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意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第二章
17/43

17

 途中から祖母にも手伝ってもらい、父とわたし3人でようやく処置を終えることができた。

 ひとりあたり複数個の糸巻きを途中止める事無くカラカラと稼働させていたのに、すっかり夜も明けてしまったようだ。その証拠に監視をしていてくれていた竹崎サンこと翁がわざわざ二人の様子を報告にきてくれた。きっとこちらの様子も見に来たのだろう。

 翁によると、眉間に深い皺を作り苦悶の表情で寝ていた早苗が、ある時を境にふっと表情が緩んだそうだ。そしてそのまま心地良い呼吸で眠り続けていると言う。


 「あ、あははは、そ、そうなの。苦しみから解放されたのね、よ、良かったわ」


 効果覿面(こうかてきめん)ということだ。それもそうだ。直接こうやって操作しているのだから。


 でも・・・


 確かに脅されて怖い思いをしたけれど、これで本当に良かったのかどうか、正直なところわたしの中では答えが出ていない。ただ、この場合、緊急且つ速やかな対応が必要だとは感じていたし、父の母を想う気持ちに揺り動かされた事は否めない。糸巻きを操りながら、そんなことを考えていた。


 「それにしてもすっかり時間が経ってしまったのね」


 はしたないと自覚しつつも、ふわぁ〜と大きく伸びをして、ついでにコキコキと首筋も伸ばす。


 「母さんも瑠璃もありがとう」


 最後の一個を木箱に収め終えると、父がわたし達に頭を下げた。それを見た祖母は、ふっと本来の年相応の笑みを浮かべてこう言った。


 「理一郎のためだけじゃありませんから気にする事ないわ。実の娘と思っている藤花(とうか)とかわいい孫の為ですもの。でも、最後の仕上げだけは、あなたの手できちんとしておきなさい」


 祖母の言葉に父は口をグッと結んでしっかりと頷いていた。


 「最後の仕上げ? わたしも手伝うわ」


 興味津々でわたしがそう言えば、父は困った顔をして笑っている。


 「気持ちだけありがたく貰っておくよ。これは一人でやった方がいいからな」


 そう言いながら改めて説明をしてくれた。


 本来ならこの様なことは夢渡りはしないという。それは掟に近いものがあるらしいが、どうして今回は可能かと言えば、わたしの目の前に居るこの人の存在が大きい。父がちらりと青蓮(せいれん)に視線をむけると、青蓮も無言で頷き返した。


 「そもそも青蓮様は、こんな人間の感情にいちいち関与をなさることはないんだ。そこは、その・・・」


 「わたしのせいね」


 「まぁ平たく言えばそうだな」


 青蓮は父の言葉に大きく頷いてみせる。


 「瑠璃。僕が思うに、人はね、本来、他人の考えている事は分からないのが当然だと思うんだ。それを対話を通して疑問を一つ一つ潰していって初めて相手を理解するものだと思う。瑠璃も経験したことあるんじゃないかな。仕事中に出て来た疑問を一つ一つ潰して行けば、意外と分かり合えたりするだろう? だが、今回それをしなかったのは、早苗の凶暴化が目に余ったから・・・、話し合いができないと判断したんだ。それに長引かせると必ず泥沼化するだろう。そうなれば双方痛み分けなんて生易しい話ではすまなくなる。刃物を持ち出した時点で警察に通報されてもおかしくないんだ。だから、今回はイレギュラーだと思っていてくれ。きっと、こういう事は一生に一度有るかないかだと思うから、これから僕がするような事は、君には機会がないと思うよ」


 父の苦々しい顔を見ていれば、わたしが思った以上に考えて出した結論なのだろう。わたしには黙って頷くしか出来なかった。そんな私を見ながら父は呟くように言う。


 「他人を傷つけたり、脅威とみなすような、そんな自己中心な人間にだけはならないようにと願って瑠璃の事は育てたつもりだ。僕の目から見れば、願い通り育ってくれたと思っている。だから今回の事は納得できないかもしれないだろうけど、許してくれ」


 初めて見せる父の懇願の表情に目が離せない。

 時として大人の都合の良いように平気で矛盾を生む行為は、もっと若い頃には反吐が出る程に嫌いだった。けれども、噓も方便ではないけれど、時々、ほんの時々、大人達はそういうことをやってのけてしまう。そして、後には何も無かったように振る舞えるのである。

