25
「ぅおっほん。っほんほん」
何か音が聞こえたような気がして、私は体を動かそうとした。それを蓮は押しとどめるように、優しく私の頭を自分の胸にホールドする。
「気にしなくて良い。このままで」
「げほっ。ごほっごほぉ〜う」
「・・・蓮。どなたか苦しんでいらっしゃるわ」
「気のせいだよ。ここには私と瑠璃しかいないのだから」
蓮の腕の中で顔を上げれば、蓮は優しく微笑みながら私の頬を撫でる。そんな愛情を一身に受ける中、私の意識が蓮へと再び向かおうとする。
「うっうん。あーあー、ごほごほ」
誰かの咳き込む音が少し近づいて来ている気がする。
「でも・・・」
「しっ。瑠璃は私にだけ気を配っていれば良いんだ。私だけを見ていれば良い」
そう言って蓮は私の額にキスを落とす。
「分かっているわ。でも、気になるの」
「あーあー。ちょっと。君たち」
「見なくて良い」
顔を横に向けようとすると、強制的に顎を掴まれて蓮へと向き直される。
「ちょっとねー。君たちねー。特に、息子! いいかげん僕の事に気付いているくせに気付かないふりするのやめてくれないかなー」
咳払いが人の声に変わり、ここが会社で、しかも呼ばれて来た50Fだということを思い出し、慌てて蓮から離れようとした。が、蓮はそう簡単に離してくれず、私は蓮の腕の中に囲われたままで顔を声のした方へ向ければ久々に見る顔を見つけた。
「おじさま!」
そう、そこにいたのは蓮の父親だった。
「やあ瑠璃ちゃん久しぶり。婚約の食事会以来だね。ああ、そうだ、おじさまじゃなくてお義父さんだよ。蓮が瑠璃ちゃんを迎えに行ったまま戻らないからさ、僕も迎えに来たんだよー。下手したらこの息子は瑠璃ちゃんを連れてどっかに行ってしまう可能性も高いからねー」
ニコニコと好好爺もかくやあるらむ、という人の良い笑みを浮かべながら蓮の父、社長がヒラヒラと手を振っている(ちなみに全然お爺さんではない)。この親にしてこの子ありの美形親子ではあるのだが、いかんせん、どういうわけか父親の方が・・・何かにつけ軽い印象を与える。
(そうだわ。ここは会社で、蓮のお父さんだから社長と呼ばなければ)
「しゃ、社長申し訳ありません。もしや私をお呼びになったのは社長でいらっしゃいますか?」
「そうなんだー。仕事中にすまなかったね。社長じゃなくてお義父さんだけどね。僕ね、また明日から海外に行っちゃうんでね、この馬鹿息子が入社する来週まで戻れそうにないから今日のうちにと思ってさ。こいつが自分ばっかり瑠璃ちゃんちに入り浸ってさ、なかなか瑠璃ちゃんをうちに連れこないから、こうやって呼んじゃったんだ、ごめんねー」
社長は私の手を取り、ささこっちへおいでとひっぱって行こうとする。すると即座に蓮が社長の手をパチンと叩いて外させた。
「まったくー、父親に対しても嫉妬するのかお前はー」
社長は「痛いなー」とヒラヒラとこれ見よがしに手を振ってみせるが、全然痛そうじゃない。それを蓮は冷たく見つめている。
「瑠璃に触れていいのは私だけです。たとえ父上でも駄目です」
「ごめんねー、こんな息子でさ。育てるのちょっと失敗しちゃったんだよねー、あははー」
雰囲気は似ている二人だけれど、話し方といい、受ける印象がかなり違う。だが間違いなくこの二人は親子なのだ。
「蓮。お義父様に手を挙げるなんて駄目です」
メッと、出来る限り怖い顔を作って睨みつける。
「あー・・・こう言っちゃ何だけど、全然効果無いと思うなー、でも、叱ってくれてありがとうね」
確かに社長の言う通り蓮には私の叱ったことが通じていないようだ。むしろ喜んでいるように見えるし、なぜかスリスリされている。あー・・・社長の遥か後ろに見える人達が、負の感情でこちらを見ているのをピリピリと感じる・・・。私の快適会社ライフが・・・。
