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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第三章
26/43

26

 「それでね、お義母様から色々と」


 「ふふふ。お義母様もご心配なのでしょうね」


 今、私は父と母、それに蓮と一緒に夕食後リビングで寛いでいるところだ。今晩の話題は、日中、会社でお会いしたお義母様の講義内容についてだ。


 「超巨大企業のトップの奥様というのも、色々と大変なのね」


 私の話を聞きながら母はほぉっと溜め息をついている。自分の立場と比較をしているのだろうか、目が宙を彷徨っていて何やら物思いに耽っているように見える。しばらくすると、そのまま私に視線を移し、これまた、ほぉっと溜め息をついた。言いたいことを言わずに目線だけで語るという器用な事ができるのも母だ。私をかすめた視線だけで、何を言いたいのかビシビシと伝わって来るようで、どうも居心地が悪い。このままだと、私に不都合な話が出て来るかもしれないと先回りをして蓮に話を振る事にした。


 「ね、蓮。あなたは、お義父様から別会社を作れば、なんて言われてたわね」


 蓮へと顔を向ければ文字通り肘掛けに肘をついて顎を乗せていた蓮が、ピクリと反応を示す。僅かばかり表情が動いた気がしたけれど、気のせいだったのだろうか。


 「・・・ああ。少し前から言われていたんだが、継ぐ事については、父自身があまり執着している訳ではないので好きにしろという意味だろう」


 思ったよりもあっけない感じだ。独立する事に興味は無いのだろうか。少々意外な気もする。


 「自分で会社を作る時には、・・・瑠璃も一緒がいい」


 あらら。蓮ってば、思ったよりも私に固執しているのかしら。


 「私も一緒にって考えてくれるのは嬉しいわ。でも、やりたい事があるのならば、私とは切り離して考えた方がいいのではなくて?」


 私が言い終わる前に、クワッと目を見開いた蓮は身を乗り出して早口で捲し立てるように言い放った。


 「それでは、駄目なんだ。それとも、瑠璃は私と別れたいと?」


 「誰もそんなこと一言も言ってないわ! 会社の事でしょう? やりたい事があるのなら、どんどんやるべきだって言っているの。私が原因で蓮が二の足を踏んでいるのならば、心苦しいもの。でも、私が必要だって言ってくれるなら協力は惜しまないわ。幸い、私には、新しく何かを成し遂げたいというものはないし」


 「あー。蓮君、ちょっといいかな。悪いんだけど書斎に来てくれないだろうか」


 私と蓮が口論に発展しそうになったのを察知したのか、父が蓮を連れてリビングを出て行った。その後ろ姿を見送りながら、なぜ蓮がいきなり別れたいのか、なんて言うのか全然思い当たず、私ははぁっと溜め息をこぼしてしまった。


 「お母さん、蓮、何だかおかしくない?」


 「・・・そうねぇ。何か、思う所があるんでしょうね。ほら、お義父様との約束があるってお話だったでしょ」


 そうか・・・。きっと私の分からないところでお義父様と蓮との間で何かやりとりがあったのかもしれない。お義父様と蓮との約束で、それに関する何かが・・・、蓮が思い詰めるような何かがあったのかもしれない・・・。その事でひとりで悩んでいるのかしら。

 きっと言えない事なんだろうけど、少し蓮が遠い存在に感じてしまい寂しく思う。こういう時、どうすればいいのか、とんと見当もつかないけれど、さっきの会話から蓮が恐れている事は、私と別れる事だというのはわかった。ならば、しがみついてでも一緒にいるからと伝えれば良いのだろうか。


 「お母さん。私、どうすればいいかな」


 「そうね。難しいわね。お約束の内容は聞いていないのよね。聞いてみた事はある? もし、聞いてみて、話してくれなそうなら『待つ』しかないのかもね。意外とall or nothingの性格しているあなたには、難しいかもしれないけど」


 「むー。何だか酷い言い方だわ。機微を理解してあげなさいってことでしょ。できるわ、それくらい。・・・たぶん」


 語尾がだんだんと弱くなっているのは自覚している。母が言いたい事は頭では理解しているけれど、曖昧なままで長く待つ事ができるかどうか、少しばかり自信が無いのも分かってる。