 わたしもどうやらそういう大人の仲間入りをしてしまったようだ。うまく笑えたかどうか分からないけれどなるべく父に負担を覚えて欲しくなくて口の端を持ち上げて頷いてみせた。

 それを複雑な表情で見ていた父は、ひとこと「ありがとう」と呟いて、スッとわたしに背を向けて数歩離れたところに立った。


 改めて見る父の後ろ姿はいさぎよく力強かった。応接間に入って来た時の堂々とした態度にも安心感を覚えたが、今のこの背中だけでも十分に父の大きさを感じる。


 わたしは父の邪魔をしないようにそっと青蓮の横に並びそっと聞いた。


 「青蓮(せいれん)、本当にいいのね?」


 「ああ。義父上(ちちうえ)が手を下さなければ、私がやるだけだ」


 「やるって・・・えっと・・・」


 「消すだけだ。存在をな。細かいところの調整が面倒だからな」


 「だ、だめ。それだけは駄目よ」


 慌てて青蓮の袖にしがみついたわたしを面白そうに目を細めて青蓮は見ている。そしてフッと息を吐き出すと「安心しろ、それすら面倒だ、消す価値もない」と言った。


 消すと言ったり消す価値もないと言ったり、本当にどうでもいいんだなと感じる。青蓮の行動の基準は一貫して、“わたし”に関することだけなんだろう。そう思うと、周囲との関係を良好なものにしておかなければ、自分自身が無駄に心労をおうことになるだろうと、思わずその様子を想像しゴクリと生唾を飲み込んでしまった。




 かくして父の最後の仕上げが終わった。簡単に言えば、強制的に早苗の意識を早苗の旦那様へと向けられ、うちの事については、挨拶で立ち寄った位の感じにしたようだ。

 今回は紫蓮(しれん)の強力な影響もあり、しかたないということでわたしは納得した。


 「上手に生き直してくれると良いわね。駆け落ちした頃のような気持ちで旦那様と向かい合って欲しいわ」


 「そうだな」


 青蓮は本当に興味なさそうだったが、相づちだけは打ってくれた。








 「じゃ、早苗の分はこれで大丈夫ね。次は里佳の番」


 青蓮にひどい執着をしていた里佳を思い出し、心の中がもやもやとする。感情に流されてはいけないのだが、コントロールするのが難しいなと実感する。


 「お父さんは早苗の対処をした時、気持ちはどういう風に切り替えたの? わたし、何だか里佳の事を考えるだけでわだかまりを感じるわ。きれいに拭い切れないの」


 正直に心情を吐露すると、父は穏やかな顔で目を細めてわたしを見た。まるで何もかも見通しているぞと言っているように感じる。わたしがわたし自身の感情をコントロールできないで困っているのに、なんだかずるい、と思ってしまう。


 「まぁ、瑠璃と里佳は恋敵だから、仕方ないな。僕もその立場だったら、そうなるだろうな」


 「お父さん、わたし、まだ具体的な話はしていないんですけど」


 「そりゃ、ま、僕も通って来た道だし、経験上そうかなって思っただけだ。僕は藤花を誰にも渡したくなくてちょっとばかり強引なことをして・・」


 「強引? まぁものは言いようですねぇ。強引・・・、そうねぇ強引以上の言葉ってあったかしらね。手加減や容赦をしない方法とか、目的達成のために手段を選ばないやり方、って言うんですよ。強硬手段とか脅迫?」


 顎に指をあてて可愛らしく小首を傾げながら祖母が割り込んで来た。


 「母さん、横からいきなり話に割り込まないで下さい。何を話していたか忘れてしまったじゃないですか!」


 祖母が父の言葉尻をすかさず捕らえて話題に入って来たが、どうやら話をかき回したいらしい。二人のやり取りを見ていたら、何だか自然と笑いがこみ上げて来て、知らず知らずのうちに、ふふふっと声を出して笑っていた。


 「笑えるのならばそれで良いのです。瑠璃のことはしっかり青蓮様が捕まえていて下さいますから、安心して臨めば良いのよ。但し、これまでも見て来たと思うけれど、夢の中は感情の抑制なんてあってないようなもの、どこまでも感情優先な場面が多いということは忘れないで。怖いのは、ただ闇雲に恐れを抱いて何も対応策を考えない事よ。里佳も凶暴だけれど、青蓮様に心を奪われた女だということ、そういう女の取りそうな行動は大体予測がつくわ。その場合、どうすればいい? ひとつひとつ立ち止まって考えて対応を見つけ出すの」


