表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
意識と無意識の境界線 〜 Aktuala mondo  作者: 神子島
第一章
1/43

1

 今日は会社の定めた週一回の定時退社の日。

 基本的に、というか半ば強制的に残業禁止という、人により嬉しい様な嬉しくない様なそんな日である。私は日頃から残業にならないようにペース配分して仕事をしているので、それ程この日は苦ではない。今日もがっつり定時退社を目指してラストスパートをかける。


 「ふ。今日もきっかりに終われるわ」


 予定していたより少々早めに終りの見通しができたことに、ふふん、と自己満足の笑みを浮かべる。だが残念ながら、早く帰るからといって何をするわけでもないのがちょっとだけ悲しい、気がする。30歳も近くなると同年代の女の子達の多くはステディな相手がいて充実した時間を過ごすのが殆どだ。


 「ま、私には関係ないけどね、箏の練習もしなきゃだし。それと・・・そろそろ、片付けが必要よね・・・」


 家の敷地にある古い蔵。その中で使っている箏が眠っていたのを発掘したのだ。他にも色々と納められていているが、そろそろ誰かが手入れをしなければ、きっと私の孫の代になってもそのままだろうと容易に想像ができ、最近ようやく重い腰を上げようとしていた。でも正直言って、何をどう整理すればいいのか分からない。それが腰を重くさせる理由でもある。


 「今日は蔵の中にでも入ってみるか」


 幸いと言うか今は夏で日も長い、7時頃までは大丈夫だろう。そう決めてモニターの時計を見ればあと5分で終業時間だ。周囲の様子をうかがいつつ、ゆっくりとデスクの片付けに入った。


 「野田サン! 野田サンいる?」


 突然名前を呼ばれ、パッと顔を上げる。何ごとかと周囲の人達も入ってきた男性と私の方を交互に見ている。

 私の名前を呼びながら入ってきた人は隣の部署のマネージャーの滝本サンだった。


 「はい。います」


 片付ける手を止めてその場で立ち上がった。すると滝本サンは早足で私の所へやって来るとちらりとデスク周辺を見た。


 「もう片付け終わってるみたいだけど、この後何か用事でもある?」


 「いえ、特にこれと言って・・・」


 私はつい馬鹿正直に答えてしまった。すると滝本サンは安堵した笑みを浮かべて


 「ちょっと手伝って欲しい事があるんだけど頼めないかな?」


 (隣の部署のマネージャーがなぜ私に?)


 訳が分からず私が黙り込んだのを見て滝本サンはちょっと不安そうな顔をした。


 「あのどうい・・」


 「おい、滝本。勝手に俺の部下に指示すんな。それに今日は定時退社日だ。個人の予定があろうと無かろうと関係ない。仕事で余程の事でない限り全員退社が義務づけられているんだ、その辺はマネージャーなら分かっているはずだよな」


 理由を尋ねようと口を開きかけた所に、我が上司の里見サンが眉間に皺を寄せてながらやってきた。顔を見た限りでは、おおいに不機嫌そうだ。


 (あらま? 里見サンに話してなかったの? そりゃ怒るわね)


 面倒くさい事にならないといんだけどなぁと内心この二人との距離を置きたくなり、ちょっと他人事風に考えてみた。そんな里見サンの様子を見ても、滝本サンは引く事は無かった。


 「悪い。里見。分かってる。だけど、どうしてもと先方からの申し入れがあって、今日中に必要なものがあるんだ。ダイレクターにも話はつけてあるから、少し野田サンを貸してくれ」


 「は? 何で俺に話が来ないんだよ。その話はいつ分かったんだ?」


 「そうだな、かれこれ5分前かな。だからこっちも大慌てだよ」


 「それでもだ。なぜに他部署である野田サンに話が来るんだよ、お前んとこにもいるだろ同じポジションの奴らは」


 (そうだそうだ!)