「社長、申し訳ありません。原因は私ですから」
蓮の顔を押しのけてぺこりと頭を下げる。そして素早く小声で「早く連れて行って下さい」とつっついた。社長は頷き「僕の部屋はこっちだよ、ついといで。でも社長じゃなくてお義父さんだけどね」・・・ちゃんと訂正する事も忘れていなかった。
社長は先に立って歩き出した。ようやく蓮の腕の中から抜け出しついて行こうとすると、すかさず蓮が手を繋いでくる。
手を繋ぐ行為は、蓮が最初から私に要求している事の一つで、日常茶飯事なのだ。家の中を一緒に移動する時にも必ず繋いでいる。パブロフの犬ならぬ、蓮の差し出された手を見ると自分の手を重ねる習慣がついてしまったのだ。
して、手を繋ぐ行為は私達にとっては全く違和感がないのだが、いかんせんここは会社だった。手を繋いだまま歩いて行く私達を快く思わない人達だっているはずなのだが、残念ながらこの時は気付けなかった。結局、手を繋いだまま、秘書軍団にその姿を見られたまま社長室へと辿り着いてしまった。
「二人とも本当に仲がいいね。ずっと離れず手を繋いで、お義父さんはうらやましいよ」
この言葉で自分達の状態に気が付いた。社長室のソファに座り、たっぷりと、ひと心地着いた後だった。
「・・・もっと早く教えて下さい、社長」
がっくりと項垂れてしまう。何が公私混同はしないだ。くれぐれもお願いね、なんて言っておいて、全く実行できていない事に我ながら呆れる。
「いいんじゃない。君たち婚約してるんだし。それと、社長じゃなくてお義父さんだよ」
「う。お、お義父様。でもここは会社です。公私混同は周囲に迷惑をかけるだけですわ」
コンコンと扉がノックされ女性がお茶を運んできた。
社長の秘書さんだろうか。化粧も服装も完璧な出で立ちで、いかにも秘書ですという雰囲気を醸し出している。ちょっとだけ香水が強いけれど・・・我慢できないほどじゃない。
そんな彼女のことを社長は全く気にする事なく会話を続けている。
「うんうん、いいね。息子の選んだ人に間違いはなさそうだ。それに、やっぱり“おとうさま”っていいねー。僕には娘がいないから特に良いよー。うんうん。まぁ固い事言わずに、ここには身内しかいないから気にすることないよ。このフロアだけなら、いつでも好きなだけイチャイチャすればいいさ。秘書の人達もきっと口は堅いはずだから、ね、そうだろう?」
お茶を出していた秘書の女性に、社長がちらりと視線を向けると女性の持っていた茶器が一際大きくカチャリと音を立てる。だが、すぐに態勢を立て直し深く頷いて「もちろんです」と答えていた。
「ほぉらね。だから問題ないよ瑠璃ちゃん。この会社で君たちに害をなそうとする人なんていないからさ。でも、もしそういうのがいたら遠慮なく教えてねー」
意外と怖い事を言っている気がするが、社長はパチンとウインクをして茶目っ気をアピールしている。社長の横で顔を引きつらせている秘書さんとの温度差が感じられて怖い。
「僕はね、息子のこんな姿が見れる日が来るとは思ってなくて、たまらなく嬉しいんだよ。それと僕の義娘になってくれて本当に嬉しいよ。ありがとう瑠璃ちゃん」
「い、いえ、こちらこそ。不束者ですが宜しくお願いいたします」
ずっと繋がれていた手をポイッと外して、社長に深々と頭を下げる。顔を上げると秘書さんと目が合ったが、背筋が凍りそうな程に冷たい目で見られていてちょっと怖い。美人が睨むとこうも怖い雰囲気を醸し出せるのかと、ついチラチラと観察してしまう。
「父上、申しておきますが、瑠璃は私の妻ですから」
蓮に体ごと引き寄せられて丸ごと包み込まれた。あ、秘書さんの目が更につり上がった。
