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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第三章
18/43

18

 ゆらり、ゆらりと水底から湧き出る水の圧に背を押されるように意識が浮上するのを感じる。

 この感覚が何とも心地良くて、ずっとこのままでいたいのだけれど、それは許されないようだ。なぜなら、ここは“わたし”が“私”になるための通り道に過ぎないから。

 まるで揺かごの中にいるような優しい揺れと、ぽかりぽかりと際限なく現れる大小の(あぶく)とともに水流にもてあそばれて、今日もまた“わたし”は“私”になる。





 目を閉じていても感じる強い光に、太陽が昇って随分と経つのだろうということが分かる。そして私を包むこの温もりは、彼がいつも通りに抱え込んで一緒に眠っているのだと分かる。名前は・・・誰だっけ・・・ずっと一緒にいてくれるひと・・・。


 ゆっくり目蓋を開くと、私を愛おしそうに見つめる一対の目があった。


 「おはよう瑠璃、よく・・・、眠れたか?」


 「おはよう・・・蓮」


 愛しいという感情以外に、ゆらりと蓮の瞳が揺れた気がすることに少し違和感を感じながら記憶を巡らせる。


 (ああ、そうか昨日の・・・)


 昨日の母の従姉妹との出来事をようやく思い出した。嫌な思いをしたと記憶しているのだけれど、ぐっすり眠ったお陰か、やたらと頭も心の中もすっきりしている気がする。


 「お父さんが・・・、あれ? お父さんが何かするとか、しないとかって言ってたわよね。あれは・・・、どうなったのかしら?」


 昨晩の真剣な父の姿を思い出しながら記憶を探るが、何かをお願いをされたにも関わらず・・・思い出せない。


 「思い出せないか・・・。そうか」


 隣で独り言のように蓮が呟いている。何か知っているのだろうかと思い視線を送れば


 「竹崎と余暉(よき)が来ていたから、まだ居たら聞いてみるか?」


 そうだった。意識を落とされた早苗と里佳の監視をしてもらっていたことを思い出した。


 「ええ行きましょう。お礼も言わなきゃ」




 身支度を終えリビングへ行くと、母が竹崎さんと余暉(よき)サンと一緒にお茶を飲んでいた。


 「おはようございます。遅くなってゴメンナサイ。竹崎さん、余暉(よき)サン昨日はありがとうございました。お母さん体調は大丈夫? お父さんは?」


 挨拶に続いて立て続けに質問をする私に、母は何やら困ったような笑いを浮かべて


 「おはよう瑠璃、蓮君。心配してくれてありがとう、もう大丈夫よ。お父さんはもう会社にいらしたわ」


 ニッコリと笑って答える母は普段通りに見え、私はほっと胸を撫で下ろした。そして母に勧められるままにソファに腰掛け、昨日から今朝までの状況を訊ねると、母は少し考えた後「本当はお父さんが帰られてから話そうと思っていたんだけど」と前置きをして教えてくれた。


 早朝に佐々木伸一さんという早苗の旦那様が家に来て、二人を引取って帰って行ったそうだ。その際、早苗の方は佐々木さんに言われるがまま、素直に深々と頭を下げ謝っていたと言う。そして娘の里佳の方は、表情は冴えない様子だったそうだが黙って一緒に頭を下げていたそうだ。母から聞いた、その二人の変化に驚きを隠せないでいると、母も同じ気持ちだったようで「未だに信じられないわ」と呟いていた。


 「お母さんも同席したのね。大丈夫だった?」


 最初、父だけが応対しようとしたらしいが、母は無理を言って同席したそうだ。


 「念のため、竹崎さんと余暉(よき)サンにも同席してもらったの、だから安心できてたわ」


 竹崎さんと余暉(よき)サンを見れば二人とも穏やかにニコリと笑っている。


 「ありがとうございました、竹崎さん、余暉(よき)サン」


 私がお礼を言うと、二人ともその場に居ただけですからと慎ましやかに首を振っている。


 そして母は、しっかりと早苗と里佳、二人の謝罪を受け入れたと、そう話してくれた。父の提案で、これ以上の関わりは持ちたくないと言う事をはっきりと伝えて、金輪際、うちに近づかなければ水に流すということで双方で合意したそうだ。