 どうやら祖母は意図があって話に割り込んで来たようだ。自分の不安に凝り固まったわたしを解きほぐすために無理矢理割り込み、笑顔を引き出し、気持ちに余裕を持たせてくれた。


 「ありがとうお祖母様。わたし、やってみるわ」


 心からの笑顔で祖母に答える事が出来たことが、わたしには酷く嬉しい事だった。


 「瑠璃。私も居る。必ず其方の側に居るから」


 「ええ、青蓮。心強いわ、ありがとう。お父さん、お祖母様、里佳の件はわたしだけでやってみてはダメかしら?」


 青蓮と父と、主に祖母から勇気をもらってやる気が出て来た。きっとわたし一人でも出来るんじゃないかという位には気力が復活している。だが、祖母はあまりいい顔をしなかった。


 「どうしたの? お祖母様。いけない事を言ったかしら?」


 冴えない表情の祖母に様子を窺うように尋ねれば、少し考えた様子で祖母はゆっくりと口を開いた。


 「悪くはないと思うわ、きっと瑠璃にはその力はあるもの。でも、大至急迫られた決断が必要なわけじゃないから、一人で作業するよりも、長い目で見て私や理一郎の考えも取り入れて進めた方が良いかもよ。独善的になりにくいわ。里佳だって一人の人間なのだし、人ひとりの運命を瑠璃一人で担えるかしら? ね、そう考えてみても、二十数年しか生きていない貴女には荷が勝ち過ぎていてよ」


 祖母の指摘に言葉が告げなかった。あまりにも軽々しく一人で背負い込み過ぎる軽率な言動だった事に気付かされた。


 「お祖母様、おっしゃるとおりです。ぜひ力を貸して下さい。お父さんもお願いします」


 ぴょこんと腰を折り90度以上の礼をしてみれば、父も祖母も笑顔で「任せておけ」と答えてくれた。






 ようやく、わたしたちは里佳の意識へと向かう。夜は明けたが、翁こと竹崎サンが早苗と里佳の意識のコントロールをしておくからと言い残し、わたしたちの作業を見届ける事無く現世へと戻って行った。


 わたしたちは里佳の意識を探る。すると元の早苗の雰囲気によく似た気配があるのを近くに感じ、早速里佳の意識へと渡る。移動する直前、青蓮がわたしを抱きかかえるように寄り添ってくれた。


 ふわりと里佳の意識下に潜ると途端に胃が下から突き上げられるようなひどい吐き気に襲われ足がよろめいてしまった。そこをすかさず寄り添ってくれていた青蓮に抱きとめられ崩れ落ちる事だけは免れた。ほっと、息をつこうとした途端、何か強烈なものがこちらに向かって来るのを感じた。正体を確認しようと目を凝らすがいかんせん見通しが悪い。深い(もや)の中にいるようだ。しかも、その靄自体からもどうも性質の良くない気配を感じる。


 「来るわ!」


 それは間違える事無くわたしに狙い定めて飛んで来た。とっさに腕を顔の前にかざし庇う姿勢をとり、もの凄い衝撃を受けるだろうと身構えたが、予想に反しそれはわたしの周囲で弾け飛んで霧散してしまった。


 「え?」


 あまりのあっけなさ、手応えの無さに思わず青蓮を振り返るととても涼しい顔をしている。だからきっと青蓮があの攻撃を退けてくれたのだろうと思いお礼を言うと、青蓮は黙って首を振った。そしてわたしの左腕を持ち上げると「これのおかげだ」と青蓮の視線の先を追えば、そこには以前二人で互いにつけたブレスレットがあった。


 「これ・・・、青蓮がお守りにつけてくれたわね」


 「ああ。そしてこれが瑠璃が私につけてくれたものだ」


 青蓮の左腕にも同じものがついているのが分かった。


 「二人で作ったモノだ。最高かつ最強の結界を作るからな、アレくらいの攻撃ではびくともしない、むしろ、攻撃を仕掛けた方が大変な事になる。見ろ」


 薄くなってきた靄の中で、青蓮の視線の示す先に何か蠢いているのが見える。きっと元は人の形をしていたに違いないが、今は見ているだけで身震いしてしまうような何とも形容しがたいモノとなっている。最初に感じた吐き気の原因になるほどの禍々しい気を垂れ流している様子がはっきりと目に見える。