「分かっているってば。まったく、自分の父親にまでこうだ。さっきの子もきっと怖かっただろうねー。かわいそうに」
社長の言葉に、エレベータ内での豹変ぶりと、蓮にとがめられた後の驚愕ともいえる表情を浮かべていた三木を思い出した。あの後、安達さんが連れて行ってくれたけど、どうなっただろうか。安達さんにお任せしていればきっと大丈夫だと思うのだけれど、私が関わるのはもう良くないわよね、などとつい考え込んでしまった。
「恋をして殺されそうになるって。我が息子ながら恐ろしい。まだ完全には、治まってはおらんのだな。今回は瑠璃ちゃんがいて助かったけど」
「え? あ、申し訳ありません、考え事をしていて。もう一度・・・」
自分の名前が出た事で意識が戻って来た。つい考え事をしていて社長の言葉を聞き逃してしまい、もう一度伺おうと思って顔を向けると、社長は手を振って何でも無いから気にする事無いと言う。だが蓮はそうではなかった。
「あいつめ。勝手に私の妻に触れおって。しかもあのような密室で瑠璃が逃げられないのをいいことに力で押さえつけるとは!」
蓮も思い出したのか語気が荒くなっている。蓮の嫉妬は激しいのだ。早々に機嫌を直さないとと思い、私は蓮の頬を両手で掴むとこちらへ向かせる。
「蓮。もう済んだ事よ。あなたが助けにきてくれた、私はそれで十分よ。今も私の代わりに怒ってくれている、ありがとう蓮。それに、まだ婚約の事は公表していないし、指輪もね。だから彼も分からなかったのよ。でもこれで、きっともう大丈夫だわ」
そう言ってそっと蓮の額に口づけをする。
「本当か? 最近、瑠璃の周りが煩そうだが」
珍しくイライラているようだ。それにどこから仕入れたのか、この言い方だと色々と知っていそうだ。でも私は全部話しているし隠している事は・・・無いはず。うん。
「異動するからじゃないかしら? 仕事の引継もあるし来週になったら落ち着くと思うわ」
「・・・違う意味だと思うのだがな」
「蓮は気にしすぎよ。私はこれまでも恋愛事には無関係だったもの。・・・それよりも問題はあなたの方じゃない? さっきも秘書さん達の視線を感じてたわ」
私が蓮を落ち着かせている間に、社長は秘書さんを下がらせていた。彼女はとても私達の話に関心があったようで、丁寧に丁寧にひとつひとつゆっくりとお茶を並べていたけれど途中から社長自らポイポイとサーブしていた。なので今は私達3人だけだ。
「ふん。秘書とは聞いて呆れる。まったく早く出て行けば良いものを、下手に時間稼ぎをしおって。父上、何の為に彼女達を置いているのですか。まさか・・・」
「まぁ、彼女達なりの能力があるんだ、人は使い方次第さ。・・・というか、おいおい息子よ。今、恐ろしい事を考えたよね。ね!? 僕は僕自身に誓っても良いよ、絶対に、ぜーったいにそんな事してないから! そりゃぁ、まぁ、この見た目だから、色々誘われたりしたけど、絶・対・に無いから! お前には、女神を怒らす事がどんなに恐ろしい事か分からんだろう? 別世界の女神の話なんだけどね、怒った女神達は口では言えないくらいの、それはそれは酷い事をしちゃうって話なんだぞ! 僕の奥さんにはそういう事はさせたくないし、されたくない!! 断じて、僕は潔白だ!」
(はぁ、誘われては、いるんですね)
きっと私も考えた事を蓮も考え、それは社長にも伝わったのだろう。まさかね、手を出したなんて奥様に知られたら、どうなるか・・・。いや、出してないっておっしゃってますから、信用しなければなりません。ドンとテーブルを打ち据える社長の顔の色がクルクル変わって今は青くなっていますし。気のせいかちょっと震えてます?