 「一晩経って頭が冷えたのか、二人とも憑き物が落ちたようだったわ、特に早苗の方がね」


 そう話し母はお茶を一口含むと、ほぉっと息を大きく吐きだした。そして私の手を握ると


 「瑠璃、あなたには怖い目に遭わせてしまったわ。ごめんなさいね。本当はあなたにも謝罪をしてもらいたかったのだけれど」


 「ううん。お母さん、私なら平気よ。元々全部お父さんに任せるつもりだったもの。お父さんとお母さんが納得したのなら、私、それでいいわ」


 母は私の目をじっと見つめ、私の様子を窺ったようだけれど、本心からの言葉だと分かってくれたのか微笑んで頷いた。そしてそのまま私の隣に座る蓮に視線を向けると頭を下げた。


 「蓮君、本当にありがとう。竹崎さんや余暉(よき)さんにも来ていただいて、何とお礼を言って良いか分からないわ。あなた方が居てくれたお陰で私も瑠璃も落ち着いていられたの、本当にありがとう」


 「義母上(ははうえ)、どうぞ頭を上げて下さい。当然の事をしたまでのことです」


 再三、蓮にうながされて母はようやく頭を上げた。母の顔にはまだお礼を言い足りないと、ありありと表れていたが、蓮がもう十分気持ちは伝わったというので母も飲み込んだようだ。


 「瑠璃は私の伴侶になるのですから、伴侶とそのご家族を守るのは夫の務めです」


 深い意味があるのかないのか・・・、蓮はさらりとそう言ってのけた。その言葉に母は一瞬、言葉に詰まっていたようだが、すぐさま、ほほほと相好を崩して笑っている。その母の様子は何とも解釈し難く、最近は蓮に対して穏やかになってきてくれているのではあるが、最初のきつい一言があるので実に微妙だ。



 そこへ丁度、間を図ったように私達の分のお茶を持って佐用(さよ)サンがリビングへ入って来た。この微妙な雰囲気を変える為には、絶好のタイミングだ。私は直ぐさま佐用サンに声を掛けた。


 「佐用サン、今朝はご飯作れなくってごめんなさい。そして、昨日は色々ありがとう。お二人があんなにお強いとは知りませんでした」


 佐用サンは普段と変わらない穏やかな表情をしている。


 「お役に立ててようございました。ああいう時の為に私どもは常々稽古しておりますからね」


 「そうだったんですか」


 佐用サンはこの話はこれでおしまいですと小さく微笑んだ。


 「そうそう、朝食は奥様がお作りになって大変美味しゅうございましたよ。すぐに準備できますが、お二人ともお食事はどうなさいますか?」


 すっかり寝坊をしたお陰でお腹が空いていたので、すぐに「いただきます」と答えると、佐用サンはニコリと頷いて「直ぐに準備いたしますね」とリビングを出て行った。


 私と蓮も佐用サンの後を追うようにダイニングルームへと移動した。確かに料理はおいしく、久々の母の手料理を堪能したあと、私達は再びリビングで母達とまったりとお茶をいただいていた。


 その時、蓮から一つの提案がされた。


 「義母上(ははうえ)、瑠璃。聞いていただきたい。一つ提案なのですが、不時の事態に備えて、今しばらく私をこちらに置いてもらえないでしょうか」


 母は丁寧にカップをソーサーに戻し、正面から蓮に向き合いその理由を尋ねた。


 「様子見です。双方合意の上で関わりを持たないとおっしゃいましたが、今しばらく様子を見ておいた方がよいかと」


 蓮の話を聞いて母は視線を手元に落とし何やら考えているようだ。何を考えているんだろうかと、私はちょっとだけビクビクしつつも母と蓮の顔を交互に見ていたら、ほどなくして母は顔を上げたかと思うと、蓮を見てフフフと笑っている。


 「蓮君、それは良いアイデアね。理一郎さんには私から話をしておくから、是非お願いしたいわ」


 意外にも母が快諾したのに驚いて、私は本決まりになる前にと、慌てて二人に会話に飛び込んだ。


 「ちょっと待って。お母さんそれは駄目よ。幾ら今はフリーだからと言っても蓮にもそれなりに都合はあるでしょうし、警備なら専門の人を雇えばいい話でしょう? いくら私と蓮が付き合っているからといって、そんな負担をかけさせられないわ。そんな理由もないし」