 「あ! お父さんとお祖母様は?」


 「落ち着け。あまりの禍々しい気が分厚い壁となり立ちはだかって、お二人を中に寄せ付けなかったようだ。お二人には傷ひとつないから安心しろ、それよりもまた来るぞ、気をつけろ」


 青蓮の助言で視線の先に居るモノに視線を戻すと、そこから再び何かが飛んできた。最初のものよりもスピードも威力も数段落ちるがまともに浴びれば生身であればどうなるかわからない。今度は意識をしてブレスレットをつけた腕を盾のイメージをもって(かざ)すと、それに触れた途端、弾き飛ばされていた。と、同時に形が無くなりつつある蠢いているモノが更に溶けかかっている。どうやらのたうち回り苦しんでいるようだ。連動してわたしたちを取り囲んでいる禍々しい気も薄まっているようだ。そしてしばらくすると視界がクリアになった。


 「瑠璃! 青蓮様!」


 父と祖母が慌てた様子で姿を現した。二人とも心無しか青ざめている。きっと遮られている間にとても気を揉んでいたのだろう。祖母はわたしをきつく抱きしめて、怪我が無いかぺたぺたとあちこち触れながら無事を確認していた。


 「お祖母様、わたし達は大丈夫です。それよりもお二人の方が心配です、どこも何ともありませんか?」


 そっと二人を蠢いているモノから隠すようにわたしの背後に押しやると、父も祖母もわたしの後ろにいるモノにようやく気がついた。


 「気のせいか、弱っているように見えるな。アレが里佳だな?」


 冷静に父が見定めようと目を凝らしている。やはり父の目にも弱っている様子が見て取れるようだ。


 「はい。このブレスレットの結界のお陰で攻撃がことごとくアレに跳ね返りました。お二人とも、わたしの後ろから出ないように気をつけて下さい」


 わたしの言う事が信用ならないのか父が青蓮の方をチラリと見れば、青蓮はおかしそうに「最高で最強だ」と言って笑って返していた。何だか面白くない。


 「さっきより更に溶けてきているわ。もう攻撃は出来ないのかしら」


 「ふむ。様子見といったところだな。周囲が溶ければ本体が現れるだろう。その時に何か仕掛けて来るかもしれん、用心しておこう」


 父がアレから目を逸らすことなく指示を出す。わたしはしっかりと頷いて、いつでも防御が出来るように態勢を整えて待った。父の言った通り周囲がもう形を保っていられないらしく見る間に、ドロドロに溶けてしまった。

 代わりに現れたのが小さな人形(ひとがた)だった。どうやらあれがこの意識下においての里佳の本体なのだろう。

 醜かった外側が消えてなくなった後、ゆっくりと本体が立ち上がった。人形(ひとがた)の小さな女の子の(てい)をとってはいるが、こちらを睨め付ける視線は鋭く、わたし達は未だ緊張を解く事が出来ない。

 しばらく睨み合った後、わたしは思い切って話しかけてみる事にした。


 「里佳。聞こえるかしら?」


 わたしの声が聞こえたのだろう、人形(ひとがた)のくせに思い切り顔をしかめている様子が見て取れた。わたしは父と祖母、それに青蓮に近づいてみたいと訴えてみた。一瞬祖母が眉を寄せたが、皆で一緒にいくならば、という条件で近づく事を許された。


 ゆっくりと里佳の本体へと近づくが人形(ひとがた)は微動だにせずギッとこちらを睨んだままだ。そんな中をゆっくり一歩、また一歩と少しずつ近づいて行く。ある程度の距離まで近づいた時、初めて里佳が言葉を発した。


 「そこまでよ。それ以上こっちにこないで」


 わたしは頷いて歩みを止め、そのまま里佳の姿をまじまじと眺めた。人形(ひとがた)となり幼くなっているが確かに里佳だ。相変わらずわたしに向ける視線は鋭いが、わたし達の姿を確認するように彷徨(さまよ)う視線がある一瞬、緩む時があった。その方向から恐らく青蓮を見ているのだろうと思った。未だに執着をしている青蓮へ向ける視線だけは女性を感じさせるものだ。