「確かに、嫉妬に狂った女神ほど恐ろしいものはないと、いつだったか噂で聞いた事があります。それが嘘か本当かどうかは存じませんが、混乱を巻き起こす事だけは必須、くれぐれもお慎み下さい、父上。そんな夫婦喧嘩に巻き込まれたくはありませんからね」
「息子よ。僕がそういうことをする前提で物を言うのは止めてくれないかなー。やってないって言ってるよねー僕」
蓮の言葉を全力で否定をしているのを見ていると、それ程までに怖いのかと、余所のご家庭の事情だけれど少しばかり興味が湧く。で、その怖れの対象は自分の奥さんの事なんだけど、と思うと複雑だ。近々、義理の両親になる人達だし。
そんな父親の様子をまるっと無視して蓮は口を開く。
「そこで父上、お願いがあるのですが、私の周囲に置く者は私が選びたいのですがご了承いただけますか」
「そんなことは当たり前だろー。お前の好きにすれば良い。今の体制はあくまでも私中心のものなのだからね。ヒトの道具を使って仕事しても使いにくいだけだろうし。その準備の為に新部門をわざわざ作ったんだぞー、そこで色々試してみるんだね。そしてお前の実力を見せてみー。出来なきゃ、最初の予定通り解体して売ってそれでお仕舞いにするだけだし。っていうか、別にここを継がなくても、自分で別の世界を創ってもいいんだけどねー」
「ありがとうございます。別世界については、おいおい考えます」
この親子はこういうところは本当に似ていると思う。互いに自信があって恐れずにどんどん行動に移す事が出来る。そしてきっと最後には成功するんだろう。・・・その前に散々失敗しても、平気な顔でやり直せる人達だ。
「お義父様、それだとワンマンと言われかねないと思いますけど」
「いいんだよ瑠璃ちゃん、それで。この会社はね、僕の夢を、やりたい事を実現するために作った会社なんだー。社員たちは僕に賛同して手伝ってくれているけれど、それがそのまま彼らのやりたい事ではないんだしー。そこが僕と社員たちとの大きな違いだよ。正直言うとね、蓮が会社を継ぐと言わなければ解体するつもりだったんだ。もう、試したい事は全部やったし、飽きたし、結果にもそれなりに満足したしねー」
まるで玩具のような感覚なのだろうか。散々遊んで、やりたい事を遣り尽くして、最後は飽きる。確かに社長からは全然気負った感じがしない。
「この大きな組織をですか? 解体? 国内だけじゃないはずですけど・・・」
「そうだよ。まぁ解体とは言っても社員を路頭に迷うような事はしないさ。運営の頭をつけてやれば、それぞれ独立してやって行けるところも沢山あるしねー。グループとして成り立っているのは僕の名前の下でやってるってだけで、本来なら分社化しても問題ないんだよー」
「はぁ・・・そうなんですね」
「君のお父さんとの違いはそこだなんだな。こう言っては何だが、君のお父さんは僕と同じ社長さんだけど、それは言わば雇われ社長で交代要員は直ぐに見つかるだろう? 競争も激しいだろうね。でもこの会社は僕以外の社長は認めない。なぜならこの会社は僕の希望を実現させる為に僕が作ったからなんだ。運営にかかる費用は僕が100%出しているしね。だから、僕の意見にむやみやたらと反対する人には辞めてもらうんだけどねー」
「お義父様の為さりたい事を実現する為の会社として、お義父様が設立されたからですね」
「そういうこと。大々的に市場からお金を集めるつもりも、必要も無いし、僕は家族経営みたいな、の〜んびりとした経営が好きでね」
