5-2:東の”母” ●
東雲家。
それは、代々東国の”将”としての役割を担ってきた。
有事には、皆を率いる”知”となり、”象徴”となり、”切り札”としての役割をあわせ持つ。
東雲の長は、最も強くなければならない。
ゆえに、その長たる者に代々与えられる称号こそ、”東国武神”。
しかし、前当主、東雲・イスズは、歴史上において最も風変わりとも言えた。
とはいっても、彼は、東雲の長としては何ひとつ非のない人物だった。
国を愛し、妻を愛し、娘には親バカマキシマム。
そして、彼にはもう1人、友がいた。
ムソウ、という男だった。
後に”東国武神”の称号と共に、東雲の象徴たる名刀”炎月下”は、その友に譲り渡された。
当時は波紋を呼んだが、その男の武勲が上がるにつれ気にする者はいなくなった。
”知”を司るイスズ。
”武”を司るムソウ。
彼らの活躍は、歴代を通して最も優れていた。
だが、”朽ち果ての戦役”を期として、その関係は終わりを迎えることなる。
東雲・イスズの死。
生き残ったムソウ。
”知”は失われ、”武”だけが残った東雲には、次期当主となる権利を持つ娘がいた。
東雲・スズ。
だが、全ての長たる”東雲”を継ぐには、まだ彼女は幼く、未熟だった。
そして、周りもその重責を1人の少女に負わせることに抵抗を覚えた。
東雲・スズは、そんな周囲の環境を理解した。感謝した。同時に悔しくも思った。
自分は、東雲を、”東”を背負える程の人間にならなければならない。
周囲に一日でも早く認められるために。
そういった思いを内包し、東雲家は、今に至っている。
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ウィルは、ドキドキであった。
……なにせ、あの”東雲”。東雲ッスよ!?
ウィルの感覚では、一般人などには及びもつかない大貴族という感じだ。
緊張しないわけがない。
特に、東雲家の前当主亡き今、その代理を務めるのはその妻であるという。
……なんか、怖いッスねぇ。
”東雲”と書かれた表札のある木造の門をくぐり、今は屋敷の縁側を歩いている。
先頭を歩くのは、白い花飾りのついた黒の長髪の一部を後頭で、結った少女。
東雲・スズ。
やや目つきのきつい女の子だ。
身長もウィルと比べるとだいぶ低い。
装甲付きの戦闘服でごまかしているようだが、体の細さもかなり華奢な部類だ。
……特に、胸が驚くほどにまッ平―――
すると、スズが不意に振り向いた、
その表情は険しい。眉間にしわが寄っている。
「ごめんなさい」
ウィルが条件反射に先手を打った。
アウニールなら鉄拳がすでに5発は飛んできてる頃合いだと確信する。
だが、彼女は、
「なにいきなり謝ってるのよ?」
と、ウィルを奇妙なものでも見るかのようだった。
よく見ると、視線はウィルではなく、その後ろに向かっている。
そこにいるキセルをくわえる男へと。
「…いつまでついてくる気よ」
スズは、棘のある口調で言った。
ムソウだ。
”カヤリグサ”を降りてから、ずっと何も言わずついてくる。
街道を通った際、商店の人に声をかけられても手を上げて返すくらいだった。
すると、ムソウが言う。
「あれ? 俺様の詳細報告を聞きたいんじゃねぇの? 東雲・スズ殿」
「そんなの報告書でも書けばいいじゃない」
無表情に言うスズ。だが、ムソウはニヤリと笑い、
「寂しいねぇ。昔は、俺様が帰ってくるなり、”おかえり! ムソウおにいちゃん! だっこだっこ!”とか言って―――」
「うああああ!? 言うなあっ!」
スズが頭を抱えて、うずくまる。
どうやら思い出したくない過去らしい。