 「これは、試練だと思って頑張るもの」


 子どもみたいに、ぷーっと膨れっ面にはならないけれど、そういう気持ちだ。でも、知りたがりは、私の好奇心を満たす為のモノでしかないし、ここは蓮の気持ちを優先すべきところだということは、さすがの私にも理解できるから母が言うように『待つ』しかないのだろう。でも、その前に一応聞くだけ聞いてみようとは思ってはいるけれど。


 「大人への階段ね。ほほほ」


 私の気持ちを知ってて、楽しそうに言う母を恨めしく見ながら心の中で『平常心、平常心』と呪文のように唱えていれば、そのうち本当に落ち着いて来た。


 「お茶でも飲んでゆっくりなさい。まだ始まってもいないのよ。今からそれじゃ、先が思いやられるから」


 茶葉をかえ、入れてくれたお茶を手に取り一口含むと、いい香りが鼻腔をくすぐり母の言う通り心が凪いで来る。


 「ねぇお母さん。夫婦って何なのかなー」


 思わず口をついて出た言葉ではあったが、私自身の求める答えがそこにあるような気がした。問われた母といえば、穏やかな表情のままではあるが、ゆるく眉根を寄せている。


 「難しい質問ね。・・・そうね、色んな形があるから一概にこうとは言えないけれど、少なくとも互いに好きあって結婚したのであれば、一緒に居たいから、ということでしょうね」


 「じゃ、離婚する人たちって一緒に居たくなくなったってこと?」


 「離婚した事無いし、離婚したいと思った事ないからお母さんには分からないけれど、そう言う理由もあるんじゃないかしらね。一緒に居たいという目的が、いつの間にかどこかで別の目的にすり替わってしまったとか、かしら」


 「例えば、互いに仕事が忙しくなってそちらにばかり時間をかけて、夫婦一緒にいられないのなら、結婚している意味も無い?」


 「そうねぇ・・・。仕事と家庭を天秤にかけるのは本当はしてはいけないんだと思うんだけど、さすがに一週間顔を会わさないとなると、待っている方が辛いかもしれないわね」


 いままで穏やかな表情だった母がこの時はキュッと苦しそうな顔をした。


 「お母さんは働こうって思った事ある?」


 「あら、お父さんと結婚する前はお母さんも働いていたのよ。お祖母様もお元気でいらっしゃったし、お父さんも反対はなさらなかったし。仕事を辞めた理由はね、私のやりたい事があったから」


 ずっと専業主婦だと思っていたので会社で働く母の姿が想像つかない。母は、ふふっと含み笑いをしてお茶を飲む。そして淡々と話し始めた。


 「その頃には、お父さんの仕事が段々忙しくなって来て、同じ家に住んでいるのに、会う事すらままらなくなってきていたの。お父さんもその事は、とても申し訳なさそうにしていらしたけど、でも、家族を、家を継続させるためには働かなくてはならないの。・・・かといって、家に帰る時間もままならないくらいに仕事をする必要も無いとは思うんだけど、お金を稼がなければ日々の糧は得られないし、考える度にどうしたら良いのか分からなくなって、お父さんともよくよく話し合ってみたわ。ーーーちょうど、折よくと言えば良いのかしら、あなたを身籠った事もあって私は仕事を辞めたの。辞めない選択肢もあったけれど、子どもができて良く分かったんだけど、理想を追い求めるだけでは立ち行かないって思って、この子を幸せにするにはどうすればいい? って考えて、優先順位をつけてみたら、状況が許すならば仕事を辞めて子どもと一緒にいたいと思ったの。お父さんもお祖母様も賛同してくださって、したいようにすればいいっておっしゃって下さったから、躊躇う事無く辞めれたわ。子育てしながら思ったけど、仕事と育児、家庭をバランス良くこなすにはひとりでは無理。うちは幸いな事に、お祖母様も佐用サン、佐奈サンも居てくれたから私はとても助かったけど、人一人を育てるのは本当に大変な事よ。ただご飯を与えて飢えさせないようにしていればいいってものではないし、人としての成長は教育するしかないの。大げさでも何でも無い、親には生きて行く術を身につけさせなければならない責任があるの。でも親も人間だし疲れる事もある。そう言う時、一人じゃないって周りに支えてくれる人達が居てくれて心強かったわ」