「・・・ということは、今後は蓮なりのビジョンが必要ってことですね」
「そういうこと。僕は我儘かもしれないけれど、贅沢したい私利私欲の我儘じゃないんだよ。自分の生活なんて、ほどほどそこそこでいいって思ってるしー。僕の構想はね、僕の手で沢山の人の雇用を生み出して、生活をするための糧と希望を与えたいと思って作った会社なんだー。人ってさー、孤独だともの凄く弱くて直ぐにペシャンコになっちゃうんだけど、でも他者から必要とされれば強くなれるし、幸せだって思えるよね。周囲にも優しくできるだろうし。上手く機能している間は無駄に争わなくなるしさー。それが僕の夢、実現したい事なんだ。それを会社というツールで実現したまでで、具体的なビジョンと目標をもって、且つ、周囲を納得させられれば誰だって出来ると思うよ。僕の場合は、よそと無駄に競争したいとは思ってないけど、安定した雇用を継続させるためには会社の継続も必要なんで、短期的目標よりも10年、20年先を見越して地に足の着いた経営を心がけて来たんだ。それがこの結果だと思ってるんだ」
えっへんと胸を反らしている社長の姿に、どことなく可愛らしく思ってしまう。
「ふふ、素敵でしょ、私の夫は」
一緒に入ってこようとしている秘書さん達に「もういいわ」と言いながら下がらせ、和やかな笑顔で入って来たのは蓮の母親だった。着物が良く似合う落ち着いた綺麗な人だ。羽織ってきたショールを畳みながらこちらへ向かって来るその人は、女の私から見ても惚れ惚れするような素敵な笑顔を浮かべている。
姿を確認した途端、即座に立ち上がって迎えに行った社長はさすがだ。
「奥様!」
「はぁい、瑠璃ちゃん、お久しぶりね。でも奥様じゃなくてお義母様よ」
「お義母様、ご無沙汰しております」
隙あらば私の手を握っている蓮の手を解き、立ち上がって挨拶をする。
「お前、知ってて来た?」
お義母様の手を引きながら、社長は困った顔をしつつも何となく嬉しそうだ。お義母様は反対に勝ち誇ったような堂々とした姿勢で、社長に向かって口を開いた。
「あら、当然でしょ。あなたが抜け駆けをして未来の娘と話をしてるって情報が入ったの。それはずるいんじゃないの〜って思うじゃない。だから、来ちゃった。近いし。私だって、蓮が全然連れて来ないからヤキモキしていたのよ。で、何の話をしてたの〜」
お義母様は座りながらワクワクした顔をしている。社長は簡単に説明をした。
「蓮に会社を託す事を前提にだな、その心構えをね、ちょっとね」
「あら素敵。じゃ、瑠璃ちゃんにはその伴侶として旦那様を支える心構えを私がお教えいたしましょうね〜」
「支えるって・・・。かなり自由度の高い支え方にならないか?」
「あら、それがあなたには合っているんですもの。この距離が私とあなたにとって程よい距離なんですから」
お義母様は意外と放任主義なのかしら? それとも手のひらで転がす派?
「父上は母上の尻に敷かれているということか」
蓮は顎に手をあてて、フムと考え込んでいる。
「おい。父親に対して酷い言いようだな」
社長が突っ込んでいるが蓮はまるっと無視だ。
「ふむ。私はやぶさかではない。むしろ常に触れていたいから尻に敷かれても構わないな。なぁ瑠璃、私達はもっとこう距離0の関係でいこう」
そう言うと私の腰と膝下に手を回してずいっと自分へと引き寄せる。おかげで完璧に蓮の膝の上に座ってしまい蓮の胸に抱えられる形になった。それって、物理的距離の話しなの?