「へッ、俺様と口げんかしようなんざ10年早いぜ。スズちゃんよぉ!」
「ええい! ここで決着をつけてやる!」
顔を真っ赤にして、スズが腰の刀に手をかける。
「そういうところがガキなんだよ」
対するムソウはヘラヘラと、笑っている。
……東国入ってから、なんか浮かない様子だったけど、やっぱりいつものムソウさんッスね。
ウィルは、内心そう安堵した。
その時、新たな声が来た。
「―――あらあら、元気な声が聞こえたと思ったら~」
すごく間延びした声だ。
ウィルはリヒルと似たものを感じたが、こちらはかなり大人びていて艶がある。
声のした方を振り向く。
柔らかい母性ある笑みを浮かべた若い女性だった。
簪で結わえたウェーブがかった黒の長髪。
一目でスズの家族なのだと分かる。
……たぶん、お姉さんッスね。
「お帰りなさ~い。無事で嬉しいわ~」
ウィルに第一印象が奔る。
……でっかいな~。
自分の感情に正直に、そう思った。
胸が大きい。
なんというボリューム。
入りきってない部分は、別の内側にある白い布によって隠されている。
東国の”着物”というのは、どうにもワンパターンだと思っていたが、やはり着る人によって変わるものだと思った。
おそらくお姉さんの女性と、ウィルの目が合う。
「あらあら、かわいい子ねぇ。スズちゃん、どなた? 刀しまってお母上にご報告ちょうだいな~」
……え? お母上…?
目を丸くしているウィルをよそに、ため息を1つしたスズは刀を腰の鞘にしまう。
「ウィル=シュタルクっていうらしいわ。ムソウ曰く、修行したいってことで連れてきたっていうんだけど―――」
スズは、やや不機嫌な感じで続けようとしたが、
「えい」
途中で”お母上”が、いきなりウィルを抱き寄せた。
「もがっ?」
不意打ちであったため、ウィルは反応が遅れた。
理解が追いついたときには、"お母上"のお胸の谷間に自分の顔がすっぽり埋まっている状態であった。
「そ~、修行にいらしたの? 偉いわね~! 思う存分頑張ってね」
ホールド状態で、頭をなでなで。
やさしい手つき、温かみのある声。
だが、ウィルは、
……し、死ぬ! 妙に至福を抱いたまま死ぬ!
巨乳に襲われて、死と幸の狭間にいた。
昔見た演劇であった女が男に言ったセリフを思い出す。
あなたの胸の中で死にたい、というやつだ。
……男女逆転バージョンがあるなんて…世の中、ひ、ろい―――
「……アリアさん。俺様の弟子が酸欠で天国の階段登り始めてる。だから放してやってくれ」
ムソウがそう言うと、アリアは、あらそうなの?、と言ってウィルを解放した。
ウィルの体が、バタリと床に仰向けに倒れ、荒い呼吸と共に言葉を吐きだそうとする。
「し、し、し―――」
「なんだ、死ぬところだったか?」
「幸せでした…」
「まだ死ぬなっての。帰って来い」
そう言われた後、改めて荒い呼吸を開始する。
「母上、なんで抱擁窒息を狙ったの?」
「あら、母上はそんなつもりはありませんよ? これは西国式の挨拶らしいってゾンブルさんに聞いたの。”今度自分にお頼み申す!”って言ってたから、極めるまで待っていて、と返したの」
「あの変態忍者め…!」
「そういうわけで久しぶりの外人さんに試してみたんだけど、いかがだったかしら? 失礼がなければいいんだけど。はろー?」
アリアの問いに対して、ウィルは声の代わりとして、親指をたてて返した。
「ほらスズちゃん、うまくいったわ! これで母上も国際人の仲間入りを果たせましたよ!」
「とても有効的な挨拶とは思えなかったけど…」
「何言ってるの。相手もとても友好的に受け取ってくれてるじゃない~」
肩を落としてため息をつくスズ。
アリアの方はウキウキであった。