの事を分かり合えるまで二人きりで過ごそう」


 「は?」


 「蓮様。しょっぱなからセクハラ発言してんじゃねー。瑠璃ちゃんがフリーズしているだろうがよ」


 顔を引きつらせた余暉サンが立っていた。


 「チッ。余暉(よき)か、どこかへ消えろ。私はこれから瑠璃と語り合わねばならないのだ」


 蓮サンは忌々しそうに余暉サンを睨みつけながら、本気で今にも私をどこかへ連れ去りそうだ。蓮サンの腕の力が強くなったのを感じ焦った。


 「ねばならないって、何ですか! どうして名前を呼ぶのにそんな必要が!?」


 今度は蓮サンは私に顔を向け、もの凄く奇麗な笑顔で微笑みかけて来る。まるで目から星が零れ落ちるようだ。


 「ん? どうしてって瑠璃が言ったではないか。互いの事を知らないから私の名を呼べないと」


 「!!」


 「私は瑠璃には蓮と呼んで欲しいのだが、先に互いの事を知るのも悪くはない、いや、むしろ瑠璃の考えが正しいと思って実行に移そうとしているだけなんだ」


 「蓮様、それは徐々にってことで性急にそんな関係を迫られたら普通は引くだろうが! そんなに嫌われたいのか?」


 余暉サンの方もイライラと蓮サンを戒めているっぽい。だが、余暉サンの言葉に蓮サンが驚いたようで


 「なぜ嫌われるんだ? 私は瑠璃のものなのに」


 (あたたた。折角のハイスペックな外見が、もったいない事だなぁ)


 「蓮様。あんたはアホですか。コッチに来てからアホになっちまったんですか? イタいですよ、あのクールな蓮様はどこへ行ったんですか。いいからちょっとコッチへ来い」


 敬語なのか命令なのか言葉がごちゃごちゃになって、痺れを切らしたような余暉サンは蓮サンを力づくで私から引きはがし、少し離れた所で何やらゴニョゴニョと話をしている。


 暫くそんな二人を見ていたが、言い争っている二人の後ろ姿を見ているのも時間の無駄だし、手持ち無沙汰な感が否めなく、蓮サンが脇へ置いていた箱を手に取るとウンショと持ち上げて箱置き場へと向かうことにした。丁度、二人はこちらに背を向けているので、私の行動には気づかないだろう、そう判断し、クルリと方向転換をするとこっそりと離れる事にした。


 「こーら。瑠璃、これは私が持つと言ったではないか。私が側に居るのにお前に持たせる訳ないだろう。ほら貸しなさい」


 (一体いつの間に来たのよ! 気配無かったわよ!)


 背後から長い手が伸びてきて、一歩も踏み出す事無く蓮サンに箱を取り上げられてしまった。


 「返して下さい。これ位いつもやってますから大丈夫ですよ。それに蓮サンは・・・う・・・」


 蓮サンがものすごく悲しそうな顔で私を見てる。クーン、と言っているみたいな錯覚を覚える。


 (どうしてそんな顔するのよー! 何か私が悪い事したみたいじゃないの!)

 

 「そ、それに、れ、蓮サンは・・・」


 (・・・)


 「・・・蓮」


 ぱっと蓮サンの顔が明るくなった。


 「蓮サン」


 再び悲しそうな顔


 「蓮」


 ニコッと子犬がハニカんでいる。


 (う、眩しい。眩しすぎる。たった名前の呼び方一つで、そんなにも嬉しいものなのかしら?)


 「はぁ・・・。じゃぁ、蓮、この箱お願いします」


 負けた。私の負けよ。この、もの凄ーくいい笑顔、まるで、子犬が母犬に対して、褒めて褒めてーと尻尾をブンブンと振り切りそうな勢いで振って、つぶらな瞳で見上げられ(この場合は見下ろされ)ている気分。


 「ごめん瑠璃。困らせるつもりは無かった。瑠璃の希望通り二人きりで互いの事を理解し合うことをしたかったのだが、それは次回まで我慢するから」


 コテンと小首を傾げながら蓮が吐露する。


 「全然信用できないっつーの。それよか、ほら、その箱よこせ、一緒に置いて来てやる」


 ずいっと私と蓮の間に分け入ってきた余暉サンは、箱を蓮からぶんどった。


 「(嬉しいのは分かるが程々にしろ。嫌われて近寄れなくなってもいいのか?)」


 蓮とすれ違い様に何やら余暉サンが小声で話をすれば、蓮の顔がグキッと固まった。そして蓮は小刻みに首を横に振っている。


 「なら、そういうことで。瑠璃ちゃん、蓮様のことよろしくね」


 「あ、はい。・・・あり、が、とうございま、す?」


 「あははははははは。いいって、じゃ、直ぐに戻るからな」


 余暉サンはそう言って去って行った。


 「あ、あの、れ、蓮・・・。既にお聞き及びかと思いますが少し前から竹崎サンのお手伝いをさせてもらっています。宜しくお願いします」


 「うん、こちらこそ宜しくおねがいします。驚かせてすまない。つい嬉しくて己をコントロールできなかった、許してくれないだろうか」


 そう言ってなぜか再び私を抱擁する蓮に体が固まった。


 「が、外国にでもいらっしゃったのですか? 挨拶にハグをされるとは」


 「そうだね、そう、そうなんだ。最近、コッチに来たばかりなんだ。家の手伝いをすることになってね。これからもちょくちょくココには出入りするから会う事があるかもしれない、その時は宜しく頼む」