 わたしの心が再び曇ろうとした時、青蓮がそっとわたしの体を抱き寄せた。途端、里佳が叫び声を上げる。


 「どうしてよ! どいうしてあんただけ! あんただけ恵まれているの! 許せない!」


 感情丸出しで投げつけられた言葉に里佳を見ると、鋭かった視線が憎しみを込めたものに代わっていた。


 「なんで!? どうして!? あんたばっかり! ずるい! ずるい! ずるい!」


 「・・・どうしてずるいと思うの?」


 里佳の感情的な言葉に引きずられないように問いかける。


 「どうして? 分からない? ほんと、おめでたいわね。幸せすぎてボケてるんじゃないの? 父親は有名企業の社長でお金もあるし、都内にあんなに広い家と土地があって、あんただって大企業で働いているし、・・・おまけにその人もなんて!!! 許せない! 不公平だわ!」


 里佳は全身でいやいやをするように泣き叫ぶ。


 「何よ何よ何よ!!! 私が持っていないもの、全部持っているじゃない!」


 人形(ひとがた)の幼い子どもが一方的に感情を剥き出し泣き叫んでいる姿は見ていてシュールだ。まさしく里佳の今の思考は隣の家の芝が青く見えているのだろう。今はどうであれ、以前は里佳だってそれなりの生活をしていたはずだし、同情するつもりはない。


 「父と家の事はともかくとして・・・、わたしは楽をして就職できたわけじゃないわ。何社も落とされたもの。それでもわたしはずっと努力していたわ。たから胸を張って言える、努力した結果だって。でも、彼の事は・・」


 わたしが続けようとした時、青蓮が後を続けた。


 「私が瑠璃を選んだ。瑠璃以外要らない」


 わたしは後ろから抱きすくめられているので青蓮の表情は分からない。だが、里佳が思わず息を飲んでヒクっと頬を引きつらせている事から、冷たい視線でも送っているのだろう。


 「あー、ちょっと、僕もいいかな」


 この時を逃さないように父がすかさず後を引取る。


 「ここは謙遜なんかしないよ、社長になれたのは僕も頑張ったからだし。それに、君のお父さん、佐々木伸一氏だってそうだ。彼は誰よりも優秀だった。才能もあり誰よりも早く出世していて地位を築いていた。その証拠に、各社代表としてパーティ会場では顔を会わせていたからね。会社が倒産してしまったのは彼には不運だったけれど、彼はそれでも我武者(がむしゃ)らに這い上がろうとしているじゃないか。結果だけでなく、プロセスが大事な時だってある。君たち母娘(おやこ)は大事なところを見落としているんだ。大事なところは見ようとしなければ見えない。その目は何のためについているんだ」


 父は珍しく少しばかり興奮したようでいつもより語気が強くなっていた。それを祖母が父の腕に手をかけて静かに制している。まだ何か言いたそうだったが祖母の無言の制止で父が口をつぐむと今度は祖母が口を開いた。


 「里佳さん、日記かなにか、書かれたりした事あるかしら?」


 いきなりの質問に里佳は驚いて茫然となってたが、すぐに我を取り戻し、微かに首を振った。


 「そう・・・、あなた、今、とても辛いでしょう? 瑠璃のことが羨ましくてしかたなくて、自分と比べて恵まれてるって・・・、それはとても苦しいわよね」


 祖母の言葉にぐっと里佳の眉根が深くなる。あたかも泣き出す寸前のようだ。


 「ねぇ、騙されたと思ってそれを文字にしてご覧なさい。メモでも何でもいいわ。書き出してみると、自分の気持ちがどういう方向を向いているのか、本当に欲しいものなか確認できるの。そうねぇ、なりたい自分について書いてみるのもいいわ。これは他の人に見せるもではないし心のまま自由に書くの。文字にするとね、不思議と見えて来るわ。・・・自分の生き方も見えて来るかもしれなくてよ。・・・あなたは今、目の前のことしか見ていない。今はいいでしょうけれど、それだと、その先の生き方を周囲に流されてしまって貴女自身が生きづらくなる。頭で考えて直ぐに行動するんじゃなくて、書くってことをワンクッション入れてみると今回みたいな衝動を抑える事ができるかもしれないわ」


 里佳でなくても、わたしでもハッと思うところがあった。

 仕事が忙しい時ほどリストを作っているではないか、と。そうすることによって不思議と頭の中が整理されてクリアになる。そして、何をするのか先が見えて来る。祖母はわたしの様子に気がついたのか、フッと笑った。