 ね、そうでしょう? と振り返って蓮を見ると、器用に片方の眉を上げて何やら不満気な様子だ。


 「いやね瑠璃。あなた全然分かってないわ。蓮君はあなたの事が心配なの。昨日の事で瑠璃が無茶をするってことが分かって心配なんでしょう。ね、蓮君」


 蓮を見れば母の言う事にいちいちウンウンと頷いている。


 「ちょっと! 蓮! あなた仕事は? 家に帰らなくていいの? ご家族が心配されるんじゃないの?」


 頷いている蓮を睨みながらそう突きつければ


 「問題ない。私の仕事は頭脳労働だ、どこでだってできる。家族は問題ない。むしろ背中を押してくれるだろう。そうだろう? 竹崎、余暉(よき)


 今度は蓮から話を振られた竹崎さんと余暉(よき)サンに視線を移せば、二人とも笑顔で頷いている。


 「はい、問題ありません。旦那様も奥様も瑠璃様とのことは既に認めていらっしゃいます。居所さえ分かっていれば。むしろ蓮様としてはこちら様の婿殿として扱っていただいても良いくらいなのでは?」


 「婿か! よく言った竹崎」


 「まぁ、婿殿? あらあら、ほほほ」


 蓮からは褒め言葉が、母からはどことなく嬉しそうな声が聞こえて来た。私はそんなご機嫌な声を上げている母をジロリと見て


 「あれほど認めないと、威勢のいい言葉をおっしゃったのは、どこのどなたでしたっけ?」


 と言えば、


 「あら? いつの話を蒸し返して来るのかしらこの子は。いやね。蓮君の好意を無下にするなんて・・・。そんな子に育てた覚えは無いのに、はぁ・・・」


 そう言って、これ見よがしに大きな溜め息をついてみせ、眉根を寄せている。


 「それともなあに? 蓮君に一緒に居られると困る事でもあるの? 他の子とデートとか?」


 「なに?」


 「お、お母さん! 困る事なんて無いわよ! 変な事言わないで!」


 危うく母の言葉に食いつきそうになった蓮の言葉を押さえ(だってもの凄く嫉妬するのを身を以て知っているのよ!)、全力でもって母の言葉を否定すれば、


 「じゃ、決まりね。蓮君、お言葉に甘えてしまって申し訳ありませんが、瑠璃の事、どうぞよろしく」


 母はさっさと蓮に頭を下げて話を決めてしまった。そして、私を見て「あなたももう若くないんだし、貰い手があるうちに貰われなさい」ととどめを刺して来た。まさか自分の母親からそう言う事を言われるとは思っておらず、完全にとどめを刺され思考停止している間に、蓮もちゃっかり母の言葉に乗った。


 「義母上(ははうえ)! 瑠璃のことは私が必ず幸せにします。ありがとうございます!」


 警備の話からどうして婿の話になるのかと、母と蓮のテンションに付いて行かれず項垂れていると、蓮が私の手を取り


 「そうだな、こういう事は順番が大事だし、こうすれば瑠璃も納得してくれるだろう?」


 そう言うと、床に片膝をついて跪き、手に何かを持ってこう言った。


 「瑠璃、結婚して下さい」


 「!?」

 

 あまりの展開の早さに私の頭の中は今度こそ完全に思考が停止し、ぽんこつなロボットのごとく「あ」とか「え」しか口に出来ないでいると、そんな私を見兼ねたのか母が私の耳元で何かを囁いた。上手く聞き取る事が出来ずに思わず「はい・・・」と母を振り返り、次に「今なんと・・・」という言葉を私が言う前に、