 また抱きしめられた。私は慣れないハグのせいで、きっと真っ赤になっているだろうという自信がある。顔を見られたくないので伏せながらも、両手に力を込めて蓮の胸を押し返す。


 「もしかして嫌だった?」


 悲しそうな顔で首を傾げて蓮が私を見ている。


 「い、嫌とか、そういうのではなくて、こういう事をする習慣がないもので、正直、戸惑っています」


 「そうなんだ。じゃ、これから追々慣れれば良い、ね」


 (追々? この人は一体何を言っているのだろうか・・・)


 私は話題を変えるべく気持ちを切り替えた。


 「えっと、じゃ、蓮。作業部屋に行きましょう。案内します」


 もうじき30歳を舐めてはいけない。気持ちを切り替えるのも年齢とともに上手くなるのだから。


 「うん、頼む。はい」


 蓮は素直のに頷いて、それから・・・・なぜか手を出したので私は意味が分かるまでに少し時間を要した。じーっと差し出された蓮の手を見ていたら、その手が伸びてきて私の手を握った。


 「私がこうしたら瑠璃はこうやって手を握るんだ、いいね」


 まるで決定事項のように言われる。だがそれが何やら普通で素直に頷いてしまった。


 「さ、連れて行って。これで、はぐれたりする心配はないから」


 (一本道だし、はぐれる事なんてないんですけどねー)


 私は細かい事は気にしないようにし、うんと頷くと蓮の手を引きながら竹崎サンのいる部屋へと向かった。





 私と蓮が手を繋いで作業部屋に入ると、竹崎サンが微妙な顔で蓮を見ている。


 「何か言いたい事は? ・・・蓮様」


 「別にない」


 蓮の素っ気ない回答に、ふんっと鼻を鳴らす竹崎サンと、蓮の間に流れる微妙な空気に居たたまれず、そろりと蓮の手から抜け出そうと試みた。


 「どこへ行く瑠璃。私も手伝う。私はお手伝い要員なんだから」


 「あははは、蓮・・・様。その、手伝うと言われましても・・・・」


 「蓮。さっき約束したと思ったのだが? ただの蓮だから。蓮って呼んで」


 (だってー。余暉サンも竹崎サンも蓮の事を“蓮様”って言ってるのに、言える訳ないじゃない。察してよー)


 グイグイと高い位置から蓮が詰め寄って来る。私は手を掴まれていて逃げられず、間近で蓮の顔を見る事になってしまった。


 「えっと、あたなは竹崎サンがお仕えしているという、この会社の創業家の人なんでしょ? 私、この会社の社員なんです。だから、本当は貴方の事は呼び捨てにしたくないんですけど。対外的に問題があるんじゃないでしょうか」


 私の懸念を聞いても尚、蓮は首を振ってしつこく名前を呼ばせようとする。


 「蓮様、女性に対して無理強いはよくありません。何ごとも少しずつ歩み寄るのが長続きするコツでございます。急いては事を仕損じまするゆえ」


 竹崎サンが蓮にもの申しているが、蓮はちらりと竹崎サンを見ただけだった。そして直ぐに私に向き直り、子犬の様な期待した顔で見つめて来る。


 (や、やめて! そんな目をしないで!)


 「れ、れ、れ、れ、ん。蓮!」


 「はい。良く出来ました」


 後ろへと反り返っていた私の体をもう片方の手で支えるとそのままぐいっと抱きしめられる。


 「蓮様! 嫌がる婦女子に無体は許しませんぞ。その様な事をしたら瑠璃ちゃんのお弁当は食べさせません」


 「なに? お前に何の権限があってそんな事を・・・」


 声を荒げる竹崎サンが伝家の宝刀とばかりにお弁当の事を言えば、蓮も眉を吊り上げて憤っている。


 「ふん、私は既に昨日頂きましたが非常に美味しぅございました。今はそのお弁当は余暉が管理しておりますので、手出しはできませんぞ、ふぉっふぉっふぉ」


 勝ち誇った様な竹崎サンの笑い。


 (何やら低次元での言い争いのようなのですが、たかがお弁当、どこかの凄い料亭が作っているわけでもありませんし、何をそんな私の弁当ごときで言い争いができるのでしょうかね)


 ギリっと蓮から歯ぎしりが聞こえてきた。何か面倒だなと思いつつもこの場を納める為に私は口を開いた。


 「あのぉ・・・竹崎サンも、その、れ、れ、蓮もその辺にしておいてください。たかが弁当に何もそこまで・・・」


 「いいえ、そんな事はありません」


 「いいや、そんな事はない」


 今度は二人同時に言い切った。


 「う・・・正直言って身の置き所がないのですが、まずはですね、作業をあとちょっと続けてからにしましょ。ね、じゃ、れ、蓮、私を手伝って下さい」


 そう言うと蓮がキラキラと目を輝かせて頷いた。


 ということで今、私は蓮と一緒に作業をしている。どちらかが箱を開ければ、残りのどちらかが中身を取り出し棚に並べる。そして箱に貼付している紙をはがして棚に貼る。最後に箱を畳む。