 「瑠璃にも思い当たる事があるようね。ねぇ里佳さん。欲しいものはすぐにでも手に入れたい、これは(わたくし)にも良くわかるわ。あなたはその恵まれた容姿で大概のものは直ぐに手に入れて来たのかもしれない。でも、飽きるのも早くなかったかしら? 手に入れてみて実はそれ程欲しいものではなかったって思う事も多くなかったかしら?」


 祖母の言葉はじわりじわり心の中に染み込んで来る。決して上から物を言っている風ではない。バラバラになっている心の欠片を絡めとられるように、その欠片の隙間を埋めるように、何かを流し込まれているように感じる。


 (お祖母様、素晴らしいわ。ご自分が水になって(かたくな)な相手に対して自由にその形を変えて、隙間に入って行くのね)


 この雰囲気を壊さないように、わたしはそろりと目だけで里佳を見てみれば、人形(ひとがた)と思っていたその風采(ふうさい)が、人間が持つような弾力性を持ったように感じた。そして、その目からは鋭さが消え代わりに悲しみが浮かんでいるようだ。

 祖母の問いかけに、里佳はゆっくりコクンと頷いていた。それを見た祖母は優しく微笑み先を続ける。


 「それって本当につまらないわよね。そうやって簡単に手に入れた物って、何てつまらないのって簡単に捨ててしまえるし、結局は、何もあなたの手の中に残っているものが無いって、気付いたかしら?」


 里佳は記憶を探るように遠い目をしていた。そして自分の手のひらに視線をゆっくりとおろして行く。里佳は自分の手のひらを(ひた)っと見つめていた。

 どのくらいそうしていのかわからないが、無表情にも思えた顔が突然くしゃりと歪むと、両手で顔を覆ってしまった。


 「あなたはこれからどうしたいの? どうなりたいの?」


 祖母は最後にそう問いかけて、わたし達のところへ戻って来た。わたしが声をかけようと口を開きかけると祖母は人差し指を立て、しぃっと短く息を吐き出した。それだけで今は声を出してはいけないという事を理解し、わたしは小さく頷いて再び視線を里佳へと向けた。


 里佳は手で顔を覆ったまま、泣きもせず声も出さず、ただじっとそうしている。我慢できずにちらりと祖母を盗み見れば、わたしと同じようにじっと里佳を見つめているだけだ。祖母の横顔を見ているだけでは、祖母が何を考えて、何をしようとしているのか分からない。でも、わたしは待つしか無い。

 そのまま父に視線を向けると、父も私の視線に気付き口元をニッと上げただけで小さく頷いている。恐らく、祖母に任せておけと言っているのだろう。わかった、と父にも小さく頷いてみせた。


 ようやく祖母が動いたのはどのくらい経った頃だったろうか。短くもあるし、長くも感じられる時間、わたしたちは静かに里佳の様子を見ていた。


 里佳の周りに(もや)が取り巻き始めた。最初は眺め過ぎて目が疲れたのかと思うくらいの(わず)かな変化だったが、靄は確実に徐々に濃くなっていく。最初の靄とは全く性質が違う、ふんわりと包み込むようだ。


 自分の置かれている環境の変化に気がついたのか里佳がようやく顔を上げて、はっと息を飲んでいる様子が見えた。その目にはもう鋭さはみられず、今は次第に濃くなって行く靄に不安を覚えて立ち尽くしている。微かに肩が上下しているのを見れば、里佳の呼吸が浅く早くなっているのだろう。その姿は人形(ひとがた)から、すっかり小さな人間の女の子の姿になっている。


 「待って! ねぇ待って! 私は、私はどうすればいいの? 教えて!」


 あちらからはこちらが見えていないのだろう。里佳は顔を上へ向けて、焦点をどこにも定められ無い様子で祖母に問いかけた。それに対し祖母は(うっす)らと笑うとこう答えた。


 「まずはあなたの心の中にあるものを書きなさい。文字にしてよく見てみなさい。そして、よく考えなさい。そうすれば何かに気付けるはず。それで無理なら、またお話ししましょう。(わたくし)でなくとも、あなたの母親と対話をしてみるのも良いわ。ひとりで解決できなくても、二人なら何か見えて来るかもしれなくてよ」