 「瑠璃! 嬉しいぞ!」


 「ふごっ」


 もの凄い勢いで蓮から拘束・・・いや、抱きしめられた。


 母からは「おめでとう!」と言われ、竹崎さんは満足そうに手を叩き、余暉(よき)サンは若干顔を引きつらせていた。

 蓮は一度拘束を解くと、私の左手を取り指輪をはめ「私が守る」と再び私を抱きしめた。そして「これでひとまずはよし」と頭の上で呟いている。

 その言葉でようやく再起動した私は、浮かれている全員を止めるべく、まずは蓮の胸に両手を突き立て少しばかり距離を取る。


 蓮の顔を見上げれば直ぐに蓮と目が合い「ちょっと待って」と言おうと口を開きかけた瞬間、蓮の唇で塞がれてしまった。途端に、周囲から更に盛大な拍手と「おめでとう」の声が聞こえる。流石にみんながいる中で深い口づけはできなかったのか、直ぐに離してくれたが、私の思考は再び停止してしまった。


 そんな感じで私がすっかり周囲に流されていた時「ただいまー」と言いながら父がリビングに入って来た。


 その事で再び起動した私は仕切り直すべく、蓮から距離を取ろうと身をよじっていると、すかさず母が父に駆け寄り「たった今、瑠璃が蓮君と婚約をしたんですよ」と嬉しそうに話をしている様子が目に入って来た。


 父は思いきり目を見開いて、驚きを隠そうともせずこちらを見ている。


 (そうでしょう、それが本当の反応でしょう)


 私はフルフルと小刻みに首を振って父に訴えているつもりだったが、母の「嬉しいわね! 良かったわね、理一郎さん!」という連呼と笑顔に明らかに負けた様子で、父は「そ、そうか、そうか」と母のテンションに合わせていた。


 最後の砦だった父までもがぁ・・・。

 三度(みたび)、私はここでも出遅れた事に茫然としていると、父がゆっくりとこちらにやって来た。


 「えーっと・・・。気になって早退してきたんだが、こうなっているとは思わなかったなぁ。おめでとうで、いいのかな?」


 疑問形で首を傾げつつ父はおずおずと右手を差し出すと、蓮はすぐに父の手を握った。

 どんどん訂正するチャンスが無くなることに焦りを覚えた私は「待って! 違うの!」と最悪のタイミングで声を出してしまった。


 私の一声で静まり返った中、


 「違うって何が?」


 そう言ったのは母だっただろうか・・・。


 それすら分からないくらいにテンパっていた私は、ブンブンと首を振りながら「違わないけど違うの」という矛盾する言葉を必死で口にして訴えていた。本当のぽんこつロボットになったかと思うほどにブンブンと首を振っていると、蓮が私の両肩をガシッと掴んで揺さぶり、


 「落ち着け瑠璃。何が違っていて、何が違わないんだ?」


 と、聞き分けの無い子を諭すように、ゆっくりと一語一語区切って私に話しかけた。


 「と、とにかく、全員ソファに座ろう。そして、瑠璃の話を聞こうじゃないか」


 父が促しそこにいた全員がソファに座った。そして実にタイミング良く佐用サンと佐奈サンが手分けをして全員にお茶を配っている。手渡されたお茶を一口含むと、ようやく気持ちが落ち着いた。


 「さて、瑠璃。君の言いたい事を聞かせて欲しい」


 父が蓮と同じようにゆっくりと私に話しかける。うなずいて、私はカップを置き、一呼吸して口を開いた。


 「えっと、まず、蓮のプロポーズに返事をしたつもりはありません」


 その言葉に「ええええ?」と周囲の人々が驚きの声を上げている。それを父が制しながら目で私に先を続けるように促す。


 「でも、結婚は、しても、良いとは、思ってる、かも・・・」


 その言葉に今度はしぃーんと静まり返る。すんごい気詰まりの雰囲気の中で「ごほん」と咳払いをして最初に声を出したのはまたしても父だった。


 「んー・・・ということはだな、プロポーズをやり直せばいいんだな」


 父の言葉にポンと竹崎さんが手を打ち鳴らし「なるほど」と頷いている。

 私は自分で作り出した居心地の悪さに、無意識に左の薬指に嵌まっている指輪を弄んでいると、蓮が私の手を取り指輪を抜き出した。その途端、私の心臓がこれまでに無いほどに嫌な音を立てたのを聞いた気がした。ぽっかりと心に穴が空いた気がしたのだ。