 「二人でやると意外と作業は捗りますね、蓮、ありがとうございます」


 先ほどまで一人でおっかなびっくりと丁寧すぎる程にやっていた事が、蓮が手伝ってくれる事により安心感が増してどんどん作業が進んで行く。


 「どういたしまして。私は瑠璃に頼られて嬉しいよ」


 そう言ってにっこりと眩く美しい笑みを返してくれる。照れくさくて顔を背けたくなる程だが、もうじき30歳を舐めてはいけない、腹をくくれば大体の事は乗り越えられるのを知っているのだ。私も負けじと蓮には及ばないがニコッと笑ってみせた。


 するとどうだろう。蓮がフリーズしている。


 蓮の顔の前でヒラヒラと手を振ると、ようやく我に返った蓮に抱きしめられた。


 「うぐぅ・・・」


 蓮の胸に顔を押し付けられ息苦しく、思わずバンバンと蓮の背中を叩く。


 「あ、すまない、大丈夫か?」


 腕の力を緩めてくれたので私はぷはっと顔を上に向けてパクパクと深呼吸をした。


 (新鮮な空気ー。酸素ー。はぁ生き返る) 


 その私の後ろ頭を蓮の手が支える。


 「・・・キスしたい。だめ?」


 蓮の頬にうっすらと朱がさし何やら怪しげな色欲を含んだ瞳をこちらに向けている。私は頭を固定されているのでまともにその顔を見る事になってしまった。同時に蓮の匂いを感じ、ドクリと大きく心臓が跳ねる。


 (ちょっとぉ! 女性の私以上に色っぽいってどういうこと? 思わずときめいてしまったじゃないの! じゃなくて、キスって何!?)


 逃れられないこの状況に私の頭はパニックに陥る。頭の中が真っ白に飛んでしまいそうになるのを必死に抑え込み、果たしてどうやって抜け出そうかと必死に冷静に考えを巡らそうとしたその時、


 「はーい、タイムアップ! そこまでー! 瑠璃ちゃん、お腹空いたー! 蓮様は放っておいて食べようよー」


 パンパンと手を叩きながら余暉サンがやてきて、危機一髪、私を救い出してくれた。


 「蓮様。こんな所で何をやってるんだ。壊れたら困るものばかりだろうが。・・・ってか、嫌われろ」


 「余暉の言う通りです。嫌がる婦女子に無体をするとは、実に情けない。やはりお弁当はなしで・・・」


 「食べる! 食べるに決まっているだろう! 瑠璃の作ったモノを私が食べられないなどあってはならない事だ!」


 黙っていれば十人中間違いなく十人を惹きつけるルックスをしているのに、この数々の発言が蓮の致命的に痛い所のようだ。そうではあるが、床に座り、まるで子犬が目の前でオモチャを取り上げられそうになって助けを求めているかのようにこちらをじっと見る蓮の顔から目が離せなくなってしまった。


 (いいえ、まるで、まるで・・・「拾って下さい」と書かれた紙を貼付けておかれたダンボールの中に居る子犬のようだわ。このつぶらな瞳・・・なんてかわいいの)


 思わず「お手」と言って手を出してしまった。蓮は嬉しそうに目を輝かせると、私の手を両手でギュッと握った。そして蓮がリードして私たちは一緒に立ち上がると、腕を引かれてクルリと回転させられ、そのまま蓮の腕に格納されてしまった。背後では余暉サンと竹崎サンが何やらゴニョゴニョと言っている。


 「(いま「お手を」じゃなくて「お手」と言わなかったか?)」


 「(ふむ、お前もそう聞こえたか。どうやら聞き間違いではなかったようだな)」


 今更撤回はできない。子犬に見えて思わず言っちゃったなんて・・・。

 既に蓮は満面の笑みで私を背後から抱きすくめているのだから。私はちらりと後ろに顔を向けてニコリを微笑む。


 「ね、蓮。あなたももちろん一緒にどうぞ。だって一緒に作業したんだから対価は支払われるべきでしょ。それが、私のお弁当で申し訳ないんだけど」


 「何を言う。瑠璃のお弁当以上の対価があるものか」


 蓮は私の頭にキスをしたようだ。


 (し、心臓に悪い・・・)


 心臓が激しく動悸を始めたようだ。自分でも分かる程に激しく脈打っている。


 「どうしたのだ瑠璃。鼓動が早くなったようだが」


 ふと圧迫感を覚え胸元を見れば蓮の手が私の胸に置かれているのが目に入った。


 「な、、、な、、、きゃーーーーー!」


 人生で初の出来事に、私の緊張の針が振り切れ、そこで私の意識がぷつっと途切れた。

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