 靄はどんどん濃くなりこちらからも里佳の姿が完全に見えなくなった。









 気がつけば月夜に訪れるあの部屋にいた。きっと青蓮が連れて来てくれたのだろう。


 わたしは心ここに在らずとした心地で立ち尽くしていた。


 祖母は里佳に対して語りかけていたのに、なぜかわたしの心にもずっしりとくるものがあった。そんなわたしの手を祖母がそっと握り、わたしの意識を自分に向けさせた。


 「瑠璃。真っ向から対抗するのは互いの協力が必要なの。対話って意見の違う者同士が互いに分かり合いたいと思うからこそできる共同作業なのよ。でも話を聞いてくれない相手には何を言っても無理。そういう時には、水の流れのように自分を変化させて隙間に入って行くの。相手も自身で見たくなかったものがあるからこそ頑な態度になるってことが分かれば、ある程度の人達には有効なの」


 祖母はパチリと片目を瞑りすっかり悪戯(いたずら)が成功したような明るい顔をしている。そんな祖母につられ、自分の表情が緩まるのを感じた。


 「ええ、お祖母様、勉強になりました。わたし、まだ全然分かってなかったわ。力任せに立ち向かえば何とかなるんじゃないかって心の底では思っていたの」


 「分かっていましたよ。でも、恥に思う事じゃないわ。相手によって使い分ければ良いだけよ。気にしないの。相手をよく見なさい。分からなければ訊けばいい、でしょ?」


 祖母の言葉にコクンと頷く。


 「理一郎も言っていましたね。自分以外の人の事は元々分からないものなの。分からないから、分かりたいと思うし、ならば、相手の言う事によく耳を傾けるの。そして分からなければ更に訊くということを繰り返せば分かるようになるわ」


 まぁ今回は本当に特別なケースでしたけどね、と苦笑いを浮かべているけれど、わたしは父と祖母の言った事をよく考えてみようと思った。







 「ときに・・・、もういいか?」


 突然、わたしの体が浮いたかと思えば青蓮に抱きかかえられていた。わたしは驚いてしまったけれど、祖母と父はさっきとは別の種類の苦笑いを浮かべている。


 「はい、もう良いでしょう。瑠璃、僕達はこれで失礼するよ、ちょっと寄るところもあるし。あちらの事は僕に任せてくれ。瑠璃が目覚めた時には全てを終わらせておくから、今日はゆっくりしておいで」


 父と祖母は青蓮に対し軽く頭を下げてすぅっとその姿を消してしまった。それを見届けたあと、わたしは青蓮の拘束から抜け出し、青蓮に向き直りきちんと座り直した。


 「青蓮、今回は本当にありがとう」


 現世でもこちらでも青蓮がいなかったらわたし達家族はどうなっていたか分からない。感謝しても仕切れない。この気持ちを表現するためにきちんとお礼が言いたかった。だが青蓮は軽く片手を上げておしとどめる。


 「礼は無用だ。瑠璃を守るのは私の特権なのだから。だが、今回のことは面白かったぞ。ヒトとは面白な。紫蓮(しれん)が介入したくなるのも分からなくもない」


 「ちょ、ちょっと、青蓮。だめよ」


 人間とは違う次元の存在である青蓮が介入すればひとたまりもない。慌ててわたしは止めに入るが、青蓮はやけに楽しそうだ。


 「分かっておる。私が介入したくなるのは瑠璃だけだ。瑠璃を想って感じる辛い気持ちも楽しい気持ちも、あらゆる感情が愛おしくてたまらない。・・・天帝(ちちうえ)が何を私に伝えようとしているのか、少し分かったような気がする」


 天帝の話がでたところで、青蓮はわたしの事は何でも知っているのに、わたしは青蓮のことはあまり知らないなぁと思った。青蓮の正体なんて隠しようもないほどに皆が知っている。だから、これまではそう言うものだと思っていたのだけれど、旦那様になるヒトの事を何も知らないままで良いのかとも思う。聞いたら答えてくれるのかな、何て思っていたら、どうやら無意識に言葉が出ていたようで青蓮がふわりと笑った。


 「私に興味を持ってくれたのか? 瑠璃が思うところがあれば、何でも答えるぞ」


 思いがけずも青蓮からそう言ってくれた。わたしは胸が躍るのを感じ早速質問をしようと思ったが、ふとある事を思い出し口をつぐんだ。


 「ありがとう青蓮。聞きたい事は沢山あるわ。でも、今は止めておく。現世のわたしがおいてきぼりになっちゃうもの。早くあなたのことを思い出したい。それから色んな話を聞かせて」