 結婚するまでは夢を見てられる、けれど、結婚したら途端に現実を見なければならないーーー。いかに自分を変えていけるのか、柔軟に思考や行動を変えられるのか、まだ現実を知らない私が想像できないほど母はもの凄く悩んで悩んで出した答えだったのだろう。

 一見すると柔和な世間知らずのお嬢さんだったのかなと想像してしまいそうになるけど、母もまた一朝一夕に出ない答えにもがき苦しんだなんて初めて知った。


 「瑠璃、悩みなさい。考え続けなさい。あなたが求める答えはあなたにしか出せないの。他の誰の人生でもないのだから。そして、相談する相手は蓮君よ、間違えないでね。二人でよぉっく考えなさい」


 想像できない重圧感を感じ、ずんっと気が遠くなりそうになっていると、母は最後に、ほほほーと実に楽しそうに笑ってくれた。


 私と母がリビングで話をしている頃、父と蓮もまた何やら難しい話をしていた。



  ***   ***



 書斎に入ると二人は直ぐに互いに向かい合ってソファに座った。


 「青蓮(せいれん)様、どうかなさいましたか」


 瑠璃の父である理一郎は自分と蓮しかないないのを分かって蓮の本名である青蓮と呼びかけた。


 「天帝は一体何をおっしゃったのでしょうか」


 そう言う理一郎はどこから取り出したのか、古い数冊の本を持っていた。


 「別会社をとおっしゃったことに、何か意味でもあるのでしょうか」


 青蓮が黙ったまま応えないので、理一郎は立て続けに問いを続けた。ようやく重い表情で青蓮が顔を上げて理一郎を見つめながら口にした答えは、理一郎を驚かせるのに十分なものだった。恐らく、理一郎がこれまでの人生で最大に驚いた事だろう。


 「父のいう別会社とは、こことは違う別の世界を創れということだ。約束の期限までに父の課した課題を見つけ出し解決せねば、瑠璃との婚姻は認めぬとおっしゃっている。その課題を達成できぬ時には、この世を去り別の世界、異世界を自ら創りそこを統べてみてはどうかとの仰せだ」


 「な、なんと・・・、そのようなことが・・・」


 想像すらしていなかった答えに、理一郎も言葉が出て来ないようだ。だが、さすがに社長という肩書きは伊達ではない。すぐさま態勢をたてなおすと再び質問を口にした。


 「その場合、瑠璃はどうなるのでしょうか。婚姻を認めないと仰っているのならば・・・」


 「連れてはいけぬ。なぜなら、瑠璃は父の創りしこの世界のものであるから全く別の界には渡れぬ」


 「し、しかし! 今でも現世と天帝のおわす所を行き来していると・・・」


 「それも父が創った所だ。全くの異世界ではない」


 「ならば、瑠璃はどうなるのでしょうか!」


 「瑠璃は・・・」


 理一郎の叫びにも似た問いに、青蓮も言葉を続ける事ができずにいた。


 「石に変えられた“瑠璃”を我が身に取り込み、子々孫々へ受け継いで行くことが我が一族の(じょう)なり。ーーー取り込みし石はいずれは“瑠璃”へと戻り、天へと返す時が来るだろう。我が子孫達よ心せよ」


 古い本を開き理一郎が読み上げた。そして青蓮を見つめる。理一郎のその表情は言葉では何とも言い表せない複雑な表情で、青蓮はついっと視線を外してしまった。


 「青蓮様、これはどういう意味でしょうか。私は文字通り瑠璃を天へ返す、いわゆる、あなた様へ妻として差し上げるものだとばかり思っておりましたが、どうやら他の意味があるように思えてなりません」