 そう、たった今、気がついた・・・。


 早すぎるとか、タイミングだとか、みんなの前だからとか、さっき言い訳として考えていた言葉が、何ともちっぽけで意味の無いことだったのか。たった10分も身につけていなかった指輪が外されただけで、急激に寂しさがこみ上げてきて思わず顔を歪めていた事に気付かなかった。


 「そんな顔をしないで瑠璃」


 蓮はそっと私の顔を撫でると再び片膝をついて、さっきよりゆっくり、そして大切そうに言葉を発した。


 「野田瑠璃さん、私と結婚して下さい」


 この言葉に対して、もう迷う事はなかった。


 「はい」


 涙でゆらゆらと揺れる蓮の顔を見ながら返事をすると、再び左手の薬指に指輪が差し込まれた。途端、直前まで感じていた空虚感がすっかり塞がるのを感じる。


 「はい、結婚します!」


 (こら)え切れずに蓮の首に抱きつくと、蓮も優しく抱き返される。出会ってまだ半年も経っていないけれど、この人だと感じる想いと安心感に包み込まれた。そして、ようやく軌道修正が出来た気がして心が落ち着いた。


 「今度こそおめでとうだな。蓮君、瑠璃の事、頼むよ」


 父と蓮が再び握手をして頷き合っている。母はしっかりもらい泣きをしたのか父の肩に顔を伏せていて、竹崎さんは満面の笑みで拍手をし、余暉(よき)サンは今度は大笑いをしていた。


 蓮が私の隣へ座って両手を握った。


 「瑠璃、結婚はすぐじゃなくていい。ただ、先に婚約だけはしておきたかった。ずっと考えていたんだ。私が安心したいっていうのもあるが・・・。この様なタイミングになってしまったが、婚約することで私は瑠璃の側に居る正当な理由を持てる、君を守りやすい立場になる。でも同時に、婚約をきっかけに、お互いの事をもっと知って、これからの事を考えたかったという気持ちもある。だからもっとよく私の事を見て欲しい。もしその中で私に対して嫌な事があったら、それは努力して直していくつもりだ。・・・だからこの指輪は外さないで」


 そう言って私の指に口づけをした。


 「・・・ありがとう。蓮の気持ち、凄く嬉しい。だけど・・・この指輪、日頃からつけておくのは・・・無理かも」


 気持ちは嬉しいのだけれど、ちょっと、という心苦しい気持ちで上目遣いに蓮を見れば、蓮は驚愕の表情をしていた。


 「どうしてだ?」


 「だって、こんな大きな石の付いたものをしてたら、仕事が出来ないわ」


 一体何カラットあるんだと思うくらいの大きなダイヤモンドだ。下手につけていたら悪目立ちする気がする。


 「なんだと!?」


 美しい顔に似合わない悲壮感たっぷりな声が蓮の口から零れ落ちた。


 「まぁ、流石に瑠璃ちゃんの言う通りだよなー。こんなん若い子が会社でつけてたら、・・・ひくわ」


 余暉(よき)サンの助け舟で父も顎に手をあてて、そうだな、と呟いている。


 「それに、料理できないの困るよな。蓮様に美味しいもの作ってあげたいだろうし?」


 ナイス! 余暉(よき)サン! それだ!

 

 「ええ、ええ、そうなの」


 私は直ぐに余暉(よき)サンの言葉に乗っかった。よくよく考えてみれば夏期休暇明けにいきなり婚約指輪なんてしていたら、榎本さんに絶対に追求される。しかもこんなでっかい石! あ! それより休み明けに話すって言ってたなぁ・・・、あとで蓮に聞いておかなきゃ。


 「・・・瑠璃、瑠璃。聞こえている?」


 私を呼ぶ声で我に返った。どうやら意識が別のところにいっていたようだ。


 「はい。ごめんなさい、なあにお母さん」


 「いやぁねぼーっとして。明日、宝石商の方に来ていただいて、蓮君とあなたでお揃いのものをお願いしましょうってことになったの」


 「蓮は、それでいいの?」


 「構わない。その指輪は私の決意だ。だから大切にしまっておいて、日頃つける分は別に誂えよう」


 そういうことになった。

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