「蓮。それって仕事にならないわよ。この世界にあなたと私しかいないのであればいざ知らず、会社はあなたを支える為にみんながいるの。協力してもらわなきゃ、成り立たないじゃないの。それに、こんなにくっついてちゃ不便よ」
「瑠璃。それが一般的か?」
「え? 常識? だと思うんだけど。客観的に見て当たり前と・・・」
「私達なりのやり方というのは、駄目なのか?」
蓮のお得意のちょっと悲しそうな顔・・・。平常の顔との微妙な違いはきっと私しか分からないと思うけれど、この表情には弱いのよ私。きっと蓮はその事は分かってる・・・。この確信犯め。
「た、確かに、他人と同じである必要はないけれども、だからといって、限度というものもあるでしょう? 少なくともイチャイチャしている夫婦を目の前にして仕事するのって、やりづらいと思うわよ。想像してみて」
「例えば、父上と母上が常にくっついているのを想像すればいいのか? ふむ・・・、確かに気色が悪いな」
目の前にいる自分の両親を眺めながら想像したのだろうか。蓮は遠慮なく言い切った。
「おい。お前、父と母を何だと思ってる」
社長がまたしても突っ込んでいるが、今度も蓮はまるっと無視だ。
「だが、瑠璃の父上と母上がくっついているのは常なので全然問題ないな」
ふむ。確かに。どちらかと言えば父が母にくっついているんだけれども。
「あら・・・瑠璃ちゃんちのお父様とお母様ってそうなの?」
蓮の話にお義母様が意外そうに質問をしてきた。
「あ、、、えっと、まぁ、家の中ではそうです・・かね・・・ははは」
何と言うか、自分の両親のプライベートを晒すのはさすがに恥ずかしい。
「あなた、私たちちょっと間違えたのではありませんか? やはり夫婦となった男女は仲睦まじくしておかなければ、子ども達に与える影響がこの様な差をうむのでは?」
うって変わってお義母様は真剣な顔で、隣に座る社長の腕に手をかけて何やら子育てについて訴えている。
「ふむ。“すりこみ”というやつか。我らは遅すぎたか・・・」
社長も僅かに眉を寄せて後悔気味なので、そこはきちんと訂正しなければいけない。
「いいえ。遅くはないと思いますわ。最初は違和感はあるかもしれませんが、継続していれば慣れますもの、ね、蓮。あなたもご両親が仲良くされているのを見るのは悪くないでしょ?」
「まぁ、啀み合うよりはいいな。ただ、我が両親となると、ちと複雑な思いもなくはないが・・・」
「だからそれは慣れの問題」
「ならば私と瑠璃も仲良くしていれば、社員たちも受け入れてくれるのではないか?」
「う・・・そうくるか。まぁ、変によそよそしいよりは良いかも・・・」
「私達なりの、ほど良い距離を見つけような、瑠璃」
なんか蓮の結論にうまく流されてしまった感が否めないが、物理的な距離0を強行するつもりはないようでひとまずはホッと胸を撫で下ろす。
「失礼いたします」
再び女性が入って来た。チラリと見れば、これまた久しぶりの人がいる。
「佐美サン!」
「はい。ご無沙汰しております瑠璃様。その節は瑠璃様御手づからお書き遊ばしたお手紙を賜りまして、私、胸がうち震えてございます。つきましては我が家の家宝として代々伝える所存でございます」
会うのは二度目だが、キラキラと微笑む佐美サンの、相変わらずの傅く低姿勢にむずがゆさを感じる。うわぁ〜と内心で思いながら、どう返答すれば良いのか悩んでいると、佐美サンはさっさとテーブルに置かれていたお茶を下げ、代わりに菓子の入った重箱と良い香りのするお茶を並べ始めた。
「こちらは奥様がご用意なされた物でございますよ、どうぞお召し上がり下さい」
「ほぉ、ならば美味しいだろう、瑠璃いただこう」
「ありがとうございます。いただきます」
珍しく蓮がお菓子に興味を持ち私にも勧めて来た。きっとお義母様は食通でいらっしゃるのだろう。重箱から取り分けられたお菓子は見た目も美しく、確かに美味しい。
「今度うちにいらっしゃい。もっと美味しい物を準備しておくから。今日は急ごしらえだったので私の満足度としては低いの。いつでも待っているわよ。あ、蓮は一緒でなくてもいいから」
「はい。近いうちに必ず伺います」
仕事中に呼び出しを受けたにも関わらず、すっかり家族団らんな雰囲気で、お義母様のお菓子とお茶を心行くまで堪能してしまった。
あ、ちゃんとお義母様から、伴侶としての心構え等のレクチャーはありましたので一応、業務の内ということになるでしょうか。
この件について、業務報告を出せと言われたら困りますけどね。
でも、お義父様とお義母様のお陰で、来週からの自分の立ち位置というか、心構えをする事が出来た。あとは手探りで自分達なりの距離感を見つけていければ、きっと私と蓮の関係は大丈夫だと信じよう。今は、それで十分だ。
それに私は私なりに、蓮を支えられるような、そんな存在になれるよう努力してみよう。
母やお義母様のような素敵なお手本があるのだから。