 「理一郎。ことは急を要す。父は期限を教えては下さらなかったが、確実にある。別世界へと誘う言葉をかけられたのがその証拠であり、その期限は近いということだ」


 「青蓮様。瑠璃はどのような形で天へと返すことになるのでしょうか。私どもが親として納得のいく形なのでしょうか」


 理一郎は縋るような表情で、青蓮に答えを求める。


 「かつて其方達の祖先と私は賭けをした。石が“瑠璃”に戻るのが先か、私の心が戻るのが先か。・・・なぜそうなったのかは、少しばかり昔話をせねばならないが、私は適任ではない。今宵、月見の部屋へ参れ」


 要するにこの場では答えを得る事が出来ないのだと理一郎はさとった。



  ***   ***



 理一郎が降り立ったその場は、満月にはほど遠い痩せた月が淡く照らし、前栽の情景を浮かび上がらせるには十分で美しい様子を見せている。が、どことなく物悲しい月明かりでもある。まるで、今の自分の心のようだと思う。


 「来たか、理一郎」


 「はい。瑠璃も一緒なのですね」


 青蓮と共に理一郎の娘の瑠璃も一緒にいるようだ。影が二人分の大きさを写し出している。近づくと弱々しい月明かりの中でも表情が見て取れるようになった。


 「お父さん、こちらでお会いするのはお久しぶりですね」


 にっこりと微笑む瑠璃の顔は穏やかで、愛する青蓮の腕の中でリラックスしているのが見て取れる。理一郎は自分の気持ちを出さないように気をつけながら瑠璃へと頷いてみせた。


 「早速だが、母上がお呼びだ。参るぞ」


 宙を見つめて青蓮がそう言い終わると、その場に居た3人はいつのまにか場所を移動していた。そこは瀟洒(しょうしゃ)な調度類が置かれた絢爛(けんらん)な部屋だった。いや、部屋と呼ぶには余りにも広い、そう、広間のような場所だった。


 「ようこそ。(わたくし)の部屋へ」


 鈴の音のなるような美しい声がしたかと思えば、そこには一人の美しい女性の姿があった。


 「母上。瑠璃とその父、理一郎が参りました」


 青蓮が恭しく二人を紹介する。そう、この女性は青蓮の母、いわゆる神妃(しんぴ)と呼ばれるその人だった。瑠璃も現世では会ってはいるが、天帝のおわす所で会うのは初めての事だった。その身から出る圧倒的な存在感と、そのあまりの美しさに理一郎と瑠璃は思わずひれ伏してしまう。そんな二人の様子を見て青蓮の母、神妃はコロコロと楽しげに笑いながら顔を上げるようにと言う。理一郎と瑠璃はおそるおそる顔を上げ直視しない程度まで姿勢をおこした。


 「神妃様におかれましては・・・」


 「まぁまぁ、それほど固くならずとも良い。其方達は私の息子の内室とその父であろう? ならば遠慮は無用じゃ。それ、茶菓子を供せよ」


 神妃が扇を振るとふわりと天女のような女性らが現れ、次々と茶や菓子などを目の前に並べて行く。その女性達のうちの一人が瑠璃に近づいて礼をする。瑠璃がその女性を見るとふわりと笑みをこぼした。


 「佐美サン、ですね」


 そう瑠璃が問いかけると


 「はい。然様でございます。こちらでもそうお呼び下さいませ、瑠璃様」


 佐美サンは美しい所作で全員の茶を供し、部屋の隅に控えた。


 「さ、召し上がれ。(わたくし)自慢のお茶とお菓子よ」


 こちらでも神妃はお菓子好きらしく、それはそれは美味しいものだった。


 「大変美味しゅうございます神妃様」


 瑠璃がそう答えると、神妃はゆるゆると首を振り少々不満気だ。


 「もう忘れちゃったかしら瑠璃ちゃん。神妃ではなくお義母様って呼んでちょうだい」


 いたずらっぽい表情で神妃が瑠璃に向かってリクエストすると、昨日の昼間の事を瑠璃は思い出した。あの時も奥様と呼んで訂正されていた。


 「はい。ではお義母様とおよびいたします」


 そう答えると、うんうんと満足そうに神妃は頷いていた。


 「さて母上。茶菓子もよろしいのですが、理一郎にあの話を」


 「おお、そうじゃったな。時の経つのは何とも早い。我らにはあっという間の出来事であった。其方等の祖先に出会うてから、かれこれ1,000年以上というくらいしか覚えてはおらぬが、あ、いや、5,000年ほどか? ふむ、まあ、そのくらい其方等に取っては大昔の話ということじゃ」