 「ああ分かった」


 再び青蓮に包み込まれた。


 胸一杯に青蓮の匂いを吸い込み、ほぉっと吐き出す。ああ、本当にこの場所は落ち着く。わたしは青蓮の胸にもたれかかりながら左腕にあるブレスレットを(もてあそ)んでいた。


 「あの時、里佳が攻撃をして来た時、これが防いでくれた。でも、紫蓮(しれん)の時はあっさり捕まっちゃったわ。どうしてかしら?」


 青蓮はわたしが紫色の糸に巻き付かれ、皮膚が擦り切れ血がにじんでいたところを指でなぞり最後に指先へと辿り着いた。そしてわたしの手を取りそっと指先を口に含んだ。


 じんわりと指先が温かい。直接感じる青蓮の温かさが、わたしの体の隅々まで行き渡り、体を、気持ちを満たしていく。


 「青蓮。もう大丈夫だから。あなたが治してくれたの」


 そっと青蓮の頬に手を沿わせると、伏せていた目が開かれた。思った通り、その目は憂いをたたえている。わたしはゆっくりと青蓮の口から指を引き抜くと自分から青蓮に口づけをした。わたしの存在を示すように、しっかりと何度も角度を変えながら口づけると、青蓮は我慢できなくなったようにわたしをしっかと抱きしめた。

 息が止まるくらい力強く、でもそうならないギリギリの力で加減されている。わたしは黙って青蓮の胸に顔を埋めていた。


 頭の上から青蓮の吐息とともに絞り出すような声がふってきた。


 「瑠璃に触れていいのは私だけだ。なのに、紫蓮(あいつ)は! みすみす私の目の前で瑠璃に触れさせてしまった、まだ清めが足りない」


 そしてギリっと奥歯を噛み締める音が聞こえる。


 「紅蓮(ぐれん)といい紫蓮(しれん)といい、勝手に私のものに触れおって、あいつら今に見ておれ」


 いやぁ・・・、わたしが知っている限りにおいて、かなりコテンパンに二人ともやられていた気がしたのだけれど、まだ気が晴れていなかったのかしらと、意外と執念深いんだということと、やはり青蓮は焼き餅焼き屋さんなんだということが、証明された。


 「瑠璃も自分から手を出してはいかん。今回は瑠璃が自ら手に取った事で結界が破られたようなものだ」


 メッと子どもを叱るように、青蓮はわたしの行動を注意した。その様子が可愛らしくて、ついクスリと笑ってしまったら、また、メッと今度はコツンと額を軽くぶつけられてしまった。


 「ごめんなさい、紅蓮の時と同じね。わたしが自分の意志で・・・」


 「そうだ。恐らく紫蓮の糸の方から瑠璃を襲っていたのならば弾かれていたであろう」


 「・・・ごめんなさい。怪我したのはわたしの自業自得よ。だから青蓮が気にする事無いのよ」


 「違う。糸だろうと私以外の者が触れるのが我慢ならん。瑠璃は私のものなのに。いっそこのままこうやって閉じ込めてしまおうか」


 ぎゅっと腕に力を込めて更に囲い込まれる。

 青蓮が本気でそう思えば簡単にわたしはとらわれてしまうだろう。一歩もこの部屋から出ることもできずに、ただ青蓮を待つ日々を送るだけ・・・。けれどもそれをしようとしないのは、青蓮がわたしの事をとても大事に思ってくれているという事に他ならない。

 わたしも青蓮の背中に手を回して抱きしめ返した。


 「わたしもあなた以外の人に触れられるのは嫌よ。あなたにもわたし以外の誰も触れて欲しくない」


 「ふ・・。瑠璃も焼き餅焼きだったのだな。私は誓うよ決して女道楽(おんなどうらく)などしやしないから」


 青蓮はわたしの顔を上げさせ、その上で誓いの言葉を告げるとこつんと額をくっつけ、そして「早く本当の夫婦になりたい」と深く口づけをした。


 そのまま抱きしめられると静寂がわたし達を包んだ。この世界にふたりだけだと錯覚するほどに互いの存在しか感じられない。そして優しくわたしの背中を撫でる青蓮の手を感じると何も考えられなくなりだんだんと心地よい眠気を覚え、そのまま意識がゆらゆらと薄らいでいった。

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