 こっそり里見サンを応援してみる。滝本サンが口を開こうとしたその時、


 トゥトゥトゥ・・・


 終業時間直前に一本の電話が入った。


 「里見サン、安達サンからお電話です」


 どうやら話が前後したようだが、ダイレクターから里見サンへこの件の指示がなされるのだと分かった。じっと滝本サンを見ると、滝本サンも私を見ていた。


 「野田サン、実はねこの件のサポートをして欲しいんだ」


 電話で話している里見サンをちらりと見つつ、滝本サンが一枚の紙を私に見せた。どうやらメールをそのまま印刷してきたようで、それを私は両手で受け取り中身を読む。


 「滝本サン、これは私じゃなくても滝本サンの部署の人で対応可能だと思いますが」


 正直言ってそれ程難しい訳ではない。なぜ滝本サンが部署を超えてわざわざ私に指示をするのかが分からなかったので、正直にその事を言ってみた。


 「・・・それは、君ほど早く正確に対応できる人が、その・・・いないんだ」


 「それは少し前まで私が担当でしたからね、そうかもしれませんが」


 先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか滝本サンが言い淀む。


 「おい。滝本。安達サンから話は聞いた。お前・・・」


 「何も言ってくれるな。お前の言いたい事は理解している。後で聞くから、今は野田サンを貸してくれ」


 安達サンと話を終えた里見サンが先ほどの険のある顔ではなくなっている。いや、それ以上に何やら、珍しく必死で頼み込む滝本サンを見て呆れているような・・・胡乱な表情を浮かべている。


 里見サンはふぅっと大きく息を吐くと、私の方へ向き直った。


 「野田サン、君の担当じゃないから断ってもいいからね」


 「おい、里見・・・」


 「・・・いいですよ。仕方ないです。理由は後で伺いますから、これをとっとと終えられるように始めましょう」


 ここでヤルのヤラナイのと言い争っていても仕方が無い。読めばそれ程難しくない内容だったので、早めに終わらせてしまう方が丸く収まると私の中で答えが出た。


 私がそう言うと、あからさまに滝本サンがホッとした顔をしていた。


 「悪い。この恩は必ず返す」


 「要りませんよ。仕事ですから。ちっちゃな事ですけど確かにこれが飛べば先々亀裂が入りかねませんからね。大事なお客様のためです」


 「滝本、野田サンは俺の部下だ、恩は俺に返せ。いいな」


 「・・・チッ」


 私は早速とりかかろうと指示を仰ぐ。滝本サンはメールを送るからと言って一旦自分の部署へと戻って行った。私は片付けた道具をもう一度机の上に戻すと、眠っていたPCを叩き起こした。すると、起動した途端にメールが届いた。


 カチッとメールを開けばクライアントとの間で取り交わされた内容が現れる。


 「野田サン、悪いな。あいつのとこの部下達が仕事を拒否して帰ったそうなんだ」


 こっそりと里見サンが囁いた。


 「合コンだってさ」


 見ればうちの若い連中もとっとと居なくなっていた。


 (そういうことか。はぁ・・・まぁ、仕方ないわね。定時退社日に急な仕事を入れようとする方が悪いし。その点、私は多少残業したくらい全く問題ないほどに暇だし、何より会社が大変なことになるよりいいわ)


 ふぅっと大きな息を吐き出すと「よし」と気合いを入れ直し、取りかかった。


 「あ、里見サンもどうぞお帰り下さい。この内容だったら早ければ30分で終わりますから」


 どうやら私につき合って残業しようとしてくれていた里見サンに、終了の目安を伝えて帰るように促した。いくら忙しいマネージャーと言っても独り身ならば彼女くらいいるでしょうし、ひょっとすると待ち合わせがあったかもしれない。その証拠にさりげなくスマホをいじっていたし、そもそもな話、この案件は里見サンには全く関係ない話だ。気にしないで帰るようにと再三促せば、「すまん」と言いながらも帰って行った。


 里見サンが帰った事で気兼ねなく他の人達もあっという間にいなくなる。


 (ようやく本気で仕事に取りかかれる)


 望んだ通りの静かな環境で、私の指が弾くキーボードの音だけが響いていた。





 滝本サンの部署へ行けば、そこはまだ緊急対応のためか何人か残っていた。若干空気が重い気がするのは、気にするべからず。


 「助かった。さすが野田サン、こんなに早くできるとは思わなかった」


 眉尻を下げた滝本サンに感謝された。ほんの少し居心地が悪い。


 「少し前に担当していたとは言っても既に手を離れている内容ですから、ちゃんと目を通して下さい」


 涙目になりそうな滝本サンにチェックをしてもらい、ようやく残業が終わった。滝本サンのチェックまで含めて正味1時間だった。これから先、彼らはまとめあげて帰る事になる。