 そして神妃による昔話が始まった。


 それは青蓮がまだ幼い、背丈がまだ4尺ほどの頃のお話。

 あの頃は、我等とヒトとの距離がまだ近かりし時代であった。青蓮が誕生したあたりから、この星の支配は天帝によるものから徐々に自然発生的に産まれ出た種族へと移され始めておった。そう、いわゆるヒトと呼ばれる者達が台頭してきておってな、天帝の思し召しによるものか我らと似た形になりおった。そうなると不思議と親近感が湧く。天帝は度々自ら人界へ降りて知恵をお授けになっておられた。

 ある日、自分も連れて行けとねだる青蓮を連れ、天帝が人界にお降りになった。(わたくし)は、やんちゃな子どもであった青蓮の事が心配での、何かしでかすのではないかと案じておったよ。(わたくし)は水盤で青蓮の様子を窺っておった。ふふ。案の定、好奇心が大きすぎて、いらぬ事をしてしまった。

 覚えておるか? 覚えておらぬ? そうか? まぁよい。

 その事で日頃、穏やかな天帝がお怒りになられた。

 ん? 何をしたかと? 

 それはな、ヒトが望むままに死んだ者を生き返らせてしもうたのだ。それは(ことわり)に背く行為であった。理とは天帝が定めしルールじゃ。出来るからと言って下手な事をしてしまえば、世の中が混乱し、ようやくヒトが、ヒトとしての理念を築き始めておったのに崩壊しかねん。

 どうじゃ? 思い出したかえ? そう顔を顰めるでない。ふふふ、まあよい。

 そんなわけで天帝は青蓮に蟄居を申し付けられた。父や母のおるこの界だけの悪戯であればまだしも、人界には下手に干渉はしてはならん。そうよくよく含み置かれ己の屋敷へと青蓮は引きこもった。

 だがな、まだ子ども故、体を動かさねば退屈をする。青蓮は体が屋敷を出なければよいのだと考えたのであろうな。そこで、幼い青蓮は意識を飛ばす事にしたようだ。しかも人界へとな。意識は鳥へと入り、自由に飛び回っておったようだ。ただ鳥は夜は目が利かぬ。青蓮はそのことを気付かずに、見つからないようにと夜を選んで飛び回った。最初は青蓮の目論み通り、ヒトにも我らにも見つかる事は無かった。だが青蓮が度々意識を入れる鳥に異変が起きるようになっておった。青蓮が入っている間、青白く光るようになっておったのだ。我が身の事は己では気付きにくい。青蓮は最も目立つ事をしておったことに気付かなんだ。ほほほ。それに幼いゆえ、まだ自由に力を制御することはできなんだ。

 かわいかろう? そこに澄ました顔で控えておる青蓮と同一とは思えぬ程に稚拙であったことよ。

 その頃には人界で光る鳥の噂が広まっておったようでな、見てやろうと思う強者や神の怒りかと恐れる者などがいたそうだ。見た者が神人(じにん)に、あれは天帝の鳥ではないか? などと知らせ、神人が我らに相談に来て、初めて光る鳥の存在を知った。

 神人(じにん)とはか? そうよの・・・神職とでもいうのかの。我らとヒトとを繋ぐ者達のことだよ。

 晩になり水盤を通して見れば、呆れた事に吾子(あこ)が飛んでおる。天帝と(わたくし)は直ぐに人を遣り青蓮を目覚めさせようとしたが、時既に遅く、揚揚(ようよう)と得意げに人家近くを飛んでおった光る鳥は、ヒトの子が投げた石に当たって落ちてしもうた。

 幸いにも、すぐに神人(じにん)が鳥を捕らえ、我らの所へと持って参った。石で撃ち落とした子も一緒にな。子は訳が分からず震えておったぞ。

 (わたくし)吾子(あこ)が気が気でなく、情けなくもその場で崩れ落ちてしもうた。天帝は神人の持って来た鳥と目覚めぬ青蓮を並べさせ、(じか)に目覚めを呼びかけられた。幾許(いくばく)も無く、鳥も青蓮も目覚めた。鳥は至って普通の鳥に戻っておったが、青蓮は目覚める前とは違っておった。あれほど好奇心に満ちた目をしておったのに、目覚めた後は冷めた目をしておった。私が分かるくらいであったから天帝もお気付きになり直ぐに原因を探られた。・・・心が、心が欠けておったのだ。石を受けた衝撃で心が青蓮から剥がれ落ちたとおっしゃった。

 私はなるほどと思った。心が無いからこの様なぞっとする表情をしているのだと。何にも動揺しないばかりか、これまで好きだった菓子や遊びにも興味を無くしてしまっておった・・・。同時に初めて恐ろしいと感じた。吾子がどうなってしまうのかと、私は天帝に縋ったよ、元に戻してくれと。だが天帝は首を振られ、それはできぬ、とおっしゃった。ならば我が心を青蓮に上げてたも、と言うと天帝は毅然とおっしゃった。「其方の心は其方のもの、いくら血肉を分けた吾子でも別の存在よ。それに其方の心を取ったならば其方の心は誰が埋める? 我への気持ちも失いたいか?」と。

 天帝に言われ、(わたくし)の天帝への想いも消えるのかと考えただけで恐ろしく思った事を覚えておる。だが、私は諦めきれぬ。ならばどうすれば良いのかと尚も縋ったよ。天帝は暫く考えられたあと夜の庭に行かれた。そこの石を幾つか拾い戻って来られ、神人に褒美だと渡された。石を投げた子には特に咎めはせぬと仰せになり解き放たれた。

 神人は天帝から渡された石を眺めておったが「我は鳥を運んだだけ何もしておらぬので褒美はいらない」と言う。なんと欲の無い事かと、天帝も私も感心しておった。そこへ青蓮が、いらぬならこうしてやると、本物の石に変えてしもうた。

 その石かえ? 瑠璃じゃ。天帝は瑠璃を褒美として手ずから与えられたのじゃ。その瑠璃が神人の手の中で無機質な石にかわってしまった。なんと心無い事をと、これが心を持たぬ者の所業かと悲しくなった。

 天帝は静かに怒っておられた。挨拶もせずにさっさと出て行こうとする青蓮を(ばく)し、引き戻し、こう厳命なされた。

「自らの力で心を取り戻せ」と。

 青蓮は、心はいらぬと暴れてみせていたが天帝はお許しになられなかった。私はあのような姿で暴れる青蓮を見るのは初めてで、どうしたらよいのか分からず、情けなくも夫と子を見ながらオロオロとしておった。

 そこへ神人が口を開くのを申し出た。天帝はそれをお許しになり話せとおっしゃった。神人は青蓮の側に行き跪くと静かに話し始めた。青蓮ははなから聞く気はなかったようで、小生意気にもフンと顔をそらしおった。だが神人は気にする事無く淡々とした態度で青蓮に話しかけた。

 「青蓮様。ひとつ私と賭けをしませんか」と。

 生意気な態度をとっておっても所詮子ども。心はなくとも何か響くものがあったのだろう。青蓮は神人に向き直り、どう言う事だと問うておった。

 「今からこの石を私が飲み込みます。元は瑠璃であるこの石は、いつか我らの体内で瑠璃に戻るやもしれません。青蓮様が心を取り戻すのが先か、石が瑠璃に戻るのが先か、いかがです?」