 居残る人々にお疲れさまですと挨拶をして、今度こそPCをシャットダウンした。





 制服から私服に着替え更衣室を出て広いエレベータホールに立つ。日頃、大勢の人がいる雰囲気に慣れているせいか自分一人しかいないこの状況にどことなく落ち着かない。

 数機あるエレベータも既に何機かは止まっているようだ。なので待つ時間がいつもより長い。ようやくエレベータの扉が開き一人で乗り込む。一階のボタンを押し、独特の浮遊感を感じながら降りて行った。


 一階に到着したのか、静かに扉が開く。

 帰宅してからの段取りをあれこれ頭の中で考えていて、つい周囲を確認するのを忘れてしまい扉が開いたと同時に足を踏み出したその瞬間、勢い良く目の前にあった箱にぶつかってしまった。


 箱はまるでスローモーションのように倒れ落ちる。私は慌てて持っていたバッグを捨て両手で箱を受け止めた。


 「せ・・セーフ? う・・・重い・・・」


 小振りだと思っていた箱は見た目よりも重かった。足を踏ん張ってよいしょっと気合いを入れて、元の位置へと押し上げる。


 「ふぅ・・・危なかった・・・」


 箱が安定して乗っているのを確認してようやく安心した。


 「大丈夫かい? すまなかった」


 気がつけば初老の男性が、先ほど私が投げ捨てたバッグを手に持ち話しかけてきた。


 「あ、申し訳ありません。前方不注意でした。以後気をつけます」


 慌てて頭を下げて謝罪をすれば、男性はふぉっふぉっふぉと不思議な笑い方をしながらバッグを差し出した。


 「すみません、ありがとうございます」


 「いえいえこちらこそ誰かが降りて来るとは思っていなくて、扉近くにこの台車を近づけてしまっていたものですから、申し訳なかったね。怪我はないかい?」


 「大丈夫です。ご心配ありがとうございます」


 男性は心配そうに私を見ていたが、全く問題ないと言う事がわかり安心した顔をした。


 「しかし、よく持ちこたえたね。この箱、小さめだけど重かっただろう?」


 「はははは、ちょっとびっくりしました。でも、大分傾いてしまったので中身が壊れている可能性もありますよ、開けてみて確認してもいいでしょうか?」


 自分で言っておきながら、確かに何かが傾いた手応えを感じていたので不安になった。幾ら男性が大丈夫だと言っても気になるものは気になる。


 「あの、これだけの荷物をお一人で運ばれているのですか?」


 そう尋ねれば、男性はそうだと言う。ならば、


 「お手伝いします。押す人と荷物を支える人が居た方がより安全にスムーズに運べますから」


 もうじき30歳を舐めてはいけない。それなりに経験を積み、どう言えば相手が受け入れてくれるか言葉も選べる。最初は断られたがお手伝いをすることになった。




 この初老の男性は竹崎サンと言うお名前だそうだ。ここの社員ではなく、この会社の創業家の方の関係者とのことだった。


 本来なら関係者以外立ち入り禁止なのだが、そこは流石に創業家側から発行されているモノを首から掛けているものの効果だろう、守衛さん達も問題なく通した事が容易に推測できる。


 「これらはね創業家の蔵から運び出してここのビルの地下で管理するんだよ」


 竹崎サンは定時退社日を狙って細々とこの作業をしているそうだ。


 「全然急がない作業だからね、この位で丁度良いのさ」


 だからといってこの暑い盛りに初老男性一人での作業もどうかと思われる。

 竹崎サンが台車を押し、私は積まれた荷物に手を添えグラツキを押さえると、不安定感が無くなったと竹崎サンが喜んでいた。


 「ここだよ」


 数年この会社のこのビルに勤務をしているが、こんなに深い場所があったとは・・・。辿り着いたのは地下5階だった。


 (いやいや、ちょっと待って。地下5階の表示って無かったよね?)


 エレベータのボタンを思い出しながら、軽くパニックになった。


 (隠し部屋?)


 「ふぉっふぉっふぉ。そんなに驚く事はないよ。創業家はこの国でも古い家系だからね、色んな秘密があるんだよ。楽しいよねぇ〜」


 まるでいたずらっ子の様な表情で余裕の笑みを浮かべている竹崎サンは本当に楽しそうだ。

 地下5階には地上階以上のセキュリティが施されていた。まず、私のIDではどの扉も反応しなかった。竹崎サンが首に下げているカードだけに唯一反応する。扉しかり、エレベータしかり・・・。


 通路を似た様な扉を幾つが過ぎた後、ここだよ、と竹崎サンがカードをかざして扉を開けた。開いた扉の分厚さに驚いた。


 (核爆弾でも想定したのかしら?)