 神人はニヤリと人の悪い笑みを浮かべて青蓮を挑発したのだ。更に「良い退屈しのぎにもなりませぬか」と畳み込めば、フムと考えた青蓮はこう言ったのだ。

 「私が勝ったらどうなる。何か得な事でもあるのか」

 何をまぁ生意気な、既に勝つ気でおると思っておったが神人はしめたとばかりに、

 「石が瑠璃になった時、その時のものが女子(おなご)であれば、青蓮様の御許(みもと)にお置き下さっても構いませぬ。男であれば(しもべ)としてお使い下さい」

 「女子(おなご)であれば私が妻にしても良いというのか?」

 「然様でございます」

 「ふぅん。良いだろう、その賭け、付き合ってやろう」

 青蓮のその言葉を聞いた神人は手に持っていた石を口の中に放り込み、本当に飲み込んでしまったのだ。

 「これで約束が成立いたしました。この時より青蓮様と我が一族の命をかけた賭けが始まりましたぞ。もう止めることは相成(あいな)りませぬ」

 「分かった」

 青蓮と神人の約束が成った後、天帝はこう仰せになった。

 「青蓮よ。神人の飲み込んだ石を受け継ぐ子々孫々から決して目を離すでないぞ。人は我ら以上に感情豊かな存在故、其方の助けにもなろう。そこでだ、万が一、瑠璃を持つ女子(おなご)を娶りたいと思ったならば、我が課題を課そう。それを解く事が出来れば許そうぞ」

 「解けなければ? もしくは、私が興味を抱かなかったらどうなりますか?」

 「私のところへ戻り在るべき所へ戻すだけだ。これは其方が負けた場合も同じこと。いずれも期限がある。その期限も課題に含む」

 今から思えば、その時既に天帝には今が見えていらしたのだと思うわ。ほほほ。見ぃて。青蓮のあの顔を。変な顔をしているわね。

 あの日から、青蓮は神人の中に眠る石を追いかけ続けておったよ。来る日も来る日も飽きずに、ようもまぁ見続けておった。途中、成長した青蓮にちょっかいを出そうとしてきた女人(にょにん)共もおったが、青蓮は全く側に寄せ付けなんだ。

 そこは安心して良い、瑠璃ちゃん。

 石は男にも女にも現れた。その石を受け継いだ者の特徴は夢渡り。天帝がかの者に授けた唯一の力でもある。最初こそ神人が語り継いでいたようだけれど、そのうちに力だけが残り伝唱は廃れてしまったようだ。我らの(ぐう)へ参る者はおらぬようになってしまった。

 青蓮も敢えて会う事はしなかったのであろう? そっと石の行方を見ておっただけなのだろう? だが、話には聞いておるが、間違えて姿を見せたことがあるとか? くくく、それほど恋焦がれる存在になったのには、何か訳でもあるのかえ? おお、そう言えば、その頃から急速に其方の心が充たされていたような気がするが、そうか、恋を知って心が戻ってきたか。だが、その執着は如何(いかが)なモノかのぅ。父に似たか? まぁよいか。

 して、青蓮。父上からの課題なるものは、何か分かったのかえ? もう答えは得たの?


 ここで神妃の話が終わった。


 青蓮は神妃の最後の問いかけに苦渋の顔になった。それを見た神妃は、おや? という顔をして見ている。


 「母上。課題は分かっております。瑠璃の記憶です。こちらの世界から現世へと戻る際、全ての記憶が無くなるのでございます。それを父上は取り戻せと仰せなのだと」


 「ふむ、課題は分かったのだけれど解く事が出来ぬと、そう言うの?」


 「はい。これまで何が原因でどうなっているのか、様々な方法を探りましたが芳しくありません」


 青蓮の言葉に神妃は考え込む気配を見せた。

 その時、声を発したのは理一郎だった。


 「あの、私に発言をお許し願えますか?」


 神妃はどうぞと話を促した。


 「我が家に代々記された書物がございます。その中に『取り込みし石はいずれは“瑠璃”へと戻り、天へと返す時が来るだろう。我が子孫達よ心せよ』とあります。恐らく天帝が仰せられている事なのだろうと存じますが、具体的にはどういう事になるのでしょうか。私は子の親として心配でなりません。もし神妃様がご存知でしたらお教えいただきたく存じます」


 理一郎はここでも青蓮に話した通りに答えを求める。その姿は子どもを守りたい親としての立場だった。その姿に神妃もさすがに揺さぶられたのかもしれない。軽く眉根を寄せると、一つ息を吐いて話し始めた。


 「いいでしょう。其方達の祖先である神人(じにん)には、(わたくし)も親として助けられました。青蓮が無事に心を取り戻せたのも、神人の機転のお陰、其方達一族の命をかけた営みのお陰です。神人の飲み込んだ石は見事成就しているわ。完全な“瑠璃”に戻っている。その石は元は天帝の庭にあったもの。大きな瑠璃の欠片なの。もし、青蓮が天帝の課した課題を解けなければ、天帝は瑠璃ちゃんから瑠璃を取り出しもとの瑠璃の岩に戻されるおつもりです。ただ、それをどうやって取り出すのか、取り出した後、瑠璃ちゃんがどうなるのかは(わたくし)では分からないわ」


 ごめんなさいね、と神妃は呟いた。理一郎は唇を噛んで俯き、何かに耐えているようだ。

 青蓮もまた苦しそうな表情をしている。


 「私が、私が瑠璃の記憶を取り戻せればいいだけです。瑠璃、必ずその方法を見つけ出し、其方を妻にする。私はもう其方無しでは存在する意味が無いのだ」


 「ええ青蓮。わたしも同じ気持ちよ。きっと、天帝様は二人で協力しなさいって仰っているんじゃないかしら。夕食後、母と話していた時、これからのわたしの相談する相手は蓮君よ、間違えないでって言われたの。ね、考えましょう」


 瑠璃が青蓮の手を握りしっかりと頷いてみせると、青蓮は神妃の前だということにも関わらずその腕に瑠璃を囲い込んだ。


 「ちょっ、ちょっと青蓮、お義母様の御前よ」


 慌てた瑠璃は青蓮を引きはがそうとしているが、逆に神妃は目を細めてそれを見ていた。


 「おほほ。構わないわよ瑠璃ちゃん。天帝なんてもっと酷い事をしたんだから、青蓮のなんてかわいいものよ。それに瑠璃ちゃんのお母様が仰っている通り、二人で考えなさい。(わたくし)と天帝も出来る限りそうしてきたの。意外でしょうけど」


 青蓮は神妃に背を押され、腕に抱えている瑠璃に顔を向けると問いかけた。


 「瑠璃。其方が現世へ戻る際、もしくはこちらへ来る際、何か変わった事は無いか?」


 青蓮が瑠璃に向かってそう問いかけると、瑠璃は何かを思い出すように目を泳がせる。


 「変わった事? そうね・・・、こちらへ来る際は特に何も、今日も直ぐに青蓮に会えたし、昨日帰る時、というよりも、いつもなんだけど、美しい・・・泉と思うのだけれど、水の中で(あぶく)と一緒に浮かんでいるの。ゆりかごのように心地良くてずっと居たいと思うんだけど、いつもある程度の時間が経つともう目覚めているわ」


 「泉だと? それはいつ頃からだ?」


 「ずっとそうだったから、私以外もそうだと・・・。お父さんも泉を通る?」


 初めて聞くその話に青蓮はひどく狼狽えているようだ。瑠璃は怪訝な様子で、理一郎に訊ねると理一郎も驚愕の表情をしている。そして首を振りながら答えた。


 「その様な所へ行ったことはない。母からもそのような事は聞いた事が無い。僕たちは自身の体に意識がすぅっと溶け込んで行くんだ。青蓮様、ひょっとすると、その泉というのが・・・」


 呼吸が荒くなっている理一郎が、青蓮に向き直る。青蓮は険しい顔のまま頷いて、理一郎と同じ考えだと告げる。


 「ああ可能性が高い。だが、一体それはどこにあるのだろうか。瑠璃の意識の戻る先の直前なのだろう? 私が共に行けるのだろうか。瑠璃、他に覚えている事は無いか? 色や、匂いや、何かそこから見えるものがあるのか?」


 問いかけに瑠璃は目を瞑り、目蓋の裏にいつもの光景を思い浮かべる。


 「水の色は・・・青、とても綺麗な青よ。いいえ、青く見えている、という方がしっくり来るかも。とても透きとおっていて下から泡が絶えず涌き出しているの。それくらいかしら・・・。今日帰る時にもっと注意して見ておくわ」


 結局、この日は解決できず、瑠璃が現世へと戻る泉の中を潜り調べて来るとし、それを次回確認することとなった。

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