 それ程の厚みだ。だが、ギィッともキィっとも言わず音も無く開く。


 「ちょっと支えててくれる?」


 ちょっとした手応えのある分厚い扉を私が支え、その間に竹崎サンが台車を押して中に入って行く。


 「扉を閉めてついておいで」


 きっと手が挟まれたら骨折間違い無しと思われる扉を恐る恐る締め、私は竹崎サンの後を追った。そしてもう一度同じ様な扉を開けると、


 (なに・・ここ・・・)


 そこには地下とは思えない程の広い空間が広がっていた。


 「驚いた? ここにこいつ等を運び込むんだ、よいしょっと」


 竹崎サンは荷物を下ろし始めた。私は慌てて駆け寄った。


 結局、その日は荷物を運び込むだけで終わった。地下2階と地下5階を5往復するとその日の作業は終了となった。


 実は竹崎サンの運転して来た特大ワゴン車は地下2階の駐車場にあった。なぜ1階にいたのかというと、押し間違えてしまって、更に上に上がりそうだったから1階で降りて待っていたそうだ。そこに私が降りて来て、今に至る。




 「ありがとう。お陰で思った以上に早く終われたよ」


 「いいえ、こちらこそ会社の裏側を垣間見れて面白かったです」


 ふふふと笑うと


 「あ、瑠璃ちゃん、ここの地下の事は内緒でな」


 「はい、分かっています。他言しませんし、近づきません」


 「信頼しているよ」


 今度は竹崎サンがニカッと笑った。


 「あの、竹崎サン、この作業はまだ続くのでしょうか?」


 「そうだね。あと、そうだな、少なく見積もって車10台分くらいかな」


 「そんなに? だったら、手伝わせてもらえませんか? 作業されるのは定時退社日なんでしょ?」


 突然の私の申し出に最初は驚かれていたが、何とか許可をもらった。私は思いがけない出会いに、久々に楽しくなり早く次の定時退社日が来ないかと楽しみになった。


 「あ、でもな、次の作業は土日を予定しているんだが」


 (なんと!)


 「出来れば人が居ない方がいいから。急ぎではないが、隙を見てさっさと終わらせたいのでね」


 「じゃ、ぜひ、土日も手伝わせて下さい!」


 「土日だよ? 瑠璃ちゃんはデートとかしないのかい?」


 竹崎サンが目を丸くしてこっちを見ている。


 「ありませんよ、そんなの。あったってこちらを優先したいです」


 嬉々として即答した私の答えに竹崎サンはしばし考え込んでいる。が、それは一瞬の事で


 「そうかい? 手伝ってくれるのならこちらとしては歓迎なんだが、わざわざ休みの時までに会社に来るのってのは、社内的に大丈夫なものなのかい?」


 そう心配されるのも至極尤もな話で、下手をしたら休日出勤しているように見られかねない。休日は特別な申請がないとフロアにすら入れないのだ。


 「大丈夫です。竹崎サンのお手伝いはあくまでも個人的な事ですから。その場所がたまたま会社だったってだけで、見つからなければいいと思います」


 私は早くあの宝物達を見たくて、何とかして、お手伝いをしたいという気持ちで胸が逸る。


 「まぁそういうならお願いしようかね。だけど、無理はいけないからね。君の本分は会社員だ、それに響くようなら・・・」


 「大丈夫です。弁えています」


 ここで更に一押しをしておいて約束を確定させる。


 「でも、どうしてそこまでして手伝ってくれるんだい?」


 不思議そうに竹崎サンが私を見た。


 「実はお手伝いしながら考えていたのですが、うちにも蔵がありまして、最近は全く手つかずな状態なのです。いい加減に整理しなきゃいけないんですけど、どう整理していいのか分からなくて、こちらでお手伝いをさせていただきながら学びたいと思ったんです」


 「あーそういうこと。確かに古いものの取り扱いは難しいからね。ほんじゃ、お願いするよ。社内への立ち入りについては僕の方で手配しておくから心配はいらないよ」


 「はい! ありがとうございます」


 明々後日、再びここで会う事を約束し、私はようやく会社を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